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二幕《狐と狸の馬鹿試合》①

 化け猫の件が無事に解決し、狂士の椿楼での仕事も平穏なものになっていた。

 周三郎の絵のおかげか、猫又の力なのかはわからないが、あの一件以来、椿楼には粗暴な輩は寄り付かなくなっていたからだ。

 負傷した例の侍も、意識を取り戻した後、無事に奉行所に突き出され、夜光や他の遊女たちもようやく日常を取り戻したようだった。

 そして、そんな平穏な生活が数週間ほど続いた頃、ある人物の帰還により、河鍋家は波乱を迎える。


「……して、お前はいったい何者なのだ?」

 

 屈強で大きな体、そして力強い眉を釣り上げ、厳しい顔をした男。

 突如河鍋家に現れたこの男に睨み付けられ、狂士は小動物のように固まっていた。


「えっと……何者と、言われても……何て説明していいか」

 狂士は男と向かい合うように正座し、目を泳がせながらモゴモゴと答える。


「あ、あなた、狂士さんは周三郎のお友だちで、今は身寄りが無くてね。だからうちで……」

 トヨが申し訳なさそうに口を挟むが、男は大きな咳払いで遮った。

「ゴホン! トヨ、お前は少し黙っていなさい」

「は、はい」

 迫力に負けて、トヨは静かに身を引く。

 あのトヨですら頭が上がらない、この男の名は河鍋記右衛門(きえもん)、周三郎の父であった。


「ち、父上!」

「これ、周三郎っ、今は下がっていなさい」

 トヨの制止を振りきって、周三郎は父に詰め寄った。

「狂士は砂浜で倒れていて、わしがそれを連れ帰ったのです! それに、早々に仕事も見つけて、決してただで暮らしている訳ではない!」


「……はぁ、またお前か」

 記右衛門は呆れた顔で深いため息をつくと、今度は周三郎を睨み付けた。 

「昔、お前が河原から生首を持ち帰った事、わしはまだ許しておらん。それを懲りずに、また同じような事を繰り返すなど、言語道断! 今回も許すことなど出来ぬ」


 (い、今……さらっと生首って言った!? こいつ、マジかよ)

 狂士は記右衛門の発言を聞き、ドン引きの表情で、密かに周三郎を見つめていた。


「あ、あの頃はっ、好奇心が勝っておったから……でも、生首はちゃんと元の場所に返したし、反省もしておる。もう、そんなことは絶対にしません!」

「ふん、実際、またわけのわからん者を拾って帰って来たではないか。それに、反省したと言うが、河原に返しに行ったついでに、ちゃっかり写生もしていた事、バレてないとでも思っていたか?」

「ぬぁ!? どうしてその事を!」

 会話の内容は物騒だが、周三郎を追い詰める記右衛門の表情は、次第に生き生きとしてくる。

 詰められる対象が周三郎に移ったことで、狂士は気を抜いて耳の穴をほじりだしていた。


「お前の浅知恵など、わしには筒抜けじゃ」

「そ、それでも、その話と今回の事はまるで違います。これはそう、立派な人助けであります! 河鍋家の次男として、困っている者を見捨てるなど出来ませんから!」

「ほう……では、もう助けは必要ないな。この者を見る限り、今はもう困っているようには見えぬ」

 

 突然話が戻ってきて、狂士は気の抜けた声で「あぁ?」と返事をする。

 かしこまった正座はとっくに崩され、片膝を立てたまま、まるで他人事のように鼻をほじっていた狂士を見るに、記右衛門の言葉も的を得ているように聞こえた。


「こ、こら、狂士! 父上の前でなんて態度を」

「お、悪い悪い」

 周三郎に注意され、狂士は慌てる様子もなく、マイペースにまた正座をする。


 すると記右衛門はまた大きな咳払いをし、狂士の方へ向き直る。

「狂士さんとやら、お主、今は仕事をされているようだな?」

「え? まぁ、はい」

「では、もうここにいる必要はないな。悪いが、今日中に出ていってもらいたい」 

 そう言って、記右衛門は軽く頭を下げた。


「父上! 狂士は江戸の事を知らんのだ、それをいきなり放り出すなど……」

「……いいよ、周三郎」

「え?」

 狂士は食い下がる周三郎を落ち着かせるように声をかけた。


「今まで面倒見てもらえたし、それで十分だ。確かに、ここの事はよくわからないけど……どうせ元々、死んだような身だし、何とかするよ」

「……狂士ぃ」

 何食わぬ顔で話す狂士を、周三郎は寂しそうな表情で見つめていた。


「理解が早くて助かるよ……周三郎、狂士さんを送ってあげなさい」

「……はい」

 しょんぼりと肩を落とし、周三郎は力無く返事をする。

 元服を迎え、この時代ではもう一人前の男として扱われるが、実際いつまで経っても両親には逆らえない。

 そんな悔しさからか、周三郎の拳は小さく震えていた。


――――


「すまん……わしが情けないばっかりに」

「あぁ? 別にお前のせいじゃねぇよ。こんなよくわからねぇ奴、誰だって自分家に置いときたくないだろ」

 家を追い出されてから、周三郎は元気がなく、謝ってばかりいた。


「狂士は……どうしてそんなに冷静なんじゃ? 不安じゃないのか?」

 住む場所を失った事を気にする様子もなく、呑気に町を見渡しながら歩く狂士を見て、周三郎は心配そうに声をかけた。

「うーん、不安が無いわけじゃないけど……いざとなりゃ野宿でもすればいいし、野垂れ死んだらそれまでさ」

「そんな、怖くないのか?」

「前に言っただろ? ここに来る前、海に落ちて死にかけたって」

「あ、あぁ」

「一回死んだようなもんだからさ……なんか、今こうして生きてる方が不思議な感覚なんだよな。それに、心配するような家族も友達もいないし」

 何気なく話す狂士の姿に、周三郎はピタリと立ち止まり、震えた声を絞り出す。

 

「わしはっ……狂士の事が、心配じゃ……わしは、狂士の友ではないのか?」

「……周三郎」

 狂士にとって、自分の事を友だと言うような人間は初めてだった。

 俯いたまま目を伏せる周三郎の姿に、狂士はなんともムズムズと照れ臭いような気持ちがしていた。


――――と、その時


「ひぎゃーー! 付いて来ないでーー! いやぁーーー!!」


「ふぇっ!? 何ぃ!?」

「きょ、狂士、後ろじゃ!?」


 突然聞こえた常軌を逸した女の悲鳴。

 慌てて後ろを振り向くと、若い女が全速力で走ってくる。そしてその後方には、小さな子供のような姿が見えた。

 狂士は咄嗟に泣き叫ぶ女性を周三郎の背に隠し、追ってくる子供の前に立ち塞がった。


 徐々に近づくその子供に、狂士は思わず「ひぃぃ!」と声をあげる。


「お姉さーん! 見て見てー! 凄いでしょ、僕の自慢の()()ー!」


 それは、確かに立派な玉袋だった。

 ひとつが米俵ほどはあろう立派すぎる玉袋を広げ、砂ぼこりを巻き上げて全速力で駆けてくる子供。

 その時、狂士は初めて子供に対して恐怖を覚えたと言う。

 

「いやデカすぎだろーー!?」



 

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