勇者は許されない魔王になった日
これはこの物語の最新エピソードです。皆さんに楽しんでいただければ幸いです。
十月九日、午後十一時。
アキヒロは、すでにルインズの極秘施設の最深部に立っていた。
ここへ来るまでに、ミマロの指揮下にある兵士や傭兵が何百人も彼を止めようとした。
銃弾、刃、爆発。
だが、そのすべてはアキヒロの身体に触れることすらできなかった。
ボイドが、ほんのわずかな力を分け与えていた。
それだけで、人類の兵器は意味を失った。
無音の通路を抜け、巨大な制御室に入る。
そこにいたのは二人。
ひとりは――ノバヤシヅキガミ・ミマロ。
もうひとりは、透明なカプセルの中で眠るノムヴラ。
彼女は意識を失っていた。
まるで世界そのものが、彼女に重なっているかのように静かだった。
アキヒロとミマロは、しばらく何も言わずに互いを見つめ合った。
時間が止まったような沈黙。
先に口を開いたのは、アキヒロだった。
「……なぜだ」
声は震えていなかった。
「なぜクラフティッチを創った。
人類を救うつもりだったのなら、なぜ、あれほど多くの人を殺した」
ミマロは、ため息のように息を吐いた。
「人類は、真実に耐えられない」
淡々とした声だった。
長年、何度も同じ答えを心の中で繰り返してきた者の声。
「完全に理解不能な存在ではなく、
“強いが、いつかは倒せる敵”が必要だった」
ミマロは続ける。
「恐怖だけでは人は壊れる。
希望だけでは、人は散らばる。
恐怖と希望、その両方が必要だった」
彼はノムヴラの方を一瞬だけ見る。
「人類を一つにまとめるには、
共通の敵が必要だった。
そして“本物の恐怖”には、死が伴わなければならない」
アキヒロは黙って聞いていた。
ミマロは、アキヒロの右手にあるものに視線を落とす。
リボルバー。
「撃たないだろう」
ミマロは、確信した口調で言った。
「君は知っている。
私を殺せば、世界は崩れる。
何百万人、いや、何千万という人間が死ぬ」
ゆっくりと、アキヒロを見つめる。
「君はずっと、人を助けて生きてきた。
両親を失ったあの日から、
罪を償うように――」
「そんな君が、
そんな重さを背負えるはずがない」
その瞬間だった。
乾いた銃声が、制御室に響いた。
ミマロの胸が弾け、身体が後ろによろめく。
床に血が広がる。
ミマロは信じられないものを見るように、アキヒロを見た。
アキヒロは、銃を下ろし、静かに言った。
「……選んだことは」
声は、ひどく静かだった。
「俺は、この罪を背負って生きる」
彼はノムヴラのカプセルへ歩み寄る。
「世界よりも、
人類よりも――」
装置に手を伸ばしながら、囁く。
「ノムヴラが笑って生きられる未来のほうが、
俺には大事だ」
「彼女は……俺の、天使だから」
カプセルのロックが解除される。
ノムヴラの身体が、ゆっくりとアキヒロの腕の中に落ちてくる。
その瞬間、アキヒロの手が震えた。
頭の中に、無数の顔が浮かぶ。
ワン・ユー。
セレナ。
チャック。
ブルンヒルデ。
アグネス。
――そして、名も知らぬ何百万もの人々。
「……ごめん」
誰にも届かない声で、アキヒロは呟いた。
「許されないことは、分かってる」
それでも、彼は歩みを止めなかった。
背後で、ミマロが何か言おうとしたが、
その声はもう言葉にならなかった。
その時、空間が歪む。
ボイドの力によって、
制御室の中央に異界への裂け目が開いた。
アキヒロは、眠るノムヴラを抱きしめ、
一度だけ振り返る。
そして、裂け目の中へと足を踏み入れた。
次の瞬間――
彼らが去った世界は、
ボイドによって、静かに、完全に、喰われた。
光も、音も、意味も。
すべてが、存在しなかったことになる。
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