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明日、晴れるかな?  作者: 夏みかん
第1話
3/62

結婚相手は突然に 2

今はゴールデンウィークを目標に生活をしているといってもいい明日斗は帰宅部であるせいか、どこかのんびりした日常を送っていた。年子である妹の紗々音はテニス部であり、実に青春を謳歌している。元々持って生まれた運動神経がいいだけに、高校から始めたテニスだがそこそこの実力を発揮していた。放課後の廊下を歩く明日斗は運動部の声や吹奏楽部の演奏を聴きながら、先日りんごから言われた進路のことを考えていた。やりたいことも、目標もない。だからこそ、大学に行ってそれを探すのも手だと思う。いや、行ったら行ったで何も考えずに生き、就職に関しても深く考えないだろう、そういう自覚はある。


「木戸くん」


不意に背後から声をかけられた明日斗は振り返り、一瞬だけ困った顔をする。なぜならば、声をかけてきたその人物が苦手だからだ。何が、と問われれば何かはわからない。ただ漠然と苦手なのだ。


「石垣先輩・・・なんスか?」

「ちょっと、いいかしら?」

「あ、はぁ」

「出来れば人がいない場所がいいの・・・体育館の裏、でいい?」

「はぁ」


何故、生徒会長の石垣瀬音が声をかけてきたのか理解できない上に、何故、そんな場所で何を話そうというのか、不安しかない。それでも、瀬音の人柄を考えれば危ないことはないだろうと歩き出す。彼女は生徒会長であり、人望が厚いことを知っているからだ。前を行く瀬音の背中を見れば、腰に近い位置にまである長い髪がひときわ目立つ。明日斗にとっては超お金持ちのお嬢様、それが瀬音という認識でしかない。何せ年上で、学年も違えば接点もなく、関わることが少ない。ただ、ここいら一帯の地主でかなり大きな屋敷に住んでいる、それだけだった。その瀬音が自分に何の用なのか、それが怖い。そうしていると体育館の裏に到着した。ここは学校を囲む外壁と体育館の間に位置し、足首を隠す程度の雑草が茂っているせいか、夏には蚊が多く発生するために、蚊のいないこの時期でも人がいない。元々寄り付かないのだ。そんな場所で瀬音はくるりと反転し、戸惑う表情の明日斗に向き直った。


「木戸明日斗、16歳と9か月、両親と、1つ下の妹の4人暮らし、よね?」

「はぁ」

「父親は単身赴任中・・・それ以外はそこいらにあるごく普通の家庭」


家族情報は田舎だけに知れ渡っている。ただ、何故それをここで言うのかが不気味でしかない。


「家柄も、人柄も申し分ない、何より、あなたは強い・・・・それもかなり、ね」


今の言葉にドキッとした明日斗だが、それは顔に出さなかった。が、それを悟られた、そんな気がする。実際、瀬音は明日斗の動揺を感じ取っている。


「先日、あなたが高垣先生を助けた時、一部始終を見ていました」

「あ、ああ、あれ、ね」


あの時のことかとどこかほっとした。逆に、あれだけでかなり強いと評した瀬音に苦笑が漏れるほどに。あれを見ただけで強いと判断したとは笑えてしまう。だが、瀬音は余裕の表情を崩さない。


「あの後、先生を自宅にまで送り、無事に帰したことも評価しています。弱みにつけこんで邪な考えを抱かなかった点も、ね」


整った綺麗な顔立ちに嫌な笑みが浮かぶ。意図的にそんな言葉を発しているとしか思えない明日斗は後頭部を掻いてため息をついた。


「だからこそ、あなたに決めました」


その言葉に表情を硬くした。いよいよ本題か、そう感じたからだ。前置きはいい、そう思っていた明日斗にとって短い前置きで助かったと思っているほどだ。


「今、この瞬間から、あなたは私の婚約者になりました」


にこやかにそう言い、瀬音は一歩、明日斗に近づいた。そのあまりに突然の言葉に、普段は整った顔をしているはずの明日斗はまぬけな顔をしつつもう一度今の言葉を要求した。すると瀬音は勝気な笑みをそのままに、さっき口にした言葉を再度発する。


「だからぁ、あなたは今、この瞬間から、この私の、婚約者になったの」


腰に手を当て、大きな胸を殊更強調しつつそう言った瀬音は驚きで声も出ない明日斗にゆっくりと近づいていった。鼻先が触れそうになるのもお構いなく、悪戯な笑みを浮かべる。


「な、なんで、俺?」

「ま、それは後で・・・・・でもね、これは決定事項なのよ。あなたは私と結婚するの」


そう言い、一旦離れて背を向けてから振り返る瀬音が目を細める。そのあざとい動きすら明日斗の心を掴もうとしているかのようだ。


「そういうことだから、水梨さん?」


不意にそう名前を呼ばれたりんごは、壁から出していた顔を引っ込める。そのまま、こちらもかなり大きな胸の上に両手を置き、物理的には不可能である激しい心臓の鼓動を抑えにかかった。廊下を歩く2人を見て嫌な予感が走ったためにこっそりと後をつけてきたのだ。そして今、ここで聞いたとんでもない言葉。ただただ絶句する中、急に名前を呼ばれたりんごは慌てて隠れはしたものの、大きな胸を両手で抑えるようにして心を落ち着けにかかったのだった。


「彼は私の夫になりますので」

「なんで?明日斗!あんたは・・・それでいいの?」

「彼の意志は関係ありません。これは決定事項なので」


あわてて飛び出して叫ぶりんごに不敵な笑みを浮かべた瀬音は茫然としたままの明日斗の顔を引き寄せて、その豊満な胸にうずめて見せる。奇声を発するりんごの声をどこか遠くに聞きつつ、その柔らかい感触に浸る明日斗は何故こんな事態に陥ったのか全く理解できないまま、混乱した意識のままで胸の柔らかさだけに集中していく自分を情けなく思うのだった。


「決定って・・・なんで?石垣先輩なら、いくらでも選び放題でしょう?なのに、なんで明日斗?」

「そう、選び放題の中から選んだのが、木戸くん・・・つまり、私は彼が好きってこと」


突然のその告白に明日斗、りんごは固まった。何か事情があっての婚約者発言だったと思っていたからだ。しかし、今の言葉は事情も何もない。好きだから結婚したい、それだけなのだ。


「明日斗、好きよ」


そう言うと、固まったままの明日斗の顔を強引に引き寄せ、そのままキスをする。混乱の極みの中、その柔らかい感触といい香りに思考が飛んだ明日斗は絶叫するりんごの声も聞こえない状態になるのだった。



憮然とした顔をして廊下を歩くりんごの背中を見つめるしかない明日斗はため息をついてからそっと自分の唇に触れた。何ともいえない柔らかい感触だったと思う。それに、瀬音から流れてきたいい香りが今も鼻に残っている気がする。あんな美女に好きだと言われてキスをされた、それは夢だったかのような、実に現実味のない感じがしている。だが、あの香りと感触がそれを現実だと知らしめている。再度ため息をつき、りんごを追うように一歩を踏み出した時だった。


「木戸君!」


不意にそう呼ばれて振り返れば、そこにいたのは小柄でショートカットの女性、高垣祐奈だった。どこかはにかんだような笑みに苦笑し、明日斗は祐奈に向き直った。


「元気そうでなにより」

「おかげさまで」


英語の授業を受け持つ祐奈とはほぼ毎日顔を合わすといっていいだろう。だが、あの事件以来、2人で会うのはこれが初めてだ。だから2人は微笑みあった。


「珍しいね、こんな時間までいるなんてさ」


帰宅部である明日斗がこの時間まで残っていることは珍しい。けれど、ちゃんとした理由を言えるはずもなく愛想笑いを返すしかない。瀬音に告白されてキスされた上に婚約者となったとは言えないからだ。


「もしかして、私を待っててくれた、とか?」


教師らしくないその上目遣いにどこか照れた表情。けれど、明日斗にしてみれば自分より背の低い祐奈が上目遣いになったところで何も感じない。だから、不意にその頭に右手を乗せて優しく撫でてみせた。


「ちょ!ちょっとぉ!子ども扱いしないで!」


きつい口調ながらもどこか嬉しそうなのはなぜか。その証拠にその手を払いのけるようなことはしていない。


「中学生があんな暗い夜道を歩いちゃダメだぞ!」

「ちゅ!中学生じゃない!せんせー、先生なの!」

「見た目がそうなんだから・・・ま、でも、大人でもああいった暗い場所は歩かないように」

「まぁ、うん」


今日はえらく素直だなと思う。明日斗に限らず、皆が童顔で背の低い祐奈をからかうのだが、その度に顔を真っ赤にして怒るのが常だったはずだ。にこやかに頭をなで続ける明日斗は違和感に包まれながらも手を止めない。


「木戸君って、強かったんだね?」


その言葉に撫でる手が止まった。だからか、祐奈は残念そうな顔をし、それから気を取り直して背筋を伸ばした。


「普通だよ」

「え?そう?だって、何がどうなって助かったかよくわかんなかったし」

「そりゃ、あんだけパニくってたらね」

「でもナイフ持った相手に・・・」

「俺は中の上程度の強さ、だよ。俺より強いヤツなんてたくさんいる」


にこやかにそう言われてはもう返す言葉がない。どこか釈然としないながらも本人がそう言うのだ、そうなのだろうと決めた。


「ほんじゃ、行くわ」

「あ、木戸君、今度都合のいい日、ご飯でも食べに行こう?」

「生徒をナンパか?」

「ちーがーうー!お礼がしたいの!そこはちゃんとしたい!」


うーと唸りながらそう言う仕草も中学生だ。苦笑しつつも再度祐奈の頭に手を乗せ、それから頷いた。


「美味い中華とか、適当によろしく!」

「わかった!来週末辺りでよろしく」

「あいよ」


教師と生徒の会話ではないが、これでいいと思う。それにここは田舎だ、どこかオープンな土地柄もあってこういったことは少なくなかった。手を振って去って行く明日斗の背中を見つつ、祐奈は頭を撫でられた行為を思い出して顔を赤くし、へらへらした笑みをそのままに歩き出すのだった。



「遅いわね」

「すみません」


校門前で待っていた瀬音の言葉に苦笑した。わざわざ告白した当日の今日、母親に婚約のことを伝えたいという瀬音に押されて承諾したものの、そもそも自分はまだ告白の返事をした覚えも婚約を承諾した覚えもない。しかし、瀬音はどんどん先へと進めていこうと動いている。そこに今回の意図が見え隠れするが、明日斗は何も言えない。いや、真意は後でいい、何故かそう思えていたのだ。だから、瀬音専属運転手の待つ車に乗り込んだ。


「彼の家に」

「はい」

「え?」


瀬音の言葉にすぐに従う運転手の遠藤とは違い、明日斗はただ驚くばかりだ。何故なら、遠藤は明日斗に問うこともせずに車を走らせたからだ。しかも、どうやら方向も道もあっている。驚くしかない明日斗に対し、瀬音は広い車内で足を組み、くつろいでみせる。


「さっきも言ったけど、あなたのことは全て調査済みです。婚約者、だから」


にこやかにそう言い、瀬音は窓の外の景色へと顔を向けた。そんな瀬音を見つつ、明日斗は色々なことを考えるが答えは出ない。何故自分なのか、全てを調べたというが、何を知ったのか。何よりその意図だ。祐奈を助けた強さを見たから、というのが第一に思えた。素性などは二の次、そんな感じがしている。しかし、自分より強い者などごまんといる。とりあえず狭いこの町でただ選んだ、そんな風にしか思えなかった。


「家には誰が?」


不意にそう言われて現実に戻った明日斗は自分を見つめている瀬音を見やる。綺麗な顔立ち、艶やかな長い髪、聡明で知的な感じがにじみ出ている。まさにお嬢様といった風に。


「母は専業主婦ですので家にいますけど・・・父は仕事・・・知っての通り単身赴任中」

「それは理解してる。この時間に、お母様は今、家にいるのかなって話?」

「いますよ、多分」


買い物などに出かけていなければ、そう言いかけた明日斗の口が止まった。まさか、母親に婚約以外の何かを告げるために向かっているのか、そう思ったからだ。ただ単に送ってくれる、そんな風に捉えていた自分が恥ずかしくなる。婚約のことを告げると言って自宅へ向かう理由など、それしかないのに、何故か別の話もしそうな予感がある。青ざめる明日斗をよそに、瀬音はにこやかに微笑む。そしてまた窓の外の景色へと顔を向けた。頭の中に巡らすのは今後の対応だ。明日斗の母親次第ではすべてを話す必要もある、そう考える瀬音は重い心の内をおくびにも出さず、自分を見つめる明日斗の顔を窓越しに見つめるのだった。

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