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神様が愛した世界

作者: 三崎 椋


 雪、と呼ばれた神が居た。

 神社の周りに咲く花にちなんで、誰ともなしにそう呼んでいた。


───────────────────

一、 雪ト藍

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 ひやり。

 そっと足の裏を載せてみれば、柔らかい感触と共に冷たさが伝わってきた。一面に真白な大地が広がっている。真新しい冬の朝だ。

 静謐とした夜が明け、お日様の声を聞いた一匹の狐は歓声をあげて飛び上がる。新雪に小さな足跡がついた。

「姉様、姉様!」

「お早う藍。随分と積もりましたね」

「お早う姉様。今日も早いお目覚めですねえ」

「あら、藍がお寝坊さんなだけですよ。お前も神様見習いなのだから、寝坊をしてお勤めに遅刻などしないように、日頃から心がけなくてはいけないと言っているでしょう?」

「こんな寒い朝は暖かいねぐらから出たくないのですもの。それに、もし寝過ごしそうになっても姉様が起こしてくれましょう」

姉様は私に甘いですから、と藍は笑う。呆れた、と言って溜息をつく姉狐――雪――の毛に、朝日はきらきらと輝いていた。

姉狐はその名の通り雪のような白狐。美しく、清く、気高く、それでいて優しい雪はいつも藍の憧れだった。

「さて、藍。今日は村に降りる日ですが――――今日は大丈夫でしょうね?」

「嫌だな、姉様。もう私も赤子ではないのだから、間違って尻尾や耳を出すなど――」

「そう言って尻尾をひょっこり出したのはどこの誰でしょう?」

「………私、です」

 藍はバツが悪そうに頭をかく。人の住む街に降りるのだから、狐の姿ではまずい。藍も一応人に扮することは出来るがまだ少々落ち着きがなく、美味しい食べ物などに気を取られると文字通り尻尾を出してしまうのだ。

 雪はくるりと宙返りを打つ。宙を舞った狐は地には帰らず、代わりに美しい少女が立っていた。


 長い時を経て、人間はとても賢くなった。仙術が使えずとも道具を使って火を起こすことが出来るし、食べ物を備蓄する方法も、備蓄できるほど多くの食べ物を得ることも出来る。だからこそ、寒い冬でも人間達の村は活気づいている。

「姉様、姉様、折角ですからお昼はきつねうどんにしましょう!」

「狐がきつねうどんですか。お前があまあい油揚げを食べても尻尾を出さないと約束できるなら、良いですよ」

「ぐ……あ、あの油揚げを食べられるなら、私は頑張りますよ!」

 狐が皆油揚げを特別好む、というのは人間の勝手な想像である。油揚げはむしろ苦手だという狐もいるくらいだ。しかし、この藍に限っていえば、狐は油揚げが本当に本当に大好きなのだ。尻尾を出さないように頑張りつつ、味を最大限に楽しもうとしている藍を、雪は半ば呆れながらも微笑ましく見ていた。

 その時。

「おーい、綏がまた大物を仕留めてきたぞ!」

 沸き立つ店の空気に、ちらりと目をやればキジを持った青年が客に囲まれていた。

「僕は独り身ですから、どうぞ皆さんで召し上がってください。いつも良くしていただいているお礼です」

「何を言ってるんだい。今から料理してやるから、あんたも一緒におあがりよ。お世話になっているのはお互い様。いつも新鮮な食材を届けてくれてありがとうね」

 藍は思わず眉を顰めた。先程までの幸せな時間が冷えていくような心地がして、固く掌を握る。食材としてしか見られていないキジを、憐れに思ったのだ。

「姉様、そろそろお暇しましょうか」

「……ええ、そうね。お前がそうしたいのなら」

 手早く会計を済ませ、外に出ようとした二人を、落ち着いた声が引き止めた。

「御二方、女将さんもああ言っていますし、一緒に頂きませんか」

 藍に睨まれて、青年、綏は困ったように微笑んでいる。

「……何か不快な思いをさせてしまいましたか?」

「いえ……あの、お恥ずかしいことですが、私、血が苦手で」

 口を開いたのは、藍ではなく雪の方で。そっと手で制された藍は、渋々言葉を口にのせる。

「………姉様の気分が優れないようなので、少し気がたっていたのかもしれません」

「ああ、これは失礼。配慮が足りませんでした。……確かに、お嬢さんには酷でしたね」

 そう言いながら、吊っていた銃をさり気なく雪達から見えないようにした綏の目は、不思議と澄んで見える。

「君は、お姉さん思いの素敵な子ですね。――家族の事は大切にして下さい」

 (そんなこと、言われなくともわかっている)

 藍は振り返りもせずに立ち去った。すみませんと謝る雪にさえ、苛立ちを覚えずにはいられない。

 (謝るべきなのは彼奴であるはずだ。だのに、どうして姉様が)


どうにも叫び出したい気分だった。




───────────────────

  狐ハ幼キ頃ヲ回想ス

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 思えば、ずっと前から分かっていた。

 あれは何年前のことだったか。師が隠居してからというもの、仙術の手ほどきを受けることも出来ないので、姉様の「実践あるのみ」という一言を信じ、私は村に度々降りていた。

 見聞を広めるために沢山の村を渡った。色々な村があった。働き手の足りない村、逆に多すぎて職にあぶれる若者のいる村……

そして、「軍隊」なるものが発達した村。「軍人」と呼ばれる武器を持った人間は、人をも殺すのだと聞いた。そんな「軍隊」を、自分達を護ってくれると称賛する者はいても非難する者はいなかった。大義の為なら、自分達の為なら殺しをも正当化する人々―――その光景は、幼心にも恐ろしかったと記憶している。「軍人」は皆一様に己の正義を信じきっている様だった。いつも大勢で酒を飲み、大声で話し、食べ物を食べ散らかしていた。

 ただ一人、あの青年を除いて。

 彼は、一人で茶を飲んでいた。若い華奢な男だったと思う。所作も美しく、制服に身を包んでいなければ「軍人」と判らないような男。しかし―――

『……お前、血の匂いがする』

彼からは、他の誰よりも濃い血の匂いがした。

『こら、藍。初対面の方に何て事を。失礼ですよ』

『姉様も感じるでしょう。此奴、人間じゃあない匂いがする』

青年は昏く微笑んでいた。何かを失くしてしまった、空虚な瞳。

『ええ、そうでしょう。人を、殺していますから』


『そんな僕が、人間でいられようか』


彼の姿形はもうよくは覚えていないが、あの空虚な瞳だけは今だに忘れられないでいる。




───────────────────

二、 同ジイキモノ

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 物心ついたときから藍には父と母がいない。家族の呼べるものは雪ただ一人であった。

 遠い昔仙術を教えてくれていた青年も(それが本当の姿であるとは思えないが)、家族というよりは師であった。

「藍? 聞いているのですか?」

「っ、はい姉様。……聞いていませんでした」

溜息をつく姉の顔は優しい。そろそろ迷惑をかけないようにしなければと思いつつ、藍はついついその優しさに甘えていた。

「村に行ってからここ最近随分と塞ぎ込んで。以前は行く前も行った後も嬉しそうだったのに」

「……ええ、すこし、思うところがありましたから」

「成長した証ですね。しかし、このまま人間に腹を立てているわけにはいきませんよ。よく考えなさいな」

「はい、姉様……」

「よくわからないという顔をしていますね。――例えば、私が今のように少女の姿をしていればどう見えますか?」

「姉様は姉様です。どんな姿をしていても、私の大切な家族です」

「人間と私達も、見た目が違うだけで本質的には同じと考えられませんか?」

「同じ、なのでしょうか」

 人の姿になって考えてみても、人間の気持ちはわからない。姉様も、自分も、師である青年も、自分が関わってきたものは誰として人間ではなかったから。

「……私も、かつては人間に反感を抱いていました」

「姉様も?」

 驚き姉の顔を見る。その穏やかな顔が、今の自分と同じ敵意を浮かべていたことがあったとは到底信じられなかった。

「でも、今は、心から彼らを愛していると言えます。きっと、お前にも解る日が来るでしょう。……焦ることはありません」

「今教えて下さればいいじゃありませんか」

 幼い頃から藍の「どうして」攻撃に丁寧に答えてくれた雪は、しかし、慈しむように微笑むばかりでかぶりを振る。


 ざくり。


 藍の思考は、遠くで雪を踏む音に断ち切られた。

「あれは人の足音ですね」

「丁度いい、すこしお話してみればどうです」

「私に断る権利はないのですか。時折姉様は強引でいけない……」

どうせならば一人でいってらっしゃいと言われ、藍は渋々足音の方へ歩いて行った。

 見覚えのある黒髪を見つけて、藍は目を瞬いた。

「やあ、この山に人がいるのは珍しいですね」

「貴方は――」

(あの男じゃないか。確か、名は綏といったか)

「おや、君はもしかしてあの時の?」

「ええ。また会いましたね。この前は失礼しました」

(久方ぶりに会う人間がこの男とは。つくづく運のない)

「この前? はは、可笑しなことを言う人ですね。あれからもういくつか冬を越しましたよ」

「……ああ、私達は色々な地を渡り歩いているので、この山に来るのも 数年振りなのです。確かに、少し可笑しな言い方でしたね。」

全くの嘘ではないが、真実でもない。藍達は神様見習いであって、既に半人前の神である。其の為、一般的な狐はおろか、人間よりも遥かに長く生きることができる。そんな藍にとって、数年前の出来事などは昨日にあった出来事とそう違った重みは持っていないのだ。

「お姉さんはお元気ですか」

「姉様? ええ、元気ですよ。」

「それは良かった。あの時は失礼をしてしまいましたから、いつかお詫びをさせて頂きたかったのです」

「そんな……お気遣いなく。姉様は近くにはいませんから、そのお気持ちだけ伝えておきます」

なんとなく、この男を姉に逢わせたくなくて嘘をついた。

「おや、それは残念。……そうだ、これから僕の家に来ませんか? お姉さんのもとに早く帰ってあげなくてはいけないとは思いますが、もし良ければ暖かい所で少しお話しましょう」

 藍の嘘に気付いているのか、はたまた全く気付いていないのか。綏は少し困ったように微笑んでいた。


 綏の家は人里から離れた山の裾にあった。

「たいして広い住まいではありませんが、それなりに快適な我が家ですよ。まだまだ冷え込みますから、どうぞ、火の近くにお座り下さい。」

 一人の人間が生活できるだけの簡素な住まい。嗜好品の一つもない家で、壁に掛けられた日本刀が嫌に重い存在感を放っていて。人様のものを凝視するなどはしたないと思いつつ、ついつい目をやってしまっていると、それに気づいた青年にくすくすと笑われた。どうも子供扱いされているようで気に食わない。

「気になりますか」

「……ええ。中々お目にかかるものでもありませんし」

 なら少し昔話でもしましょう、と綏は無骨な日本刀を手に取った。

「僕はかつて軍人でしてね。あの時は国の為なら人を殺めることも厭わなかったのです」

 鞘を撫でる彼は哀しそうに眉を下げる。

「……しかし、きっと、否、絶対に、それは間違っていました。誰が正しくて誰が誤っているだなんて、人間如きに判るものじゃありません。奪って良い命など、何処にもないのに。だのに、僕達は、僕は」

「何故軍人を辞めたのですか。苦しかったからですか」

「苦しかったから……か。そうかもしれませんね。」

「なら、尚更如何して今も猟なんて生き物を殺すようなことをするのですか。人間じゃなければ良いと言――――」

「とんでもない」

 感情的になる藍の言葉さえ遮って、綏の言葉が鋭く響く。

「僕は命を頂いているのです。食べないと生きていけませんから」

「と、いうと?」

「僕が猟に出なければ、若い男の居ない家は新鮮な肉を口にすることができない。肉と交換に貰える米や野菜がなければ、身寄りがなく土地を持たない僕は生きいくことが出来ない。人間は肉だけで生きることも、孤独なまま生きることもできない」

「…………」

 綏はもう一度鞘を撫でた。

「僕は鬼など倒したことはない。あの方は、きっと――」

 瞳が一瞬陰る。その色をどこかで見たことのあるような気がして、 藍は目を瞬いた。しかし、その陰りは直ぐに消え、綏の顔にはいつもの少し困ったような微笑みが浮かんだ。

「……否、なんでもありません。つまらない話をしましたね。忘れて下さい。」




―――――――――――――――――――

  青年ガ少年ダッタ頃

―――――――――――――――――――


『もう起きなさい。寝る子は育つとは言っても、こうも遅起きでは育ちすぎて牛になってしまうよ。』

『寝る子は……何?僕、そんなのは知らないな。』

『仕方のない子だ………』

『ふふ、僕が我が儘を言っても許してくれるのは貴方だけだよ』


『琳』



「……あの人が亡くなってから、何年が経っただろうか」

 藍が帰った後、綏はそっと呟いた。

「………否、違うな。僕があの人を殺したのは何年前だったか」

 刀に目をやる――――あの人、琳の血を流した刀。

 鬼を殺せと命じられたから殺した。それが幼き頃に共に遊んだ少年とは知らずに。

 琳は本当に鬼だったのだろうか。鬼は本当悪いものなのだろうか。

 あの時の僕の判断は間違っていたのだろう。僕はこの罪の償いができているだろうか?

「僕にはまだ、わからない。わからないことばかりだ。博識な貴方なら、悠久の時を生きてきた貴方なら、知っていたのだろうか。」



―――――――――――――――――――

三、 別離ノ時

―――――――――――――――――――

 本当に一瞬の出来事だった。

狐の姿で散歩をしていた私達を、鉛の弾が襲ったのは。

「ッ、伏せて!」

 幾千もの想いが脳裏を駆け巡った。

 美しい雪山の朝のこと、

 美味しい油揚げのこと、

 昏い目をした青年のこと、

 姉様のこと……

 その全てが


―――――――――暗転。



「………大事ありませんか」

「え、ええ………私は……。姉様が、庇って下さいましたから………」

 私は、姉様の腕の中に居た。

 声が震える。姉様は、美しい白を紅に濡らしていらして。細い人間の似姿では護れませんからね、だなんて笑う白狐の脇腹に伝う血の筋を、私はただただ呆然と見ていた。目の前が真っ白になって――――雪のような暖かみのある白ではなく、ただただ不快な白――――次に、真っ赤になった。姉様の血の色なのか、私の頭にあがった血の色なのか、もうわからない。

「よくも、よくも………………!」

 私に言葉を教えて下さった姉様。私を慈しんで下さった姉様。人間を愛していると笑っていらした姉様。

 お前ら人間は、そんな姉様に銃を向け、あまつさえ殺そうとしたのか。ああ、人間は愚かだ。人間は非情だ。こんなことになるなら、神など目指さなければ良かった。頼むから、私から、姉様を奪わないでくれ―――――

「藍!」

 気づけば、銃を持った男達の喉元に爪をかけていた。ぐにゃりと曲がってしまった銃口から、私がどれほどの力を出したのかが伺える。そんな私を、手負いの白狐が必死で止めていた。

「あ……私は……」

 姉様の為に今、何をすればいい。目の前の人間を傷つけても姉様はきっと悲しむだけだ。姉様。ああ、どうしよう――――――


「待ってください!」

 冬のシンとした空気を凛とした声が切り裂いた。

「………あれば」

「なんだ? 綏じゃないか。おうい、綏、助けてくれ! お前の腕なら、そこから撃てば中るはずだ!」

「馬鹿を言わないでください! それは撃って良いものでは、害して良いものではありません!」

「……何を言っているんだ? 俺達を見捨てる気か!」

 綏は狐の目を静かに見つめていた。藍が視線を返すと、彼は少し驚いたような顔をしたが、直ぐに銃を捨てて頭を下げた。

「お願いします。彼らを許してやって下さいませんか。」

 地に抑えつけていた村人を解放してやると、人間は逃げていった。

「……謝罪もなく、すみません。」

 綏に気を配る余裕もなく、藍は雪の名を呼ぶ。

「姉様、姉様、雪姉様!」

「ん……藍、そう大声で呼ばないで下さい。聞こえていますよ」

「傷が……ああ、こんなにもひどい。今度こそは人間のことが許せません。家族を害されて許すことなんてできましょうか」

 昂る感情のままに捲くし立てる藍を、雪はまたいつものあの落ち着いた優しい顔で見ていた。

「人間は、愚かな生き物です。でもね、藍。だからこそ、人間は愛しいの。不完全な生き物だから、自分を守ろうと相手を傷つけたりしながら、なお手を取り合おうとする」

「自分の都合の良いもの以外を排除しようとする独善的で自己中心的な生き物の何処がいいのですか! 私達が護ってやる義理など――」

「人間は弱い。だからこそ神に縋る。人間に縋られているから、私達が存在しているのよ。彼等が私達を害しようが、軽んじようが構わない。私達に出来ることは、ただ、愛してやることだけなのですよ」

 いやいやをするように首を振る私を見て、姉様は一瞬辛そうに顔を歪めた。けれど、すぐに優しく微笑んで――

「お前は随分と人間らしい考えをするのですね………。藍、此処からは一人で行きなさい。もう私は一緒にいけないから」

「………え?」

 もう、こんな時に冗談はよして下さい。姉様の目は、そんな甘い事など言えない程真剣なそれで。

「いやだ――!」

 悲鳴のような声が漏れる。

「私一人では荷が重すぎる。今まで一緒に来てくださったではありませんか。だのに、どうして………。姉様と一緒でなければ、私は――!」

「ああもう、泣くのはおよし。お前はいつも強く笑っていなさい。お前の笑顔が私は好きよ。………………だから、姉様の事は忘れて、涙を拭いて笑ってちょうだい」

 姉様の手がふわりと私の頭を撫でて――

 私は、静かに目を閉じた。


 再び開いた目に映ったのは、ただただ美しい雪原だけだった。




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  独白

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 神は、公平な存在でなくてはならない。

 神の愛し子、なんて話はよく聞くが、誰かを特別愛するような事は、本来喜ばれたものではない。

 神は、ときに非情でなくてはならない。

 悲しいかな、少しでも多くの命を救うためには、多少の犠牲は必要になる。特定のものを失って激昂するようでは、心が壊れてしまう


 だから、だから私は。




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四、雪

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 また幾つかの冬を送った。やっと神としてのやり方もわかってきた気がする。「実践あるのみ」とはよく言ったものだ。さて、それを言ったのは師だったか、村の人だったか。

かさり、と背後の落葉が鳴る。目をやれば、自分のものに似た足跡が続いていた。


 足跡を追っていくと、白色が一面に咲いていた。ふわりと咲く優しい色は、解けて消えてしまったあの新雪のように清らかで、優しくて。

 あ、なんだろう。つうっと溢れたのを舐めてみると、塩辛い。

 ひどく懐かしい色だった。誰かの、大切な誰かの色――


 物心ついた時からずっと一人だった筈なのに、誰かが見守ってくれていたような。幸せの中で微睡むような。何かがじんわりと寒い冬に冷えた心を暖めていた。雪、と心に浮かんだ言葉を風に流してみる。

 ああ、この花達はどうしてこんなに優しいのだろうね。こんな私にまで。

 目の前が、何故だか少し明るくなったような気がした。

 

 暖かい、春が来ていた。



───────────────────

 雪、と呼ばれた神がいた。

 優しく強い姉が、神である弟に贈った花からついた名だ。


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