結婚相手は突然に 4
瀬音の訪問があり、勝手に婚約の話が進んでいくせいか、明日斗は眠れぬ夜を過ごして寝不足だった。あれよあれよという間に話は進み、たった1日で将来を決められてしまったのだから無理もない。何度も寝返りをうちつつ勝手に決められた将来を嘆き、それなのに何故かそれを受け入れている自分に疑問が浮かぶ。ただ、瀬音の告白も、キスも、ドキドキはしたが何かが足りないと思う。自分が彼女を好きでないからか、それとも別の理由か。それは前者だと決めて目を閉じた。だが、眠りにつくことは出来ずに結局徹夜をしてしまった明日斗だった。
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ひどい顔をした明日斗は洗面所に向かい、鏡に映る自分の顔を見てうんざりしていた。そのせいか、瀬音との結婚に関してはもうどうでいいと思い始めている。いつもこうだ。深くは考えず、なるようにしかならないといった思考で生きているからだろう。流されるままに生きているといってもいい。これまでそれでどうにかなってきたこともあって、明日斗は婚約に関して深く考えることを止めたのだ。なるようになる、結婚するにしろ、しないにしろ。ただ、相手が瀬音でいいのかといった疑念は頭の片隅にあった。
「おにぃ、おはよう」
背後からそう声を掛けられ、鏡越しに挨拶を交わす。寝不足気味の顔をしているが、いつもと変わらぬ雰囲気に紗々音は小さく微笑んだ。これこそ兄だ、そんな笑みだ。
「婚約の話、サクラにしたよ」
「そう」
「私が結婚したいのにって、怒ってた」
「そうか」
紗々音の言葉に苦笑しつつそう返す明日斗は顔を洗うとさっさと行ってしまう。そんな兄を見送る紗々音は冗談ではなく、本当の言葉なのにとほくそ笑んでいた。この状況を誰よりも楽しんでいるのはこの紗々音だろう。サクラにしろ、りんごにしろ、この婚約騒動で動きを見せるのは間違いない、それが楽しみなのだ。瀬音には悪いが、もつれにもつれてくれたほうが他人事なので面白い。もちろん、最終的には瀬音と結婚してお金持ちと身内になることが前提であるが。
「うん、我ながらサイテーだ」
自覚のある悪意を認識しつつ鏡に映る自分を見た紗々音はあの内気なサクラが妙に前向きな発言をしていたのがどこか嬉しい。いつも自分を前に出さないその性格は多少なりとも直してあげたいと思っていたからだ。だからか、今日のサクラの言動が気になりつつもさっさと顔を洗う紗々音だった。
*
今朝はりんごと会うことなく学校へとたどり着く。明日斗にすればたまにあることなので気にならないが、紗々音としては意図的に避けたのだなと思えていた。昇降口で兄と別れた紗々音が教室に行けば、顔を見るなり大股で近づくサクラを見て苦笑を浮かべた。その表情からしても恋心と嫉妬心に火が点いたことはわかる。
「おっはよう!」
「おはよう・・・・で、婚約の話はどうなったの?」
会うなりの言葉にやはりそれかと思い、紗々音が今のサクラの言葉に注目をしてくる数人のクラスメートの視線を感じつつもその場で普通に話を始めた。
「まぁ、母さんは認めた。3か月後に婚約の儀式かなんかあって、そこで正式に、って感じかな」
「3か月後って・・・・け、結婚は?」
「それは会長が20歳になってから、だったっけかな?」
「・・・明日斗さんは?明日斗さんは認めたの?」
「認めたも何も、まぁ、決まりだし」
「ぐっ!」
内気なサクラにしては初めて見せるその気迫にさすがの紗々音も少々驚いた。恋は女の子の性格も変えてしまうらしい。
「なになに?婚約って?」
「会長って?生徒会長?」
さっきの会話を聞きつけたクラスメートも集まってくる。これはますます面白いことになりそうだとほくそ笑んだ紗々音は何かを思案しているサクラを横目に瀬音と明日斗の婚約に関しての話を始めるのだった。
*
「おはよう」
明らかに不機嫌そうな顔と声であいさつをしてきたりんごに対し、明日斗は深いため息をついた。機嫌の悪いその理由も瀬音のわがままに対するものだけだと思っている明日斗にとって、りんごのその本心を理解できていないことが機嫌の悪さの上乗せになる。
「おはようさん」
「婚約、おめでとう」
冷たい言い方と能面のような表情に恐怖を感じるものの、再度ため息をついた明日斗は頭を掻きつつ反論しようと口を開きかけた。
「木戸君」
不意にそう呼ばれ、明日斗とりんごが声の主へと顔を向ける。両名ともが渋い顔をするものの、その主である瀬音はにこやかに微笑みながら近づいてきた。だが、その前にりんごが立ちはだかる。
「ここは2年の教室です。3年生の先輩が何の用ですか?」
睨むりんごに笑みを消さず、瀬音は髪を軽くかき上げると微笑みをそのままに腕組みをしてみせた。
「上級生が下級生の教室に来ることに問題でも?」
「用がないならすみやかに退去願います」
「あら?校則にそんな規則はないし、用があるから来ています」
淡々と正論を述べる瀬音に対し、ぐぬぬといった顔をするしかないりんご。論法で瀬音に勝てるはずもないと考えている明日斗がりんごの横に立った。
「なんスか?」
抑揚のない声だったが、瀬音はにこやかに微笑み返す。
「婚約の儀のこととか、今日中に話をしておきたいの。3か月後といってもすぐだしね」
「こ、こんやくぅぅっ!」
教室中が騒ぎ立てるが、りんごは瀬音を睨んだまま、明日斗は周囲を見つつ困った顔をするだけだ。わいわいと騒ぐ下級生たちをぐるっと見渡し、瀬音は満足そうに微笑むとそのままずいっと一歩、明日斗に近づいた。
「あっくん、あんた、それでいいの?」
声を大きくしてそう言うりんごに対し、明日斗は困った顔をするしかない。結局、流されるままにこうなっているだけで、自分の意志などもう関係ないところまで来ているという自覚はある。だからといって強く否定する自分はいない。なるようにしかならない、そう思っているからだろう。
「いいってか・・・もうそうなってるわけだしさ」
「はっきり言ってよね!」
「そうね、はっきりした方がいいわ。私と結婚するのかしないのか、皆さんの前で宣言してくださる?」
そう言われて周囲を見渡せば、スマホでこの状況を録画している者、きゃっきゃと騒ぐ女子たち、興味津々といった顔でニヤつく男子たちにぐるりと取り囲まれている。
「で、どうするの?」
詰め寄るりんごに困った顔をするしかない明日斗は大きくため息をつき、そのまま天井を見上げた。
「俺の意志なんてないよ・・そうなってるから、だからそうなる」
「はぁ?意味わかんない」
「けど、それがあなたの意志よね?」
はっきり瀬音にそう言われ、明日斗は黙り込むしかなかった。確かにそうだ。流されているとはいえ、否定をしない自分を自覚しているだけに、ならばそれは肯定に値する。つまりはこのままの流れで瀬音と結婚するということだ。
「まぁ、うん」
その煮え切らない返事にブチ切れたりんごは明日斗を抱き寄せ、そのまま大きな胸に顔をうずめさせた。
「あっくんは渡さない!あっくんは私と結婚するの!小さい頃に約束したの!だから、私が先に婚約したの!絶対ダメっ!」
興奮するりんごのその言葉に周囲から歓声と悲鳴、そして冷やかしの声が上がる。だがりんごは自分が告白したという意識もなく、ただキッと瀬音を睨んだままだ。
「そんなの、どうせ幼稚園の頃の話、でしょ?」
呆れた口調の瀬音だが、りんごの目には強い光が宿っている。
「そうよ!だから私が先!」
「くだらない・・・明日斗くん、あなたそれを覚えてる?」
心底うんざりしたため息をついた瀬音の言葉に困惑する明日斗はそんなこともあったかなと思うが、何せ昔々のことだ、記憶も曖昧だ。
「あー、あった・・・・かも?」
「かも?かもって何よ!」
「だってさ、幼稚園の頃の話だぞ?」
「小学2年の時も言った!」
「そうだっけ?」
「そうよ!」
そのやりとりの間も冷やかしの声は止まない。いつしか他の教室の生徒たちも廊下から様子をうかがっているほどだ。
「水梨さん?あなたはそれを彼のご両親に了承していただいたの?」
「そうよ!そうなればいいねって!」
「それ、認められてないでしょ?私は昨日、彼のお母様にご了承頂いている。正式な婚約はまだだけど、けれど、承認は得ています」
グッと睨むりんごの目に涙が浮かぶ。力の緩んだりんごの胸から少し顔を離した明日斗が小さなため息をついた瞬間だった。急に顔を引っ張られ、唇に柔らかい感触を覚えた。スマホのシャッター音が乱舞する中、りんごは自分の唇を明日斗の唇に重ねていた。
「これでおあいこ!婚約も!キスも!」
「胸は大きいけど、お子様ね・・・・」
大きなため息をつく瀬音が再度髪をかきあげた時だった。
「なにやってるの?チャイムは鳴ったわよ!」
教室に入るなりそう叫んだ祐奈の声に反応しつつ、それでも誰も席に戻ろうとはしない。祐奈は怒った顔のままぐるりと教室を見渡せば、他のクラスの生徒たちが渋々と戻っていくのが見えるだけだ。
「ん?」
そこでようやく睨み合うりんごと瀬音の姿を認め、そっちに近づく。
「石垣さん、あなたがどうしてここに?」
「婚約者に会いに、です。まぁ、もう戻りますけど」
「婚約者は私です!」
「ここここここ・・・・・こ、こ、こ、婚約!?」
すっとんきょうな声を上げた祐奈が何度も瀬音とりんご、明日斗を見やる。だが瀬音とりんごは睨み合ったままで、明日斗は困った顔をしつつ愛想笑いを返すのが精いっぱいだ。
「そ、そんなぁ・・・木戸君、婚約?」
明らかに動揺し、落ち込んだ様子の祐奈を見やる瀬音は小さく微笑み、それから祐奈に顔を向けた。
「もしかして先生も彼を?」
挑発的な言葉だったが、茫然自失なままの祐奈は何故か素直にうなずいていた。
「そりゃ年の差はあれど・・・・でも、あんなにやさしくされたし・・・私・・・」
今の言葉に色々と誤解をした生徒たちから冷やかしの声があがり、ここでようやく祐奈は我に返った。だが、時すでに遅しだ。必死で両手を振り、涙目で弁解するが誰も何も聞かない。りんごは明日斗を離さず、瀬音は腕組みをしたまま不敵な笑みを浮かべ、祐奈は泣きそうになりながら弁解を続けている。
「こらぁぁぁ!さっさと席につきなさい!それと、木戸、水梨、石垣、それと高垣先生はこのまますぐに校長室へ!」
突然現れた教頭の佐々木の怒鳴り声に一斉に動きを見える生徒たち。鬼軍曹との異名を取る佐々木の登場に教室がごった返す中、それでも動きを見せない4人にさすがの佐々木も困惑するしかないのだった。