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9.ドクター・ニシャール

「久しぶりだね、マリア。経過は順調?」

「だと思います。ほんとにそうか、診てくださいね」


 主治医のドクター・ニシャールとも既に顔なじみだ。検診だけでなく、人工受精を施術してくれたのもこの人だし、更にその前のカウンセリングや健康診断、メンタルチェックの段階からお世話になっている。だから、ラフな口調で雑談めいた会話ができるくらい打ち解けているはず。まだ若い先生で、私にも優しく丁寧に接してくれるから、話しやすいってこともあるだろう。


「ロビーが騒がしかったようだけど……?」

「ああ、ちょっとノイローゼ気味の子がいたみたいで。泣き出しちゃったんですよね」


 本当は、声を上げて人の目を集めてしまったのは私なんだけど。でも、ドクターに言っても仕方ないし、ちょっとくらい脚色しても良いだろう。あの子の様子がおかしかったのは紛れもない事実なんだし。


「うん、数値で見ても順調だね。ほら、赤ちゃんも大きくなってる」

「そうですか、良かったです」


 さっきの一幕のストレスが、赤ちゃんに変な影響を及ぼしてないなら本当に良かった! 大事な、人様からの預かりものだものね。私の将来も懸かったお仕事なんだし。そう、だから、余計な報告をして色眼鏡で見られるようなことになったら堪らない。あんなことは、言わない方が良い、よね?

 ほんの少しの後ろめたさと共に、幾つかの問診に答えていると、ふと、ドクター・ニシャールが表情を改めた。


「マリア。君は――その、初めてのことだから、身体の変化には気をつけて。恥ずかしがらずに何でも相談してほしい」


 ドクターの褐色の肌がほんのり赤く染まって、とても言いづらそうにするから、私は思わず笑ってしまう。


 彼が言いたいのは、私が妊娠出産はおろかセックスもしたことがないってこと。だから心配なんだってこと。ノイローゼになっちゃった子のことを聞いて、不安になっちゃったのかしら。コリンズさんといい、世の中にはおせっかいな人が結構いるらしい。

 でも、この人だって私が処女だって知らされてたのにね。本当はいけないことではあるんだけど、需要と供給が合致してて、ビジネスとして成立しちゃってるから仕方ないのよね。新品の子宮が欲しい第七天(アラボト)のお偉いさんと、お金と裕福な暮らしが欲しい私たちと。病院だって、この取引ではきっと儲かってるはずだ。


 第一、私の子宮に受精卵を注入したのはこの先生なんだよ? 大股広げたところを見といてこの純情ぶりって、何か可愛く思えちゃう。多分まだ三十前くらい? 若いとお医者さんでもこんな感じなの?


「未経験での採用なんて、よくあることじゃありません?」

「そういうことではなくて……」


 コリンズさんの時は、過剰反応しちゃった。あれは……多分、良くなかった。その反省を踏まえて、それに重い空気が嫌で、笑って流してみると、ドクターは少し眉を顰めた。軽い冗談なのに、真面目なのね。


「この仕事をしていると君のような女性をよく見る。せっかくの健康な身体を他人の子供のために差し出すなんて。現代とはいえ第七天とはいえ、危険は皆無ではないのに。……おかしいとは思わないか? まるで搾取のような――」


 溜息混じりのお説教めいた言葉に、私の笑みは深まるばかり。この人、感じが良いと思ってたけど、面倒な人でもあったみたい。その程度のこと、私が考えなかったとでも思うの? すっごく頭が良い人のはずなのに、コリンズさん──家政婦のおばさんと似たようなことを言い出すなんて。


「下にいた頃もそういうことは言われましたね。正直、第七天(ここ)でも。──でも、バカで能力もないんだから搾取されるのは仕方ないです。私はちょっとだけ賢いから搾取のされ方をよく選んだってだけで。あそこを売るよりは子宮のレンタルの方がマシじゃないですか?」

「マリア……しかし、他にもっと真っ当な――リスクの少ない仕事が」

「ないですって」


 ドクターの憐れむような口調と目つきが急に気に障って――私は声を尖らせていた。

「身体ひとつでできるにしては、すっごく割の良い仕事ですよ、コレ。子宮さえまともならできるんだから。私は、自分に付加価値つけて競争力を高めただけです。

 ――私たちにできる努力なんて、これくらいですから」


 かつての知り合いの()たちが、私の脳裏に次々と現れては消える。今の私の姿を見せつけたい相手たちが。私が正しかったでしょ、って言いたいけど――もう、言うことはできないの。


 シェリー、あんたは綺麗だったわ。女優になれるかもって自惚れるのも分かるくらいに。でも、第七天に来てみて分かったけど、遺伝子操作によって造られた美貌に比べたら、あんたの顔なんて子供が作った出来の悪い人形程度に過ぎなかった。だから、声を掛けられたからって舞い上がっちゃいけなかったのよ。そんなの、気持ち良く売春(ウリ)をさせるためのおべっかだったの。

 私が最後に見たあんたの顔ときたら、ひどいもんだったじゃない。そりゃ、あちこち殴られて腫れたり凹んだりしてたし、腐り始めてたってのもあるけど。疲れと薬でボロボロで――不気味で、化け物みたいだった。あんたとは喧嘩もよくしたけど……でも、あんな死に方がお似合いだったとは思わない。


 それからアニタ。あんたのことは尊敬してたわ。成人してからも教会に残って、子供に読み書きを教えたり炊き出しに参加したり、慈善活動に精を出してた、まるで聖女様。皆にも慕われてたし、私だって姉さんみたいに思ってた。

 でも、お金をあげるのはやりすぎだったんじゃない? 支払いが、とか食べてなくて、とか。そりゃ誰だって哀れっぽい声を出すわよ。そうすればもらえるんだから。でも、はした金を渡したところでそいつらはまたしばらくしたら来るだけじゃない。あんただって余裕がある訳じゃないのに。だからそのうち金蔓にしか見られなくなって。もうないって言っても聞いてもらえやしなくて。あんたのことだから、あんたを犯して殺した男も赦してるのかもしれないけど。あんたはそれで救われたの?


 他にも夢を見すぎ、優しすぎのバカが沢山いた。そいつらがバカをやったりバカを見るのを見聞きして――私は思い知ったんだ。成功できる人間なんて、運と才能の両方に恵まれたほんの一握りだけ。それさえ下層の連中を絶望させないための宣伝なんじゃ、って思えるくらい。だから、地に足のついた生き方をしなきゃ。自分にできることできないこと、身の丈を知って手の届く未来をしっかり掴むんだ。そう、決めたんだ。

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