後編
そんな、ある日のことだった。
いつものように新高君と待ち合わせて、教室を出ようとしたそのときに、わたしの前に立ちはだかるひとりの女の子がいた。
「あの……?」
そこ、通してほしいんだけど。そう言おうとしたとき、彼女が言った。
「あなた、B組の徳井さん、だったかしら? あの、みかん研究会とかいう、おかしな部活? 集会? を立ち上げた……」
「『みかん同好会』です!!」
細かいことかもしれないけれど、大事なとこである。みかん同好会。みかん好きの、みかん好きによる、みかん好きのための同好会。これを忘れてもらっちゃ困る。
「あ、そう……それは、わりとどうでもいいんだけど」
心底どうでもよさそうに吐き捨てる。なに、この女、なんかむかつく!!!
「わたしは1年C組の織野萌々香。ダンス部のマネージャーをしているの」
はあ。その、ダンス部マネージャーさんが、うちみたいな『学校非公認』のみかん同好会に何の御用で?
「新高君のことなんだけど」
へ??? 新高君???
「新高君、うちのエースなのよ。あなたは知らないかもしれないけれど、あの手足の長さとキレッキレのダンスは、うちの部でも人気があってね。ほら、最近は、ダンスの大会も近いでしょう? だから、こんなおかしな活動に関わるのはやめて、大会の練習に集中してほしいのよ」
知らなかった。新高君が、ダンス部のエースだったなんて……。
「迷惑なのよ」
低い声で、萌々香が言う。有無を言わせない口調だった。
つまり、わたしに身を引け、と。そう、彼女は言っているのだ。
「それに、ももか、みかんより桃が好きなのよねえ」
そう言うと、萌々香は、桃の素晴らしさについて、延々と語り始めた。
「モモ――漢字では『桃』と書く。英名はPeach。バラ目バラ科モモ属。中国原産。元来、古代中国では、桃には長寿の効果があると考え、薬として使っていた。日本では縄文時代から既に種が見つかっているが、主に食用として本格的に栽培が始まったのは江戸時代から。明治時代に入り、中国から水蜜桃が輸入されるようになって、それを品種改良したものが現在一般に流通しているさまざまな桃の原型といわれる。果肉の色によって、白桃(白肉種)と黄桃(黄肉種)に分けられ、日本では白桃、ヨーロッパでは黄桃が多く栽培されている。白桃は果汁がたっぷり含まれ、柔らかいため主に生食用に、黄桃は硬く酸味が強いため、主に缶詰などの加工用にされる。旬は、極早生が5月下旬~7月上旬、白鳳種が5月下旬~8月中旬、白桃種が7月中旬~8月中旬と、主に初夏から夏にかけて収穫されることがほとんど。ちなみに、ハウス物は少し早くて5月~6月中旬である。美味しい桃の選び方は、ふっくらとした丸みがあり、うぶ毛がまんべんなく生え、キズや凹みがないものが良い。縦に入った線が深くなく、その線を中心に左右対称のもの、また、皮が柔らかく、水分を多く含んだものがよりおいしいとされる。皮の色はピンクよりも全体的に紅色で色づき、黒ずんでいないもので、下の方は青みがかってなく、白くなっているものがよい。色の濃い部分に白い斑点が出ていると、より甘味が強いといわれる。桃は基本的に常温で保存すること。未熟な桃を冷蔵すると、そのまま傷んでしまうため、未熟で硬い桃は新聞紙などに包み、風通しのよいところで保存する。1~2日ほど置いておくと、熟して柔らかくなる。冷蔵庫で保存したい場合は、きちんとラップで包むか、少し空気を含ませたポリ袋に入れ、野菜室で保存するとよい。柔らかく熟した桃は傷みやすいので、早めに食べること。また、桃は冷やし過ぎると香りや甘味が落ちるため、食べる2~3時間前に野菜室に入れるとよい。生食はもちろん、コンポートやジャム、タルトにしてもおいしい。また、ピューレにしたものは、ムースやシャーベットにも適している。甘味が強い割には低カロリーで、甘味の素となる果糖(フルクトース)は桃の主成分を占めており、すばやくエネルギー源になるほか、疲労回復作用のあるリンゴ酸とクエン酸も多く含むため、夏バテ時にはもってこいの果物となっている。桃にはペクチンなど、水溶性と不溶性の両方の食物繊維が豊富に含まれており、便秘解消や肌荒れ改善にも効果的である。腸の環境がよくなると、コレステロールや余分な老廃物も排出されるため、動脈硬化や糖尿病の予防効果も期待できる。また、カテキンやカリウムが豊富に含まれており、カテキンは脂質の酸化を防ぎ、血圧や血糖値が上がるのを抑制する。カリウムは必要量摂ることによりナトリウム(塩分)の排出を促し、血圧を下げる働きがあるため、高血圧予防にも効果的だ。長時間の運動による、筋肉の痙攣などを防ぐ働きもある。逆に不足すると、筋肉が弱ってくることもある。冷え性を改善する鉄分やマグネシウムも含んでいる。桃に含まれるイノシトールにはコレステロールを下げる効果がある。イノシトールは水溶性のビタミンで、脂肪の代謝を促し肝臓に脂肪が蓄積するのを防ぐ働きがある。そのため、肝機能を強くする効果も期待できる。近年の研究により、桃にはインスリンの働きを高める効果があることが分かっており、糖尿病を予防する効果も期待されている――いやあ、桃って、奥が深いわね!」
まるで図鑑の説明文をそのまま持ってきたような長台詞。よくもまあ、あれだけの長文を、一息に喋れたものである。
ほら見なさいよ。喋り終えて息切れしてるじゃないの。
「と・に・か・く!! おかしなことに新高君を巻き込むのは止めてちょうだい。大事な時期なんだから。頼んだわよ」
萌々香は、それだけ言うと、もう用はないとばかりにそそくさと去って行った。
でも、そっか。
新高君には、ダンス部がある。それもエースで、部では重要な存在だ。おまけに大会も近い。わたしと、みかん談義で盛り上がっている暇なんて、ないはずだった。
やめよう。みかん同好会。そうだ、そのほうがいい。
もともと、わたしと新高君のふたりだけの活動だ。なくなったって誰も困ることはない。第一、新高君にこれ以上迷惑をかけたくなかった。
「……そっか。わかったよ」
新高君は少し寂しそうにしていたけれど、それなら、と納得してくれた。
それからというもの、わたしたちは、ほとんど会話を交わすことがなくなった。
新高君がダンス部の大会練習で忙しいというのもあるが、もともと彼とは別のクラス。授業が重なることもなければ、登下校の時間もバラバラで、家も反対方向。たまに廊下で顔を合わせても、萌々香や取り巻きたちの視線が気になり、軽く会釈をするだけで、ゆっくり話なんてできなかった。
本当は、もっと新高君とお話がしたい。みかんのこと、また一緒に語り合いたい。せっかく見つけたオタク仲間なのに。これっきりなんて寂しすぎるよ。
……クスクス。徳井さん、またひとりぼっちになっちゃったね。
……ふん。いい気味よ。
……大体、みかん研究会なんて、そんなの、誰も興味示さないっつーの。
……いままで相手にしてもらってただけマシよねー。ほら、新高君って優しいから。
廊下を通るたびに、萌々香と取り巻きたちがささやく声が聞こえてくる。いやだ。聞きたくない。わたし、本当に同情されてただけなの?
新高君は、みかんのことを熱く語るわたしをおもしろがって、ただ愉快そうに見ていただけなのかな……?
信じたくないけれど、信じずにはいられなかった。
いや、ちがう。ここは、ちゃんと本人に確かめるのだ。会って、直接聞いてみたい。新高君は本当にみかん好きなのかどうか。そう思ったら、次は早かった。
わたしは、早速、その日の放課後、ダンス部が公式の練習の場にしているレッスン室へと向かった。一面鏡張りのその部屋は、鏡に向かって踊れば、自分が踊るときの姿を客観的に見ることができる。ダンスやバレエの練習にはうってつけの部屋だった。
「あれ。徳井さんじゃない? なんでいるの」
「ちょっと萌々香、どういうことよ。きつく口止めしたんじゃないの!?」
「わたしだって知らないわよ! なんで来たのよ、あの女!!」
萌々香と取り巻きたちは何か言ってるけれど、気にしない。わたしは、まっすぐに新高君のもとへと向かった。
「徳井……? どうしたんだ?」
「新高君、話があるの」
萌々香も取り巻きもどうだっていい。わたしは新高君に話があるのだから。あのことを、きちんと確かめなければ。彼が、みかんを本当に好きなのかどうか。
「新高君、待って!!」
萌々香が、慌てたように駆け寄ってくる。なによ。今更言ったって遅いんだからね。
「新高君……本当のことを聞かせてほしいの。わたしだって疑うのは嫌だけれど、どうしても、って言う人もいるから。新高君は、本当に、みかんが好きなんだよね?」
わたしは信じたい。彼は、真のみかん好きだと。だから、同好会にも入ってくれた。わたしをからかうためとか、おもしろ半分で言っているのではなく。
「け!!! な~にが、『みかん同好会』よっ。新高君が、みかんを好きなんて、そんなことあるわけないじゃないの。新高君は、ピンクでまるくてふわふわして可愛い桃が好きなのよ! ほら、ももかみたいにね!」
……まだ言ってるし。桃の話はもういいってば。
「ね?? 新高君、みかんだよね?」
「何言ってるのよ! 桃よ、もも!!」
「みかん!!」
「もも!!」
「みかん!!」
「もも!!」
端から見れば、なんともどうでもいい話である。遠巻きに、他の部員たちが白けた目で眺めているのが見えた。
「え……っと、ごめん。実は、俺、みかん派でも、もも派でもないんだ」
「ええっ!?」
ど、どういうことなの!?
「うーん……どっちも好きっていうか……どっちも好きじゃないっていうか……しいて言うなら、梨派、かなあ」
「な、な、な、梨ぃ!?!?」
「そ、そんなのって……アリ!?」
「いや、ナシだ」
……ああ、梨と無しを掛けてるのね。って、そんなことはどうでも良くって。
「新高君、みかん好きじゃなかったの!?」
「いや。別に……」
「じゃあ、なんで『みかん同好会』なんて入ったのよ!!」
「そうよっ。なんで『みかん研究会』なんかに……」
あれほどいがみ合っていたはずのわたしと萌々香の意見が、珍しく一致した。
「いやあ、なんでっていうか……徳井が……徳井さんが、新しい部活を立ち上げたっていうから。これをきっかけに、少しでもお近づきになれたらなあ、って」
顔を赤らめ、急にもじもじし出す新高君。これって、まさか。
「最初から、徳井さんが目当てだったってことぉ!?」
「……まあ、そういうことになるかな」
新高君は、あっさりと白状した。
「そ、そんなぁ~」
放心したように倒れ込む萌々香を、取り巻きたちが、慌てて駆けつけて支える。それで彼女たちに抱えられたまま、更衣室のほうへと引っ込んでいった。
だけど、知らなかった。新高君が、まさか、みかんではなく『みか』――つまり、わたしが目的で入部しようと思ってたなんて。
「もしかして、引いた?」
新高君に聞かれて、慌てて首を振る。
「そんなことない。でも、どうして? どうして、わたしなんかを? わたし、みかんオタクだし、みかんのことになると熱く語りすぎちゃうし、逆に言えば、みかんのこと以外は何も興味がないような女の子だよ?」
こんなみかんオタクのわたしを、好いてくれる人間なんて誰もいないと思っていた。どうして、新高君は好きになってくれたのだろう。
「……中学の頃さ、道で捨てられている仔犬を拾ったこと、あるだろ」
ある。
あのときは、どうしても可哀想で、見捨てておけなかった。堪らずに拾い上げて、家に持ち帰ったのだ。それで家族とも相談の結果、うちで飼うことになり、いまでは我が家の大切な家族の一員だった。名前は、蜜柑の『柑』を取って柑太郎。ちなみに、うちの家族は全員、筋金入りのみかん好きだ。
だけど、そのことを、どうして新高君が知っているのだろう。新高君とは、確か、中学が違ったはず。なのに、なぜ知っているの?
「母親に、塾の送り迎えをしてもらっているときに、たまたま通りかかった。あの仔犬が忘れられなくてね。君を見かけたときは、なんと優しい子なのだろうと思ったよ。気づいたら、俺の心の深いところに、君がいた」
そのときは、まさか同じ高校に進学しているとは思わなかったそうだが、わたしが『みかん同好会』を立ち上げたと知って、居ても立ってもいられなかったのだという。
「チャンスだと思ったよ。ひょっとしたら、これでお近づきになれるかもしれないってね。まあ、君は、俺のことなんて覚えてもいないだろうが」
覚えてない……というか、気付いてすらいなかったけれど。
「だから、君から同好会の活動をやめると聞かされたときは、ショックだった。もう君と会えない。話すこともなくなるんだろうと思って」
「でも、それは……」
「わかってる。俺の、ダンス部の大会が近いから、影響が出ないようにって気にしてくれていたんだよな」
やっぱり優しいな、と新高君は愛しそうに笑う。
「だったらさ、大会が終わったら、また、前みたいに俺と話してくれないか? 君と他愛もないことでおしゃべりをするのが、俺の、何よりの幸せなんだ」
「もちろん!!」
わたしだって、新高君とおしゃべりするのは楽しいよ。
新高君を『どっちかというと梨派』から『真のみかん好き』にすることが、いまのわたしの目標なの。
絶っっ対に、みかんのこと、もっともっと好きにさせてみせるからね。
そして……あわよくば、みかんだけじゃなくて、わたしのことも好きになってくれたら、と思っている。世界で一番好きだよ、新高君!
みかんよりも、桃よりも、もちろん梨よりも愛してる!!
ちなみに作者は、どっちかというとリンゴ派です。リンゴおいしい。
参考:
『旬の食材百科辞典』
https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/
『わかさの秘密』(わかさ生活特設サイト)
https://himitsu.wakasa.jp/
『農林水産省』 (消費者相談・過去の相談事例より)
みかんにはどんな栄養があるのですか。また、おいしいみかんの選び方や保存方法についても教えてください。
https://www.maff.go.jp/j/heya/sodan/1801/02.html
『CEZARS KITCHEN』
https://www.cezarskitchen.com/ja/みかんの栄養と効能/
『From Food 食品食材栄養事典』(桃の基礎知識)
https://from-food.com/3756/




