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二幕《狐と狸の馬鹿試合》⑫

 未の刻(14時)を過ぎた頃、狂士と成弥、それに縄で縛られた玉太郎は周三郎の通う画塾を訪れていた。


「おい成弥、ここがその画塾か?」

 狂士たちは少し離れた場所で、茂みに身を隠して様子を伺う。

 

「えぇ、そのはずです。周三郎さんの言う洞和先生とは、前村洞和。土佐藩の御用絵師として、この辺りでは有名です。現在はここ、狩野派の画塾で絵師の育成に携わっているようですね」

「ほぉん、なるほどね……全くわからん」

 真面目な顔をして聞いていただけに、成弥はがっくりと肩を落とした。

「……はぁ、まぁいいでしょう。それより、どうするんですか? こんなとこまで来て」

 相変わらず真剣な顔で様子を観察している狂士に、成弥は呆れたように問いかける。


「ん? その洞和ってのに会ってみようと思ってな。墨合戦の事も聞きてーし」

 ふと画塾の方へ視線を移すと、ガタッと窓が開けられ、そこから一人の白髪の男が煙管を吹かしているのが見えた。

「あ、あの人ですよ。前村洞和」

 成弥はすかさず狂士に耳打ちする。

 

「あいつが……悪い、ちょっと行ってくるわ。玉太郎の事見張っててくれ」

「ふふ、お任せください」

 成弥は清々しい笑顔で送り出す。

 縛られたまま居眠りをしていた玉太郎は、成弥の狂気を感じ取ったのか、急な悪夢にうなされるのだった。


――――


 茂みから素早く飛び出した狂士は、洞和の視界に入らないよう、木や壁に身を隠しながら近づいていく。

 ほんの数メートルに迫ったところで、壁を背にピタリとくっつき、顔だけ出して洞和がいた窓を覗く。

 しかし、さっきまでいたはずの洞和はパタリと姿を消し、窓だけが半分開いていた。


「へ? あれ、どこに」

 狂士は忽然と消えた洞和に驚き、前方をキョロキョロと見渡す。

 そして、すぐ真後ろに忍び寄る人物がいることに、全く気づいていなかった。

 そいつは狂士の背後から耳元に顔を寄せ、大きく息を吸う。


「わぁっ!!」

「わーー!?」


 突然耳を突き破るような男の大声と、狂士の叫び声が静かな画塾にこだました。

 その様子に、男は背後でゲラゲラと笑い出す。


「くっははは! あー、いいねぇ。その驚きっぷり。ところで、お前誰だ?」

 男は笑い終わると、狂士を壁際に追い詰め、怪しむように顔を近づける。

「と、洞和!?」

「ほぉ? 俺の名前を知ってるとは、ますます何者なんだろうなー」

 

 笑ってはいるが、その眼光は鋭く光る。それに油断ならない気迫を感じ取り、狂士の首筋には冷や汗が伝っていた。

 しかしいつまでも圧倒されているわけにはいかない。

 狂士はゴクリと息を飲み、意を決して洞和に話を持ちかける。


「洞和……さん、少し、話がある」

「あぁ?」

 洞和は間抜けな返事をするも、狂士の真剣な表情を見て、「こっち来い」と縁側に座るように促した。


――――

 

「おー、お前が噂の狂士か! 画鬼から話を聞いて、俺も気になってたんだよ」

 狂士が名乗ると、洞和は納得したように膝を叩き、一転して穏やかな雰囲気で話す。

 

「画鬼? もしかして、周三郎のこと?」

「そだ。画の鬼でガキ、我ながらいい名を付けたもんだ」

 洞和は顎をさすりながら、自画自賛といった様子だった。

  

「ま、まぁ……それで、墨合戦の事なんだけど、俺も、参加したいんだ! 周三郎から、アンタなら大歓迎だって聞いて」

 狂士は待ちきれないように身を乗り出して話す。

「なーんだ、そんな事かよ。もちろん構わねぇよ、あいつの貴重な友人だし」

「マジ!? あ、それと実はもう二匹……じゃねぇ、もう二人出たいってヤツが」

 話の途中で洞和は調子よく答える。 

「いいよ、何人でも連れてきな。その方が盛り上がるってもんよ。ほんで、好きなだけ暴れろ!」

「ホント!? よっしゃ!」

 大袈裟に喜ぶ狂士の姿を、洞和は膝に肘を付いて微笑ましく眺めていた。

 しかし、あまりにも喜ぶ狂士に違和感を感じた洞和は、ふと彼に問いかける。

 

「なぁ……一個聞いていいか?」

「ん?」

「墨合戦に出たいのはわかったが、お前、何でそんな必死になってんだ? わざわざ忍び込んでまで頼みに来るなんてよ。言うてもただの画塾の遊び、そこまでなるもんか?」

 洞和の的を射た発言に、狂士は「うっ」と気まずい表情を浮かべる。


「これは、俺の問題なんだけど……ある大事なことのために、この墨合戦には絶対に負けられないんだ」

 俯き考え込むように、狂士はゆっくりと話す。

「ふーん、大事なことねぇ」

 洞和は真剣な表情で話す狂士を、不思議そうに見つめていた。  

「何があんのか知らねぇが、後悔の無いように頑張れよ」

 ニヤリと微笑む洞和に、「あぁ」と狂士は力強い笑みで答えた。


 別れ際、狂士は気になっていた事を洞和に問う。

「あ、あのさ……周三郎って、ここでどんな感じなの?」

「ふん、気になるか?」

 恥ずかしそうに聞く狂士の顔を、洞和は楽しむように覗き込む。

「べ、別にっ、そんなんじゃねぇけど、その……あいつ、怪我とか多いから」

 それを聞いた瞬間、洞和の表情は少し曇り、フッと寂しげに笑った。


「人間はよ、異端なものを避けたり、排除しようとすんだよ。それが正しいか間違っているか関係なく、ある意味それは自然な思考なのかもしれん。そんであいつは、今それと向き合っている。自分の信念を曲げずにな」

「……信念か」

 狂士は一言呟き、周三郎の境遇を自分に重ね合わせる。


「俺は……絵を教えるくらいしか脳がねぇし、道徳を教えられるほど教養のある人間でもない。ただ、きっかけを与えるしか出来ないんだ……だからよ」

 洞和は狂士の顔をじっと見つめ、バシッと力強く背中を叩く。

「あいつの事、よろしく頼むぜ? あのガキに、いろんな景色を見せてやってくれや」

 少年のような洞和の笑顔は、日差しに照らされて儚く輝いていた。

 こんな風に理解してくれる人間が一人でもいること、狂士にはそれが少し羨ましく思えた。

 

「周三郎がアンタに懐いてるの、なんとなくわかったわ」

「あぁ? そうか?」

「うん。俺も、アンタみたいな人間がいれば、ちょっとはマシな人生だったかも」

 ボソッと言った言葉に、洞和は不思議そうに首を捻っていた。


――――


「悪い、遅くなって……」

 成弥の待つ場所に戻った狂士は衝撃の光景に言葉を失った。


「わーーん! 痛いよーう! ヒリヒリ、スースーが止まらないよーう!」

「ふふふふ……こうやって扇げば、もっとスースーするでしょう?」

「ひぇぇーーー! ちべたーい!!」

 玉太郎は木に縛り付けられ、成弥は加虐心まるだしの笑顔で玉袋を扇子で扇いでいた。


「……おい、何やってんだ?」

「ん? あ、狂士さん! お帰りなさい」

 ドン引きの表情で立ちすくむ狂士を、成弥はいつもの笑顔で迎える。

 

「お帰りじゃねぇよ。はぁ、外であんま変態じみた事すんなよな」

「へ、変態とは失礼な! ただ待っているのも暇だったので、この忌々しい玉袋にハッカ油を塗っていただけです!」

 変態と言われたことが余程嫌だったのか、成弥はハッカ油の入ったお椀とハケを見せて必死で取り繕う。

 

「はぁ、わけがわからん。けど、あんま玉袋痛め付けんなよ? 変化が出来なくなったら困るし」 

「そーだそーだ! 大事な玉袋なんだぞ!? 丁重に扱えー」

 急に元気になった玉太郎は縛られたままヤジを飛ばす。

「お前も調子乗ってんじゃねぇ」

 狂士はジタバタとする玉太郎の頭に勢いよくゲンコツを落とすのだった。


「それはそうと狂士さん、洞和との話はうまく行ったのですか?」

「あぁ、全員参加オッケーだ!」

 狂士はグッと親指を立てて報告する。


「良かったです! これで、心置きなくこの阿呆狸をめちゃくちゃに出来ますね!」

「おいおい、殺さねぇ程度に頼むぜ? こいつには役に立ってもらわねぇと、いけねぇんだからよー」

「ひぃぃ! お、おいらだって、サンマと芋のために、負けないんだからな!!」


 極悪非道の笑みを浮かべる狂士と成弥。

 果たして、玉太郎に勝ち目はあるのだろうか。

 夜光の自由と、玉太郎の夢、焼き芋食べ放題を勝手に賭けた墨合戦が、ついに始まろうとしていた。

 

  

 

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