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二幕《狐と狸の馬鹿試合》⑨

「墨合戦?」

 夕刻、狂士は賽銭箱の前の石段に座り、間抜けな声を出した。


 周三郎も同じようにそばに腰かけると、腕を組み「ふむ」と悩ましい声を出す。

「狂士は知らんのか。まぁ、簡単に言うとだな……東西の二組に別れ、絵筆をを刀に見立てて争う遊びだ。勝ち負けはよくわからんが、とにかく相手を墨まみれにすればいい」

「……なんつーか、イカれた遊びだな」

「ふむ、わしも噂でしか聞いたことはないが、墨合戦の後は一週間は黒い鼻水が続くそうだぞ?」

「いや、それもうバケツでぶっかけてるだろ……」

 想像しただけで狂士は鼻がムズムズとし、くしゃみをひとつこぼした。


 周三郎はケラケラと腹を抱えて笑い、狂士にある提案をする。

「そうじゃ! 狂士も一緒にやらんか? 墨合戦! 飛び入り参加でも、洞和先生ならきっと喜んで迎えてくれるぞ?」

「えー、やだよ鼻弱いし。お前も、画塾の仲良い奴らとやった方が盛り上がるだろ?」

 何気なく話す狂士の言葉に、周三郎の表情は少し暗くなった。 


「……画塾の者は、わしの事をよく思ってない。もしかしたら、墨合戦で狙い撃ちにされるかもしれんな」

 周三郎は自虐するように笑っていた。

 そんな彼の様子を見て、狂士はふと以前の事を思い出す。初めて江戸に飛ばされた日、周三郎と共に風呂に入ると、彼の顔にはアザがあった。


 (あの時確か、藪で引っ掻いたとか言ってたけど……やっぱそうか)


 狂士は周三郎の笑顔に合わせるように笑い返すだけで、何も言葉が出てこなかった。

 周りから疎外されていた狂士にとって、彼の思いは理解できた。

 しかし他人との関わりを避けてきたせいか、何を言えば周三郎の力になるのかがわからなかった。


 帰り際、手を振る周三郎に狂士は思いきったように声をかけた。

「……なぁ! 今度、また焼き芋やろーぜ!」

 周三郎は遠目にもわかる程の笑顔で、大きく手を振り帰っていった。


――――


「あら、もう帰ったんですか? 周三郎さん」

「……うん」

 狂士が神社に戻ると、成弥はお茶の用意をしていた。どうやら、周三郎をもてなそうとしていたようだ。

「なにか、ありました?」

 いや、別に。そう言おうとした瞬間、成弥は顔をぐいっと近づける。そしてその真剣な顔は、ふわりと優しい笑顔に変わった。


「遠慮せず、何でも話してください。それだけで、気持ちが軽くなりますよ?」


 成弥の言葉と表情には、偽りは感じられなかった。

 ただ純粋に自分の事を思っているような、そんな風に狂士は感じた。


「……ちょっと、長くなるけど、いい?」

 辿々しく話す狂士に、成弥は柔らかい笑顔を向けた。


 お茶を飲み、二人は畳の上でゆったりと向き合い、狂士は自分の事をゆっくりと話し始める。

「俺、親の顔も知らなくてさ、ずっと施設で暮らして、友達も一人もいなかった。気づいてると思うけど、霊感が異常で、気味悪がられて、それが原因。けど、それだけじゃない。おれ自身、人と関わることを避けてた……優しい顔してても、いつか離れてくんだって思って、最初から拒絶するようになったんだ」

 

「それは……悲しいですね」

 (そんな風に、思ってしまったことが……)

 成弥はまるで自分の事のように辛い表情をしていた。


「江戸にたどり着く前、俺は現代で海に突き落とされて死にかけた。けどそれだって、元を辿れば喧嘩ばっかしてた自分にも原因がある。人生に未練なんてないと思っていたし、いつ死んだって誰も悲しまない、そう思ってた。けどさ……」

 淡々と話していた狂士だが、そこでしばし言葉に詰まった。

「……狂士さん?」

 

「あいつ、俺が死んだら悲しいって言ったんだ……知り合ったばかりの得体の知れない人間なのに、周三郎は、いつも俺の事を気にして、世話を焼いて。初めはおかしなやつだって思ってたけど、いつの間にか、あいつがいないと物足りなくて、一緒にいたらおもしれぇんだ。だけど……あいつが悩んでる時、なんて言ってやればいいのかわからない。そんな感情、今まで感じたこともなかったから……でも、力になりたい。それに、夜光の事も……」  

 夜光の名前を聞き、成弥は申し訳無さそうな表情を浮かべる。

「遊廓の事……やっぱり、気にしてらしたんですね」

  

 狂士は膝の上で握った拳に力を込め、小さく頷いた。

「やっぱりさ……夜光の事、ほっとくなんて出来ねぇ。あいつは大丈夫だって言ってたけど、俺は……あいつに、夜光に自由になってもらいたい」

 そう話す狂士の声は、わずかに震えていた。 

 成弥はそんな彼に一瞬目を見張り、そして優しく微笑んだ。


「狂士さんは……とても優しいのですね」

「はぁ!? んなことねぇ」

 狂士は大袈裟に驚き否定するが、成弥は笑顔のまま首を振る。

「ふふ、いいえ。あなたは人の心に寄り添い、力になりたいと言った。誰に言われるでもなく、自分でそう感じたのです。それは、あなたの心が成長している証ですよ?」

 諭すような言葉に、狂士は俯き戸惑いの表情を浮かべる。 


「……けど俺、どうすればいいか」

 成弥は静かに茶をすすり、話し始める。

「そうですね……確かに、難しいです。私も、相手の力になりたくても、思うように言葉に出ない時がありますから」

「成弥でも?」

 狂士は意外そうな表情で成弥を見つめる。

 

「えぇ、それはもう何度となくあります」

 笑顔を崩さない成弥に、そうなんだ、と狂士は小さく呟いた。

「……けれど、相手を知れば、かけるべき言葉も見えてきます」

「え?」

 

「あなたは今まで他人との関わりを避けていたが故に、初めて出来た友人との関わりがわからない。そう思っているのでしょう?」

「あ、ああ」

 狂士は戸惑いの表情を浮かべ、成弥の話に耳を傾ける。

「けれどそれは些細なこと、何の問題もありません。狂士さんの素直な気持ち、何気ないありきたりな言葉でも、あなたからなら、きっと彼らは心動かされるはず」

「……そうなのか?」

「ええ! 経験があれば、気の利いたことを言えるかもしれない。けれどそれよりも大事なのは、相手を思う自分の気持ちを素直に伝えることです。まずは自分の思いを信じて、やりたいようにやってみてください」

 話し終わると、成弥はニッコリと微笑んだ。


「やりたいように……か」

 ぼんやりと考え込むように、狂士は小さく呟く。

 そして微笑む成弥の顔をチラリと見ると、照れたように頬を掻いた。


「あ、ありがと……話、聞いてくれて」

「ふふ、お安いご用です」

 成弥は嬉しそうにフサフサの尻尾を揺らした。


「……成弥は、どうしてそんなに良くしてくれるんだ? その、妖狐なのに」

 狂士の問いに一瞬キョトンとした顔をした成弥だが、うふふと楽しげに笑い出した。


「私、人が大好きですから。狂士さんやご友人の方々の事も、お話を聞かせて頂いて、もっと好きになりましたよ?」


 中性的な身なりの成弥は、柔らかな笑顔を向ける。

 そんな彼に対し、狂士はなぜか知らないはずの母の温かみを感じていた。

 

 

 

 

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