転生
「ああっ!」
俺は目を覚ます。
大きくて柔らかいベッドの上だった。閉ざされたカーテンから、朝日がわずかに入り込んでいる。
体のどこにも痛みはないが、心臓だけが早鐘を打つ。
俺は恐る恐る右脚に触れてみるが、なんともない。ただ……。
「なんか細くないか。それに、肌触りも良い」
まあそんなことは後回しだ。とにかく、俺は助かったのだろうか。薄暗い部屋では何もわからないので、とりあえずカーテンを開けた。
足元から天井までガラス張りの大きな窓が、部屋中を朝日で満たしてくれる。俺は部屋を見渡す。
「この部屋は……」
ここは俺も知っている「とある部屋」だった。しかし、なぜここで俺が眠っていたのだろう。医務室ではないのか。しかもこの場合、部屋の主はどこに行ったのか。
「…………お嬢様? いらっしゃいますか?」
そう、ここはヘルツブルクの宮廷、アンネマリー様の寝室兼勉強部屋だ。さすがにベッドには入ったことはなかったが、奥にある机や本棚は、家庭教師である俺もアンネマリー様とよく使用していた。
「ふむ……」
アンネマリー様はいないようだ。俺は前髪をかきあげる。すると違和感があった。髪が長くないか? それに指通りがよくツヤツヤだ。そもそも手が綺麗すぎる。透明な肌。あと、視線もいつもより低い。しまいに着ているパジャマも女物だ!
「なんだ……? 正直、あの事故は夢だったのかと思いかけていたけど、こっちが夢か? やっぱり俺は死んだのか?」
そう、俺は死んだ。つまりアンネマリー様も……。
涙を振り払うように首を振ると、部屋の端にあるドレッサーが目についた。あの立派な鏡に映る自分はどんな姿だろう。元通りの自分か、それとも事故で血まみれになった真実の自分を、突きつけてくれるだろうか。
「な、んだと……」
答えはそのどちらでもなかった。鏡の前に立った俺は言葉を失う。
そこに映されたのは、リック・ツァイトラーではない。
オストリヴェン帝国第七皇女、アンネマリー・フォン・ヘルツブルクその人だった。
「何だこれは! お嬢様のお身体ではないですか!」
俺は狼狽えて鏡からふらふらと離れる。
「お嬢様が不在なのではなく、俺がお嬢様になってしまったのか? お嬢様の部屋に、お嬢様のお身体がいらっしゃって、意識だけが俺なのか? か、考えろ……」
俺は全力で頭を回転させる。自慢ではないが、俺は歴代最年少で国立魔法学院を卒業した、「百年に一度の天才」と呼ばれる男だ(今は女性の身体だが)。いつだって頼れるのは、自分の頭なのだ。
「まず、今はいつなんだ?」
俺は机に駆け寄り、一冊の本を開く。アンネマリー様の日記だ。勉強のために、ヴェルシエール語で毎日記すよう、俺が指示したものだ。
「昨晩の日記が八月十七日だから、今日は八月十八日!? それは………事故の前日だ! 前日だって!?」
これが事実なら、俺は時間を遡ったことになる。しかも、意識がアンネマリー様の身体に宿ってしまうという副産物つきで。
「何かの魔法か? でもこんな魔法は知らない……魔法とは火・水・土・風の四つの属性を一人一つ操る……そうやって自然の力を借りるだけのシンプルなものだ。こんなおとぎ話のような、万能な力じゃない……」
時間を遡る魔法も人格を乗り移る魔法も、存在しない。存在していたら魔法学院を最年少で首席で卒業した俺が知らないはずがない。でも。
「でも……これはチャンスだ。明日起こる事故を俺は知っている。ならば、事故を回避することもできる! この不可解な現象の謎を突き止めるのは、その後でいい」
脳裏をチラつくのは、右脚を貫く痛みと、主を守れなかった自責の念。
だが時間を遡り、やり直すチャンスを得た。今度こそ、幸せな未来にアンネマリー様を連れていく。
「次は絶対に守ります。もし……もしこれが夢だったとしても、絶対に」
俺はそう決意して、鏡をもう一度覗く。今や自分の顔となってしまった主の顔をしっかりと見つめて、気持ちを固める。
そのとき、部屋の扉が勢いよく開いた。ドーンと大きな音が響き、思わず小さな悲鳴をもらしてしまう。その声をかき消すように、扉を開いた人物が喋りだす。
「おはようございまーすっ! クララ・ビッグビッグ、アンネ様を起こしに参りました! ……うそでーす、クララ、ほんとは家名はありませーん、へへへ〜」
部屋に入ってきたのは、一人のメイドだった。ビッグビッグという名前ジョークの通り、2メートルに及ぶ背丈の彼女は、アンネマリーの身体で見ると、より迫力がある。
「あ! アンネ様もう起きてる! おはようございまーすっ!」
「お、おはようクララ……!」
アンネマリーとなった俺が初めに出会ったのは、この宮廷で一番背の高い使用人で、俺の友達、クララだった。