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三幕《破戒僧と地獄の花魁》①

――聞きよりし 見て恐ろしき 地獄かな


「ふふふ……なんですかこの歌は。私はそれほどに恐ろしいと?」

 ある座敷で、一人の遊女は呆れたような乾いた笑いをこぼす。

 

 流れるような艷めく黒髪を纏め、深紅の瞳は吸い込まれる程に透き通り、怪しく光る。

 誰もを魅了するような美しい女は、地獄絵の刺繍を施した真っ赤な着物を妖艶に着こなす。


「ガハハ! 滅相もない。恐ろしいほどに美しく、一度出会えば二度と抜け出せぬ。最高の褒め言葉だろ?」

 ボサボサの髪に無精髭を生やした、清潔感の欠片もない禅僧(ぜんそう)は、酒を片手に豪快に笑う。


「呆れた。よくもまあ、その様なことを恥ずかし気もなく言えますね。一休宗純?」

「ふっ、良いではないか。ここにおるのはわしとお主だけ、何を恥ずかしがる事がある」

 一休と呼ばれた禅僧は、そう言うと女の頬に手を当てる。


「して、地獄太夫。お主は何と返す?」


 片方の口角を上げて怪しく笑う一休に、地獄太夫は目を伏せてしばし考える。

 そして、歌を読む凛とした声が、静かな屋敷に響いてゆく。


――死にくる人の 落ちざらめやも

 (死んで地獄に落ちるように、私に惚れぬものなど存在しない)


 酒や女遊び、規律を破ることを屁とも思わぬ破戒僧、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)。高貴な身の上から一介の遊女に堕ちた聡明な女、地獄太夫(じごくたゆう)。二人はまるで遊びのように、会うたびに和歌による禅問答を繰り返す。

 一休は遊女としての彼女を軽くあしらわず、あくまで一人の人間として対話をする。そんな一休との時間は、地獄太夫の拠り所であり愉悦の時。

 

 それは江戸よりも遥か昔。室町時代の出来事だった。


――――江戸時代 稲荷神社


 輝く太陽は真上に昇り、冬の乾燥した空気をじんわりと暖めている。

 昼時を告げる鐘の音が響き、少女は布団の中でパチリと目を開けた。


「……どこ?」


 寝転んだままキョロキョロと左右を見渡すと、見たことのない部屋の中だった。

 ゆっくりと上半身を起こすと、足元には掛け布団だけをかけた少年が寄り添うように眠っている。

 少女は驚き、後ずさるように身を引いた。


「きょ、狂士!?」


 少年はその声に目を覚まし、眠そうに目を擦りながら少女の顔を見る。


「ん?……夜光、おはよ」

「お、おはよう……ね、ねぇ、ここって」

「はぁ、忘れたのか? 成弥の神社、昨日の夜に来ただろ」

 寝起きの掠れた声に、夜光は頬を赤らめながら「あ、そっか」と呟いた。


「あ……ご、ごめんなさい! 私、挨拶もしないでっ、もうお昼だよね!?」

 徐々に昨夜の事を思い出したのか、慌てて立ち上がりバタバタと布団を畳み始める。


「おい、そんなに急に動いて大丈夫か?」

「大丈夫! よく寝たからすっかり」

 ハツラツとした声でグッと握りこぶしを作った瞬間、夜光の体はぐらりと傾いた。


「わっ」

「おっと! ほら、言わんこっちゃない」

 倒れそうになったところを狂士に支えられ、夜光の頬はますます赤くなる。

「あ? 何か顔赤くね? 熱でもあんのか」

 狂士は夜光の体を支えたまま、その額に手を当てる。

「わぁっ! だ、大丈夫だよ!」

 驚いた夜光はその場から離れようと、バタバタと腕を動かす。 

「おま、暴れんなって……うぉ!」

 ドンっと大きな音を立て、二人は畳に倒れ込んだ。


「狂士さん? 何か物音がしましたけど……」

 その音を聞き、様子を見にきた成弥は二人の様子にピタリと動きを止めた。

 そして実に狐らしい、ニヤリと意味深な笑みを浮かべる。

「……あのぉ、昼間からこういった事をされるのは、いかがなものでしょうか?」

 夜光の上に被さっていた狂士は、成弥と夜光の顔を交互に見て、段々と顔を真っ赤にしていく。

 

「いや、いやいやいや、違ぇって!?」

「すみませんすみません、ご迷惑をお掛けしてすみません!」

 それぞれに違う動揺の仕方を見せる二人の姿に、成弥は堪えきれずに腹を抱えて笑い始めた。

 狂士と夜光は顔を見合わせ、いそいそと体を離して正座をする。


「ぷっ、くくく……あー、すみません、少しからかい過ぎましたね」

 一通り笑い終え、成弥は夜光の顔を見つめて微笑む。

「夜光さん、昨日はよく眠れましたか?」

「は、はい! とても。わ、私、挨拶もしないで、その……」

 緊張しているのか、夜光は焦ったように目を泳がせる。

「ふふ、気を遣わないでください。自分の家だと思ってくれて構いませんから」

「で、でも私、何も返せないのに」

 俯く夜光の前に、成弥はスッと腰を下ろした。


「私たちは、ただあなたに自由に暮らしてほしいだけ。今まで辛い思いをされた分、幸せになって欲しいのです……ね、狂士さん?」

「お、おう」 

 成弥の目配せに、狂士は照れ臭そうに頬を掻く。

 夜光は狂士を見つめ、今にも泣き出しそうにその顔を歪ませていた。


「さ、遅いですが朝ごはんにしましょう! 夜光さん、運ぶの手伝ってくれますか?」

「は、はい!」

「ほらほら、狂士さんもお茶の準備を」

「へいへい」


 3人でする初めての食事は、とても明るく賑やかだった。

 まるでどちらが夜光を笑わせるか競うように、狂士と成弥は普段より大袈裟に話をしていた。

 初めは控えめだった夜光も、その優しい気遣いに誘われるように、次第に大きく口を開けて笑いだす。

 その笑顔を見て、二人は満足気に顔を見合わせるのだった。

   

――――数日後、椿楼


「ふふふ、今日こそは君を負かして見せるよ、夜光」

「あらやだ、昨日も同じことを申してましたわよー?」


 夜光に化けた玉太郎と客の男は、それぞれ不敵な笑みを浮かべて睨み合う。

 その両脇には、大きな酒瓶を抱えた遊女が神妙な顔つきで座っている。

 そして、緊迫した空気の中、突然に遊女の掛け声が響き渡った。


「よーい、始めっ!!」


 合図と同時に、玉太郎と男は自分の顔よりも大きな盃で、グビグビと一心不乱に酒を煽る。


「おかわりぃ!」

「ぼ、僕も!」


 それぞれの両脇に控えた遊女たちは、空になった盃に次々と酒を注いでいく。

 二人の勢いは止まらず、勝負は引き分けかと思われた。

 しかし、二本目の酒瓶に差し掛かった時、客の男は突然バタンと仰向けで倒れてしまった。


「勝負あり! 勝者、夜光ちゃん!」


 玉太郎は残っていた酒を最後まで飲み干し、豪快に腕で口元を拭う。

「ぷはぁ〜。え、もう終わり? もっと飲みたかったな〜」

 頬を赤らめご機嫌な玉太郎は、余裕たっぷりな様子だった。


「夜光! あんたすごいよ!」

「ほんと、今日もいい勝負だったわよ」

「ねぇ、次は大食い勝負なんていいんじゃない!?」


 目を回して倒れる客には目もくれず、遊女たちは夜光(玉太郎)の飲みっぷりに大興奮だった。


「大食い!? そんなの大歓迎! いつでも受けて立つよー!」


 その日、座敷は妙な興奮に包まれていた。

 色を売る遊廓で、玉太郎はその底無しの胃袋を武器にのし上がろうとしていた。

 

  

  

 

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