帝王の帰還 5
会食となった石垣仙人と全王治無指の会談は、隣町にある大きな中華料理屋で実施されることになっていた。久しぶりの帰国になり、和食よりも中華を好んだ仙人の意向であるが無指としても問題はない。滝澤の運転する車で隣町まで向かう中、ぼんやりと景色を見つめつつ今後の展望を思い返していた。それもこの後の会談で変更が出るかもしれないからである。流れる景色を見つめ、来週には政府の人間とも会議が設けられているため、秋に向けて動きは活発的になる。
「さて、どう出るか」
独り言をつぶやく無指は目を閉じる。それは精神を集中させる、いつもの儀式のようなものだった。
*
身体を鍛えることは苦ではない。もうそんな次元は通り越してしまい、日課になっている。Tシャツ姿で腕立て伏せを200回した後で腹筋も200回こなす。その後、壁の周囲を5周するのがいつもの日課だ。明日斗は汗を拭うこともせず、同じようにジョギングをしている警備の人間を追い抜いていった。木戸の名は継がない自分がこんなことをする意味はないが、今は非常事態、自分が守るべき人間がいる限りは続ける決意だ。もっとも、だからといって戦う気はない。
「君も強いのだろう?」
不意に横に並んだ男からそう声をかけられてそっちを見やれば、そこにいたのは阪田だった。にこやかな笑みに答えず、明日斗は前を向いて走るのみだ。
「弱いですよ」
「そうか」
とてもそう思っている風でもない阪田の言葉に明日斗は鼻で大きく息を吐く。そんな明日斗を見て苦笑する阪田は額の汗を1つ拭った。
「妹さん、化け物だね・・・・木戸の一族はみな化け物だと聞いていたが、身に染みたよ」
「みんながみんな、化け物じゃないですよ。僕は違う」
「そうなのか?」
意外そうにそう言われるが、明日斗は無表情のままだった。
「練習では五分に妹と戦える、でも、実戦は違う。怖いんですよね、戦うことが。そもそも戦う気にならない」
「だから彼女が名を継いだ?」
「ええ」
淡々とそう答える明日斗に対し、苦笑を微笑に変えた阪田が少しだけペースを上げる。明日斗もまた自然とペースを上げていった。
「なら、全部練習だと思えばいい」
「母にもそう言われてますけど、練習と実戦じゃ違う。練習では殺されない、でも本番じゃそれもある」
「練習でも同じさ。現に私は殺されると思ったよ。そんな彼女を相手に互角に戦えるなら、君はきっと誰とでも戦える。強い弱い、怖い怖くないじゃない、目の前の敵をただ倒すだけ」
それが出来ないから困っている、明日斗はそう思うが口にしない。しても無駄だからだ。わからない人にはわからない、それを理解している。
「ただ目の前の敵に対し、できることをするだけだよ。それは練習でも実戦でも同じ」
阪田はそう言い残してさらにペースを上げた。逆に明日斗はペースを落とす。出来ることをするのであれば、逃げてもいいはずだ。サクラはそれでもいいと言ってくれたのだから。明日斗はため息をつくとペースを落としたままでジョギングを継続する。かなり先では阪田がそれを終えているのが見えた。
*
仕事に戻る父親を見送るため、母親と紗々音が東京まで同行している中、明日斗は部屋に戻ってシャワーを浴びた。明日は瀬音とデートである。隣町にあるショッピングモールまで行くのだが、きっとあの3人が尾行して来るのだろうとため息が出る。まぁ、それはそれで仕方がない。
「悪を討つのが木戸、か」
勝手に宿縁にされてはたまったものではない。祖父から始まったその宿縁は本家が受け継げばいい、そう思っている。自分は分家で、しかも名も継いでいない。つまり、この先、自分の家系からは継承者は出ないのだから。なのに、そう思う明日斗はバスタオルで身体を拭くと全裸でリビングに戻った。鍛え上げた肉体に意味はない。鍛え続けているのもこの騒動が終結するまでだ。血がたぎることもなく、あるのは漠然とした恐怖だけだ。誰かを守れない恐怖、失うかもしれない恐怖、そして自身が死ぬかもしれない恐怖が。
*
店に入り、名を告げれば奥の部屋に案内された。個室だ、当然のことだろうがよくわかっていると思う。部屋に入れば、椅子から立ち上がった仙人がいた。短く刈り込んだ髪は茶色、切れ長の目、鼻筋が通ったその顔は間違いなく石垣仙人本人だ。スーツ姿で丁寧に頭を下げた仙人は2人に席を勧める。こちらも頭を上げると席に着いた。
「すみません、こちらは2人で」
「いえ、気にしておりません。こっちが勝手に申し入れただけですので」
非常に丁寧に、物腰の柔らかい雰囲気。これが石垣家の次期当主なのか、自分の息子とはまるで違うことが歯がゆかった。
「本日はお忙しい中でこうした場を設けさせていただきました。本来であれば妹の婚約者候補にお会いしたかったのですが、入院中との情報を耳にしたもので」
「いえ、こちらとしてもお会いしたかったものですから、願ったり叶ったりですね」
にこやかにそう言い、席に着く。滝澤は2人が席に着いたのを見てから自身も座る。これから始まる話の内容を録音する準備も万端に。やがて前菜が運ばれて来た。同時にアルコールも。
「勝手にオーダーしました。よろしかったでしょうか?」
「かまいません、運転手もいますので」
「そちらの方にはウーロン茶をオーダーしておきました」
「恐縮です」
滝澤のその言葉に実に優しい笑みを見せる。油断ならない、そう思わせる笑みだ。
「では、まずは乾杯を」
「ええ、乾杯」
2人がビールを飲む。そのまま箸を伸ばして前菜を口にした。
「婚約の儀では、代理人、たしか・・・大崎閃光さんが敗北したと聞いています」
「ええ、恥ずかしい限りです」
「仕方がありませんよ、妹はそういうのを見越して婚約者を選んだのでしょうから」
「婚約の儀を考えれば、それも当然である、と?」
「不自由な恋愛ですよ。自分も同じで、両親の許可はおろか、相手の素性はかなり絞られてしまいます」
「だから、改革を?」
攻めた、そう思う滝澤の意図に反し、仙人は笑みを浮かべてビールを飲む。
「そちらも同じなのでしょう?古いしきたりに縛られた家に未来はない」
「そうですね」
しきたりを守りながらも権力も財力も維持してきた石垣家、しきたりもほとんど無視した現当主のやり方でしか没落を救えない全王治家、同じではない。だが、根本は同じだ。結局はそのしきたりに縛られてきた石垣家の動き1つで全てが変わる。
「しきたりなど、自分の代で終わらせます。今の時代にあっても仕方がない」
「今から変える、のではなく?」
「当然でしょう。私にその権限はありません。当主になってから、です」
「なるほど」
「だから瀬音には申し訳ないですが、しきたりに従ってもらいます」
仙人は運ばれて来た八宝菜を皿に盛り、テーブルを回して無指に差し出した。
「つまり、私の息子と結婚となっても受け入れる、と?」
頭を下げながらそう言う無指にも笑みを変えない。滝澤が仙人に替わって運ばれてくる料理を皿に移す役割を担う。
「当然です。ですが、本心では妹には自分で選んだ人と結婚してほしいとは思っています」
「それはそうでしょうね」
「だからといって全王治と縁を切ることもしたくはない」
ここで無指の箸が止まった。今言った言葉の意味がわからないからだ。婚約者が明日斗に決まった時点で全王治と石垣家の縁は切れる。臣下のような立ち位置であっても、没落する寸前の全王治など石垣家にとっては不要でしかないからだ。つまり、この仙人にとって自分たちはまだ利用価値があるということか。
「それはどういう意味でしょうか?」
「せっかくの縁です、私だけでは出来ない改革もあります。他の家の力を借りるという選択肢もあり、ということですね」
「木戸も、ですか?」
「妹が全王治大刀さんと結婚となれば、木戸とは縁が切れます。あの家は特殊すぎます」
「まぁ、確かに」
「親戚となれば、協力を仰ぎます。ただそれだけ」
決して気を張らずに淡々とそう口にする仙人の意図が読めない。本心か、あるいは利用しようとしているのか。どちらとも取れるだけに無指はにこやかに対応しつつも思考はフル回転させていた。
「特殊、ですか」
「ええ、特殊です。それはおわかりでしょう?」
「あなたがよこした資料通りに?」
瀧澤は無指が仕掛けたと緊張する。からあげを皿に盛り、仙人に回しながら。それを受け取った仙人は笑みを消さずに無指を見やった。
「そうですね」
「何故匿名で?」
「妹を応援する、そう言った手前です」
その笑みは変わらない。意図は読めず、無指は沈黙した。
「公平に、そう思っただけですよ。彼らは謎が多すぎる。『キング』、『ゼロ』、『ゴッド』そしてそれに与する者たちを排除してきた恐るべき血筋。決して常人には出来なかった、成しえなかったことを成した、それは脅威です」
「脅威、ですか」
「彼らは半世紀を経て政府と強いパイプで繋がっている。しかも深い部分で。それを考えると、石垣や全王治など足元にも及ばない位置まで達しています。妹はそこまで知らず、ただ惚れただけだと言っていました。知っていたらもっと上手くやっていた、そう言っていたぐらいですから」
ビールを口にしつつそう言う仙人に無指は目を細めた。今の言葉は本心だろう、そう思いながら。実際、全てを知っていての婚約者であればこの仙人もそれを最大限に利用したはずだ。
「改革は進めます。ですが、それは今ではない。それだけは伝えておきたかった」
ここでようやく強い意志を感じる笑みに変化した。それは無指の背中をゾクリとさせる嫌なものだ。滝澤は感じなかったが、権力を手にしたものだけが感じ取れるものだったのかもしれない。
「そして」
仙人が不意にそう言葉を続けたため、思考を戻した無指はコップを口に当てた。表情を読まれにくくするためだ。
「そちらも是非、あなたに当主の座について頂き、改革を推し進めていただきたい」
「それに関しては難しいかと」
「現当主、あなたの前でこう言うのもなんですが、あなただからこそあえて言います、もう遺物は処理すべきだと」
処理、その言葉に眉を動かす無指、驚く滝澤。仙人は微笑みを残して唐揚げを食べる。
「噂では、臓器を機械化して生きながらえているとか・・・・人でなくなった者が人を支配するなど自然の摂理に反する」
ここで初めて鋭い目をしてみせた仙人を見た無指の中で最初で最後の親近感を得るのだった。
*
その後は雑談が続いた。イギリス留学の話、全王治の苦労話など、話題は多岐に渡った。あまりに友好的なムードの滝澤はホッとしつつ、それ故に仙人の本心を見抜けないことを歯がゆくも思う。
「本来、石垣、全王治は手を取り合って権力を行使すべき時代があったと思います。だが、そう出来なかった。だからこそ、今、手を取り合うべきだと感じています。城之内はその点、上手くやったと思います。明治に移った日本政府に上手く入り込み、権力と財力を維持してきた」
「現当主の城之内昴、あの男もかなり切れる。権力を分家にも分け、政府との距離感を上手く保っている」
「ああならねばなりません。我々も」
その言葉に頷く無指だが、やはり本心が読めない。本当に協力関係を築こうとしているのかどうかわからないのだ。言葉通りの意味に取って後で泣きを見るのはごめんだ。
「ところで、大刀さんは大丈夫なのですか?」
お茶を手にしつつそう問う仙人に、こちらもお茶の入ったコップを口に当てた。表情を読まれないためだ。
「ええ、過度の肥満を解消しようと無茶なダイエットをした結果です。かなり無理をしたようで」
「それは大変ですね。まぁそうしないと恋敵に勝てないという意識改革の成せるものなのでしょう」
「そんな大層なものではありません。馬鹿なほど無茶をしただけです」
穏やかに微笑む無指を見て、仙人もまた微笑んだ。やはり本心は見えない。
「さて、そろそろ」
無指のその言葉に滝澤が立ち上がった時だった。
「会計は私がもちます。こちらから申し出たことですので」
その言葉に一礼し、滝澤は出しかけた財布をしまって先に部屋を出た。車の準備をするためだろう、そう思う仙人は無指を部屋の外へ促した。
「大刀さんの直接対決、楽しみにしています」
「死に物狂いで勝つ、そうは言っていましたが、まずは無茶なダイエットを止めさせますよ」
今のままでは確実に負ける。いや、勝負にすらならない、そう考える仙人は何か動きがあると実感した。今の無指の反応からもそれが間違いでないことはわかっている。それを気配にも表情にも出さず、店の前に止まった車から出た滝澤が後部座席を開き、そこに乗り込む無指に近づいた。窓を開く無指もにこやかな笑みを浮かべている。
「次はぜひ、こちらが」
「ええ、近いうちに是非」
そう言い、がっちりと握手を交わす。お互いに穏やかな笑み、気配をそのままに。そうして車が発進し、頭を下げてそれを見送った仙人は財布からカードを取り出すと店の入り口にいたボーイにそれを手渡した。
「種は蒔いたが、気になるのはデブだな」
冷たい目をしてそう吐き捨て、一旦店に戻る。会計を終えてカードを受け取った仙人は店を出て駅方向に向かった。タクシーを拾うためだ。
「さて、どう動く?無指さん」
冷たい目が笑う。邪悪に満ちた目の光をそのままに、仙人はやや速足で歩みを進めるのだった。計画の追加要綱を頭に描きながら。




