最強の遺伝子 4
物心がついた頃には、もう練習は始まっていた。だから、厳しいともきついとも思わずにこんなものだという感じでしかなかった。他の家庭にはない技の習得にどんな意味があるのか理解できたのは小学生になってからだ。従兄弟も同じことをしているためか、それがあたりまえで当然だと思っていた。誰かを守れるように、そんなことを母親は言っていたが、危なくなったら逃げなさいと学校の先生は教えてくれた。だから母親にどちらが正しいのかを聞いたことがある。答えは両方が正しい、だった。逃げることも大事、逃げられず、どうにかするために戦うことも大事であると。それでも戦う意味を見出せず、ただ練習だけは続けてきた。妹の紗々音は練習が楽しく、人より強くなることが至上の喜びであると感じているようだった。大人だろうが自分より強い人であろうが戦いを挑み、負けても鍛え直して再び対峙する。明日斗はそれが理解できなかった。練習は所詮練習、いざ実戦形式の練習となった際の殺気を感じれば足がすくみ、体が上手く動かない。何より、そういう場合は逃げた方がいいと本能が告げていた。練習では最強でも、実戦で戦えない自分では話にならない、みんながみんなそう感じているのがわかった。だから自分は木戸の名を継ぐことはないし、継ぐ気もない。現に、継承者を決める選定の戦いも放棄したぐらいだ。自分は木戸に成り損なった。たとえ母親の言う通り才能は長い木戸の歴史の中で1、2を争おうとも、戦う意思がない者はそれを継ぐことはできない。当然だ、今のままでは誰も守れないのだから。けれど、それでもいいと思っていた。なんとかなるし、これまでもそんな状況に至っていない。紗々音がいるし、母親がいる。自分はそこまで逃げればいいのだから。でも、今は違う。紗々音がいるのに、なのに、自分がやらなくちゃいけないと思っている。その理由はわからない。でも、今の自分は戦える。目の前の敵は確かに強い。だが、紗々音ほどではないのだから。練習の際に対峙する紗々音よりも弱い、冷静になった今では本能がそう告げている。だから恐怖はなくなった。かといって怒りも何もない。瀬音を、血が繋がっていないとはいえ、妹を殺そうとしているこの男だけは自分の手で決着をつける必要がある。ただ目の前の男を倒すだけだ。何の感情もないまま、それでも不思議と力が湧いてくるのを感じる明日斗だった。
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分家から引き取られた際に感じたのは、その待遇の違いだ。今までは普通の家庭で、普通の暮らしがそこにあった。だが、父親の兄の家に養子となってやって来て以来、自分に対する周囲の態度や、親戚の人たちの言動はがらりと変わってしまった。自分に媚び、へつらい、そして持ち上げてくる。気持ちが悪いその態度の変化に、いつしかその理由を考えるようになった。それは実にシンプルで、そして不快なものでしかなかった。石垣家の本家であり、次期当主という地位がそうさせているだけだ。血のつながりも関係なく、ただそれだけの理由だ。だから、そんな石垣家など壊れてしまえと考えたのだ。実質、多くの分家を持ちながら本家のひと握りの人間だけが権力を持ち、それなのにその権力を行使しようとはしない。分家の人間が望んでも持ちえないその権力を何故もっと有効的に使えないのか、使わないのか。仙人はずっと考えてきた。かつて日本の行政すら動かしたという石垣の力を、権力を復活させることを。そのためにどうすればいいのかをずっと考えてきたのだ。その結果、ある人物に至った。猪狩総一郎、かつて大臣の要職にありながら総理大臣すら陰で操り、その上で遺伝子変異の人間を裏社会の頭に添えて表裏両方から日本を支配していた男の存在に。これこそが理想であり、石垣家の本来の姿であると確信したのだ。だが、猪狩は失脚した。たった1人の、木戸周人という男が集めたその仲間たちとの活躍によって。だからこそ、自分はそんなへまをしないよう、中学生の頃から計画を練って、高校生になってそれを実行に移した。もちろん、自分だけでは不可能だったから、本家の正当なる血筋である妹の瀬音を懐柔することで動きやすくしたのだ。瀬音は自分に心酔し、恋までしてくれた。だから分家の末端にいる人間と接触し、徐々に自分が当主になった際のメリットを浸透させて政府の者ともパイプを持つようになっていった。石垣の名はまだ錆びていない、それを思い知りながらほくそ笑んでいたのだ。大学の進学と同時にイギリスに留学し、そこでも要人との接点を持つと同時に裏社会の人間とも接点を持って武器も人脈を得てきた。そして瀬音の婚約が迫る中で今回の騒動で全てを得る計画を実行したのだ。何度も、何百通りもシミュレーションし、結果を変えずにその過程を練って来た。ありとあらゆる事態を想定して練って、そして実行に移した。全王治朝妃と大刀の動きだけはまったく計算外だったが、だからこそより完ぺきな計画が実行できる、はずだった。本家の血筋を絶やし、全権力を自分だけが握ることで分家の者たちの群がりすら計画に入れこんで。なのに、たった1人、この男だけがイレギュラーだった。まさかこんな雑魚によって計画が破綻寸前に追いやられるとは考えもしなかったし、想定もしていなかった。木戸紗々音の強さは十分に警戒し、サイボーグとなった大刀が倒せれば御の字、倒せないまでもある程度のダメージさえ与えれば自分の勝利は盤石だった。全てに対して不信感を持った明日斗は妹を隠し持っていた銃で撃ち、それを阻止しようとした紗々音も撃つ。錯乱した明日斗を自分が倒し、やりすぎだが正当防衛で殺してしまっても問題ないようなシチュエーションを準備し、その8割は実行できていた。なのに、何故こうなったのか。圧倒的な強さを持つ自分を凌駕するこの男は何なのだ。そう自問自答するも答えはでず、明日斗はただ自分の攻撃をかわしてカウンターを入れてくるのみだった。だから余計に不気味で、変に考えを巡らせてしまう。だがこの男を倒さなければ計画は完遂出来ない、それだけは曲げようのない事実なのだった。
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さっきまで当たっていた攻撃は全て当たらない。かすりもしないのだ。余裕で見切られ、一瞬で反撃を喰らう。しかもそれだけで追加の攻撃は一切ないのがまた不気味だ。だから仙人は焦りと、驚愕と、屈辱にさいなまれていた。何がどうなってこうなったのかもまったく理解できない。だから前に出る。
「この!クソがぁ!」
今までにない下品な言葉に全てが現れている。左右交互の蹴りを見舞い、そのうち1つを膝蹴りにして明日斗の腹部を狙う。しかしそれは完全に読まれていて半身になってかわされた挙句、死角から飛んできた拳が頬に炸裂した。ぐらりと揺れる意識を振るい立たせて反撃に出るものの、やはり一切当たらずにカウンターだけが増えていく。
「す・・・ごい・・・」
出血から意識が薄れるのだが、結末を、明日斗の雄姿を見たいという欲求がそれを抑え込んでいた。だから瀬音は自分の傷口を押さえている紗々音をチラッと見やる。本来であれば明日斗に替わってこの紗々音が戦っていたはずだ。その紗々音は複雑な表情を浮かべている。
「戦い・・・・・たかった?」
その声にも顔を向けず、紗々音は戦いを見つめたまま1つ頷いた。それはそうだろう、この紗々音が戦いたくないとは言わないだろうから。
「でもそれって、瀬音さんのお兄さんとじゃないけどね」
「え?」
「今のおにぃは、世界で一番強いから・・・・だから、戦いたかった」
確かに今の明日斗は強い。だが、それは言い過ぎだろう。
「だったら・・・・今度、戦えば・・・・いいじゃない?」
瀬音はそう口にした。だからか、紗々音はチラッと瀬音を見て、それから苦笑を浮かべた。返事はないが、瀬音にはその表情が何を意味するのか理解できない。
「出来たら、ね」
意味深にそう言い、紗々音は戦いに集中するようにしてみせる。だから瀬音は紗々音から兄と戦う明日斗に目をやった。
「何故だ・・・・・何故・・・・・こんな・・・・」
苦々しくそう言う仙人に、明日斗は無表情のままで構えを取る。余裕もなければ殺気も闘気もなにもない。ただ、無の状態にしか思えない。だから仙人は恐怖を募らせる。気配すらない相手を前に、どうすればいいのかわからないからだ。まるで戦闘マシーンをしてにしているような錯覚をしてしまうほどに。
「あんたの攻撃はもうわかった・・・・だから、もう終わらせるよ」
そう言い、明日斗はいつもの構えを取る。仙人は忌々しそうな表情を浮かべつつ、ボクシングの構えを取った。なりふりなど構っていられない。攻撃さえ当たればどうとでもなる、そう考えて。だが明日斗はもう勝利を確信していた。カウンターになったのは相手の動きを知るためと、そこに紗々音を重ねていたからだ。だが仙人は紗々音とは違う。当然、攻撃のパターンも、その重さも、何もかも。何故あんなに怖かったのか、もうわからない。今はただ、自分より弱い相手とはいえ全力を出すことに専念するのみだ。だから明日斗は駆けた。神速の動きを捉えた仙人もさすがだが、その攻撃をよけるまでには至らない。いや、最初に繰り出された左拳は見えた。だからそれをブロックし、次に来る攻撃に備えたのだ。だからこそ、受けたその左拳がブロックした自分の腕を掴んで投げに転じつつ、左足で右の二の腕に蹴りを見舞うそんなものに対応できるはずもない。だが投げられるのを阻止したのは反射神経の成せる技だ。しかし、明日斗は投げられないと判断した結果、右拳を腹部にめり込ませる。その上で左足で下から顎を目掛けて蹴りを放った。その上で右足が1つ遅れて同じように下から襲い掛かる。
「鬼連華」
そう呟いたのは紗々音だ。のけぞってその連撃をかわした仙人だったが、左右の足はよけたはずの仙人の首にからまり、逆立ちの態勢になった明日斗はそのままで投げに転じた。咄嗟に自分から跳んだはさすが仙人。だが、これにも即座に反応するのが今の明日斗だ。すぐに絡めた足を解いて右足で仙人の頭を蹴りぬく。ぐらりと揺れる意識だが失うほどの衝撃ではない。だから片腕で一瞬倒立し、態勢を立て直す、はずだった。一瞬だけ真横を向いたその脇腹に明日斗の左足が叩きつけられる。態勢も崩し、衝撃を受けた脇腹が痛む。地面に倒れ込んだ衝撃を感じつつ逃げようと身をよじるが、下から明日斗の左拳が仙人の顎を撃ち抜いた。何故相手はもう態勢を立て直しているのか、何故こんな打撃を喰らわすことが出来るのか。その思考が意識を保った。だが、そこまでだ。立った仙人が目にしたのは右足を振り上げる明日斗の姿だ。ただじっと自分を見据えるその目に力もなければ殺気もない。恐怖を増すだけの仙人はブロックしようと腕を動かすが、時既に遅し、である。明日斗の右足が仙人の左側頭部を打ちつける。と、そこを軸に今度は左足が跳ねあがった。その時間は刹那。
「ちっ」
何故紗々音は舌打ちをしたのか、瀬音にはわからない。だが今は明日斗と仙人の戦いに集中しているため、質問も投げられない。そうしている間に明日斗の左足が仙人の右側頭部に叩きつけられる。一瞬で頭を足で挟まれた形になった仙人の意識が飛びかける。それでも飛ばなかったのはプライドか、それとも意地か。グラグラと揺れている仙人の肩を左腕で掴んだ明日斗はそのまま仙人に対し真横を向くと掴んだ腕も、残った片腕もピンと張って伸ばすようにする。ぎりぎりと筋肉や筋がきしむのを感じながら目いっぱい弓を引き絞ったような状態を作り上げ、その状態から一気に右拳を矢のごとく仙人の胸部に叩きつけた。踏ん張った足からくる螺旋の力、引き絞った筋肉の開放が恐るべき破壊力を見せる中、打撃と同時に掴んでいた肩を離したこともあって、仙人はすさまじい勢いで吹き飛んで土にまみれつつ地面に転がる。明日斗はもう何もせず、倒れ込んだ仙人を見つめていた。
*
「か・・・った?」
掠れ声の瀬音に小さく頷く紗々音は不満そうだ。その理由がわからない瀬音が口を開きかけた時だった。仙人が動く気配がし、そっちに目をやって驚く。仙人は震える手で隠し持っていた銃を明日斗に向けていた。口から血を流し、殺気に満ちた目で。
「し・・・・・・ね・・・・」
そう言い、引き金に力を込める。だが、明日斗は動かず、紗々音も微動だにしなかった。だからか、仙人は銃を持った腕を大きく動かし、そのまま完全に地面に突っ伏して動かなくなった。遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる中、ようやく明日斗は紗々音と瀬音の方を向いた。その表情に変化はないまま。
「あり、がとう・・・」
そう絞り出し、瀬音はガクンと首を倒す。慌てて近づく明日斗に対し、紗々音は小さく微笑んだ。
「ホッとして気を失っただけ・・・まぁ、セーフでしょう」
もうすぐそこまで救急車が、パトカーが来ている。その言葉と状況にホッとした明日斗は自分を睨みつけている妹を不思議そうな目で見やった。
「なんだよ?」
「なんであそこで幻龍脚なわけ?」
そう言われ、明日斗はそのことかと頭を掻いた。
「しかも最後は雷槍だし・・・・幻龍脚じゃなくて、奥義の亀岩砕だったならあそこで勝負はついてたでしょうに・・・」
亀岩砕は奥義の蹴り技であり、左右同時の蹴りを相手の頭に叩きつける技だ。あのタイミングであれば仙人を気絶させるに至る技であり、とどめに使用した雷槍など使う必要がなかったはずである。だから紗々音はあの時舌打ちしたのだ。歯がゆい、そういう気持ちになって。
「俺は継承者じゃない。それに幻龍脚も雷槍も、どっちも奥義に成り損なった技。木戸に成り損なった俺にはピッタリの技かと思って」
ため息が漏れる。継承者じゃないから、成り損ないだから奥義の亀岩砕でも、天龍昇でもない技を使ったのかと呆れてしまう。再度深い深いため息をついた頃、救急車から救急隊が駆け寄ると瀬音の容態を確認し、素早く処置を行っていく。多分もう大丈夫だろうとホッとする明日斗は自分と、倒れ込んでいる仙人に近づく警察官たちに向き直った。
「我々は特安の者です」
「裏の機関だね?お祖父ちゃんやお母さんから聞いてる」
紗々音はそう言い、毛布をかけてくれる警察官に笑みを見せた。
「事情を聴きたいところですが・・・」
そう言い、私服の警察官は明日斗と紗々音を見やった。
「紗々音は瀬音さんと・・・・お前も右腕、ちゃんと診てもらえ」
「わかった」
そう言い、ストレッチャーで運ばれていく瀬音に向かって歩き出す妹見やり、それから警察官に向き直った。仙人も救急隊が診ている。
「今回の顛末は関係者から色々聞いてる・・・でも、まぁ、話は詳しく聞かせてもらうよ」
「知っていることは全部話します」
はっきりそう言う明日斗の肩を2度ポンポンと叩いた警察官は微笑をたたえたまま、走り行く救急車を見送った。追加の救急車も向こうに見える。
「あと、あっちに全王治大刀がいます」
「向かわせよう」
そう言い、指示を出す私服の警察官を見つつ、明日斗はもう一度仙人を見た。こちらも今来た救急車から出てきた救急隊が走り寄る。既に警察官が囲む中を。
「とりあえず、終わったのかな?」
そう呟く明日斗はホッとし、空を仰いだ。雲に覆われているのか、月も星もそこにはない。晴れない心はこの夜空と同じかと思う明日斗は小さなため息をつくと警察官に促されてパトカーへと向かって歩くのだった。




