婚約の儀 3
結局、詳しい情報を仕入れることが出来なかったせいか、紗々音は不満げな顔のまま帰宅した。明日斗はといえば、自分を好いている3人の女性から責められる形で別の店に連れていかれている。瀬音は用があるとかでさっさと帰宅し、紗々音としては不完全燃焼のために今後をどうするかを考える。婚約の儀という名前は大層だが、結局は対抗馬がいた場合は力比べをするという。それだけの情報しか得られず、着替えを済ませた紗々音はやけくそとばかりにおやつのお菓子を頬張ってはアイスティーを飲む作業を繰り返していた。
「あら、ご機嫌ナナメね」
にこやかにリビングに入ってきた母親にも仏頂面を向けた紗々音だが、ここで瀬音と一対一で会話をしていた母親が何かを知っていると思い出し、話をすることに決めた。以前は軽くかわされたものの、今回は状況が違う。
「さっきまで瀬音さんと婚約の儀の話してた」
「へぇ」
「親が決めた対抗馬がいたら、力比べをするんだって」
あえて母親が知らないであろうという感じでそう切り出すが、母親は澄ました顔で紗々音の手にあるお菓子の袋に手を突っ込んだ。
「みたいね」
「やっぱ知ってたんだ?」
「最初に来た時聞いてた」
「じゃぁ、はっきり言うけど、対抗馬におにぃは勝てると思う?」
紗々音が一番懸念していることを口にした。
「勝てるでしょ」
「普通の相手ならね、私もそう思う。でもね、本当に強い相手だったら?」
「さぁねぇ・・・でも、ま、大丈夫なんじゃない?」
「甘いと思うけどね」
ため息混じりにそう言う紗々音の持つお菓子の袋に再度手を突っ込む母親は苦笑を隠しきれない。紗々音の心配もわかるからだ。
「ま、確かに対抗馬となれば、強い相手でしょうね。でも、本当にそう思う?だって、きっと相手もお金持ち。それなりに習い事としての格闘術はあれど、しょせんはその程度」
「私たちみたいなのじゃないってこと?」
「そういうのもあるとは思う。でも、私たちに勝てるとなると、ま、レアケースでしょうね」
その言葉にお菓子を口に入れた紗々音は黙り込んだ。そう、レアケースだ。けれどそのレアケースが当たった際に、明日斗が勝てるとは思えない。
「そのケースだと、おにぃは・・・・」
「あんたの心配はわかるよ。明日斗は色々と私のお腹の中に忘れ物をして生まれてきた。そんでもって、あんたがそれを全部拾って生まれてきた。でもね、あの子もあれで本気になるとわからないよ?」
「本気になるのかな?」
「好きな子のためなら、なるんじゃない?」
「何よりそれが一番ネックだわ」
紗々音はもう知らないとばかりにアイスティーを飲んだ。お金持ちとの親戚関係をなんとしても築いてほしい。だからこそ、すんなりと婚約といってほしいという実に自分勝手な考えだ。だが、そこには兄への心配もある。それを理解出来ている母親は笑みを浮かべ、手にしたお菓子を口へと運ぶのだった。
*
りんご、サクラ、そして何故か祐奈に睨まれている明日斗は困った顔をしつつどうするかを思案していた。3人の怒りの原因は明日斗が瀬音の婚約者指名時にちゃんと断っていればこういう状況になっていないと判明したからだ。優柔不断と言われればそうだが、かといってここまで責められる覚えもない。これは自分の問題なのだから。
「でも、本当にこのままでいいんですか?今からでも断りを入れれば・・・」
「まぁ、でも難しいかもね。婚約の儀式まで準備が進んでいるんでしょう?」
サクラの言葉に祐奈が正論を口にする。確かにここまで話が進んでいるとなると今から断るのは色々問題が発生するだろう。
「違約金、とか?」
「もう町にはいられないでしょうね」
サクラと祐奈の会話を聞きつつ、りんごはずっと明日斗を睨んだままだ。昔から明日斗を知っているだけに、決断力の欠如と自分の意志をはっきりさせないその性格は熟知している。だからこそ、あの時、明日斗のお尻を叩いてでもはっきりさせるべきだったと後悔をしていた。その自分への怒りも明日斗へのいらだちに上乗せしている自覚もなく、睨みは鋭くなるばかりだ。
「でもさ、最悪、対抗馬に負けちゃえばいいんじゃないの?」
祐奈の言葉にハッとなるサクラはサッと祐奈の手を掴んだ。そのまま2人は頷きあう。もう、あの内気なサクラはそこにいない。恋が人を強くする、それを体現している自覚もないサクラは同じく教師でありながら生徒に恋をしていることを隠さない祐奈と共感しきっている状態だ。
「あの口ぶりからして、対抗馬はいるでしょうね。それも、そこそこの実力者が。だからあっくんを指名した。好きだっってのは眉唾だけど、とにかく、その対抗馬を蹴散らすためにあっくんを選んだ」
大きな胸が邪魔をしつつも腕組みしたりんごはそう力強く言い切る。サクラも祐奈も頷く中、明日斗は心の中でため息をついた。自分としてはもうなるようにしかならないと思う。相手が強ければ負け、弱ければ勝つ。やるからには全力を尽くす気でいるものの、それでもその時になってみなければわからない。だいたい、本気に戦う気になったことがないだけに、そこが不安だった。
「あっくんはきっと戦う。本気になるかどうかは別にして・・・でも、おばさんや紗々音ちゃんが見ている前で戦うなら、きっと・・・・」
よく分かっていると苦笑する明日斗だが、りんごの言う通りだろうと思う。手を抜けばすぐに見抜かれる、そう、あの2人は戦闘狂なのだから。
「儀式がどうとか、よくわからなかったけど・・・でも、りんごの言う通りだね。母さんの前で手抜きは出来ない。まぁ、男としてそれはどうなんだって思うし・・・対抗馬がいない場合でも、ま、自分の意志は相手に伝えたいと思う」
この店に来て15分、ようやく言葉を発した明日斗に注目する3人だが、その目は何故か疑いの気持ちが強い。特にりんごにそれが顕著に出ている。
「あっくんさ、伝えるの遅いよ。わけがわかりません、説明してください、なんで俺なんスか?俺のどこが、いつから好きなんスか?ってあの時言うべきでしょうが!」
他の客が注目するほどの大声をあげるりんごの揺れる胸を見つつ、明日斗は黙り込むしかなかった。それを言っちゃおしまいだ、そんな風に。
「ほんとに優柔不断ってか、自分の意志がないってか・・・」
「確かにそうですね」
「勉強面でもそうだよね、木戸君は」
やいやい言われて俯くしかない明日斗はもう好きにしてくれとばかりに責めを受け続けるのだった。
*
薄暗い部屋には大きな椅子とテーブルしかない。テーブルの上にも何もなく、大きな椅子に合わない小柄な老人が古びた木の杖を手にそこに座っているだけだ。カーテンのしかれた部屋は電気も灯らず、不気味な空間となっている。そんな部屋にノックの音が響き渡った。老人は返事もせず開くドアから漏れる光にまぶし気な目をするだけだ。入って来たのは中年でありながらも整った顔をした男だった。
「石垣家の婚約の儀に関し、申し入れも済んでいます」
「で、大刀は?」
「相変わらずです・・・」
「代理人は?」
年に似合わぬ鋭い眼光を受けてもひるむことのない男もまたその瞳に強い光を宿している。
「ぬかりありません。大崎活殺術の継承者、大崎閃光になります」
その言葉に満足そうに頷く老人は骨と皮だけの右手を振って男に出て行けと合図する。それを受けた男は一礼すると薄暗い部屋にひと時の光を提供した後、部屋から出て行った。老人はため息をついて深く椅子に座り直すと眠るかのように目を閉じる。そんなことなど知らない男は長い廊下を歩きつつ鋭い眼光を横に並んで歩く若い黒服の男へと向けた。
「興味があるのかないのか・・・死にかけが、いつまで居座る気か」
忌々し気にそう言う中年の男は横に並ぶ若い男から目を正面に向けた。
「勝利しか興味のないお方ですから」
「待って来る勝利ではないというのに、な」
苦笑する中年の男に若い男もそれに倣う。
「大刀も、親父も、他人事だ」
「婚約の儀まで興味はない、そういう感じですからね」
「大崎には来週打ち合わせを、相手の調査は?」
中年の男は自の前で立ち止まるとドアノブに手をかける。
「調べた限り、自己流の武術を使うようです。家庭も平均的よりは上のサラリーマン家庭」
「何故、あの小娘はそんな男を婚約者に?」
「さぁ?ただ、1つだけ不可解なことが・・・」
その言葉に男はドアノブから手を離した。一番信頼している男の濁った言葉が気になったのだ。
「どんなに調べても、普通の家庭、家系であると・・・・まるで意図的に情報を遮断されているとしか思えないこともないです」
意図的に、そんなことが可能なのか。この全王治家の誇る情報網をもってしても得体の知れない相手。それはかなり気になる。
「木戸明日斗・・・ただの高校生ではないのか?」
「彼自身は普通です。普通でないのは、その家系。使う技の詳細もわからない・・・」
「ふむ・・・・引き続き頼むよ。大崎はこちらで対応する」
その言葉に一礼し、若い男は去っていった。
「木戸・・・・ありふれた家系ではない?」
呟く独り言を残し、男は自室に消えた。ただ脳裏に一抹の不安を植え付けつつ。




