自称天才怪盗クロカゲだけが知っている(オリジナル版)
(はじめに)
「第4回 小説家になろうラジオ大賞」参加用に書かれた同タイトル超短編の、1000文字化される前のオリジナル版です。
2分で読むことはできませんが、よろしければお楽しみください。
自称天才怪盗クロカゲだけが知っている
☆
薄暗い部屋の中、男は一人ゆったりとソファに身を沈めていた。
彼の名は「クロカゲ」。
自称、天才怪盗である。
それはあくまで自称にすぎない。
だが──
彼はまぎれもなく本物の、天才であった。
部屋は、彼のコレクションルームだった。
次に迎え入れるべき“獲物”について、クロカゲは静かに思考を巡らせる。
「ネトレの『眠れる乙女』──か」
フィルマー・デ・ネトレ作「眠れる乙女」。
数億円以上とも言われるこの中世の少女画は現在、富豪として知られる広屋敷剛貞氏が所有しているはずだった。
「まずは予告状からだ」
クロカゲには怪盗としての美学があった。
ただ盗めばいいというわけじゃない。
あくまでもフェアに。そして華麗に。
予告状を送り、その予告通り正面から堂々と獲物を奪い、皆の前にその姿を現した後、不敵に、鮮やかに逃げ去る。
盗む、という行為に対し、あまりにもリスキーな所業と言える。
怪盗とは、実に因果な人種なのである。
「期日は──2月の23日」
だが。
彼にはそんな心配は杞憂であった。
なぜなら──
彼は天才だから、である。
予告状を送るのに、そして犯行に最適な日時を、彼は瞬時に導き出すことが可能だった。
一切足がつかない、まったく痕跡を残さない、誰にも悟られることのない、
自分に極力リスクのない、最も安全で確実な方法が、彼には判っていた。
クロカゲの頭の中には膨大な知識と情報がつまっていた。
必要なそれを一瞬で引き出すことが可能な驚異的な思考力を持っていた。
それを実行するに足る、超人的とも言える身体能力とテクニックを持っていた。
天才だから、である。
結果──彼にはあらゆる状況が計算できた。
物事の先の先を読むことが可能だった。
警察がどれほど強固な警備を行おうとも、それをかいくぐり盗み出すなど、彼にとっては実に容易なことだった。
どれほど広大な捜査網が張られようとも、彼を捕らえることはおろか、その正体に近づくことさえ出来はしなかった。
どれほど警察が優秀であろうと、
どれほど彼らがやっきになろうと、
彼の思考はその遙か先を行く。
クロカゲを止めることは何者にも叶わなかった。
彼は、天才なのだから。
☆
──ひとつだけ、懸念があった。
「シロガネ──か」
名探偵、白銀輝。
全ての迷宮を白銀の光で照らす、と謳われるこの青年もまた、まぎれもない天才であった。
自称天才怪盗のクロカゲが、それを認めざるを得ないほどに。
名探偵シロガネは現在、英国にいるはずだった。
たかが怪盗の予告状ひとつで、あるいは偶然にも帰国してくる──などという確率は決して高くない。彼が脅威となることなど、本来ならばほぼあり得はしないだろう。
だが、それを計算に入れないわけにはいかなかった。
完全なる犯行こそがクロカゲの美学である。
犯行は確実に。慎重に。
決して失敗は許されない。
決して油断はしない。
クロカゲは天才だが、傲ることはなかった。
何より──この名探偵に、彼はこれまでにも何度となく、苦汁をなめさせられていた。今一歩というところで、たった1人の名探偵によって、犯行を阻止されてしまっていた。
無視することなどあり得ない。
名探偵シロガネ。
決して甘く見てはならない男だ。
だが──
今回はそうはいかない。
いつまでも敗北したままでいるなど、彼のプライドが許しはしなかった。
クロカゲは、天才なのである。
「さて──お手並み拝見といこうか。名探偵」
☆
「──バカな」
またしても失敗だった。
脳内シミュレーション252回目。
見事犯行に成功したかに思えたクロカゲ。だがその正体に、名探偵は実にあっさりとたどり着いた。
恐るべし、名探偵シロガネ。
彼の思考と行動パターンを計算し、その裏をかこうとも、彼はそのさらに裏をかく。
先の先を読んだつもりが、さらにそのほんの数歩先を、彼は読んでいる。
犯行は失敗に終わっていた。
全て、阻止されてしまっていた。
仮にどうにか成功することがあっても、最終的には今回のように自分の正体に気づかれてしまう。それでは何の意味もなかった。
犯行は──完全に。
確実に成功させなければならない。
無論、これら全ては彼の脳内で行われている単なるシミュレーションにすぎない。現実ではなく、空想の産物だ。
この通りになるとは限らない。
実際には、彼の犯行はあっさり成功するのかもしれない。
そもそも、現実のシロガネはそれほどの天才というわけではなく、天才であるクロカゲの思考が彼を勝手に過大評価し、必要以上に天才的かつ絶対的な名探偵として君臨させてしまっているだけなのかもしれない。
全ては杞憂なのかもしれなかった。
だが──可能性はゼロではない。
彼が想像した以上、
それは起こり得る事象なのだ。
たかをくくるわけにはいかなかった。
クロカゲは、天才なのである。
目を閉じ、彼は再び静かに思考を巡らせる。
そして──
☆
シミュレーション回数は4桁を越えた。
ダメだった。
ありとあらゆる方法を試したはずだった。持ち得る全ての手を尽くしたつもりだった。
だが何度繰り返しても、全てが名探偵によって阻まれてしまう。
恐るべきは名探偵シロガネか。
あるいは──それらを全て読み切ることができるクロカゲこそが、なのか。
静かに、時が流れていた。
しばしの、長い沈黙。
そして、
「──やむを得ない、か」
彼はふぅ、と重い息をついた。
クロカゲは天才である。
故に──退くべき時を知っていた。
相手の力量を認め、時にそれに屈する潔さを持っていた。
「今回の勝ちは君に譲るとしよう。名探偵」
脳内にあった今回の犯行計画の全てを、彼は白紙に戻した。
完全成功の保証がない以上、
これは行うべき計画ではない。
それが彼の結論だった。
犯行は完全に。
それがクロカゲの美学なのである。
「だが──今回だけだ」
あきらめたわけではなかった。
いつかは──いや、
次こそは必ず。
天才クロカゲは誓うのであった。
部屋に明かりがついた。
ここは、彼のコレクションルームである。
広い部屋は……がらんとしていた。
何も、なかった。
彼の迎えるべき“獲物”はまだ、ただの一つとして、そこに並んではいなかった。
クロカゲは天才である。
まぎれもなく本物の。
だが、天才であるが故に──彼の先の先を見通す天才的思考は名探偵シロガネの存在を無視できず、自らの空想が生み出してしまったその“可能性”によって全てを阻まれ……犯行は中止に追い込まれていた。
これまで全て。
彼の犯行が行われたことはない。
ただの一度たりとも。
予告状の1枚も、出されてはいない。
自称天才怪盗クロカゲ。
彼はまぎれもない天才である。
だが、天才であるが故に──
彼は未だ、
“自称”怪盗のままである。
怪盗クロカゲ。
その名を知る者は、まだ誰もいない。
(作者よりもう一言)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
というわけで。
オリジナル版をお送りいたしました。
いくらか長くはなってしまいましたが、その分、中身はより濃く詰まったものになっていると思います。たぶん。
完成版との差異などもお楽しみいただければ、幸いです。