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微笑みの王妃様  作者: 光延ミトジ
蛇足、あるいは✕✕

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表:国王


 大陸でもっとも勢いがあり、領土拡大を続ける強大な王国の頂点――国王のディミトリアス・バーソロミュー・ラングレーは、誰が呼びだしたかもわからない『戦争狂』の名で呼ばれている。最初にそう呼んだのは怯えた敵かもしれないし、もしかすると威を借りようとした味方かもしれない。もっとも、どちらであっても、それ以外であっても国王は気にしないのだが。


 ディミトリアスが興味を向けるのは、基本的に『暴力』だけだ。戦場で人間を炎で焼き、剣で切り捨てて鮮血を浴びる。その瞬間が一番、自分という人間を実感できる瞬間だ。もしも彼が路上で産まれていたら、人殺しの免罪符がある『戦場』ではなく、場所を選ばずに暴れ回っていたことだろう。無差別に街中で人間を殺め続け『連続殺人鬼』と呼ばれていたかもしれない。


 そんな性質にもかかわらず、彼が王国の頂点――意思決定機関である王室にいるのは、好き好んでのことでも、責任感からでもなかった。


 人間は知性のある獣だ。獰猛な本能も躾と教育で押さえ込むことができる。この世に生まれ落ちた瞬間から、王族としての生き方を教え込まれてきた。それが鎖となって、ディミトリアスの本能を縛っている。ゆえに王族として、国王として、国の維持のために最低限の手段を講じているのだ。


 その最低限の手段が、東の公爵家との縁組だった。


 四大公爵家というのは、どの家よりも愛国心が強い。国を守り育てて維持するためなら、なんでもする。王家への忠誠ではないため、国に王家が不要だと判断すれば蜂起することを厭わないだろう。王家に穏健派の王が多かったのには、その辺りの事情も一因になっている。


 特に東の公爵家は長く宰相として国を導き、支えてきた家だ。そこから持ち込まれた婚約を当時の国王――ディミトリアスの父は受け入れ、彼自身も拒否しなかった。


 誰でも良かったというのもある。どうせ自分を理解できる人間などいないのだ。物心ついた時から国王夫妻――両親が彼を見る目には怖れと嫌悪が浮かんでいた。温厚で、揉め事を嫌う性質の夫妻だ。炎の魔法で獣を焼き、時にはナイフで裂いて構造を知ろうとし、剣術指南役の腕を躊躇なく斬り飛ばす息子は、まったく理解できない存在だったのだろう。


「おまえは何を考えているのだ?」

「何故おまえのようなおぞましいものが、わたくしの胎から生まれてきたのでしょう?」


 宰相の目がないところで、両親はよくそのようなことを言ってきた。宰相をはじめとする大臣、有力者たちがディミトリアスを次期国王に擁する腹積もりなのは明らかだ。そこに相対したくない国王夫妻は表面上、王太子を非難して攻撃することはない。


 親ですら厭う存在を誰が受け入れるというのか。そもそも受け入れてほしいのかもわからない。放っておいてもらうほうが鬱陶しくなくていい。両親のように遠巻きに嫌悪感を向けられるのも、使用人たちのようにあからさまに怯えられるのも、面倒だ。それならば気配が察知できる程度の場所にいてくれるなと、少年期のディミトリアスはそう思っていた。


 十歳――婚約者となった東の公爵家の令嬢との月に一度の茶会の日。もう何度目かのそれをディミトリアスは早々に切り上げた。いつも通りだ。庭園のガゼボで最高級の茶葉で淹れられた紅茶と、城のパティシエが首を懸けて作った菓子を食べる。ディミトリアスは何も言わない。婚約者の令嬢も微笑むだけで何も言わない。沈黙の茶会は三十分も経たずに終了した。


 令嬢を置いて、彼は庭園のさらに奥へと進む。まるで塀のような高い生垣に囲まれた区画で、王族の人間と、許可証代わりの指輪を持った者以外の立ち入りを禁じる魔法がかけられている。侵入者を眠らせる『野薔薇の魔法』は王家に伝わる秘伝の魔法だ。王族であれば入れるが、現在、管理人を除いてこの場所へ足を運ぶのはディミトリアスだけだった。


 鋭い棘の生えた緑の生垣。その中は小さな森のようになっており、多種多様な動物が放たれている。肉食の動物によって、食物連鎖が起きすぎないように手配する管理人は動物学の専門家だ。小規模な森――多くの獣がいるはずだが、辺りは静寂に包まれている。まるで生き物たちが息を殺しているかのようだった。


 そこは、王太子の狩場だ。


 こちらの様子を窺う視線を感じる。管理人によって放たれた獣たちのものだろう。ディミトリアスは入口に置かれた樽に無造作につっ込んでいた武器の中から剣を一本と、それよりも小さな武骨な刃物を手にを取る。魔鉱石が使用されていない普通の武器だ。森を焼かないためにこの場所では炎の魔法は使わない――というのは表向きの理由である。単に、魔法を使えば目的を達することができないからだ。


 小さな森――王太子のための狩場を進み、彼は一頭のシカを捕まえた。濡れた瞳のメスのシカだ。剣で脚の筋を切れば、シカは地面に倒れ、身をよじることしかできなくなる。苦しむ獣の喉は小刻みに震え、呼吸音と声が漏れていた。


 ディミトリアスは剣を地面に突き刺すと、シカの傍らに膝を着き――ナイフを振るう。胸元から腹にかけて真っ直ぐ切り裂いた。深くは切らない。毛皮と皮膚を切断するが、内臓を傷つけない程度の深さだ。獣の種類はもちろん個体によっても調節が必要だが、ディミトリアスにはそれが感覚でわかった。才能があったのだろう。


 真っ直ぐな切り口を左右に切り広げる。溢れ出す血液の中に、獣の臓器が見えた。内臓という造形物には無駄がない。全ての形に意味があり、全ての臓器が肉体を正常に生かすために必要なものだ。中でもディミトリアスの目を一番惹きつけるのは、心臓だ。


 血管が巡る拳ほどの大きさの臓器は、鮮血の溜まりの中で鼓動を続けていた。


 彼の薄青の瞳には感情が宿らない。曇った日の湖面のように静かで、無機質だ。ディミトリアスはその瞳をじっと心臓へ向けている。腹を裂いているのだ。心臓がそう長く動き続けないことはわかっていた。王太子は――少年は、まばたきもせずに魅入って、だんだんと近づいてくる、死を眺める。


 夢中になっていたからだろう。


 少年は、ソレが近づいて来たことに、気づかなかった。


「そのシカは死ぬのですか?」


 声をかけられ、ちらりと左側へ目を向ける。しかしそれは一瞬のことだ。大切な時間を邪魔されたくはない。しゃがんだままのディミトリアスの目はシカの心臓へと戻り、弱まってきた鼓動と血管の収縮を映す。


「何を見ていらっしゃるのですか?」


 ソレは質問を重ねた。


 ディミトリアスは答えない。


「シカを殺したいのですか?」


 質問は続く。


 鬱陶しい。黙れと告げようと口を開き――発しようとした言葉に、ソレが続けた質問が重なる。


「それとも死んでほしくないのですか?」


 耳から入ってきた言葉を聞き、ディミトリアスは心臓から目を離して、隣まで近づいて来ていたソレ――婚約者を見上げた。


 東の公爵家の令嬢は足元の血溜まりを器用に避けて立ち、ドレスの長い裾がつかないように少しだけ持ち上げている。茶会の時と変わらず微笑みを浮かべる彼女は、ディミトリアスを見下ろしていた目を、今にも息絶えそうなシカへ向けた。


「何故そう思う?」


 婚約者の横顔に問う。


「この状況を作ったのはおれだ。見てわかるだろう。それにも関わらず、何故そう思った?」

「そうですね……ディミトリアス様のお顔が、なんだか名残惜しそうなご様子でしたので、死んでほしくはないのかと思いました」

「そうか」


 シカを見れば鼓動は随分と弱まっており、血に濡れた身体は微動だにしていなかった。


「名残惜しい……そうだな。まだ見ていたかった」


 力強く脈を打つ心臓は生の象徴だ。次第に生が薄くなり、死へと近づき、やがてそこに至る時、惜しい気持ちになる。もう少しだけ眺めていたい。死が隣にいる間際こそ、生はよりまばゆく輝くのだ。


 心臓の鼓動がついに途絶えようとしていた――その刹那、婚約者が身を屈めた。ドレスの裾が地面について、端から赤く染まっていく。彼女の細く白い指先が血濡れのシカに触れて、光った。


「治癒魔法……」


 弱まっていた心臓の鼓動がだんだん強くなる。流れ出ていた血液が量を減らしていくと、内臓の血色も良くなってきた。虚ろだったシカの瞳に生気が蘇る。それでも真っ直ぐ裂かれた腹も、筋が切られた脚もそのままで、メスのシカは動くことはできない。


「出血していた血管を塞ぎました。流れ出た血液は戻りませんので、ほんの少しの延命ではありますけれど……お気に召されましたか?」

「……ああ」


 ディミトリアスはちらりと隣の婚約者を見たあと、鼓動を取り戻したシカの心臓を見つめ続け――――やがて、獣は死へと行きついた。


 彼がしゃがむのをやめて腰を上げる。隣にいた彼女も立ち上がった。王太子である婚約者と会うために用意したのであろうドレスは、裾がべっとりと血に濡れていた。シカに触れた指先も血に濡れており、薄桃色の爪も、白い肌も赤く染まっている。


「血がついている」

「対象に触れなければ治癒魔法は使えませんので」

「おまえは忌避しないのか?」

「何をでございましょう?」

「血と、死と、俺を」


 王城の敷地に迷い込んだネコがいた。生き物の体を開いて内側を見たのは初めてのことで、周囲も自身も血塗れにしてしまった。それを見た侍女たちは悲鳴をあげて逃げ出し、以来、両親の自分を見る目に厳しさと嫌悪の色が増したのである。


 その話をすれば、令嬢は微笑んだまま眉を下げた。


「お城の侍女たちは貴族の令嬢ですもの。たとえ淑女らしからぬとわかっていても、そのような状況では悲鳴もあげましょう」

「おまえはあげなかった」

「わたくしの場合は、そうですね……荒唐無稽に思われるかもしれませんが、頭の中にあるのです。もっと悲惨で、残酷で、悲しい情景が。生き物の臓物を見るくらい、なんともないと思えるほどの『画』を、わたくしは頭の中の世界に描いているのです」


 人間に興味なんてなかった。


 けれどその瞬間、確かにディミトリアスは思ったのだ。令嬢の――自分の婚約者が頭に描いているという情景を、見て見たいと。初めて、興味を向けた生きた人間である彼女が、輝いて見えた。白銀の髪が、紫の瞳が、真っ赤な血に染まった指先が、美しく見えたのだ。


「おまえの、名前はなんだ」


 口をついて出たのは、馬鹿げた問いだった。当然そんなものは知っている。けれど彼女は訝しげな顔をするでもなく、やわく微笑んだままディミトリアスを見つめた。


「東の公爵の娘アルテミシアが、王太子殿下にご挨拶申し上げます」


 見事なカーテシーを披露するアルテミシアのドレスの裾は、真っ赤に濡れている。


「替えのドレスを用意させる。着替えて帰れ、アルテミシア」

「ありがたく存じます」


 着替えたアルテミシアは、血に濡れたドレスを持たずに帰った。血の香りと、婚約者の残り香が染み込んだドレスを彼はしばらく手元に置いておくことにした。何故かは自分自身にもわからない。衝動的な行為である。そしてその日、ディミトリアス・バーソロミュー・ラングレーは――精通した。それからのディミトリアスの興味は『暴力』だけでなく、婚約者の令嬢『アルテミシア』にも向けられるようになった。


 婚約者との茶会の頻度が増し、時間も増える。周囲は血に溺れる王太子を手懐けたアルテミシアを褒め称え、将来の王妃としてますます期待を寄せているようだった。自分がアルテミシアといることで、彼女の立場が確固たるものになるのなら、それはディミトリアスにとっても喜ばしいことだ。彼女の父親である宰相はどことなく心配そうな顔をしていた。だが、ディミトリアスたちを結びつけたのは彼を中心とする者たちだ。以前ならばともかく、興味を向けるようになった今、返せと言われて返すつもりはない。


 ディミトリアスの毎日が色づいていく。戦場で好きなだけ暴れられた。炎が肉を焼き、草木を焼き、地面を焼く。自分よりも大きな敵――獲物を切り捨てれば鮮血を堪能できた。


 戦場を離れて城に戻れば、そこにはアルテミシアがいる。ディミトリアスが言葉少なに戦場の話をすれば、アルテミシアは微笑みを浮かべて聞いてくれた。茶会が終われば『狩場』へ足を運んで獣を捕まえる。腹を裂けば心臓が出てきて、鼓動が弱まってくると、彼女があの日のように蘇らせてくれた。戦場に出るようになれば『狩場』は封鎖して、管理人は処理する予定だった。動物学の専門家である管理人は、違う獣同士を交配させて新たな種を生み出そうとし、教会に断罪された過去のある犯罪奴隷だ。宰相が裏で手を回してつれて来た管理人は、数年間だけ子飼いにするつもりだった。しかし『狩場』が存続したため、管理人の命も続いている。


 戦場での日々も、城での日々も、充足していた。やがて、自分よりも大きな敵があまりいなくなった頃――彼が十九歳の時、婚約者は妻となった。初夜を迎えて衝撃を受けた。殺める目的でなく、初めて触れる、女の身体。頭の中がとろけて何も考えられなくなり、身体中の血液が沸騰する感覚。血よりも濃厚で芳醇な香りに包まれる中、激情に駆られてやわらかな肢体を貪った。妻の甘い声も、獣のような声も、全てがディミトリアスの欲を刺激する。食事も睡眠も放棄して、三日三晩。ディミトリアスは花嫁を寝台の住人とした。


 彼の欲を掻き立てるのはアルテミシアひとりだけだ。他の女、あるいは男で試そうとしたが、それではまったく反応しなかった。熱く昂るのは妻の前でだけだ。


 それにも関わらず、ディミトリアスは政治的な理由で側妃を娶ることが決定路線だった。敗戦国、属国を恙なく、迅速に支配下に置くのに、手っ取り早い上に確かな政策であるというのが、王国の舵取りを任せている者たちの判断だ。その急先鋒が宰相であり、妻だった。結婚して、五年。国王として即位し、時期を置かずにひとりめの側妃を後宮に入れた。


 アルテミシアとの間に子供はいない。そのことで彼女の立場に多少の影響があることはわかっている。それでも王妃に子を産ませるつもりはなかった。彼女もそれを受け入れているため、人知れず避妊薬を飲みながら、ディミトリアスと身体を重ねているのだ。


 王妃となった妻は言う。


 微笑みを浮かべた顔で、『必ず、御子を』と。


 流れは決まっている。戦勝祝いのパレードも兼ねた、成婚のパレードを行い、その日から夜毎側妃の元へ通う。孕むまで毎夜子種を注ぐのだ。けれどディミトリアスの身体は反応しない。ゆえに側妃を前後不覚にさせる前戯を専門の人間に任せている間、近くの部屋で待つアルテミシアの元へ向かう。そこで彼女に雄を昂らせてもらい、側妃のいる部屋へ子種を吐き出しに戻るのだ。


 アルテミシアが何を考えているのかわからない。自らの子は産まないと決め、他の女たちには必ず子を与え、そのことで王妃としての輝かしい功績に影を作っている。変わらない微笑みの裏に何があるのか、わからない。頭の中で描き続ける『画』がどんなものなのだろう。


 九人目の側妃だという女を焼き、彼女がいる部屋へ戻った。


 王妃は「あら、まあ」と困ったように微笑んで部屋を出たあと――しばらくして、戻ってくる。指先は血で赤く染まっていて、彼女が何をしてきたのかすぐにわかった。手を取って、指先を口に含んで舐める。アルテミシアはいつもと変わらない顔でディミトリアスを寝台へ誘った。


「このままではお辛いでしょう?」

「っ、ああ……」


 国王と王妃。


 戦場で暴れる『戦争狂』と、国政を担う『慈愛の王妃』。


 人々の囀りが耳に届く――国に興味がなく、好き勝手に戦争を起こす王に、王妃は振り回されている。子供がいない王妃をよそに、次々と側妃に子を産ませる王は、王妃への愛情などない。宰相に政治を任せるための、政略結婚なのだ。国を富ませて豊かにし、民の暮らしを充実させ、貴族たちには恩恵と名誉と責任のある役目を与える、優秀で優しい、献身的な王妃様。王妃とはいえ公爵家出身の彼女は、生粋の王族で年齢も四つ上の王には意見できない――そう囀る者たちは知らないのだ。


 ディミトリアス国王と、アルテミシア王妃――ふたりの力関係は、王妃のほうが上なのだ、と。


 必死に指をしゃぶり、雄を宥められて身体を熱くさせた。他の誰も知らないだろう――知る者がいたら、ソイツを焼き殺す――アルテミシアの妖艶な微笑みに、囚われる。


「命に関わる傷の治癒は済んでいます」


 ああ、酷い妻だ。


「さあさあ、彼女の胎に吐き出しに参りましょうね」


 国王はこのまま王妃と閨を共にできると思っていた。アルテミシアの高貴な色の目を見つめるが、彼女は微笑みを崩さない。彼は懇願するような声を漏らしたが、王妃が意見を変えてくれる様子はなく。ディミトリアス・バーソロミュー・ラングレーは、他の女を孕ませるために、妻から部屋を出されたのだった。





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