帝王の帰還 1
幼い頃に見た裸体とはまるで違う、そういうことを考えている自分は冷静なのだろうか。いや、冷静であるはずがない。何故ならば、胸の大きな膨らみと、そして下腹部の下にある茂みに目を奪われているからだ。幼い頃に一緒に入った風呂では、そういうものは当たり前だが一切なかった。明日斗は目を逸らすことも出来ず、かといってどうしていいかの思考も働かない状態にあった。
「あっくん・・・」
悩まし気な声に正気に戻るものの、目は大きな胸に釘付けのままだ。
「して、欲しい」
いいながら抱き着くりんごの身体を思わず抱きしめてしまった。まるで今の言葉を肯定するかのように。
「リセットするのはいい・・・返事も後でいい、でも、どうしても・・・」
「矛盾しすぎだろ?」
どうにか絞り出した言葉とは裏腹に、彼女を受け止めた腕は背中に回したままだった。自分こそ矛盾している、そう思いながらも一つ大きく息を吸込み、それから言葉をつづけた。
「今ここでそうなって、それで俺の答えが揺らいだら意味ないでしょ」
「きっとあっくんは瀬音さんを選ぶ・・・・納得はいかない。でも、私とこうなったって心と体に刻んで欲しい。私も刻まれたい」
「どこの官能小説だよ」
呆れた言葉と同時に明日斗がりんごから腕を外し、そっと肩に手を置いた。ようやく冷静さが保てるようになった証拠だ。だが、その柔らかい身体の感触はまだ続いている。
「瀬音さんを選ぶ理由もない」
「あっくんは瀬音さんの全てを知って、それでしっかりと話しあって、そんで、きっと、全部承知で結婚する、そういう人だから」
「ないよ・・・・自分の野望のために利用されて、それで納得できるわけない」
「じゃぁここではっきり答えを出してよ!瀬音さんを拒絶する!先生も拒絶する!サクラちゃんも拒絶する!そして、私も拒絶するって!」
「極端だよ」
「違う!あっくんがフラフラしすぎてんの!あほなの?」
そう言われては返す言葉もない。確かにフラフラしていると思う。祐奈に魅かれ、サクラに魅かれ、そしてりんごにも。優柔不断なのだとわかっている。
「フラフラしている、その自覚がある。だからリセットするんだよ。こういう状況ではなく、普通の状況になって、それで答えを出したい」
「それでもいい、でも今は私として」
「出来ない」
「嫌いだから?」
「いや・・・正直、もう我慢も限界に近い」
「だったら!」
「後悔したくないんだよ!」
明日斗の大声にりんごは体をびくつかせ、明日斗はグッと腕に力を入れてりんごを引き離した。
「してもいい、そう思ってる自分がいる。でも、後悔する。性欲に負けてしたことを、お互いに。結果、お前を選んだとしても」
「しないもん・・・・後悔、しないもん」
そう言うとりんごは床にへたり込んでわんわん泣いた。明日斗は大きくため息をつくと落ちているバスタオルを拾って震えているりんごの肩にそれをかけた。そのまま自分も片膝立ちになる。
「ここでお前としたら、同じ理由で先生やサクラちゃんともしないといけなくなる。でないと、おれはお前を選ぶという選択肢を重くするしかないから」
「そうしてよぉ」
すがるようにしてくるりんごをグッと押さえるようにし、明日斗は少しだけ笑みを見せた。
「出来ない。それはダメだ。そうしたら、俺は石垣瀬音と戦えない。全部が終わった後でりんごがいる、そういう逃げ場はいらないから。自分をとことんまで追い詰めないと俺は戦えないタイプなのかもしれない。紗々音と違って、木戸の成りそこないだしな」
「でもぉ・・・」
「全部が終わった後、3人とそうしてから決めるかもしれない、そうしないかもしれない。でも今はそんなのはどうでもいい。ここで今、お前とそうなるのは違う、そう思うから、だから、ごめんな」
ようやくその言葉を飲み込んだのか、りんごはフラフラと立ち上がり、再度バスルームへと向かった。その白いお尻を見ている自分を諫めつつ、明日斗もフラフラとベッドに座り込んだ。
「理性の強さは、木戸の名に恥じないか」
苦笑交じりに呟くものの、明日斗の理性も男性的な部分も限界であったのは間違いない。
*
翌朝、普段と変わりがない姿で朝食場に現れた2人を見たサクラと祐奈はホッとした感じになりつつも、どことなく雰囲気が違うことも気づいていた。それがどういうことか聞き出せるはずもなくもくもくと朝食を終え、チェックアウトする。その後、りんごの申し入れで4人で行動することになったことにも疑問を掲げたが、やはり聞くに聞けない2人は悶々としたままその日を終えることになった。
*
全王治の動向はない、それは読み通りだ。しかし木戸の動きは気になる。まさかあの場所を選ぶとは思ってもみなかったからだ。石垣仙人はソファに腰かけたままそこから見える景色を見つめている。かといって景色が頭の中にあるかといえばそうでなかった。
「瀬音」
冷たい口調だが気にしない瀬音が紅茶を手に兄に近づく。
「帰国後すぐに全王治と接触する、お前は木戸と接触しろ」
「まぁ、婚約者ですし、当然でしょうけど、何故?」
「やつらは当然こちらの計画に気付いている」
「でも問題ないでしょう?」
「ない。今は、な」
「未来のために動けと?」
「全王治と木戸のぶつかり合いなくして俺たちの計画は達成不能だ。だから両方を掻き立てる」
「わかってる」
そう言うと瀬音はソファのひじ掛けに腰を下ろした。愛しい人が腰に回す腕の温もりに満足しつつ。
「木戸の動きが予想とは違う・・・・あの一族は予測不能だからな、予測できるようにするしかない」
「私にかかっている、ですよね?」
「骨抜きにしろとは言わない、コントロールしろ」
冷たい目だがそこも愛しい。瀬音は小さく微笑むとわかったと告げた。両親も滞在中なため、恋仲とはいえど秘密の仲だ、いちゃいちゃはできない。不満はあれど、そう遠くない未来では公にそれが可能となるのであれば問題はない。
「ここからが正念場だ」
仙人はそうつぶやき、紅茶をすすった。
*
結局、りんごの思うデートは出来なかったものの、それでも満足していた。一夜を共にする計画は遂行出来なかったとはいえ、何故か晴れ晴れとしている自分が不思議だ。今は縁側でスイカを食べつつ、紗々音と明日斗の組み手を眺めている状態にあった。祐奈はサクラの勉強を見つつ同じようにスイカを食べている。それも組み手をちらちら見つつ。サクラも集中できないまでも、そこそこ宿題を消化している状態だった。
「少し、本気だすよ」
「少し、ねぇ」
紗々音が笑い、明日斗が呆れる。傷んだ道着の紗々音が一気に間合いを詰めた。新しく見える明日斗の道着姿が一瞬消えた。驚いたのはりんごや祐奈たちか、それとも紗々音か。見えない蹴りを屈んで躱した明日斗がその体勢から加速する。面食らった紗々音だが、即座に反応したのはやはり天才だからだろう。横なぎに放つ蹴りを片手で受けた明日斗が地面を蹴った。宙に舞うなど愚の骨頂、そう思うのがセオリーだが、相手は明日斗なのだ。そのまま頭頂部に向けて踵を見舞う。これもセオリーだ。
「どういう!」
言いつつ紗々音は蹴りでそれ迎撃した時だった。明日斗は一瞬で上半身を驚異的なバネで弾けさせ、それを膝蹴りに切り替えたのだ。予想にない動きだが紗々音も冷静だ。膝に足裏を置いたと同時にもう片方の足を跳ね上げた。しかし明日斗は置かれた紗々音の足を軸に身体の向きを変え、空中で回し蹴りを放った舌打ちする紗々音を見つつ、それを避けた妹から視線を外さない。すぐに紗々音は片手を地面に置いて身を捻る。
「どういうこと?」
空中戦、のはずだったのに、何故か今はお互いは地面の上でにらみ合っている。祐奈は茫然とし、最早理解できない2人の戦いに思考が追い付かない。
「はいはい、そこまで、スイカタイムよ」
2人のスイカを用意した母親の言葉を無視して紗々音が前に出た。
「やれやれ」
負けず嫌いだと思う。それもそうだ、紗々音はさっきの空中戦で決めるつもりだったのだから。だが明日斗はそうせさかった。
「紗々音が天才なら、明日斗は超天才ね・・・・まぁ、闘争心がないからこそ、だけど」
心でそう呟く母親はスイカを縁側に置いた。拳と蹴りが舞うが、明日斗はそれらすべてを受け、いなし、それから前に出た。地面を穿つような勢いで左足に力を込める。そのまま額で紗々音の拳を受けた。その衝撃が脳を揺らす前に顔を振ってそれを反らしつつ、紗々音の道着の襟を握る。そのまま引いていた右腕を前に出しつつ紗々音を引き寄せた。
「チィッ!」
イラ立つ紗々音の舌打ちにも似た声と同時に両足で地面を蹴った。空中に浮いた状態で明日斗の胸を蹴り、飛んできた拳の威力を少しだけ和らげたのは本能だろう。2人が弾かれたように地面に転がり、すぐに立った時だった。
「スイカ!」
パンと手を鳴らした母親の声にようやく闘気を消した。紗々音は不満げな顔をしつつ一礼し、スイカに向かって歩いた。明日斗は土を払い、それから背伸びをしてみせる。
「なんであれを試合とか実戦で出せないかねぇ」
イラ立つ紗々音がスイカを頬張る。練習では自分と互角かそれ以上に戦えるのに、歯がゆい。
「練習では最強、それが明日斗」
笑う母親が部屋に戻る。紗々音はタオルで汗を拭く明日斗を睨んだままだ。どういう兄妹だと思うが、これが木戸なのだろう。
「いつでもあれが出せれば、みんなを守れるのに」
「守ってくれる、そう信じてる」
紗々音のぼやきにそう言うりんごに賛同するのは祐奈とサクラだ。
「わかってないよ・・・・あれじゃ、本当に強い相手には勝てない」
嫌な予感が日に日に大きくなる自分と違い、楽観的な3人を見やると、紗々音は兄の分のスイカも手に取って大きく頬張るのだった。




