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“聖女”と呼ばれた“魔女”

作者: 一之瀬 椛


皇室主催の夜会は盛況。

煌びやかな大広間、煌びやかな装いで淑やかに客達は笑っている。


そんな場から離れた薄暗い庭で休憩していたエーデルシュタイン。

一人でゆっくりしたかったのだが、皇宮で行われているが故にお邪魔虫が押し掛けて来ていた。夜会に参加するにはまだ幼い皇室の末の皇子ラウレンツだ。


エーデルシュタインはその姿を目にした時、よりにもよって夜会の庭に出て来るとは……とげんなりした。


淑女も来る場所ではないが、子供は絶対に来ては行けない場所だった。

何も知らずに抱き付いて来たラウレンツを自室に帰らせる為、声を掛けようとした。


──その時、聞こえてはいけない声が聞こえて来た。


「何?この声」と好奇心の塊なお年頃のラウレンツは有ろう事か声の方へと駆け出す。

ここで声を上げて止めるべきだったかと思うエーデルシュタインだったが、遠ざかる小さな背を見て、声を上げても上げなくてもこの皇子は止まらなかっただろうなと開き直ることにした。


歩いて、後を追うと、少し奥まった茂みの手前で隠れる様にその向こう側を覗き込んでいた。

以前、皇宮の庭にはオバケが出るという噂を聞き、それをエーデルシュタインに報告しながら怖がっていたのを思い出す。

得体の知れない声だから、オバケかと警戒し隠れて様子を伺っている様だった。好奇心から為る怖いもの見たさだろう。現状でなければ、その姿を可愛らしいと思えたに違いない。


茂みの向こう側を覗き込んだまま固まるラウレンツの顔色は悪くなっていた。

無垢な少年には刺激が強いのか、それとも──そこで如何わしいことをしている者が原因なのか。

どちらにしても見せ続けるのは良くないので、いきなり声を掛けて叫ばれない様に口を覆って、「この場を離れるぞ」と小さな身体を抱き上げてラウレンツの部屋に向かった。


「あんなの裏切りだ!!」

「騒ぐでないわ。人が来こようが」

「だって!」


一旦落ち着かせる為にソファーに座らせたのだが、すぐに立ち上がって地団駄を踏む。

寝心地の良さから部屋の主の許可も無くベッドに横になったエーデルシュタインは他人事の様に見ていた。




その国には“聖女”と呼ばれる者が二人いた。


一人は、皇帝の第四子で唯一の姫。

剣と魔の力で栄華を誇る国で剣を手にして自ら戦場に出て自国の者を導く。金色の長い髪を靡かせ駆ける凛とした美しい姿は『戦乙女(ヴァルキューレ)』とも呼ばれ、人々に敬われいる。


もう一人は、いつの頃からか国に居座っている正体不明の女。

皇帝に気に入られ、皇宮で怠惰に日々を過ごしている。

皇帝の愛妾か何かではと噂されるが、公的に“聖女”として発表されているので、疎みながらも表向きは蔑ろには出来ない存在であった。


故に、“聖女”は二人といるとされながら、人々の中には一人しかいなかった。

数年の月日が経っても変わらず。


半年前に、まだ婚約者のいなかった第三皇子殿下の婚約者として、()()“聖女”が選ばれたことで国をざわつかせた。

皇帝が自分の愛妾を息子の妃にした、とか。名ばかりの“聖女”に国が乗っ取られる、とか。怠惰で贅を尽くす“悪女”のせいで国が滅ぶ、とか。

言いたい放題である。

半年も経った現在でも噂は拡がり、より酷い内容も出ていた。


噂を聞いた当の“聖女”は腹を抱えて笑っただけ。

それが、エーデルシュタイン。その人だった。




皇宮の庭で見た、男女の睦事(むつごと)

関係無い者同士であれば、ラウレンツも憤ることはなかったが、問題は片割れ──男が、ラウレンツの兄の一人である第三皇子ミヒャエル殿下であったこと。

そう、第三皇子殿下──つまりは、エーデルシュタインの婚約者だったのだ。


エーデルシュタインを慕うラウレンツからしたら許しがたいことだというのに、当の婚約者はまったく気にしていないことも不服に思う要因でもある。

のに……。


「言うが、童子(わらし)はあれらが何をやっているか解っておるのか?」

「えっ……そ、そりゃあ、ぼくだって、ちゃんと勉強してるし……」

「昨今はその(よわい)で閨を学ぶのか」

「ね、ねやっ……!」


顔を赤くする初な反応に口角が上がる。

十になったばかりの歳のラウレンツがまだ閨教育を受けていないことは知っていた。

第三皇子が何をしていたか理解しているのは、第三皇子に限らず今の皇室の男達は幼いラウレンツを除いて皆、好色。何処かで誰かが睦み合っているのを目にしてきたからだろう。その時、居合わせた侍従に何をしているのか聞いたことぐらいの想像は出来た。後は自身で調べたか。

奔放な親兄弟が傍にいては早くに性に目覚めても仕方がないのかもしれないし、後に同じ道を進んで行くことになるだろうとも……。


エーデルシュタインは、今はこの皇子を可愛いと思っているだけに惜しいと感じた。


「興味を持つのは良いが、童子(わらし)はああはなってくれるなよ?」

「ならないよ!ぼくは兄様たちとは違うから!」


だと良いが、と心の中で笑った。


「それより、あのバカ兄だよ!父様に言って叱ってもらわないと!婚約も破棄してやればいいんだ!」


また話を戻してプリプリ怒り出したラウレンツは忙しない。

一人で百面相をして、見ていて飽きないのだが……。


「そう怒っておらず、童子(わらし)は寝ろ」


もう子供には遅い時間。

昼夜問わず静かに過ごしたいエーデルシュタインには五月蝿過ぎる。


「聖女様は怒らなすぎだよ。婚約者ってだけじゃなく聖女様は尊い存在なのに、あんなことして聖女様を侮辱するなんて最低だ!」

「聖女ではない。良いから、寝ろ」

「聖女様は何とも思わないの?婚約者にあんなことされて、哀しくない?」

「皇室は妃が一人ではなかろう?」

「でも、聖女様を大切にするために第三皇子(バカ)のお妃様は聖女様だけなんだよ」


ついに、「兄」も付けてもらえなくなった。

仲が良かった筈なのだが、と思うエーデルシュタインだったが自業自得と頭を切り替えた。庇ってやる義理は無いのだから。


ポンポンと寝そべる自身のすぐ横を叩いて、ラウレンツにここに来る様に促す。


(わらわ)一人を妃に据えたところで他に手を出し孕ませるのが目に見えておるよ。……(はよ)う来い」


来るのに渋る様子のラウレンツに少し強めに言えば、頬を赤く染めたまま恐る恐るベッドの上に乗った。


「わかってるんだったら、父様に言おう!」


今すぐに!と拳を握るので、その拳を握った方の手首を引き、隣に寝させる。


「童子が言っても、皇帝も色を好むから、少し遊ぶぐらいは許してやれと言われるのがオチよ。この機に、主にも色事を学ばせるやもしれぬぞ?余計な口を出させぬ様にな。他の皇子達も幼い頃は真面目だった様だが、自分達の母御の為に進言したら学ばされたらしい。色事の良さをな」


ラウレンツの頬の赤みがサッと引いた。

円い目を更に丸くして、顔色が悪くなっていく。

それも束の間。


「そして、ああしてところ構わず色に耽る様になったとか。……芽生えたばかりの初い子には刺激が強過ぎる所為か、忘れられずに二度三度と求めて抜け出せなくなる。主もああなりたいか?」


エーデルシュタインに耳に息を吹き込む様に色香を感じさせる声で囁かれ、下腹を撫でられると、耳まで赤くする。

ダークブルーの瞳を潤ませ、不安の中に微かな期待も滲ませ見上げてくるから、クックッと喉を鳴らして笑った。


「主には早過ぎるな」

「そんなことない!ぼくはもう立派な男だもん」

「立派な男は『だもん』とは言わぬわ、童子」

「……でも、男だもん」

「そうだのぉ」

「だからさ、第三皇子(バカ)なんて止めて、ぼくと、結婚しよう。ぼくはぁ、一途だから……聖女様だけを大切にして、よそ見なんて……しないよ?」

「時が流れれば人の心は移ろう。誰のことも愛さぬと言いながら、奴も小娘に翻弄されたからのぉ」

「……誰の、はなし?」

「さぁ、誰の話じゃろうな」


今の皇室で唯一人、この国の皇室の色──キャラメルブロンドを持つラウレンツの少し跳ねた髪を撫でて、「もう良いから寝ろ」とシーツを肩まで掛けた。


「ぼくは……ぜったい、“聖女”さまの……エーデのこと、いちばん、たいせつにするし……すき、でいつづけるから…………()()()()

「そうか。良かろう。大人になっても変わらぬのなら、妾は主と共に生きよう。……()()じゃぞ?」


シーツ越しにあやす様にポンポンと叩けば、次第に重い目蓋が下がり、寝息を吐き始める。

子供には、やはり遅い時間だった様だ。


「まったく困ったものよ」


あどけない寝顔に綻ぶ。


心が、こんなにも動いたのはいつ振りか。

エーデルシュタインは思い返してみて、気が遠くなりそうなので止めた。


思い返すには、彼女の生きてきた時間は長過ぎた。

外見は十代後半ではあるが、実際は数百年生きる“魔女”だった。それが“聖女”と呼ばれているのは可笑しな話だが。


皇帝は、エーデルシュタインが“魔女”であることを知りながら国に留めた。国の繁栄の為に。

各国の異なる基準で選定される“聖女”とは違い、“魔女”は等しく大国を左右する力を持つ。

しかし、数は少なく、不老不死と云われる程に長く生きる為に転々場所を、国を移して生きている。出逢うことも稀な存在に出逢ってしまえば、一国の主ならば自国の繁栄の為に留めるのは当然だった。

破格の待遇でも高くはない。国の繁栄に力を貸してもらえるならば。

“魔女”であっても、()であることで好色の皇帝はエーデルシュタインを舐めてもいた。女は男には逆らえない、という偏見で。これまで、皇帝と関わってきた女達がそうであったからかもしれないが。

結婚させてしまえば、離れられないとも思っていたのだろう。家族を持った女は家族に尽くす、それがこの国では当たり前だったから。

外見的に歳が合いそうな第三皇子のミヒャエルを“魔女”を縛る贄にしたのだ。留める為なら、世代が変わっても新たな(にえ)を与え続けていくつもりでいるだろう。


エーデルシュタインもその目論見には気付いていて、付き合っている。いつまでかは彼女の気分次第。

長く生きている中の、気紛れ。暇潰し、とも言える。


勿論、全て皇帝の願いのままではない。

エーデルシュタインから、結婚に関しては条件を出していた。


一つ目は、伴侶とする者が浮気をしないこと。

婚約をした瞬間から、許しはしない。

「妾が国に奉仕するのだから、身も心も妾にだけ捧げる男にせよ」と。

ただ、エーデルシュタインは結婚したとしても関係を持つつもりは無かったので、どれだけ男が我慢出来るかを眺めるだけの余興でしかなかった。

貞操観念の緩い皇室の男ではなく、大人しく聖職者を選んでいれば、問題は無かっただろう。


二つ目は、一つ目を反故にした時、こちらの望むモノを貰う。それがどんなものであっても。

特別欲しいモノは無いが、得体の知れない“魔女”からの脅し。何を望むか解らないのだから、約束をそう簡単には破る馬鹿な真似はしない──と思いたかった。


「人の愚かさばかりを見てきた。信じて裏切られるぐらいなら……始めから信じぬ方が楽、と思おておったというに」


信じ切ってはいなかったが、残念には感じた。


三つ目は、二つ目の後、自分はこの国を去ること。

本来“魔女”は自由なものだ。

気紛れに留まり、気紛れに去って行く。

その国を、人を、救ったとするなら、ほんの少しそれを気に入っただけのこと。

意に沿わず、必要以上に引き留めるなら、国を亡ぼすことも些細なこと。


心残りという程ではない。

ただ、残念に感じ、何れは忘れていく些細な出来事でしかなかった。エーデルシュタインにはその程度の存在。


──の筈、だった。


ラウレンツの寝顔がふにゃりと緩むのを見下ろし、小さな額に手をソッと置く。

もう少し、この成長を見ていたかった。

そんな未練がましいことを思うのだ。


出逢ったのは、五年前。

今よりも小さく、頼りなかった。

兄姉からは可愛がられている様ではあるが、皇室には相応しくないとする母──皇帝が気紛れに手を出した旅の踊り子の子である為に身分の高い皇妃や側妃に疎まれ、他の皇子皇女とは同じ扱いはされていなかった為に引け目を感じていたのだろう。

引き取った皇帝も引き取っただけで、ラウレンツには興味が無く、視界にも入れない。

侍従達も大半が彼をいないものとして扱っていた様に見えた。少ない、彼の人となりを知り従う者がいたのが救いだろうか。不自由がない様に、兄姉から必要な物を与えられていたことも。


そんな折、皇宮に暮らし始めたエーデルシュタインは格好の遊び相手だったのだろう。

偏見の目で自分を見ず、いないものとして無視もしない。

知らない国の外の世界や自分の悩みが些細なことにも思える壮大な実話を聞き、少しずつ前向きに考えられる様になり、明るく笑う様にもなった。

今では自己主張をし、兄姉を通して政に関わり、剣の鍛練も始めた。

甘えん坊なところはあるものの、同年代の子供と比べてもしっかりしてきた。

その頑張りは全て、自分を変える切っ掛けとなったエーデルシュタインに一人の男として見てもらいたいという特別な感情から来るものだとは誰も知らない。

──知らなかった、というべきか。


まさか、求婚して来る程になっていたとはエーデルシュタインも思ってはいなかった。


「主は良い男になりそうじゃな。妾には勿体無いぐらいの……」


額に置いた手で前髪を避け。


(はよ)う大きくなれ、ラウレンツよ」


──唇を落とす。


「…………お前もこうだったのか?妾がこの幼子に感じた様な温もりを、あの()に感じたか?我が、王よ」









その夜を最後に、“聖女”と呼ばれた“魔女”はこの国から消える。




夜会も終わりを迎え、皇帝が言葉を述べるところだった。エーデルシュタインが再び大広間に姿を見せたのは。

情事も済ませたのか、ミヒャエルも何食わぬ顔でそこに戻っていたのを確認した。


皇室の者に用意された席のある場所へと続く階段を上り切り、そして振り返る。


「今宵が最後の宴、最後の晩餐となったが、(みな)は楽しめたか?」


高らかに言うエーデルシュタインに大広間はざわついた。

皇帝は努めて冷静に返したが、嫌な予感はしている様で表情には出てしまっていた。


「最後?どういうことだ?エーデルシュタイン」

「約束を違えたからのぉ。妾は出て行く」

「違えた?」

「主の愚息に聞いてみよ。先程までご令嬢(おなご)と睦み()うてたぞ?」

「っ…………」


エーデルシュタインが“魔女”と知るのは皇帝だけ。

他の皇室の者は自分達の知る彼女とは違う雰囲気で話す姿に呆然としていた。

そして、不快感を示す。


ラウレンツには“魔女”としての態度で接していたが、あれは懐いてくる幼い皇子を鬱陶しく感じた時期があり、突き放す為に見せたから。残念ながら効果は無く、ラウレンツからしたら自分にだけ見せてくれる彼女の素だと反対に喜ばせてしまった。“聖女”ではなく“魔女”だとも話し、何百年も生きている(ババァ)だと言っても。


この場にいる皇子達の反応が普通、なのだ。


「ミヒャエル!」と声を荒らげる皇帝に、ミヒャエルは自分は悪くないという顔をした。


「父上。そんな“聖女”とは名ばかりで何もしていない、国費を浪費しているだけの女に何故固執するのですか?そんな女を愛せません。私は、国を想い、民を愛してくれる優しい……ノーラの様な女性が良い」


名を上げたノーラという女が情事の相手か。

真剣に言っている様だが、茶番にしか見えずエーデルシュタインは笑ってしまう。


「何が可笑しい!」

「いやぁ、可笑しいじゃろう?国を想い、民を愛するのは本当だとして。男に求められてか、自分からかは知らんが……皇宮の庭で悦んで股を開く品性の無い獣同然の女を愛していると言うのだ。まぁ、男の方も只の獣の様じゃから、お似合いといえばお似合いか。妾も獣とは一緒にはなりとうないから、そちらに引き取ってもらえるなら有り難いことよ」


大広間にいた者にも聞こえる声で、笑う。

よく見たら、一人の令嬢が顔を真っ赤にして小さく震えながら、こちらを見ていた。あの娘か、と他人事の様に思った。

ミヒャエルもまた顔を赤くし、今にも掴み掛かって来そうな怒りを纏った表情をしていた。

まだ、掴み掛かって来ないだけ理性的ということか。


「ふむ……少しは考える頭はある様じゃな。話を戻すが、妾は国を出て行く」

「なら、さっさと出て行け!」

「口を挟むでない、童子」

「わらっ……貴様、不けっ」


不敬、と言う前に殴り飛ばした。エーデルシュタインがミヒャエルを、だ。

母である側妃は叫び声を上げ、息子に駆け寄り。他の皇室の女達も各々叫び声を上げて、自身の夫や息子、侍従に身体を寄せた。


「“魔女”には、主らが勝手に定めた法など関係無いわ」


“魔女”?と口々に飛び交うが、気にはしない。遮られなければ。


「“魔女”との約束事は絶対。違えたのだから、代償は払ってもらったぞ?妾がこの国に来てから奉仕し続けてやったというに」

「奉仕?あなたは何もしていないだろう」


一歩前に出て来たのは、皇太子アレクシスだったか。

皇帝は何も教えていないのだな、と黙ったままいる皇帝に視線だけを向けた。


「言うてくれる。妾はベッドに寝ながらでもこの国程度なら守ってやれるぞ。現に妾が来てからの五年は他国からの侵略も魔獣による被害も無かったじゃろう?」

「それは、我々や我が国の“聖女”である第一皇女(いもうと)の力だ」

「無知とは罪よのう。只の光しか操れん小娘が“聖女”とは笑わせる」

「侮辱する気か!?」


確かに第一皇女には他者より強い光の“魔力”がある。

基準の無い“聖女”がどんなものかは長く生き、幾人もの“聖女”と呼ばれた女達を見てきたエーデルシュタインにも未だに解ってはいない。

だが、かつて“聖女”と呼ばれた彼女からしたら、第一皇女の力は所詮は只の光でしかなかった。


「いや、只の人にしては良うやっとおるよ」


フッと笑みを浮かべるエーデルシュタイン。


次の瞬間、大広間の窓ガラスが壁と共に吹き飛ばされる。

空を飛ぶ獣の形をした巨大な魔獣がそこから顔を覗かせた。小型のも数十体、隙間から入って来る。


思ったより早いな、とエーデルシュタインは思う。

理性が欠如し、開いた嘴から長い舌と大量の唾液を垂らしていた。


「エーデルシュタイン!」

「声を荒げるな、皇帝。言うたじゃろう。約束が反古になった時点で妾が主らを守ってやる義理は無い。護りも当然解く」

「貴様が呼んだのではないか!?“魔女”がっ」

「あんな理性の無いもん呼べんよ。夜会には悪意や欲が渦巻いておるからの。“魔”を引き寄せるには十分じゃ」


夜会の中でも皇室が主催したものなら、それはより多くの、大きいな感情となり生み出される。“魔”の付くモノが好む“(ケガレ)”となって。


こういうモノを国に入らせない様にしていた。護りという名目で、エーデルシュタインの“魔力”を国内に散らして。

だが、無くなれば、入って来る。

しかも、夜会という“(ケガレ)”が大量に生み出される時と重なれば、呼ぶ必要など無く、自然とやってくるのだ。


「精々、生き残れるよう頑張るのじゃな」

「手は貸してくれぬのか?」

「主の愚息が言うてたじゃろう?妾には優しさなど無ければ、この国も、民も愛してはおらぬからのぉ」


皇帝はミヒャエルを睨み付ける。馬鹿なことを言ってくれた、と思っているのだろう。

ミヒャエルも顔色が悪い。


この国は、強くはないが魔法を使える者が多くいる。同時に剣も握ることから、魔法騎士と呼び、国力となってきた。

第一皇女がそうである様に、皇帝も、皇子達も魔法騎士である。


が、ここに現れた様な巨大な魔獣を相手にしたことはなかった。数も二、三体はあるが、数十は多過ぎた。

相手をしたことがあるとしたら、“聖女”である第一皇女だけだろう。

その第一皇女は、現在ある国の王族との婚約婚姻の話をする為に国の主戦力たる騎士団を率いて出向いており、不在。

それだけの戦力を連れて行かせたのは、国にエーデルシュタインがいたからだ。


浅はかな皇帝も周囲も、こんな事態になるとは思っていなかった。


背を向け、去って行く“魔女”を留める術は無い。

無いが、悪足掻きの様に……。


()()()がまだの筈」


彼女の望むモノを渡すこと。

まだ、何も渡していない。と皇帝は思った。


「いや、もう貰った」

「嘘を吐くな。私はまだ渡していないぞ」

「“魔女”は嘘を吐かぬよ」


口角を引き上げ、宛ら物語で描かれる“魔女”の様に、人を嘲る様に嗤う。


いったい何を……?


皇帝が目を見張ったが、大広間の騒ぎは大きくなっていく。

魔獣をここで片付けなければ、次は街へと向かうだろう。すでに街で暴れているモノもいるかもしれない。

皇帝であると同時に騎士でもある男も、剣を携え“魔女”に背を向けた。

指示を出す姿を見た後、また一つ笑いを零して消えた。




街でも暴れる魔獣はいたが、幸いと言えたのは誰一人、死者も──怪我人さえいなかったことだった。


一番の被害は皇宮だが、建物だけ。

休んでいた侍従達も起きて混乱していたというのに、末の皇子は朝、侍従が周章てて無事を確認しに来るまでぐっすり眠っていた。

不思議なことに、皇宮は至るところがボロボロになったが、その部屋と周囲だけは魔獣が近付いた痕跡さえ無かったのだ。


「みんな、騙されたんだよ」


エーデルシュタインが去ってしまったことを知ったラウレンツは哀しみながらも、兄達から昨夜の出来事を聞き、言う。


「エーデが言ってた。“魔女”も人だから嘘を吐くんだって」


何処までが嘘かはラウレンツにも解らないが、幾つかの嘘があることは解った。


国を想ってはいなくとも、気に入ってはいた。

民を愛してはいなくとも、死んで良いとは思ってはいない。


優しさは──優しい人だけ、優しさを返すだけ。


そして、何も貰わずに去った。

“魔女”は気紛れだから、口で約束しただけのことに、何かを求めるかはその時の気分次第。

別に、彼女は欲しいモノは無かったのだろう。


「エーデは嘘吐きだよ」


試す様なことを言いながら、きっと誰も死なせる気はなかった。

ラウレンツは、自分が朝まで何事も無く眠れたのはエーデルシュタインの加護だと思った。

他の者達にも怪我一つ無かったのは、彼女の加護だ。

国を守って来た力を人に移しただけ。


去ったのは本当だろう。

二度とこの地を踏む気は無い気がした。

だから、加護はこれが最後だったかもしれない。


縁は、無くなってしまったかもしれない。


「嘘吐きだから……ぼくが、嘘吐きじゃなくしてあげる。“魔女”になるしかなかった、ぼくの“聖女”様」


ラウレンツは自身の胸に手を当てる。


只の口約束でしかないとしても、ぼくは本気だよ、と何処かに消えてしまった彼女に想う。


本物の、“聖女”である“魔女”との()()は絶対だから。









「さぁ、後何年待つことになるかのぉ」


悠久では無くとも、時間など幾らでも待てた。

ただ、“魔女”は退屈を嫌う。


──のだが、風に乗り漂う面白い“力”の痕跡を見付け、クックッと喉を鳴らす。









【“魔女”と呼ばれた“聖女”】






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