三幕《破戒僧と地獄の花魁》終
「猫又……どうして」
玉太郎はポツリと呟く。
それを見てテンは慌てたように、さらに耳打ちをする。
地獄太夫と猫又の話を聞いた玉太郎は、不安げな表情を少しだけ和らげた。
「そうか……あいつ、探してた人に出会えて」
玉太郎の言葉にテンは何度も頷く。
「教えてくれてありがとう。お前、どうせ成弥の遣いだろ? おいら、ここでもうしばらく働く……猫又がいなくても、サボったりしない。だから、夜光ちゃんにもよろしく言っといてよ」
テンは敬礼のような格好をすると、素早く窓から抜け出していった。
一人になった玉太郎は、ボワンといつもの子供の姿に戻ると大の字で畳に寝転がる。
「……勝手に消えちゃって……お姉さんたちは誰が守るんだよぉ」
ごろんと寝返り、目を閉じたまま不機嫌に文句をたれる。
けれどうっすらと開いた瞳は、かすかに寂しさに揺れているようだった。
――――大晦日の夜 稲荷神社
大掃除に明け暮れた狂士たちは、囲炉裏の前で暖まり茶を啜っていた。
皆疲れているのか、誰も話さない静かな空間に時折パチッと炭の燃える音が響く。
「……なんか、静かだな」
沈黙の中、狂士がぽつりと呟いた。
「今日は掃除ばかりでしたから。でも、二人のお陰ですごく綺麗になりました」
「ふふ、役に立ててよかったです」
夜光は成弥に明るく微笑んでいた。
「俺らが来る前は、一人で掃除してたのか?」
狂士の問いかけに、成弥は腕を組み「うーん」と思い出すように天を仰ぐ。
「日頃の掃除なんかは一人でやってましたけど、大掃除の時はテンの力を借りていましたね」
「あんなちっこいの、役に立つのかよ」
「もう! そんな言い方しちゃダメ!」
夜光は子供を叱るように狂士の頬を引っ張った。
「いふぇだろーが!」
餅の様に伸びた頬のまま、狂士は夜光に文句を垂れる。
「ふふふ、小さくても、沢山いれば百人力です。だいたい30匹くらいいれば十分力になってくれますよ?」
「さ、30!?」
「テンちゃんて、そんなに沢山いるんだ」
二人は目を丸くし、驚いた表情で成弥を見つめた。
「依代は私の毛ですからね。呼ぼうと思えばいくらでも……まぁ、すっごく疲れますが」
成弥は苦笑いを浮かべて頬を掻いた。
「なるほど……あ、そう言えば! テンちゃん、今日は見てないけど、どこ行ったんだろ」
夜光は心配そうに辺りをキョロキョロと見回す。
「あぁ、言い忘れていましたね。テンは時間が経つと消えるんです。だいたい、半日か1日くらいで勝手に消えてしまいますよ」
「そうなんだぁ……」
夜光はしょんぼりと残念そうな声を出していた。
「ふふ、気に入ってくれてたんですね」
成弥は嬉しそうに微笑むと、「あ!」と何か思い出したように立ち上がる。
「昨日、参拝の方からお餅を貰ったんでした! せっかくですし、焼いて食べませんか?」
「わぁ! お餅なんていつ以来だろ! でも、いいんですか?」
「もちろん! 少し用意してきますね。あ、お二人は寒いのでゆっくりしてて下さい」
「サンキュ〜」
「あ、ありがとうございます!」
台所に行く成弥を見送り、狂士はニヤニヤと夜光に話しかけた。
「ふふ、さっきまでしょんぼりしてたのに、現金なヤツ」
狂士に言われ、夜光は頬を赤くして押し黙る。
「冗談だよ」
笑いながら言うと、狂士は寒そうに膝を抱えて丸まった。
「……猫さんがいなかったら、私、今頃どうしてたんだろう」
少しの沈黙の後、夜光は落ち着いた声で話す。
「なんだよ急に」
「ごめん、少し思い出しちゃって……でもね、猫さんには本当に感謝してるの……華世ちゃんと、また巡り合わせてくれたから」
そう言って、夜光は着物の裾から鈴を取り出した。
「華世ちゃん、まだこの中にいるのかな……」
夜光はその鈴をぼんやり見つめ優しく揺らす。すると、鈴は軽やかで美しいな音色を奏でた。
「……ちょっと借りていい?」
「うん」
夜光から鈴を受け取ると、狂士はそれをぎゅっと握る。
鈴からはほんのりと華世の気配がし、目を閉じると手のひらを伝って身体中がじんわりと温かくなった。
そしてふと、真っ暗な頭の中に小さな光が現れる。それを掴むと、光は眩く輝きだし、狂士はあまりの眩しさに目を開く。
すると目の前には、ぼやっと体の透けた華世の姿が浮かんでいた。
「か、華世ちゃん!?」
夜光は突然目の前に現れた華世の姿に驚き、そして目を潤ませ、安心したように微笑んだ。
狂士自身も、予想外の出来事に驚いていたが、華世が無事だった事にホッとしたように笑っていた。
華世はゆっくりと目を開けると、満面の笑みで夜光に抱きついた。
猫の姿の時のように、お互いに触れ合うことは出来ないが、それでも二人は幸せそうに笑い合う。
『夜光! 良かった……また会えた!』
「うん……うん!」
狂士は呑気にあくびをしつつ、再会を喜ぶ二人の姿を満足げに見つめていた。
すると突然、ドタバタと賑やかな足音が聞こえてくる。
「お邪魔しまーす!」
スパーンと勢いよく障子を開け、周三郎は大きな声を上げた。
「お前かよ……こんな時間に何してんだ? トヨさんと記右衛門さんはどうしたんだよ」
狂士は大きなため息をついて呆れたように言う。
「ふふん、父上と火消し組の見回りを手伝っていたのだが、隙を見て逃げ出して来たのじゃ! 鐘の音がするまでに戻れば問題はない!」
「問題しかねぇ。黙って抜け出して、また怒られるぞ?」
自信満々な周三郎に、狂士は馬鹿馬鹿しくなってつい笑い出してしまう。
「ま、まぁ、その時はその時じゃ!」
周三郎は根拠の無い自信を見せ、得意気に鼻の下を擦っていた。
「……ところで、そこにおるのはもしや」
ようやく華世の存在に気付いたようで、周三郎は素早く駆け寄って華世の回りをチョロチョロと動き回る。
『あっはは……ど、どうも』
華世は照れたように笑い、ヒラヒラと手を振った。
「やっぱり、華世殿じゃ! 人の姿は初めて会った時以来じゃからビックリしたぞ!」
狂士たちはすっかり周三郎のペースに巻き込まれ、先程までのしんみりとした空気はどこかへ吹き飛んでしまっていた。
興奮が収まらない周三郎に、狂士は仕方なくこれまでの経緯を簡単に説明した。
「なんと、狂士が鈴を握ったら、突然華世殿が現れたとな」
「うん、本当に驚いちゃった」
『私、鈴の中で全部見てたの……猫又が捕まえられた後の事、それに、地獄太夫に見守られて、空に昇るところも全部』
華世の話に、狂士たちは言葉が出ず、静かに俯いていた。
『最初は何も出来なくて、悔しかった……でも、あんな幸せそうな猫又、初めて見てさ……あの子、ずっと彼女のために存在してたんだって思った』
「……華世ちゃん」
華世は胸に手を当て、静かに目を閉じていた。
『へへ、しんみりした事言っちゃった……ねぇ、せっかく周三郎さんもいるんだし、皆でお喋りしよ?』
「う、うん! そうだね! ほら狂士、何か面白い事してよ」
「お前なぁ……それ、結構な無茶振りだろ」
『じゃあ私、酔っぱらいスケベ親父のモノマネしまーす!』
「いやお前がかよ! けど、ちょっと興味あるな」
「華世殿ばかりに美味しいところは渡せん! わしも自慢の腹躍りを見せてやるぞ!」
「よっしゃ、俺が描いてやる。早く腹出せ腹!」
「全く、騒がしいですねぇ〜。お餅、沢山あるので、よかったら皆さんもどうぞ」
「「おぉ~!」」
厳しい寒さを吹き飛ばすように、大晦日の夜は明るく過ぎる。
やがて除夜の鐘が聴こえ始め、周三郎は慌てて神社を飛び出していった。
笑い疲れて眠る夜光に布団を被せ、狂士は縁側から夜空を眺めていた。
『そんなとこにいたら風邪引くよ?』
「華世」
狂士のそばに立つ華世は、同じように空を見上げる。
「なぁ……お前、これからどうすんの?」
『ふふ、あんたには隠せないね』
狂士に見つめられ、華世は目を伏せて微笑んだ。
「猫又は、あの鈴を依代にあんたを封じた。偶然鈴から出せたけど、俺にはそんなことは出来ない……また霊として夜光のそばにいれば、あいつは消耗していく。確か、猫又はそう言ってたよな?」
『ふふん、大正解』
しばらく俯いていた華世は顔を上げ、にっこり笑い返事をする。
『大丈夫……夜光の負担になることなんて、私は絶対にしない』
「けど、それじゃ」
狂士が反応すると、華世はスッと浮かんで外に出る。
『猫又の事見てたら……私も決心できたんだ』
「……夜光には、黙ってていいの?」
華世は優しく微笑むと、天女のようにふわふわと気持ち良さそうに宙を舞う。
『だって……泣いちゃうじゃん』
小さな声で呟くと、華世は真っ直ぐに狂士を見つめた。
『こんな楽しい夜、生まれて初めてだった! これからも夜光の事、いっぱい笑わせてね』
「……あぁ、任せろ」
華世の想いを受け取り、狂士は清々しい笑顔を返す。
華世は満足したように微笑むと、その体をぼんやりと光らせ、夜の闇に消えていく。
最後の光りが消える瞬間『バイバイ』と微かに聴こえたような気がした。
「旅立ったんですね、彼女」
「あぁ……」
静かに夜空を見上げている狂士の肩に、成弥は自分の羽織をかける。
「さ、風邪を引きますよ? 私たちも、中で休みましょ」
「……そうだな」
――――翌朝
元旦の朝は晴天で、眩しい初日の出が障子窓から差し込む。
昨夜の騒ぎのせいか、まだ誰も目覚めていない稲荷神社で、一人の男が目を覚ました。
「……ここは……どこだ」
一休に取り憑かれ、長い間眠り続けていた男は、よろめきながら立ち上がり、壁伝いに歩いていく。
そして差し込む光の中、すやすやと眠る一人の少女を見つける。
「うっ……」
激しい頭痛に頭を抱える男は、記憶の片隅に眠る女の子の姿と、目の前の少女を重ね合わせていた。
「うぅ……さ、小夜」
呻き声と共に出された言葉を最後に男は意識を失い、再びその場に倒れこんでしまった。




