三幕《破戒僧と地獄の花魁》③
「え……嘘」
洞和の死の知らせに、狂士は愕然として言葉が出なかった。
初めて経験する近しい者の死は突然に訪れ、少年の心にぽっかりと風穴を開ける。
それと同時に、人の命の儚さが、その胸に深く突き刺さった。
現代でも事件や災害、あらゆるニュースで人の死には触れてはいる。しかしどこか他人事のような、自分には関係ない別世界の事のように感じていた。
実際に見知った人間が死ぬと言うこと。それがこんなにも胸を抉られるような事だと、狂士は初めて知ることになった。
そして、目の前で布団にくるまり小刻みに震えている周三郎の悲しみは、自分以上に計り知れず、どんな言葉をかければいいのか見当もつかなかった。
――あいつの事、よろしく頼むぜ? あのガキに、いろんな景色を見せてやってくれや
ふと、洞和の言葉が頭に浮かぶ。
あの時、どうして急にそんなことを言われたのか、その意図まではわからなかった。
しかし今になって、洞和が自分がいなくなった時の事を考えていたのだと気がついた。
「……不思議だよな。俺さ、あの先生の事まだよく知らないのに、なんか……すげぇ寂しい。人が死ぬって、こんな気持ちになるんだな」
布団のそばに座り、狂士はポツポツと話を始める。
すると、布団の中から微かな声が聞こえてきた。
「……わし、わかっとった。先生が、いなくなってしまうって」
「え?」
「確信はなかった。けれど、なんとなく……それなのにわし、先生に何の恩も返されんかった」
「……恩か」
狂士はポツリと呟き、鍋屋での洞和と周三郎のじゃれあう姿を思い返す。
「何が先生の恩返しになるか、わかんねぇけど……いつまでも悲しんでる事じゃないって、それだけは、何となくわかるよ」
周三郎の返事は無かったが、狂士はそのまま話を続ける。
「あの人さ、お前の事頼むって、俺にまで言ってきたんだぜ? あんなに自分の事考えてくれる人がいるって、ちょっと羨ましいわ」
「……先生が?」
周三郎はようやく布団から顔を覗かせ、涙と鼻水まみれの顔で狂士を見上げた。
「はは、ようやく出てきた」
狂士は笑いながら、その頭に軽く手刀を落とした。
「いってぇー」
「様子見に来たのに、布団に隠れてる罰だ」
意地悪く笑われ、周三郎は頭を押さえながらも「ぷっ」と吹き出すように笑う。
それから二人は意味もなくただ笑い続けた。泣くまいと、わざと途切れ途切れに笑い声をあげて。
「なぁ、恩返しがあるんならさ……やっぱ、お前の絵しかねぇじゃん。誰でもないお前にしか描けない絵、先生に届けてやれよ」
「……狂士」
周三郎はぽつりと呟くと、何か思い出したように布団の中からくしゃくしゃの紙を取り出した。
「それは?」
「わし宛の文じゃ……先生の奥方から受け取ったのじゃが、まだ、読めなくて」
その手紙をじっと見つめ、周三郎はモソモソと布団から出てきた。
「その……一緒に、読んでくれんか?」
その言葉に、狂士は「おう」と笑って返事をした。
周三郎は安心したような柔らかい表情でしわくちゃの手紙を広げると、小さく息を整えゆっくりと手紙を読み始める。
――周三郎へ
お前の先生として、最後まで見届けてやれないことを許してくれ。
俺はもともと体の強い方じゃない。いずれこうなる覚悟は出来ていたんだ。
だけど、お前や画塾のやつらと過ごす時が楽しいほど、どんどん死ぬのが怖くなった。
画鬼の成長を見れないのが、俺はなにより悲しいし、心残りではある。
けど、泣き言ばっか言ってもしゃーない。親がいなくても子は育つってな。
俺は一足先にあの世に行くが、画鬼、お前はゆーっくり来い。
この世のあらゆるものを観察して、気の済むまで描いて。かけがえのない人たちと、思い残すことがない様に生きろよ。
そうだ、俺の画塾は無くなるが、俺の師、洞白先生の塾に、お前を入門させるよう手配しておいた。
全員は無理だったが、何人かの生徒はそっちに行く。
洞白先生のもと、これからも絵に励め。
自分の信念を曲げない、反骨の精神、お前はその大事な心を持ってる。
画鬼にしか描けない絵、あの世まで届けてくれよ。
前村洞和
「は、あの人らしいな」
「……うむ。狂士と同じことを言っておる」
「おお、そだな」
周三郎の目にはまだ涙が残っていたが、今は少し晴れやかな顔をしていた。
「なぁ、今度はこの洞白って人のとこに行くのか?」
「先生の思いじゃ、断る理由がない。それに……絵が描けるならどこへだって行く!」
周三郎は力強く言い切ると、にっとギザギザの歯を見せて子供のように笑う。
「はは、だろうな!」
周三郎は手紙のシワをキレイに手で伸ばして折り直し、それを大事そうにしっかりと懐にしまった。
「なぁ狂士、わし……」
周三郎はそわそわと落ち着かない様子で狂士を見つめる。
狂士はすぐに何かを察したように口を開いた。
「絵、描くんだろ?」
ニヤリと笑う狂士に、周三郎は驚いたようにポカンと口を開ける。
「なんでわかったんじゃ?」
「はは、見ればわかるわ。ほら、やろーぜ!」
「うむ! 時間がかかるが、見ていてくれ!」
周三郎は嬉しそうに笑うと、布団を足で適当に部屋の隅においやり、素早く紙や筆の準備を始める。
そしてまた、畳の上に紙をいくつか並べだした。
「やっぱり床でやんだな」
「今回はでかいからのぉ。机など使ってられん」
「へぇ〜」
狂士は邪魔にならないように周三郎の作業を見守る。
特に絵に興味のない狂士だが、なぜか周三郎の描く絵は好きだった。鮮やかな色使いと、細部まで描かれているが大胆な構図。特に人物の表情が豊かで、現代の漫画に近いような、不思議と惹き付けられるものがあった。
周三郎はキレイに並べた大きな紙に、迷いなく筆を走らせていく。
鋭い眼光からは並々ならぬ集中力が伝わり、その迫力に狂士は声をかけるのも躊躇った。
それでも、そんな集中している姿を見るのは好きだった。
周りが見えなくなるほど集中できるものがある事が、狂士には純粋に羨ましいと思えた。
しばらく経った頃、スッと静かに襖が開き、トヨが顔を覗かせる。
「トヨさん……」
狂士が声を出すとトヨは口に人差し指を当て、握り飯と味噌汁の乗ったお膳を置く。
「良かったら先に食べて。あーなると終わるまでダメだから」
小声で囁き、トヨは部屋を出ていった。
狂士は頭を下げ、握り飯を一つ頬張る。
「……うん、うまい」
久しぶりのトヨのご飯は温かく、少し懐かしい味がした。




