三幕《破戒僧と地獄の花魁》⑨
江戸の町からほど近くに、愛宕山という小さな山があった。
山というには低く丘のような場所ではあるが、江戸の町並みや海を見渡せ、人々に親しまれている。
その奥地にある仄暗い横穴。誰がいつ作ったのかもわからぬそれは、昼間でも異様な雰囲気を醸し、それに加え辺りの草花は季節に関係なく常に枯れ果てていた。
その為、普段この横穴に近づくものは誰一人いない。
しかし今は、一人の禅僧がそこに座り、もう何時間も黙々と念仏を唱えていた。
――――数百年前
(暗い……何も見えん……そもそも目は開いているのか、それとも閉じたままなのか? もう、指の1本すらも動かせん)
――これが、死というものなのか
言葉にしようも声は出ず、一休は僅かに口をパクパクと動かす。
「一休さま……大丈夫です。我々はそばにおりますよ」
布団に横たわる一休のそばには、数人の弟子がその様子を見守っていた。
齢80をとうに超えていた一休は、当時では考えられぬ程の高齢。無数に刻まれた皮膚の皺は、それまでの歴史を物語る。
「は…………はぁ…………」
まるで肺に残った空気を出すだけの様な呼吸。
一休は胸を小さく上下させ、弟子の声に答えるように息を吐いた。
(耳だけは最期まで聞こえると言うのは、本当だったのだな……今更わかったところで、もう誰に伝えることも出来ぬか)
一休の声にならない呟きは、虚空の闇に消えていく。
その中で、彼は一人の女の事を思い浮かべていた。
(……お前も、同じ気持ちでこの世を後にしたのか? 最期は一人で、孤独だったか?)
――死にとうない……この期に及んでまだ、お前の顔が見たい……乙星……
それが、仏の道に仕えてきた彼の、最期に残った想いであった。
――――
「……はぁ、どうも昔を思い出してしまうな」
念仏を終えた一休は、そばに置いた酒瓶を煽るように口に含む。
「もうすぐだ……もうすぐ、また会える」
目の前に供えられた髑髏を愛おしそうに見つめ、一休はそれに語りかけるように呟いていた。
――――
夕暮れ時、稲荷神社に訪れた周三郎は、いつもと変わらず明るい声で中へ入る。
「狂士ー? これから遊廓へ行かんかー?」
地獄太夫を探しに誘うため声をかける周三郎。
しかし、いつもならすぐに面倒くさそうな声が聞こえるはずが、今日はなぜかしんと静まり返っていた。
「ん? 狂士? おらんのかー?」
体ごと大きく傾け部屋の中を覗き込むが、返事は返ってこなかった。
「……ふむ、先に行ったのか」
くるりと踵を返し帰ろうとした時、パタパタと足音が近づいてくる。
「周三郎さん!?」
夜光はひどく慌てた様子で、息を切らして声をかける。
「夜光殿……どうしたんじゃ? そんなに慌てて」
夜光は深呼吸をひとつしてから、辿々しく話を始めた。
「はぁ……実は、大変な事になっちゃって」
一休の話を聞いた周三郎は、徐々に驚きと困惑の表情に変わっていく。。
「なっ、猫又が!?」
「うん……その一休って人に捕まってしまったみたいで……狂士は話を聞いて、すぐ探しに出て行ったんだけど」
話を聞いた周三郎はひどく混乱した。
画塾で地獄太夫について学んだ時、当然一休の名も出てきた。禅宗の僧侶で、地獄太夫を弟子とし、彼女と和歌による禅問答を嗜んだという逸話もある。
しかし、それは室町時代の話。数百年後の江戸で彼の名を聞くなど、普通では考えられないことだった。
「おそらく、ある程度波長の合う者に取り憑き、それを何年も繰り返しているのでしょう。そして、その者の体をほとんど我が物のように操っている」
不意に現れた成弥は、混乱して言葉の出ない周三郎に事情を説明する。
「石井殿……それじゃあ、一休は死んでからそれを繰り返しているのか? いったい、何のために」
「……理由まではわかりませんが、もしかすると、地獄太夫と何か関係があるのかも」
成弥は腕を組み、何か考え込むように壁にもたれかかる。
「地獄太夫……本当にいるのかな」
夜光はぽつりと呟き、暗い顔で俯いていた。
しばらく考え込んでいた周三郎は、ふと思い立ったように下駄を履きだす。
「わしも探しに行ってくる! 一人でも多い方が早く見つかるはずじゃ」
急ぎ出ていこうとする周三郎の背を見つめ、成弥はしばし思い悩んで口を開く。
「待ってください! 私も、一緒に行きます。遊廓は狂士さんと狸が探しているはずなので、それ以外の場所なら」
「それは心強い! 石井殿がいれば、百人力じゃ!」
大喜びの周三郎に、成弥は困ったような笑顔を返した。
「夜光さん、夜分に一人きりにして申し訳ありませんが、少し留守を頼めますか?」
成弥は夜光を心配そうに見つめる。
「大丈夫です! 猫さんの事、よろしくお願いします」
夜光の凛とした芯の通った表情に、成弥はホッと安心する。
すると成弥は突然、尻尾の毛をプツンとひとつ抜くと、それにフッと息を吹き掛ける。
そして、ふわりと舞った体毛はポワンと小さな煙に包まれ、その中から突然何かが飛び出した。
「わっ! ぶ……」
飛び出してきた毛むくじゃらの何かは、夜光の顔を覆うようにしがみつく。
「き、狐!?」
周三郎は夜光に引っ付いた物体を見て驚きの声を上げた。
「テンと言います。まぁ、私の分身のようなものですね。テン、いつまでもくっついていないで、ご挨拶は?」
成弥の言葉に反応し、テンは夜光の頭によじ登り「コン」と元気よく鳴く。
手のひら程の小さな狐のテンは、すっかり居心地良さそうに尻尾を振っていた。
「きっと、お守り代わりにはなると思います。テン? 夜光さんをよろしくお願いしますよ」
テンは夜光の頭の上でピシッと敬礼をして見せた。
「ふふ、可愛い……よろしくね、テンちゃん」
成弥は笑顔が戻った夜光の姿を満足げに眺めていた。
「では、行ってきます」
「うむ! 夜光殿は安心して待っていてくれ!」
周三郎の頼もしい言葉に、夜光は笑顔で頷き二人を見送るのだった。
「きっと、大丈夫よね……」
不安が無いわけではなかったが、頑張っている狂士たちを信じて、夜光は祈るように華世の鈴を握りしめていた。




