第一話:転校生はVTuber志望!?
『みんな、落ち着いて聞いてくれ!』
画面のコメント欄が、暴走でも始めたかのような速さで流れていく。祝福や驚きの言葉・・・ではなかった。並ぶのは、怒り、呆れ、失望。それらが画面の向こうからひしひしと伝わってくる。
言葉が喉につかえて出てこない。説明すれば、きっと、何とかなる。そう思いたいのに、息が苦しくて、手は震え、冷や汗が背中を伝っていく。逃げたい。でも、逃げられない。向き合わなければいけない。自分の言葉でちゃんと・・・。
長い葛藤の末、ついに口を開いた――。
――夢。だった。
耳元でアラームが鳴り響く。冬木一真は、重たいまぶたを押し上げ、ベッドからゆっくりと身体を起こした。時計を見れば、起床時間をとうに過ぎていた。
「・・・久しぶりに見たな、あのクソみたいな夢」
額にはじっとりと冷や汗。パジャマ代わりのTシャツも、うっすらと湿っている。一真は重い身体を引きずって、浴室で軽くシャワーを浴び、制服に着替えながら、心のどこかに残るざらつきを振り払おうとする。
朝食をとる余裕はない。時計の針は、すでに登校ギリギリを示していた。
家を飛び出して、自転車に飛び乗る。
「遅刻なんてしたらあの担任絶対ネチネチ言ってくるからな」
初夏の日差しが照り付ける中、ペダルを踏む足に自然と力がこもる。
一真が住む町はいわゆる田舎だ。バスも電車もあるにはあるが、どちらも1時間に1本来ればいい方。だから毎日の通学は専ら自転車である。最寄りの高校を選んだつもりだったが、山越えのルートで1時間近くかかるためせっかく浴びたシャワーの意味が、ヤケクソ気味にこぐ自転車によってあっという間に失われていく。
「・・・あの夢、もう見ないと思っていたんだけどなぁ」
自転車を飛ばしながら、ふと悪夢の事を思い出す。夢の内容自体より、そこに出てきた”彼”のことが頭を離れない。
それが、今の自分にとって何を意味するのかなんて――まだ分からなかった。
「はぁ・・・はぁ・・・クソが・・・!」
一真がこう悪態をつくのも仕方あるまい。一真が通う高校は山間、つまるところとてつもなく長い上り坂を越えた先に建っている。こんなところに高校を建てたやつに小一時間説教をしてやると、毎朝ついているであろう悪態を今日も呟く一真は、何とかホームルームには間に合う時間で校門をくぐった。駐輪場へ自転車を停め昇降口へと向かう。ほかの生徒もホームルームの時刻が迫っているため、どことなく速足である。いち早く自分の教室へといった感じで、焦っている生徒すらいる。ただその生徒の中に一人、明らかにアタフタしている生徒が目に入った。
小柄で茶色のふわふわツインテール、遠目からでも分かるアイドル然とした雰囲気を醸し出す女の子。男子であれば誰もが「可愛いな」と思ってしまうような、そんな容姿の子だった。そんな困っている様子の彼女を前に一真は・・・。
素通りした。綺麗なまでに、目を合わせることもせず。
どちらかというと、一真は俗にいう”陰キャ”である。見た目も普通の男子生徒の模範のような姿で、目立たない存在を心掛けている。そんな彼は明らかに住む世界が違いそうな彼女を敬遠して、さっさと教室へ向かうことに決めたのだった。
ただ、彼女を見捨て廊下を歩きだしたときにふと、朝見た夢を思い出した。”アイツならこんな時”・・・そんな言葉が頭をよぎり、一真はため息を一つ。
「なぁ~に考えてんだか・・・」
「どうしよう・・・!」
昇降口付近でどこに行ったらいいのか分からなくなっているのは、今日この学校に転入する手はずとなっている天草心音である。転入初日、まずは職員室で説明を受けて、それからホームルームで自己紹介・・・のはずだった。だが大遅刻をやらかし、今やパニック真っ最中である。
「昇降口から入る・・・!? でも職員室分かんないし・・・あ、職員玄関!けどそれも場所分かんないし探す時間ない! しかも職員玄関のすぐ近くに職員室あれば別だけどなかったら・・・! だったらほかの人に訊けばって悩んでるうちに周りに誰もいないし!?」
先ほどまでホームルームに間に合おうと速足気味に通り過ぎていた生徒たちは、心音がもたもた悩んでいる間に誰もいなくなっていた。
焦り過ぎて状況がどんどんとカオスになっていく。こうなったらと最終手段である、と学校へ直接電話をかけて解決しようとしていた時だった。
「探し物か?」
「ひゃぅっ!?」
ふと、背後から声をかけられ、文字通り飛び上がる。心音が振り返ると、そこにはやや寝癖まじりの黒髪と、いかにも”普通”を体現したような男子生徒が立っていた。
「え、あのっ・・・すみません、職員室ってどこですか?」
「職員室・・・? 職員玄関から入れば・・・」
そこで何かを察したのか男子生徒は心音の制服をちらっと見た。しわや色褪せ一つない制服を見て転入生と見破ったようだった。「あぁ、そういうことか」と一言呟いた彼はスマホを見て時間を確認し、どうしたもんかと一瞬顔を悩ませたがそれもほんの少しで・・・。
「案内するよ」
「えっいいんですか!」
「ここで見捨てるのもなんか後味悪いしな、歩きながら話そう」
言葉の節々にぶっきらぼうさがチラホラと見えるが、どこか彼女を気遣う男子生徒に不思議な感覚を覚えながらも心音は男子生徒に従って歩く。簡単ではあるが、彼女が今日転入する手筈になっていること。自分の名前の自己紹介、そして彼が同じ学年で名前が冬木一真であるということ。
心音はそんな彼に、不思議な親しみやすさを覚え始めたころ、気が付けば目的地に着いていた。
「あの、ありがとうございました! なんてお礼を言えばいいか・・・」
「別にいいよ、転入初日から迷って遅刻とか、俺でもキツいし」
それじゃあと軽く手を振ってその場から立ち去ろうとする一真に心音は名残惜しさを感じつつ、職員室へ入ろうとしたとき、ホームルームを告げるチャイムが鳴り、彼が自分の遅刻を覚悟して心音を案内してくれたことに気付くのはそう難しい事ではなかった。
「そんじゃホームルーム始め・・・そんなドアを壊す勢いで入ってくるな冬木」
「セーフです! ほんの数秒ッス!」
「残念。時計は秒単位じゃないの。アウト」
「そこは情ってもんをですねぇ・・・!」
職員室から脱兎のごとく全力疾走で教室まで駆けた一真だったが、時間にうるさいこの担任に案の定遅刻判定を下されたのだった。
黒髪のセミロングに、地味なスーツを着ており、片腕にはスマートウォッチとアナログ時計の二つをダブルで身に着けている謎装備。時間に厳しいことを体現したかのような主張の激しい片腕で、かけている黒縁めがねをくいっと上げて淡々と話すのは担任の女性教師、柊詩織。時間厳守を掲げる。毒舌で冷静な現代教師だ。
「その遅刻が、社会でどれだけ信用を失うか、賢い冬木くんなら分かるでしょ~?」
言葉に毒が明らかにこもっている。一真は口答えしても負けるのが目に見えているため、バツが悪そうにしながらしぶしぶ自分の席へと座る。
(黙ってれば美人なのに、口を開くとこれだから30代独身のままなんだよ)
せめてもの反抗で心の中で毒をあびせる一真だった。
そのまま何事もなかったかのように出欠席の確認が進む。ちなみに一真はしっかりと「遅刻」と出欠席簿に書かれた。
連絡事項が淡々と読み上げられる中、一真はぼんやりと窓から空を見ていた。天草心音。転入初日からいきなりインパクトを残すような子だったけれど、無事職員室へ送り届けたわけだから何も問題はあるまい。危なっかしさのありそうな子だったが、新しい学校生活へのデビューは問題なく間に合ったであろう。話した時間はそう長くはなかったが、彼女はたぶん人気者になるだろうと一真はそう思う。容姿は可愛く、小柄な体も相まって愛嬌がある。おまけに性格も素直でどこか天然じみたところもあり、そこにプラスして転入生という肩書がつけば一瞬でクラスの、いや学年中で話題になる。
彼女との接点ももう無くなった。学校で会話するのもあれが最後だろう。住む世界の違う、交わることのない住人同士だったんだ・・・と思っていた矢先。
「あぁ、そういえば今日このクラスに転入生が来る」
「・・・は?」
一真は思わずつぶやいた。んなバカな、と。ただ、ほかのクラスメイトも驚いたようでざわざわと騒ぎ始める。「どんな子だろう」「かわいい子が良いよな」「いやいや、こういう時は大体男が来るだろ」など、男子は女の子が来ることを願っていて、女子の会話も似たようなものでイケメンをご所望なされていた。ただその中で一真は一人、誰が教室に入ってくるのかもう分かっている。
「入ってきて自己紹介してくれ」
そう、まさしく天草心音、その人だった。男子は思わず見惚れ、女子も「可愛い子だー」とつぶやいている。
(うちのクラスだったのかよ・・・)
驚く一真は、一瞬心音と目が合った。心音も思わず、声には出さないが「あっ!」といった表情を見せ笑顔になる。
「じゃあ天草、自己紹介を頼む」
「は、はい! 今日からこのクラスに転入してきました! 天草心音っていいます!」
初めて一真と会話した時もそうだったが、小動物のような仕草ひとつひとつに男子はおろか、女子も目を奪われている。人柄の良さも持ち前の元気さと口調に表れているため、第一印象はとても良い。これなら、初日から圧倒的人気者になるなと一真が思って見守ろうと次の言葉を待った。
「私、夢があって!」
しかし一真はその言葉を聞いたとき・・・何か嫌な予感がした。
「VTuberになることです! よろしくお願いします!!」
一真は文字通り口をぽかんと開き、呆気にとられた。こんなことを言うヤツがいるのか、いや言うにしたって場所を考えろなど、脳内でツッコミが連発されるが、当の本人はやりきった感を持った顔で立っている。
終わった・・・。少なくとも一真は心音が良い転入生デビューを果たせると思っていたところだったが、これが原因で後ろ指を指されたり”変わった子”認定されてしまう。
――皮肉だが世間一般ではVTuberとはそういうものだ。
一真は嫌な静けさを感じる教室のなか、少なくとも自己紹介を終えた彼女を称えようと拍手しようか迷っていたが、教室は一真が思っていたのとは何やら違う空気になっていたようで・・・聞こえてくるのは「え、VTuber?」「絶対伸びるやつじゃん」「なんて名前で活動するのかな?」など。
そう、一真の心配とは真逆で好意的な反応。男子はおろか、女子たちの反応も同じようなもので、批判的な声は聞こえなかった。
そんなクラスの反応に心音は少し照れくさそうに笑いながら続ける。
「なんか楽しそうだなと思ってて!配信とか、いつか見てもらえたら嬉しいです!」
その愛嬌ある口調と満面の笑みが、教室全体にほんのり温かい空気を広げていた。
「・・・あの自己紹介で受け入れられるって、なんつー才能だよ」
一真は苦笑いをしていたものの、教室は心音という転入生の加入で浮足立った。
案の定、心音は教室中の話題の人となっていた。VTuberの話はもちろん、ルックスも良いため、休み時間のたびに周囲に人だかりができていた。
ちなみに毒舌教師、柊によって「天草の席考えてなかったわ、席替えついでに決めるか」とクラス全体を巻き込んで席替えをした結果、彼女の席は窓際の前から2番目の席に。そして幸運なことなのか、一真は窓際一番前の席。つまるところ彼女の前の席になった。
転入生と隣接する席なんざ、羨ましいことこの上ないはずだが、休み時間のたびに心音を囲むように人が集まってくる。人だかりが苦手な一真はそのたびトイレに逃げ込む結果となったため、心音と会話をすることになるのは昼休みになってからだった。
昼休みになり一真は購買へと向かう。理由は単純で、彼女と一緒にご飯を食べようとする生徒に席を占拠されるのは目に見えていたからである。
(真の陰キャは気配りができるのだよ・・・)
と、それは気配りなのかイマイチ分からないことを心の中で呟く彼のもとに、心音が話しかけた。
「冬木君だよね! えっと・・・さっきはありがとう!」
一真は彼女が話しかけてきたことに驚きつつも心音の背後を見る。彼女の席の周りにすでに女子たちが弁当を持ち寄ってきていて、お昼を食べる準備万端といった感じであった。もちろん一真の席は占拠されている。
あまり長引かせると目立ちそうだなと思いながらも、一真は彼女に向き直る。
「あぁ。あの後、大丈夫だったのか?」
「うん! ちゃんと先生から説明聞けたし、ホームルームにも間に合った! 冬木君のおかげだよー!」
と、そこまで話した彼女は少しモジモジしながら続ける。
「それで・・・その・・・さっきの自己紹介、変じゃなかった?」
「あー・・・まぁ、インパクトはあったんじゃないか」
「だよね~・・・やっぱ目立ちすぎたかな?」
それでも「えへへ」と嬉しそうに笑う彼女を見て、一真はようやく理解する。この子は本当にVTuberになりたくて、夢を堂々と言葉にする強さを持っているのだと。
「憧れの人がいてね! 話すのとか、歌とかめっちゃ上手くて! 楽しそうに配信してて。私も、そんなふうになりたいなーって」
彼女が語る”憧れの人”が、かつて自分が演じていたVTuberと重なって見えてしまうのは――ただの気のせいなのだろうか。
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