ターンオーバー 2
その日は雨だった。いよいよ明日、運命が決まる。そんな気持ちの中で窓の外を見つめるものの、あいにくの雨だ。本来であれば今日も明日斗とデートだったのだが、打ち合わせがあるという仙人の言葉によって急遽キャンセルとなり、今は自室にいる状態だ。今日まで毎日デートをし、婚約のことなどは一切触れずに過ごしてきたのは明日斗に本気で魅かれている自分を自覚したせいだろう。腹黒い女の腹黒い計画を知りながらそれに乗っかってくれたお人よし。優しく、厳しく、そして意外と懐の広いところに魅かれたのかもしれない。いや、ただ利用価値が高い部分に魅かれたのかも。しかし、今は本気だといえる。理由などどうでもいい。
「いるのか?」
唐突にノックされた部屋のドアの向こうから兄の声がし、瀬音は軽く返事をした。あんなに愛していたのにと自分の移り気の速さに閉口する。愛してやまなかった兄への想いはもうないに等しい。その理由もわからないまま。
「明日、夕方に出かける。大刀と直接対話をして、そこで正式に婚約者は明日斗君に決定だ」
「そう、よかった」
「まぁ、その半年後には正式な婚約となるから、それまでに上手く別れておくように」
「・・・そのことなんだけど」
計画を聞かされてなお、揺れる気持ちは整理がつかない。だからいっそのこと本心を兄にぶちまけようと決めていた。
「そのまま、彼と婚約して、結婚ってのは、ありなのかな?」
おどおどした様子でそう切り出す妹の言葉は予想通りだ。既に自分に心はなく、利用すべき相手に本気になった哀れな娘だ。
「まぁ、あり、かもな・・・・だが、そうなるとこのしきたりは続くぞ」
「だよね」
「でも、お前は最初から彼を選び、このくだらない儀式がなければすんなりとことは進んでいた、それはまぁ、進言すべき事なのかも」
苦笑混じりにそう言う仙人の言葉に瀬音は嬉しそうに微笑んだ。
「明日の結果を告げる時に、言ってみる」
「そうしろ。出かけるのはお前と2人、父さんも母さんも別行動だ」
「そうなの?」
当初の計画では必ず一緒に行動するはずだった。しかし、全王治がああなった以上、それもやむなしと思う。本来は親同士で会話し、婚約の儀に至ろうが至るまいが、決着をつける手筈になっていたからだ。
「全王治も大刀と朝妃の2人だけだしな・・・お前はどんと構えておけばいい」
「明日斗は?」
「勿論、彼も呼ぶ。そこも私に任せておきなさい」
「うん」
「お前は公平な立場を貫く必要がある。お前が選んだ相手が木戸君であっても、な」
「うん」
2度目の返事はどこか暗い。何故か胸の奥がざわつくのを感じた結果だった。
「じゃぁ、明日、出かけるのは17時というところだ。それまでに支度しておきなさい」
「わかった」
「さて、忙しくなるぞ」
「そうだね」
「じゃ」
にこやかな笑みを残し、兄は部屋を出た。胸のざわつきは幾分か収まったものの、漠然とした不安は残ったままだ。一方で、部屋を出た仙人は不敵な笑みを隠さない。全ては計画通り進行中だ。その証拠に滝澤弟から仕掛けの準備は完了、今夜実行するとのメールが届いている。もちろん、それは後々に警察が見てもわからない暗号文のようなメールだったが。とはいえ、警察も既に手中に収めている。今の警察は掌握しやすい。かつて『魔獣』と手を組んだ正義感にあふれた連中ももういないのだから。
「石垣の血は入れ替わる。真に偉大な遺伝子を持つ者だけの血筋に、な」
声にこそ出さず、仙人は笑った。悪鬼の笑みである。
*
不意にやってきたメールに片眉を動かすのは大崎閃光だった。滝澤からのそのメールは全王治大刀が婚約者候補を降りる、というものだ。滝澤は既に全王治に見切りをつけている、自分が仕えていたのは当主になるはずの無指だけだった、という内容も添えて。だからこそ会いたいというメッセージに閃光は一考し、それから受諾の返信をした。裏がありそうなだけに警戒はすべきだろう。仙人の動きも普通だが不気味な中、一応木戸天音に連絡を入れておく。気を付けて、との返信だったが、明日のことも記載されていただけに悩むところだ。明日斗と仙人が会うとなれば、大刀が婚約者候補を放棄したところで何かしらの謀略が働くかもしれないという危機感はある。そこは大丈夫かと聞けば、紗々音を護衛に加えるという文言が添えられていた。だから大丈夫だと。
「娘は木戸の継承者・・・仙人よりは強いという判断か」
確かにあの娘は化け物だが、仙人の底も知れない。明日斗が戦う意思を見せ、その上で本気出せれば問題ないのだろうが、そこは期待できないだろう。仕方がない、そう決めて明日15時に会いたいという滝澤のメールに問題ないと返した。
「明日で全ての決着がつくのか・・・・全王治のアレが気になるところだが」
結局のところ、無指と当主の死は事故であると発表されたままで終わっている。仙人の圧力の強さを思い知った上で、いつの間にそこまで準備していたのかと恐ろしくなる。おそらくは政府の大物にも取り入っているのだろうが、権力を得るというのはまた権力を持つ者の特権だ。このままいけば、石垣はかつての力を完全に取り戻して日本の中枢に深く関わるだろう。しかし、あの両親がそれを承諾するのだろうか。
「邪魔な存在を仙人がそのままにしておくだろうか・・・しかし、そのための瀬音なのか」
常にある疑問はそこだ。いくら当主になった後で政府に権威を振りかざそうとしても、あの穏健派の両親がそれを許すとは思えない。
「全王治のアレが、石垣にも及ぶとなると、危険だが」
そこは明日以降で深く調査することに決める。まずは滝澤と会って全王治の全てを知ることと、彼が知る仙人と大刀の関係を聞き出すことが先決だ。明日で一区切り、それを胸に、閃光は小さなため息をつくのだった。
*
明日で決着がつく。全王治は引き、予定通り事が進むだろう。だが、不安は消えない。あの石垣仙人が黙っているとは思えないからだ。何故だろう、いつもであればどうでもいいことなのに、なのに、気になって仕方がない。流されるままに生きてきたのに、今回に至ってはそれが薄い。戦う気が生まれたわけでもなく、立ち向かう気もない。なのに、不思議だ。
「で、どうするの?やるの?」
祐奈は優雅にコーヒーの入ったコップを手にし、それを一口飲んだ。
「婚約者、決定・・・・で、フラれる、でいいんだよね?」
りんごの言葉通りのはずだが、ここ最近の瀬音の様子からそれもどこか怪しい。そのまま結婚という線もありうるのだ、十分。
「瀬音さんのお兄さんも気になります」
サクラの言葉に自然と頷いていた。あの男の底は見えず、その思惑も瀬音とは一致しているとは思えない。
「明日は嵐になるよ・・・・そんな気がする、絶対に、そうなる気が」
「でも雨は夜中には止むよ?明日は晴れだし、予報では」
紗々音の言葉にそう返すりんごに全員がうなだれた。だが、場の空気が和んだのは間違いない。
「まぁ、嵐は明日以降でしょう?あの女、嫌がらせにそのまま結婚しそうだもの」
「確かになぁ」
「それは予想外、でもないか」
女性陣の言葉に頷き、明日斗は紗々音を見やった。その目を見た紗々音は自分の意図することを感じている兄に好感を得ていた。彼もまた感じているのだろう、嵐が巻き起こる、そんな予感を。
「明日は絶対にここから出ないで欲しい」
「お母さんにも言われているから出ないけど、ヤバイの?」
明日斗の雰囲気からそう判断した祐奈に、困った顔をするしかない。漠然とした不安があるとは言えず、ただ苦笑を浮かべた。
「そうならないために私が出動なのよね・・・・最悪、瀬音さんのお兄さんと戦うことになるかもね」
「勝てるの?」
不安そうなサクラの言葉ににんまりとした笑顔を返す紗々音には絶対の自信が見えている。彼女にとって、敗北するという考えはない。自分を倒せる者など、この世に3人いるだけだ。そこに仙人は入っていない。
「とにかく、明日で一旦、決着だ」
明日斗の言葉に全員が頷いた。外の雨は激しさを増している。だからか、明日斗は窓の方に顔を向けて小さなため息をつくのだった。
*
細工を終え、滝澤弟は虚ろな目をしたままその場に座り込んだ。意志の奥底で自分を止める声がするものの、それをどうこうしようという考えはない。びしょ濡れになったまま、明日の行動を頭に描くだけ。
「兄ちゃん、僕は、空を飛べるよ」
子供のような口調でそうつぶやくとふらふらと立ち上がり、そのまま雨の夜を歩いて行く。鼻歌は聞こえるが、目から流れるのは雨か、涙か。
*
「明日から始まる。俺の新たなる第一歩が」
「ええ、あなたの時代への一歩、そしてこの子が見る未来への一歩」
少し目立つようになったお腹をさする朝妃に近づき、大刀はその腹にそっと手を置いた。母親との子、禁断の子、しかしながら自分の全てを引き継ぐ子だ。もう自分を止める者はいない。邪魔者である父も祖父ももうこの世にいないのだ。瀬音との婚約もどうでもいい。
「瀬音との子、出来ても、地盤を継ぐのはこの子」
「そうだよ・・・・でも、あっちの子は利用価値はあるよ」
「そうね、でも、所詮は駒」
朝妃は微笑み、息子の手にそっと手を重ねた。息子であり、愛しい人。そんな息子は明日、木戸の小娘を殺し、その力を政府に示す。全王治大刀は木戸の血筋よりも強いという証明だ。
「俺は変わる。そして超える。全王治の全てを、石垣を木戸を、そして人類を」
高らかにそう宣言する息子の手を引き、そっと優しい抱擁をする。大刀も子供のように母親の胸に顔を埋めて見せた。
「2人目もすぐに欲しい」
「そうだね・・・すぐに作ろう」
そう言い、見つめあい、熱いキスを交わす母子だった。
*
カーテンを開けると、まばゆい光が部屋を照らした。決戦の朝は苦もつない快晴だ。だから気を引き締める。嫌な予感は常に胸にあり、そして相変わらず戦う意思はない。それでも、自分は逃げない。それが何のためかわからないまま。
「練習だと最強、か」
常に母親から言われているその言葉を不意に思い出した。確かに練習だと紗々音にも、宗家の次期継承者にも負けることは少ない。いや、勝つ方が多い。何故勝てるのかはわかっていない。練習だから、相手も本気じゃないと感じていた。だが、紗々音の目は本気だったはずだ。
「戦わない、けど、どうだろう」
自問自答する明日斗に答えはない。決着をつける意志はあれど、仙人の出方次第だ。
「なるようにしか、ならない」
流されるままに生きてきた。言われるままに婚約者となった。彼女の計画通りに進めればよかった。それは今でも変わらない。なのに、仙人の思うままには動きたくないという自分がいる。ならば、それでいい、そう思う明日斗は気を引き締め、部屋を後にするのだった。




