二幕《狐と狸の馬鹿試合》終
「猫又ぁ!?」
驚いた玉太郎は大声を上げ、得意の変化はボワンと解けてしまった。
『なんじゃ、戻ってしもうたのか? もう少しその粗末な変化を見ていたかったが』
「そ、粗末なんかじゃないやい!」
猫又はひょいと夜光の膝に乗り、偉そうに玉太郎を煽っていた。
夜光に体や顎を撫でられ、ごろごろと喉を鳴らす猫又に、周三郎は戸惑いつつ声をかける。
「ね、猫又……突然現れてどうしたのじゃ?」
前足をペロペロと舐め、猫又はニヤリと笑うように目を細める。
『……先の話、このわしも協力してやろう』
突然の申し出に、周三郎たちはしばし目を丸くする。
「おお! 夜光殿、これは心強いぞ? 猫又も力を貸してくれるとあれば、この作戦必ずうまく行くに違いない」
「だ、だけど……そんな、都合のいいことが」
他の遊女たちを置いて、自分だけが自由になれるなど。その後ろめたさが、夜光の心を引き留めていた。
猫又はスッと膝から降りると、夜光を真正面から見上げる。
『夜光……お主はもっと、自分勝手に生きよ』
「猫さん……」
『周りの事よりも、自分がどうしたいのかを優先するんじゃ……幼き頃、華世とよく木に登って眺めていたのだろう? 外の世界に憧れ、いつか、自分たちも自由に暮らしたいと』
猫又の穏やかな声に、夜光は顔をクシャっと歪め涙をこぼした。
「でも……本当に、いいのかなぁ?」
ポツリと呟くと、猫又の鈴が優しい音色を響かせる。
『ふふ、華世も喜んでおるようじゃぞ?』
それを聞いて、夜光は堰を切ったように泣き出した。
「……みんな、ありがとう。よろしく、お願いします……」
涙ながらに深く頭を下げる夜光に、周三郎たちは不敵な笑みで顔を見合わせる。
「ガッテン承知ぃ~! この天才化け狸、玉太郎さまにお任せあれ~!」
「玉太郎、終わったらご馳走を食べさせてやるからな! くれぐれも、玉袋をデカくするでないぞ?」
「へへ~ん、わかってるよーう」
そして、玉太郎は自慢の変化で夜光の姿へと変わる。
『ふ、騒がしいやつらよ。では、ゆくぞ夜光』
「は、はい!」
猫又はぶるぶると全身の毛を逆立てると、ボワンと巨大な化け猫の姿となった。
「おぉ~! その姿、久しぶりに見たぞ!……ん? けど、狂士がいないのにどうして見えるのじゃ?」
霊や妖怪の姿を認識出来るのは、狂士がそばにいるときだけ。周三郎は不思議に思い首を捻る。
すると、二階の障子窓から聞き覚えのある声が聞こえた。
「準備は出来たかー? 夜光」
夜光はその声にハッと顔を上げ、慌てて駆け寄り窓を開けた。
「狂士!!」
窓の欄干に猫のように乗っていた狂士は、悪ガキのように微笑み「よっ」と手を挙げる。
夜光は目を潤ませると、狂士の腕を引き、座敷に引き込むように倒れた。
「え、ちょ……おわぁ!」
下敷きにしないように咄嗟に手を付く狂士の下で、夜光は幸せそうに声をあげて笑うのだった。
「ふふふ……あははは!」
「こら、あぶねぇだろーが」
狂士は少しムッとしたように、夜光の額をパチンと指で弾く。
それでも、夜光はしばらく嬉しそうに微笑んでいた。
『これ、いちゃつくのは終わってからにせい』
二人が顔を赤らめバタバタと立ち上がると、呆れる猫又は大きな体でちょこんと座って待っていた。
『ふん……では、身代わりは頼んだぞ狸。後で様子を見に来てやる』
「はいはーい。なるべく早く戻ってよねぇー」
玉太郎は夜光の姿で片膝を立て、お気楽そうにヒラヒラと手を振る。
『はぁ、なーんか不安じゃのぉー』
「ま、まぁ大丈夫じゃ!」
猫又はため息を吐くも、狂士と夜光、それに周三郎を背中に乗せ、欄干に飛び乗る。
「玉太郎、この借りは飯で返すからな! 頼んだぜ?」
「お願いします、玉太郎さん」
ご馳走を想像したのか、ヨダレを滴しながら手を振る玉太郎と別れ、狂士たちを乗せた猫又は吉原の夜空をフヨフヨと飛んでいった。
――――
猫又の背に乗っている間、夜光は「わー」と感激するように声を上げ、ポツポツと明かりの見える地上を嬉しそうに見下ろしていた。
「おい、落ちないようにしろよ」
「えへへ、ごめん」
子供のように笑う夜光を、狂士は満足そうに見つめていた。
しかし、その周りをガサガサとゴキブリのように動き回る存在に、狂士の眉はピクピクと震える。
「うおぉーー! 地面があんなにも遠くに!! すごい、本当に空を飛んどるぞ!?……あ! わしの家はどこに見えるかのぉーー?」
「あーもう、うるせーよ! 家なんか見えねぇよ! 真っ暗なんだからぁ!」
イライラの限界を迎えた狂士は大声でキレ散らかし、周三郎の頭に拳を落として動きを止めた。
「いってぇーー! なんで殴んだよぉ」
「ガサガサ虫みたいに鬱陶しいからだ!」
二人がいがみ合っていると、「ふふふ」と鈴が鳴るような笑い声が聞こえる。
「ふふ、ふふふふっ……あっはははは!」
腹を抱えて笑う夜光に、二人は顔を見合わせニヤリとする。
そして、周三郎はわざと大袈裟に頬を膨らませて文句をたれた。
「もう夜光殿! 笑ってないで、この乱暴者に何とか言ってくれー」
「ふふふ……ご、ごめんなさい」
夜光は目元の涙を拭い、笑いが収まらない様子で謝る。
「はぁ、全く……お、着いたみたいだぜ」
ふと地上を見ると、見慣れた神社の鳥居が目に入る。
猫又は徐々に降下し、石畳にふわりと着地した。
周三郎はヒョイと飛び下り、先に降りた狂士は夜光の手を取り降りるのを助ける。
「わっ、ありがとう」
「暗いから、足元気を付けろ?」
「あらあら、お優しいですね、狂士さん」
「……なんだよ、嫌らしく笑いやがって」
狂士は少しムッとしたように、羽織をかけて出てきた成弥を睨む。
成弥は夜光に近づくと、その羽織をふわりと夜光の肩に掛けた。
「寒かったでしょう。さ、中に入ってゆっくりしてくださいな」
優しく笑う成弥に、夜光も安心した表情を見せる。
「……ありがとう、ござい……ます」
途切れ途切れに言うと、夜光は虚ろな顔で足の力が抜けたように崩れた。
「おっと」
成弥はその体を咄嗟に体を支える。
「夜光!」
「だ、大丈夫か!? 夜光殿!」
心配して駆け寄る二人の耳に、「すーすー」と寝息のような音が聞こえる。
「寝てる……みたいですねぇ」
「……なんだ、心配掛けやがって」
狂士は呆れたようにため息をつくと、すやすや眠る夜光の体を背負う。
「あら、大丈夫ですか?」
「大丈夫。こいつ細ぇし」
成弥はそれを微笑ましく笑い見つめていた。
「じゃあ狂士、あとは頼んだぞ。わしは母上に見つからないうちに帰らなくては」
「おう! ボコられないようにしろよ」
周三郎は大きく手を振ると、シュババとあっという間に去っていく。
『狂士、わしも一度椿楼へ戻る。狸の様子も気になるでな』
「頼むわ」
猫又はその場で軽く跳び跳ねると、すぅっと闇に消えていった。
――――
夜光を布団に寝かせ、狂士もその場に腰を下ろした。
「きっと、疲れたんですね」
成弥は持ってきたお茶を狂士に手渡す。
「猫又の上ではしゃいでたからな。あんなに楽しそうな顔、初めて見たよ」
優しく見守るように夜光を見つめ、狂士は一口茶をすすった。
「……あなたの思いが、この子を救ったんですよ」
「はは、大袈裟だよ」
成弥の言葉に、狂士は照れ臭さを誤魔化すように笑っていた。
そんな狂士の様子を微笑ましく思い、成弥は彼の頭にそっと手を置く。
「よく頑張りましたね」
にっこり微笑む成弥に、狂士は一瞬キョトンとするが、すぐにその手を無愛想に振り払う。
「ばか、子供扱いすんな」
「ふふふ、これは失礼いたしました」
すやすやと眠る夜光を見ているうちに、狂士はいつの間にかその場で眠りこけていた。
狂士はその夜、夜光の夢を見る。もしかしたら、夜光も同じ夢を見ていたのかもしれない。
江戸の町で茶屋の看板娘として働く夜光と華世。
二人は明るく活気のある表情で、客として訪れた狂士と周三郎に笑顔を振りまく。
きっと何かが違えば、こんな生活が送れていたのかもしれない。
幸せな夢は、目覚めれば呆気なく消えてしまう。けれど、彼女はこれから縛られることなく、自由に生きていくことが出来る。
狂士や周三郎、人の枠を越えた優しい友人たちに支えられて。




