終幕《合縁》前編
年が明け、狂士たちの周りでは平穏な日々が続いていた。
今日も神社の手入れを済ませた狂士は、特にやることもなくなり、日当たりの良い縁側で寝転がり伸びをする。
「ん〜! あったか〜……」
目を閉じているとすぐに眠ってしまいそうなほどだったが、残念ながらそれも長く続かなかった。
「はぁ、狂士さん? またそんなところでサボって」
「げ……成弥」
目を開けると、呆れた表情の成弥が覗き込んでいた。
しかし狂士は起きる気もなく、寝転んだまま面倒くさそうに耳をホジる。
「別にサボってねぇし……掃除も終わって、他にやることも無いじゃんよ〜」
狂士は指に付いた耳垢をフッと吹き飛ばした。
「だからって、昼間からダラダラと……少しは宗慈さんを見習ったらどうです?」
「……見習うったってよぉ」
狂士は上半身だけ起こすと、部屋の中で熱心に仏像を磨く男を見つめる。
男は視線に気付いたようで、狂士の方を見て軽く微笑み会釈をした。
「坊さんの仕事はわかんねぇしなー」
狂士は軽く頭を下げると、そう言ってまた寝転んでしまった。
「もぉ〜……あ、そうだ! そしたら、お使いを頼まれてくれますか? 今晩は少し良いものを振る舞いたいので」
「ん? 良いものって何で……あ、そっか今日で」
「えぇ、夜光さんがここへ来てちょうど一月になりますからね……不本意ですが、あの狸も招待する予定です」
笑顔で話す成弥だったが、ついでに玉太郎の事を思い出してため息をついた。
「はは、まぁある意味あいつが一番頑張ってくれたわけだしな……よっ」
狂士は反動をつけて起き上がり、首をボキボキと鳴らす。
「ふ、確かにそうですね……はい、それじゃあお願いします」
「はいよ」
成弥から財布を受け取り、狂士は余程元気が有り余っていたのか足早に駆けていった。
「元気な若者ですね」
狂士を見送りながら、宗慈は明るく微笑んでいた。
「口が悪くて、なかなかやる気を出してくれませんがね」
成弥は呆れた顔で笑いながら宗慈を見る。
「……宗慈さん、何か思い出した事はありませんか?」
心配そうに問いかける成弥に、宗慈は申し訳なさそうに顔を伏せる。
元旦の朝、成弥は別室で寝ていたはずの宗慈が居間で倒れているのを見つけた。
その日の昼まで眠っていた宗慈は、目覚めるとこれまでの記憶を失っていた。
宗慈は成弥から事情を説明されても、何一つ思い出すことはなく、ただ迷惑をかけた恩返しがしたいと神社の手伝いを申し出たのだった。
成弥も記憶喪失の宗慈の身を案じて、ここに住まわせる事にした。そして宗慈の人柄のお陰もあり、狂士と夜光もそれを快く受け入れていた。
「それが……全く。名前と、僧侶だった事は覚えているのですが、それ以外はやはり」
「そうですか……でも、いずれきっと思い出せますよ」
気に病む宗慈を安心させるように、成弥は優しく声をかける。
「……本当に、なんとお礼申し上げればよいのか」
宗慈は声を震わせながら、深く頭を下げるのだった。
――――数時間後
空が茜色に染まり、外からは梟や獣の鳴き声が聞こえ始める。
まだまだ寒さの厳しい季節に、稲荷神社からは賑やかな声が漏れていた。
「うひょーー! これ、全部おいらの!?」
「んなわけねぇだろ! 調子乗んな!」
「いってぇ〜! 殴るなよぉ……ぐすっ……おいら頑張ったのにぃ」
狂士にげんこつを落とされ、玉太郎は頭を抱えて涙を浮かべる。
「あぁ〜、泣かないで玉太郎さん! 私のお団子あげるから」
夜光が団子を差し出すと、玉太郎はギラリと目を輝かせて飛び付いた。
「ありがとー! やっぱ夜光ちゃんは優しいなぁ〜! どっかの乱暴者とは大違いだよぉ」
あまりの変わり身の早さと暴言に、狂士のおでこの血管はキレイに浮き上がる。
「くそぉ〜……めっちゃシバきてぇ!」
「が、我慢じゃ狂士! 今日だけは多目に見ると固く誓ったではないか!」
「お、おう……」
周三郎に宥められ、狂士は口元をピクピクさせて必死に平静を保っていた。
「それより、玉太郎さん本当に凄いよ! まさか年季明けして出てくるなんて」
夜光は玉太郎にお茶を淹れながら驚きの声をあげる。
「ふふ〜ん、これくらいどうってことないよ〜! おいらの胃袋があれば、あっという間さ!」
玉太郎は上機嫌でポンと腹太鼓を鳴らした。
「まさか客と飲み比べで荒稼ぎしてしまうとは、玉太郎は本当に予想できん狸じゃなー」
「へへ〜ん、凄いでしょ? ところでさぁ……」
自慢げに鼻の下を擦る玉太郎だが、ふと思い出したように部屋の隅に視線を移す。
「あのおっさん! 一休じゃんかー!? 何でまだいんだよぉ!」
玉太郎は宗慈を指差しキレ気味に叫んだ。
「あぁ、それはな」
「全く、この阿呆狸は……一休は人間に取り憑いていたんですよ? それが抜け出てしまえば、見た目は同じでもこの方はもう別人です。宗慈さんと言いまして、今は訳あってここで暮らしています。失礼な態度はやめてくださいな」
成弥は狂士に代わり冷静に説明すると、立ち上がる玉太郎をジロリと睨んだ。
「すみません……きっとあなたにもご迷惑をおかけしたのでしょう。なんとお詫びすればよいか」
部屋の隅で遠慮がちにお茶を飲んでいた宗慈は、申し訳なさそうに頭を下げる。
宗慈のしおらしい態度に、玉太郎も次第に怒りを収めていく。
「べ、別にもういいよ……それに、おっさんは関係ないんだろ?」
「おぉ、なんと慈悲深い……ありがとうございます、玉太郎様」
「う、うへへぇ〜、苦しゅうない苦しゅうない! ねぇ、もう一回言ってくれない?」
「はい! 玉太郎様!」
「うひょぉぉ〜、最高〜!」
玉太郎は様付けされた事にすっかり有頂天で、くねくねと気持ち悪く体を動かしていた。
「もう、宗慈さん! この狸、あまり調子に乗らせてはいけませんよ?」
「はは、申し訳ない。あんまり嬉しそうにされていたもので……つい」
頭に手を当て、照れ笑いを浮かべる宗慈に、狂士たちも釣られて笑い声がこぼれる。
「宗慈さん、そんな隅にいねぇでこっち来たら? ほら、夜光の隣空いてるじゃん」
「うん! みんなと一緒の方が楽しいですよ? 宗慈さん」
宗慈は戸惑うような表情を見せたが、夜光の微笑みに負けて皆の輪に入っていった。
「し、失礼します」
「ふふ、宗慈さん、この焼き魚美味しいですよ?」
満面の笑みで魚を勧める夜光だが、宗慈はそれを見て苦笑いをする。
「夜光さん、僧侶は肉や魚は食べれませんよ?」
成弥に笑顔で教えられ、夜光はポッと頬を赤らめる。
「そ、そっか! ごめんなさい」
「ふふ、気にしないでください。あ、そちらの美味しそうなぬか漬けをいただいても良いですか?」
「……はい! これ、私が漬けたんです!」
「それ、結構美味いよ。俺も好きー」
嬉しそうな夜光の顔を見ながら、宗慈は大根のぬか漬けを一口放り込む。
「……うん! 本当に美味しい。とてもお上手なんですね」
宗慈がお世辞抜きで褒めると、夜光はにっこりと口角を上げて子供のように微笑んだ。
「……」
宗慈は何故か夜光の顔をボーッと見つめたまま固まってしまう。
「宗慈さん? おーい、大丈夫か?」
狂士が不思議に思いヒラヒラと目の前で手を振ると、宗慈はようやくハッと我に返った。
「す、すみません、少しぼんやりしてしまいました」
「はぁ、あんま無理すんなよ?」
「あっはは、もう大丈夫です」
宗慈は心の中に灯る、じんわりと温かく懐かしい感覚に戸惑い、まるで誤魔化すように笑うのだった。




