三幕《破戒僧と地獄の花魁》④
「よし……完成じゃ!」
「お、おぉぉー!」
部屋の中には茜色の光が差し込み、外はすっかり夕暮れが迫っていた。
狂士は出来上がった絵をまじまじと見ると、なぜか吹き出すように笑い始めた。
「ぷっ、ははは、お前これ、最高だわ!」
「ふふん、そうじゃろ? 今はこれしか浮かばんかった」
周三郎は鼻の下を擦り、顔に墨や顔料をつけたまま嬉しそうに笑う。
彼の描いた絵には、あの墨合戦で暴れ狂う狂士たちの姿、それを満足そうに見守る洞和の姿が描かれていた。
コミカルな表情と躍動感のある姿は、今にも紙の中から飛び出して来そうなほど。
あの時の白熱した感情まで甦ってくるようで、狂士はその絵に釘付けになっていた。
「あ、これ玉太郎か! こっちは成弥で……あ、これ俺?」
「うむ! 右から順番に見ていくと、試合の流れがわかるようになっとるぞ」
周三郎は紙を順に指差していく。
「お前それ、漫画だよ」
「まんが?」
「おう、俺のいた時代の……何て言うか、物語になってる絵みたいな感じ」
「おぉー! なんかわからんが、一度見てみたいもんじゃな!」
「ははっ、お前ならそういうの、余裕で作れそうだよ」
まだ見ぬ未来の芸術に思いを馳せる周三郎を見て、狂士はきっと不可能なことではないと、なぜか確信するように思った。
二人はしばらく墨合戦の絵を眺め、洞和や皆との事を懐かしむように笑い合う。
きっと洞和も、この絵を見て笑っているはず。そう思えるほど、周三郎の絵は人の心を動かすような魅力に溢れていた。
〈ぐぅぅぅぅ〜……〉
「はぁ、なんか急に腹が減ったのぉ」
突然豪快な腹の虫を鳴かせる周三郎に、狂士はトヨの握り飯を渡す。
「いきなりかよ……ほれ。少し前にトヨさんが持ってきた」
「おぉ! さすが母上じゃ!」
周三郎は素早く手を合わせると、握り飯を両手に持ってかじりつく。
「うー! なんだか久しぶりに飯が美味く感じるぅー」
握り飯を口一杯に頬張り喜ぶ姿を見て、狂士は嬉しくも羨ましいような感情になった。
「……いいなもんだな、家族って」
「ん? なんか言ったか?」
「いんや、別になーんも」
誰にもわからないようにぽつりと出た本音は、狂士の心にほんの少しの寂しさを残すのだった。
――――
日も落ちて辺りも真っ暗になった頃。
狂士が神社に戻ると、夜光はパタパタと嬉しそうに出迎えた。
「狂士! おかえり、遅かったね」
「お、おう、ただいま」
少し照れ臭そうに返し、狂士は部屋に入り半纏を脱いだ。
「そうだ、周三郎さんは元気だった?」
「あぁ、ちょっと落ちてたけど、もうすっかり大丈夫そうだ。またそのうち遊びに来るだろ」
「そっか! よかったー」
狂士の脱いだ半纏をキレイに畳ながら、夜光はホッとしたように喜んでいた。
「なぁ……夜光の家族って、いないの?」
「え? 急に、どうして?」
「い、いや、別に言いたくなかったらいいんだけど」
キョトンとする夜光の様子に、狂士は慌てて誤魔化し顔を背ける。
夜光は「うーん」と頬に手を当て考え込み、狂士の顔を見つめた。
「少し、座って話さない?」
「お、おう」
柔らかく微笑む彼女に促されるまま、狂士は夜光と向かい合うように座る。
「私、8つの頃に椿楼に売られたでしょ? 父の借金を返すためだけど、当の父は行方知れず。母も体が弱くて、幼い頃に死んじゃって、どんな人かほとんど覚えてないの」
「……そっか」
猫又の一件で、夜光が椿楼に来た経緯は知っていたので、ある程度予想は出来ていた。しかし本人から家族の事を聞き、狂士は何とも言えない気持ちになった。
「ふふ、やっぱり暗くなっちゃうね」
そう言って、夜光は困ったように笑う。
「ごめん……けど、俺も似たようなもんだから」
「狂士も、家族がいないの?」
夜光は少し気を遣うように狂士に尋ねる。
「うん、生まれたときからな。親がどんな顔かも知らねー」
狂士は明るい口調で話す。強がっている訳でなく、それが狂士にとっての普通だったのだ。
「そうなんだ。やっぱり、寂しい?」
「うーん、わかんね。今までは考えないようにして、人と関わるのを避けてたからな。けど、この時代に来てから、色んな人と出会って……たまに、ほんの少し、羨ましいって思う」
狂士は静かに考え込むように、自分の思いを話す。
黙って頷き聞いていた夜光は、狂士のそばに寄り、その手を優しく握り混んだ。
「……夜光?」
ひんやりと冷たい夜光の手。
その触れた手から、狂士はほんのりとした温かさを感じていた。
「狂士は一人じゃないよ……周三郎さんや成弥さん、それに私だって、狂士の事とても大切に思ってるんだから」
「……恥ずかしいこと言うなって」
面と向かって言われると気恥ずかしく、狂士は思わず顔を背ける。
「私ね、華世ちゃんと出会って、お姉ちゃんが出来たみたいで嬉しかった。いつも一緒で、本当の家族みたいに……だからね、家族がいなくても、生きていればきっと、家族と同じくらい大切な人と出会えるんだよ」
落ち着いた声で話す夜光の表情は、まるで母親のような優しさに溢れていた。
狂士は夜光の顔をちらりと見つめ、頬を赤くする。そして、夜光の手をゆっくりと握り返した。
二人は言葉なく静かに見つめ合い、次第にその距離は縮まっていく。
「狂士さーん? 帰ったんですかぁ?」
その時、ずんずんと部屋に入った成弥は、二人の姿を見るとピタリと固まり、その様子をまじまじと観察した。
「何やってるんです? 二人して」
「な、何って! 相撲の練習だよ! なぁ夜光!?」
「う、うん! ちょうど、張り手の練習がしたくてっ!」
急に現れた成弥に驚き、二人は握っていた手をほどき、咄嗟に相撲の張り手で誤魔化していた。
一生懸命狂士に向かって張り手を繰り出す夜光だが、当然成弥にはだいたいバレバレだった。
「はぁ……二人とも、ふざけてないで、ご飯にしますよ?」
成弥は軽くため息を吐き、二人を見て微笑ましく笑うのだった。
――――その晩 椿楼にて
「最近、ここに面白い女がおると聞いたのだが?」
座敷で酒を飲む一人の客が、お付きの遊女に話を振る。
「面白い子? あぁ、夜光のことかしら。前はおとなしい子だったんだけど、最近お客さんと飲み比べや食べ比べを始めてね。いつもあっという間にお客さんを負かしちゃって、ほんと凄いの!」
「ほう? それは興味深い。わしもその娘と飲み比べをしてみたいのだが、どうかの?」
顎を擦りながら、男は片方の口角を上げる。
「えぇ!? いいけど、もう結構飲んでるのに、大丈夫かしら?」
すでに徳利を5本ほど空にしていた男を心配するように遊女は尋ねた。
「なぁに、これくらい水のようなモノよ」
「ふふ、わかったわ。じゃあ、呼んできてあげる」
男は不敵な笑みを浮かべ、お猪口に残っていた酒をあおる。
髪の毛の一つもなく綺麗に丸めた頭に、薄汚れた着物を羽織った男は、髑髏のような飾りを施した杖を持っていた。
そして、獲物を狙うような鋭い瞳は一瞬赤く光り、怪しい気配を漂わせるのだった。




