クレーマー対応
「だからさぁ! いちいちボタン押させなくてもぉ! 見ればわかるでしょぉ! 俺がさぁ! 二十歳超えてることぐらいさぁ! 年齢確認なんていらないでしょうがよぉぉぉ!」
時間の無駄。そう言いたいのなら、今この時間こそがそれだ。と、コンビニ店員の小林はレジで中年の男に怒鳴られながらそう思っていた。
駅近く。パチンコ屋に飲み屋が周囲にあるこのコンビニの客層は、お世辞にも良いとは言えない。おまけに今は夜だ。だからこの手の恐らく怒鳴りたいだけのクレーム客、モンスターが現れることは覚悟の上だが、いい加減うんざりする。
確かに見てわかる中年オヤジだ。腹も出ている。酒、タバコを購入するのに未成年かどうか確認の必要などない。だが、これが店が決めたルールなのだ。店員はそれに従うしかない。
そのルールがなあなあになり、もし未成年に酒を売り、それで問題が起きたら店が罰せられる。
まあ、俺はバイトだから知ったことではないが、それにしても大した手間ではないのに、このオヤジは毎回、年齢確認の度にキレているのか? 条件反射なのか? 昆虫なのか? ああもう、嫌になる……いやだいやだいやだ誰かかわってくれ……。
「頭つかえよぉ! 客に押させるなぁ!」
「…………」
「おい、客を無視していいと思ってんのかよぉ!」
「はぁぁぁぁい! 申し訳ございませんでしたああああああぁぁぁぁぁ!」
小林が突然上げたその声で男は仰け反り、顔から血の気が引いた。
が、それは一瞬の事。また波の揺り戻しのように怒りが噴出した……が。
「な、なんだってんだよぉ! いきなり大声上げてんじゃねええええよ!」
「はあああああぁぁぁぁい! たい! へん! もうしわけございませええんでしたああああ!
お客様にいいぃぃぃ! 謝罪したい気持ちがああああぁぁぁぁ! 大きすぎてえええええ! 溢れてしまいましたああああああうおおおおおおああああ!」
「な、な、だからデカい声出すんじゃねよ!」
「ふああああああい! すべてええええええ! お客様のおおおおおお! 言うとおりいいいいぃぃぃぃぃあああああいいいいいいい! お客様はさいこおおおおおおおう! ふぉおおおおおおう!」
と、なぜ小林がこのような奇行に走ったか。ストレスの限界に達したわけではない。彼は冷静だ。恐らく。
この中年の男に怒鳴られ続け、彼はふと『目の前にいるこいつは人よりも猿など動物に近いのではないのか』と考えた。
野生動物なら大きな声を出せば退くはずだ。そうだ、相手よりも大きな声で謝罪しよう。実際そうしたらどうなるか。そう考えた時には彼はもう、突っ走っていた。と、やはり限界は来ていたのかもしれない。
「お前、頭おかしいのか!?」
「お客様はあああああかしこおおおおい! かしこおおおおおい! この度はああああああ本当にいいいいいいぃぃぃぃ申し訳ございませんでしたあああああ! うおおおおおらああああああ!」
「……うおおおおおお! ボタンはあああああああ! 嫌いだあああああああ!」
と、今度は小林が怯んだ。まさかの徹底抗戦の構え。大声を出すことによるストレス発散効果。それにやや酸欠気味の言わばランナーズハイのような状態に加え、相手の怯えた顔に勝利を確信し陶酔してただけに思わず面食らったが、しかし今更、後には退けない。
「わあああああかりますうううう! そのお気持ちイイイイイィィィィィーイ!」
「じゃあああ! ルールをてっぱあああいしろおおおお!」
「いちぃぃぃ店員なのでえええムゥリムリリリリリリイィィ!」
「客にぃぃぃぃ! 面倒をおおおお! 強いるなあああぁぁぁ!」
「ボタンくらあああああい! チンパンジーでもおおおぉぉぉ押せるだろうがよぉ!」
「何だその言い方はああああああ!? 客だぞおおおおお! お客様はかあああみいいいさああああまああ! オオオオオォォォォォ!」
「ごめんなさああい! フォオオオオオオオオウ! ウホオオオオ! ウフォオオオオウ!」
「アアアアアアァァァァイ! アイアイ! アアアアアイ!」
「フォオオオオウ! フォウ! ウホオオオ! ウホ! ウホホホホホオオオオ!」
「アーイ! キイイイイイイ! アアアアアイキイイイ!」
「ウゴオオオオ! フォフォフォフォオオオオオウイ! ウホオオオオウ!」
「キイ、キイ……」
「ウホッ! ウホホホホーイ! フォウ! フォウフォウ! フォオオウ! アアアナアアアスタアアアアアシイイイアアアアア! ハアアアア!」
「キキキキ……キュイッ」
小林が勝った。が、勝利の余韻に浸れはしなかった。
背を向け、店から飛び出した中年の男。手を地面につき、走るその動きはまさに獣そのもの。
それを見て、肩で息をする小林がふと思ったのはそう、狐憑き。
お客様は神様。あれは確かにそうだったのかもしれない。お稲荷様も神様の一種のはずだ。
もしくはそう、他の妖怪。いやあるいは悪魔……それとも宇宙人が人の皮を被り……どれかは知らぬが、あの男だけに留まらずそれは今、この人間社会に息を潜めて……と考えたところで小林は、まあバイトの自分には関係ないか、とポリポリポリと猿のように顔を掻き、大きな欠伸と失禁の心地良さに頬を緩ませた。