終幕《合縁》後編
賑やかな食事も終わり、狂士と周三郎そして夜光は縁側に座り月を眺めていた。
騒ぎ疲れて火照った体に、冬の冷たい空気が心地良かった。
「うー、冷たいけど、気持ちいい」
「だな……もぉ、お前上着着てねぇじゃん」
狂士は着物姿の夜光に、自分の半纏を脱いで肩に掛ける。
「だ、大丈夫だよ」
「ダメぇ〜」
「ふ、ふふっ……もう、変な顔やめて」
「はは! 狂士の顔芸はなかなか筋が良い!」
「ふふん、だろ?」
かけがえの無い友人たちとの何気ない雑談。彼らといると、いつも素直で自然体の自分でいられる。
狂士はそれが何よりも嬉しく、こんな感情が自分にもあったことに驚きつつも、そのひと時を楽しんでいた。
「……私、本当にもう外に出ていいのかなぁ」
ひとしきり笑った後、夜光は遠くを見つめてぼんやりと呟く。
「いいに決まってるじゃん。玉太郎のお陰で、変装する必要もねぇしな」
笑顔で返す狂士に、夜光も嬉しそうに微笑んだ。
「そうじゃ夜光殿、今度わしのお気に入りの店に団子を食いに行こう! もちろん狂士も来るじゃろ?」
「あー、あの初めて行った店か……うん、確かに美味かったな!」
「いいの!? ふふ、すっごく楽しみ!」
夜光は目を輝かせて身を乗り出す。その生き生きとした表情に、狂士と周三郎は嬉しそうに顔を見合わせた。
「……華世ちゃんも、一緒に行けたら良かったのに……あれからまた、鈴の中に戻っちゃったのかな」
夜光は帯の隙間から鈴を取り出し、残念そうに呟く。
狂士は天に昇る華世の姿を思い出し、一瞬表情を曇らせる。しかしすぐに切り替え、明るい声色で話しかけた。
「たぶん、ずっと出てきてると疲れるんだよ。それにほら、一緒に茶店に行ったらさ、周りの客もビックリするぜ?」
「そっか……残念」
「……大丈夫。例え姿は見えなくても、あいつはいつでも、お前のこと見守ってるよ」
狂士の一言に、夜光は一瞬驚いたような顔をしたが、ほっと安心したように微笑んだ。
「はっ……くしゅん」
安心した途端、夜光は小さなくしゃみをこぼす。
「夜光殿、風邪を引いてはいかん。そろそろ中に入ってはどうじゃ?」
「……うん、そうする。二人も冷えないうちに戻った方がいいよ」
周三郎に促され、夜光は鼻を啜りながら部屋に戻った。
夜光がいなくなり、周三郎は静かに狂士の顔を見つめる。
「……華世殿も、消えてしまったのか?」
「うん……やっぱり、お前にはわかるか」
狂士は俯いて気まずそうな笑みをこぼす。
そしてポツポツと、あの夜の出来事を周三郎に打ち明けた。
「そうか……華世殿はあの後」
狂士から話を聞き、周三郎は真っ直ぐな目で夜空を見上げる。
「あぁ……夜光には、何となくまだ言えなくて」
狂士もそれに釣られるように夜空を見上げた。
「確かに、話しづらい事ではあるが……夜光殿なら、きっと受け入れられるさ」
優しく語る周三郎の言葉に、狂士は小さく笑い頷いた。
「おう……いつか、話してみる」
そう静かに呟く狂士の姿を、周三郎はふと不安げな表情で見つめる。
「……狂士は、ずっとここにおるのか?」
珍しく張りのない声に、狂士はキョトンとした顔で周三郎を見返す。
「何だよ、いちゃ悪いかよ」
「べ、別にそう言う意味ではない! ただ……」
わざと嫌みに返事をすると、周三郎はわたわたと慌て出す。狂士はそんな姿を見て、面白そうに笑うのだった。
「ははっ、わかってるって」
「むぅ……もうよい!」
すっかり拗ねてしまった周三郎の姿に、狂士は声を声を出さないよう肩を震わせて笑う。
「くく、ごめんて……心配しなくても、俺はそう簡単にいなくならねぇから安心しろ」
その言葉に、周三郎はくるりと表情を変える。
「本当か? ふふん、そうか」
周三郎は満足げな表情で、嬉しそうに何度も「そうか」と繰り返すのだった。
現代から、急に江戸時代で生活することになるなんて、普通だったら戻りたいと思うのかも知れない。
しかし、ここには現代にはいなかった、大事な友人たちがいる。もしかしたら、また急に現代に戻ってしまうなんて事があるかもしれない。
それでも今、周三郎たちと過ごす日々を置いていなくなるなど、狂士は微塵も考えていなかった。
――――数日後
「夜光ー、この子がおみくじ引きたいってー」
「あ、はーい」
落ち葉の掃き掃除をする狂士に声をかけられ、夜光は元気に返事をし、おみくじの箱を持ってパタパタと駆けてくる。
参拝者の母親に連れられた子供は、初めて見るおみくじに興味津々で必死に背伸びをしていた。
夜光はその子の前にしゃがみ込み、優しく笑いかける。
「はい、どうぞ。この中から、ひとつだけ選んでね」
「……う、うん!」
子供は目を輝かせ、折り畳んだ小さなおみくじの山に勢いよく手を入れる。
そして楽しそうにガサガサとかき混ぜると、ひとつのおみくじを引き抜いた。
「これ!」
「おぉ、広げてみて」
子供は真剣な表情でゆっくりと紙を開いていく。
「わぁ〜、キツネさん!」
おみくじには満面の笑みの狐の判子が押されていた。
「凄い! それ大吉だよ!」
「……だいきち?」
「うん! 良いことがありますよって事」
夜光が笑顔で教えると、子供は嬉しそうにとび跳ねる。
「やったー! だいきちー! ねぇ母ちゃん、赤ちゃん、今日産まれる!?」
「もぉ、そんなすぐ産まれないわよ」
母親はそう言いながらも、まだ小さなお腹を擦りながら嬉しそうに笑っていた。
「ふふ、無事に産まれると良いですね」
「あら、ありがとね」
そう言うと、母親と子供は幸せそうな笑顔で去っていく。
「良かったな、イイのが出て。大凶なんて出たら、あの子泣いてたぜ?」
狂士は箒を肩に掛け、ニヤニヤと笑う。
「もー、すぐそういう事言うんだから。意地悪」
膨れる夜光の顔を見て、狂士はわざと悪そうな笑顔で舌を出した。
そんな事をしていると、突然成弥が呼ぶ声が聞こえてくる。
「狂士さーん、夜光さーん、お茶にしませんかー?」
「お、休憩休憩ー」
「ま、待ってよ狂士ー」
そそくさと家の中に入っていく狂士を、夜光はヒヨコのように追いかけた。
「落ち葉がいっぱい溜まってるので、久しぶりに焼きいもでもしましょうか」
「お、いいじゃん! 俺用意してくるよ」
「……食べ物の事になると早いんだから」
焼きいもと聞いた途端に素早く立ち上がる狂士を見て、夜光はムスっとして文句を言う。
どうやら、まださっきの事を根に持っているようだ。
「あらあら夜光さん、そんな顔をしていると、福が逃げてしまいますよ?」
夜光の隣で茶を啜り、成弥は穏やかな表情を浮かべる。
〈……ガサ、ガサゴソ〉
不意に茂みの葉が怪しく揺れ、成弥は不審そうにそこをじっと見つめる。すると、聞きなれた声と共に、何かが勢いよく飛び出してきた。
「ねぇさっき焼き芋って言わなかったー!? どこっ!? どこどこ、おいらの芋!?」
食べ物に誘われて現れた玉太郎は、スンスンと匂いを嗅ぎながらあちこち動き回り、綺麗に片付いていた境内を散らかしていく。
「……お前という狸は、本当にぃ〜……」
成弥は今にもキレそうな血管を浮き出させ、ぶるぶると拳を震わせる。
「な、成弥さん!? さっきと言ってる事が……ほ、ほら、福が逃げちゃいますよ」
言っている事とやっている事が真逆の成弥を何とか落ち着かせようと、夜光は必死で声をかける。
しかし、その怒りはどうにも収まりそうにはなかった。
「福より目の前の狸退治! 夜光さん! 台所から包丁を」
「だ、ダメですよぉー!」
「芋、芋、焼き芋〜……あ? 何騒いでんの?」
「狂士! 玉太郎さんと成弥さんがぁ〜」
上機嫌で芋を抱えて現れた狂士に、夜光は大慌てで泣きついた。
「あ、あったぁ! お芋〜!」
「うおっ、なんだよ急に!?」
狂士の持っていた芋をめがけて、玉太郎は飛びかかる。
「成弥っ、パス!」
「うぇ!?」
狂士は咄嗟に持っていた芋を成弥に放り投げた。
「お〜い、狂士〜! 遊びに来たぞ〜!」
そんな中、周三郎はまたまた突然に現れ、呑気に手を振りながら歩いてくる。
「周三郎! そこの紐投げてくれ!」
「紐ぉ? お、これか! いくぞぉ〜、それぇ!」
周三郎は足元に転がっていた縄を放り投げた。
狂士はそれをジャンプして受け取ると、玉太郎を素早く縛り上げていく。
そして、いつもの木の幹に玉太郎を縛り付けた。
「うわーん! 酷いよぉー!」
「ふぅ……うるせぇぞ、芋どろぼう。焼けるまで大人しくしてろ」
「え、くれるの? わぁーい!」
「玉太郎は相変わらず騒がしいのぉ」
ころころ変わる玉太郎の表情を、周三郎はしゃがみ込んで面白そうに見つめていた。
「もう、みんな玉太郎さんを苛めないで。これでも、椿楼のお得意さんなんだよ?」
夜光は憐れみの表情で玉太郎の頭を撫でてやる。
どうやら玉太郎は頻繁に客として椿楼を訪れ、皆の様子を見ているようだ。
「うーん……そうは言っても、この顔を見ると何かついやっちまうんだよなぁ〜」
「ひ、酷い! こんな可愛い狸なのに!?」
「……あまり自分で言うものでないぞ?」
皆が騒いでいると、辺りにほのかな焼きいもの香りが漂い始める。
「いい匂いですね……そろそろいい頃合いじゃないですか?」
匂いに誘われ、宗慈も部屋の中からひょっこりと顔を出す。
「そろそろ焼き上がりますよー」
狂士の周りには何故か賑やかな者たちが集い、今日もそれぞれが穏やかな日常を過ごしていく。
そしていつからか、稲荷神社の本殿には美しい日本画が飾られ、参拝客の中にはそれを見たさに足を運ぶ者も増えた。
地獄絵を施した真っ赤な着物を見に纏い、白い子猫を抱いた女。その後ろには無精髭を生やした坊主が情熱的な眼差しで見つめる。
女の表情も満更ではなさそうで、心なしか幸せそうに微笑んでいるようだった。
いつしか、この作品の絵師は誰なのかと、町では口々に噂される事となる。
しかし、それが周三郎、後の川鍋暁斎のものだと知るものはいない。




