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37:暴走する劣等感

 その日の午後、二葉製薬から少し離れたとある玩具メーカーの一室。数人の社員が仕事に勤しむ中、一人の男性が背筋を伸ばす。それは石橋だ。

 石橋は意気揚々とした様子でパソコンを操作し一通のメールを送信した。企画書のファイルが添付された上司へのメールだ。

 彼は今までとは違い清々しさすら感じられる笑顔だ。付き物が落ちたような、卑屈さの消えた雰囲気に周囲も不思議そうに彼を見る。

 当然彼の上司、部長の男性も驚いている。


「珍しいな石橋。今回は余裕もって提出してくれたじゃないか」


「なんだか調子良くて。ちょっと張り切りました」


「そりゃ結構。なんか顔つきも変わったな」


「ちょっと、アドバイスを貰いまして」


 そんな微笑ましい空気をぶち壊すように、若い男性がぼやく。


「佐竹課長がいないからじゃないですか」


 小さな声だったが、それは石橋の耳に届いた。いや、むしろ彼だからこそ聞こえてしまったのかもしれない。


「佐竹……」


 ふと空いている席を見る。そこにいるはずの男が、自分よりも年下なのに出世していく輩がいない。

 思い出すのは血塗れになり無様に逃げ回る佐竹の姿だ。

 ふと笑みを溢す石橋。彼の様子を知らず、部長はパソコンを眺めていた。


「企画書はチェックしたら次の会議に回しておく」


 どうせゴミみたいな企画だろうがな。


 そんな幻聴が胸に刺さる。脂汗が滝のように流れ視界が揺れる。

 心が揺れる中、必死に理性を繋ぎ止める。気のせいだ、自分の卑屈さが生み出した幻だと。


(思い出せ、俺は変わるんだ。あの頃のように、弟を喜ばせていた時に戻るんだ)


 それでも残酷な幻影は石橋の心を傷つける。


 何あれ、キモ。チョーシこいてダサいんだけど。

 仕事もプライベートも負けてんのに。情けない。

 勝ってんの腹と脂肪だけじゃん。

 やる気出して息荒げて、臭いんだよなぁ。


 女性が嫌悪の視線を、男性が嘲笑の視線を向けている……ような気がする。

 ゆっくりと手が懐のアンプルに伸びる。今世間を騒がせている魔薬、勇者ドラッグに。


(違う、もう薬に頼らなくていいんだ)


 消えろ。視界に入るだけで不愉快だ。

 使えないくせに。仕事の邪魔なんだよ。


 聞こえる幻聴を必死に否定する。自分を保とうとする。


「てゆーか、課長より石橋さんが魔物に襲われた方が良かったですよね」


 そんな石橋の心に本物の刃が届いた。

 若く化粧の濃い軽薄そうな女性社員の言葉に部屋が凍りつく。


「田中君、社会人として今の発言はあり得ないぞ」


 部長が静かに諌めるも、田中は自分が正しいとばかりにキョトンとしていた。


「でも事実じゃないですか。ねぇ? みんなそう思っているでしょ? 部長だってそっちの方が良かったはずですよ」


 周りは気まずそうに口を閉ざす。例え思っていたとしても、こんな公然で言う言葉ではない。彼女の言動に誰もが呆れていた。


「……まだ学生気分が抜けないのかな田中君」


「私は事実を言ってるだけですー」


「後で話がある。鈴木君、教育担当として君も同席してもらう」


 田中の隣にいたアラサーの女性が縮こまる。


「ハァ……。気にするな石橋。むしろやる気になって私は嬉しい…………石橋?」


 石橋の様子がおかしかった。身体は震え、拳は血が出る程強く握っている。

 流石に異常を察知し、隣の男性社員も話し掛ける。


「石橋さん、大丈夫ですか? 俺の声聞こえてますか?」


 身体を揺するも反応は無い。誰もが嫌な予感がし、田中を睨む。お前が余計な事を言うから、そんな言葉が視線に混ざる。

 だが事態はそんな小さな事で終わりはしなかった。


 地獄の始まりだ。


「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 腕を振り回し獣のような雄叫びを上げる。石橋の心は、人としての想いが砕け粉々になる。

 暴れながらもデスクから何かを取り出した。それはバルブの付いたバックル。何人かはニュースで見たのを思い出す。勇者ドラッグを使う道具だ。

 腰に当てると帯が、内側に刺の付いた帯が巻かれる。


「俺を……笑うなぁ!!!」


 勇者ドラッグ、黒い液体の入ったアンプルを射し、バルブを回転させた。


変身(ドーズ)!」


『Reason collapse』


 黒い汗が全身から吹き出す。汗は瞬時に固まり、石橋の身体を黒曜石のような鉱物が包んだ。

 弾け飛ぶ破片。内側から砕くように異形の怪人が産まれる。


『Weak, now is the time to hold the blade』


 剃刀を重ねたような身体。刀を指先に着けた長い爪。笑顔を逆さまにした白い仮面。アディクショナー。勇者ドラッグによって変身した怪人だ。

 どよめきが室内を満たす。


「い、石橋さん……?」


 隣の男性が唖然としていると、石橋はゆっくりと振り向く。


「お前、俺をコケにしたな」


「え?」


「不細工だと言ったなぁ!」


 爪を振り下ろすと、刃が男性の身体を切り裂く。血が吹き出し周囲を真っ赤に染めた。

 響く悲鳴。それが彼らを現実へと引き戻す。

 逃げ惑う人々。悲鳴は隣の部屋にも伝わり、混乱は波紋のように広がる。血の臭いが心を乱し、混沌の渦へと世界が変わった。

 逃げる者と追う者。怪物となった男は笑いながら命を奪っていく。彼の歩く道には血と肉塊へとなった、人間だったものが転がっている。

 外へと我先に人々は逃げる。自動ドアが開き日の光に照らされた時、上からガラスの割れる音が聞こえた。

 その音の主、鉄塊となった石橋が逃げ道を塞ぐように落ちてきたのだ。


「逃げるなよ……なぁ?」


 悲鳴が罵声に聞こえる。怯える顔が蔑むような目に見える。現実と幻の区別がつかない。目に映る全てが自分を嘲笑っているように感じる。


「ひ……」


 尻もちをつく女性、石橋の心にとどめを射した田中の顔が恐怖に歪む。涙に化粧は崩れ、今では彼女の顔の方が酷いだろう。


「田中ぁ、お前俺をさんざん馬鹿にしてくれたな。佐竹は半殺しにしたけど、お前は許さねぇ」


「ひぃ!」


 両手を振り、刀となった爪を一斉に飛ばす。

 その一本が田中の首を切り落とした。刀は彼女だけでなく周囲の人々を切り裂く。一撃で身体を両断された者、手足を切られ倒れる者、そこは血の海と化し地獄が広がっている。

 常人なら発狂するような光景。それなのに石橋は笑っていた。


「ゴミが。俺を馬鹿にするからだ。アハハハハハハハハハ! ……今俺を笑っただろ」


 自分と他人の笑い声の区別もつかなくなっていた。笑うのを急に止め、倒れている男性を睨む。男性は足から血を流し顔面蒼白のまま後退るが、痛みでまともに動けていない。

 頭から叩き潰そうと爪を振り上げるが、その瞬間数発の銃声が割り込んだ。


「!?」


 黒い弾丸が直撃し怯む。何が起きたのか理解する前に、更に銀色の影が石橋を蹴り飛ばした。


「ハッ!」


「うぐぁ!」


 人々の前に二つの人影が降り立つ。蝙蝠の魔女娘と銀色の蜘蛛男だ。


「魔法少女戦隊オルタナティブ所属、メタルスパイダー見参!」


「同じくマリリン!」


 善継と真理が駆け付けたのだ。

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