333国志
「多すぎだろ」
俺がボソッと呟くと、枕元の老人が顔をしかめた。
「今、何と仰ったかな?」
「いや、何でも」と口を濁し、話を促した。老人が咳払いをした。
「……しっかりして下さいよ。これから天下統一しようと言うお方が、そんなフニャフニャでどうしますか?」
「と言われても……夢の中だし」
「いいですか? 続きを言います。西暦二〇八年。曹操が丞相になります。彼は悪魔のような強さを持っていますのでお気をつけて。その間に劉表は死に、劉琮は曹操の下に降り、そして劉備は長坂の戦いで曹操に破れます」
「待て、待て待て」
俺は慌てて老人を止めた。
「その早口言葉みたいな呪文はやめてくれ」
「早口言葉じゃありません。これはれっきとした未来の出来事です」
俺は頭を抱えた。
「すまんが、全く話が頭に入ってこない」
「しかし、入れてもらわねば困ります」
老人が渋い顔をした。
「あなたにはこれから我が国の歴史を記憶し、天下統一してもらわねばならないのですから」
「いや、いきなり正月から、そんな全部暗記しろとか言われてもな……」
全くとんだ初夢もあったものである。
いきなり枕元に見知らぬ老人が立ったかと思ったら、『自分は未来からの使者である』と言う。『あなたに白羽の矢が立った。これから我が国で起こった出来事を全て教えるから、天下を統一せよ』と来たもんだ。
始めのうちこそ、これは大層縁起が良いと、夢だとはいえ俺は手放しで喜んだ。
「……そして西暦二一三年、曹操が魏公となります。尚書令は荀攸でした。その間に馬超は冀城を攻撃して破れ張魯を……」
「待て、待ってくれ!」
俺は布団の上で喚いた。
しかし天下統一までの道のりは、信じられないほど長かった。夢の中で、俺は何度か眠りそうになった。
「いくら何でも登場人物が多すぎる。こんなの、全部覚えられるわけないだろう」
「あなた、天下統一したくはないのですか」
「しかし俺は農民だぜ」
いくら夢とはいえ、荒唐無稽にもほどがあると肩をすくめた。
「片隅の片隅の、今の今まで無名の男に、起きたら天下を統一しろとは。誰が信じるかよ」
「だから私が言うことを、きちんと暗記しろと言うのです。さすればあなたには……」
「そんなもん全部覚えるくらいなら、寝てた方がマシだ」
「やれやれ。手のかかるお人だ」
老人は半ば呆れたようにうなだれた。
「あなたに天下統一してもらわねば、話が進みませぬ」
「もうちょっと統一が進んでから……十五年後くらいに、また枕元に立ってくれよ」
「今から行動しなければなりません!」
カーッ! と怒りの声が夢の中に響いた。俺はこんな夢見るんじゃなかったと後悔した。
「こうなりゃ、意地でも覚えてもらいますよ!」
老人が語気を強めた。
「良いですか。時間がありません。しかしきちんと年表を記憶し、各々の未来の行動が分かればきっと……」
「あのねえ。もっと『お金持ちになる』とか、『女にモテる』とかそう言う初夢にしてくれ。何が天下統一だ。何年にどこの誰が何をやったとか、バカバカしくて覚えてらんないよ」
「全くもう」
そこで耳打ちされた。
「一国の長ともなれば、いくらでも金銀財宝は舞い込んで来るでしょうよ。それに望めば、国中の女たちだって」
「む……!」
「やっとやる気になってくれましたか」
「あぁ。そう言うことは先に言ってくれ。早う、しろ」
「ゲンキンな人だなぁ」
老人が可哀想な人を見る目で俺を見た。俺は鼻息を荒くし、彼の言葉を暗記しようと必死に耳をそば立てた……。
※
「……以上です。分かりましたか?」
「分かった……!」
俺は前だけを見据え、真っ赤になった目を瞬かせた。
頭の中は、孫権やら司馬やら、とにかく未来の話でいっぱいになった。夢の中だから正確な時間は分からないが、現実の世界はとうに朝になっているだろう。二、三日は経っているかもしれない。下手したら一週間か、一ヶ月か。蜘蛛の巣が張った平屋を想像し、俺は思わず苦笑した。白髪の老人がほほ笑んだ。
「よろしい。さすれば私の言う通りにし、戦乱の世を統一なされ。そして今は名も無き天下人よ、我が国に恒久なる安寧を齎らし給え」
「うーむ。言葉の意味はよく分からんが、貴方は本当に未来からの使者なのかもしれんな」
俺は唸った。しかしこの老人のおかげで、本当に天下を統一できそうな気がしてきた。
「何かお礼をしなければならんだろうな。どうだ、俺は貧しいが家に酒くらいならある。目が覚めたら、一杯飲んで行かんか」
「いいえ。せっかくですが、後が詰まっておりますので」
「後?」
俺が不思議そうに首をひねると、夢の中の老人がゆっくりと後ろを指差した。
するとそこには、ずらりと長蛇の列ができていた。
「何だ、こいつらは」
「各国の、未来の使者たちです」
俺は目を丸くした。老人が笑った。
「使者たちだと? こいつら全部?」
「ええ。我が国を統一した後は、次の国を。さすれば次を。そして次、次と……あなたには時空を渡り、全部で三百三十三国を統一してもらわねばなりません」
「何だと!?」
「よろしいかな? 我が国は戦国時代、応仁の乱の話から……」
白髪老人の後ろから、次の使者がニコニコと俺の枕元に歩み寄った。
「全部記憶するまで、起こしませんよ?」
俺は呆然と列を眺め、そのまま夢の中で気絶した。