譲れないポジション 1
ガラスのテーブルに置かれた教科書とノートは2人分。やたら乙女ちっくなその部屋は可愛らしいぬいぐるみや種類の豊富なバッグなど、女子高生の部屋のモデルルームのようだ。ベッドのは夏を迎える準備が整っているかのようにタオルケットと枕のみ、あとは綺麗な真っ白いシーツがまぶしい。男の明日斗がいるには場違いな部屋だったが、来慣れているせいか何も感じない。婚約の儀が終われば期末テストはすぐ目の前。だからこうして今日はりんごの部屋で試験勉強をしているのだ。元々成績は良い明日斗はわざわざテスト勉強をすることなどない。ただ、これはもう儀式のようなものだ。毎度毎度りんごの家庭教師のような状態でテスト勉強をする、これが明日斗のテスト前のルーティンだった。
「しっかし、なんで勝っちゃうかなぁ」
婚約の儀から3日、ずっと言われ続けるこの言葉はもう耳にタコだ。儀式の後、帰宅を待ち構えていたりんごの質問攻め、風呂上がりには紗々音を経由したサクラからの質問攻め、そして翌日の学校での祐奈からの質問攻め。モテ期は正直嬉しいと思うが、だからといってこれはこれでめんどくさかった。
「負けてもいい、そう思ったんだよ、あの時は」
そう、あの閃光のラッシュを受けて、明日斗はもう負けてもいいと思っていた。ただ、何故かあの畳を越えての敗北だけは許されない、そんな気がして踏ん張っていただけのことだ。それは格闘術を学んだプライドか、あるいは木戸の血のせいか。猛攻を受けて反撃する事もできずに下がった自分の小さな抵抗、その結果があの無意識の反撃に繋がって勝利を得たのだろう。
「ならさっさと負ければいいのに」
「体が勝手に反応したんだよ。負けてもいいって思ったら、気が緩んで、そしたら、こう・・・」
右腕を真横に、左腕を真上にほぼ同時に動かす。
「木戸無双流でいうところの、左右重ね、それを使ってた」
「無意識に、ね・・・要するに結婚したかったんでしょ?」
「あれに勝っても結婚するまで至らないって説明したろ?」
「8か月後に戦うんでしょ?デブで、ブザイクで、足が臭い男と」
紗々音の情報だとわかっているが、それは言いすぎだと思う。
「あっくんの勝ちは目に見えてる、紗々音ちゃんもそう言ってた」
「普通にやれば、な」
「みんなの前で戦うのに、反則とか出来るの?」
「そうじゃない・・・・相手はあの全王治家、どんな手を使ってくるかはわからない」
そう、あの夜に瀬音から電話で、そして母親からもそう告げられていた。全王治家の目的は明白だとも。
「お前にも危険が迫る可能性は高い。俺に婚約者を辞退させるために、どんな手を使ってくるかわからないからな・・・っても、今すぐどうこうはないだろう、だって、わかりやすいからな」
「そりゃそうだよね、8か月後に負けちゃうんだもの」
「でも・・・母さんが言うには・・・・本当にヤバいのは8か月後かもしれないって」
「なんで?」
「さぁ?」
そこまではわからない。だが、8か月であの男がどこまで鍛えてどこまで強くなれるかは疑問だ。危険なのは闇での動き。紗々音や母親はともかく、りんごやサクラ、祐奈に危険がおよんで自分を追い詰めに来る可能性の方が高いと思う。だから、瀬音も母親もあらゆる情報網を使って全王治家の動向を探らせているという。
「でも、あっくんが婚約者の権利を放棄する可能性もあるよね?」
「向こうが放棄する可能性も、な」
「瀬音さんが?」
「いや、全王治が」
「ないでしょ」
「ないかな?」
「デブの態度はサイアクだった、紗々音ちゃんがそう言ってた」
それが何の関係がある、そう思うが、確かに全王治が引くとは思えない。だが、今回の婚約に関しては謎が多すぎる。瀬音にも、全王治家にも、そして、全てを知りつつ承諾した母親も。自分は利用されている、そういう認識はあった。だが、だからといって全てを放棄しようとは思わない。なるようにしかならない、それが明日斗の性格だからだ。
「婚約の解消にて両家が納得する理由が必要。解消しても、慰謝料等の違約金は発生しない。それが石垣家の婚約システム、だよ」
「お前・・・よく知ってるな?どこ情報だよ」
自分も知らなかった婚約解消の情報、それ何故りんごが知っていたのだろう。そのりんごは得意そうな顔をし、大きな胸を殊更強調するかのように反らせてみせた。
「上杉のおじいちゃんに聞いた」
「あー、あの、葉巻の?」
「そう。さすが91歳、町のことはよく知ってる」
「行動力がありすぎだろ」
「あっくんと結婚するためだもん」
「俺はお前に恋愛感情はないぞ」
「それは瀬音さんにも、でしょ?」
「まぁ、うん」
「だったらわかんないでしょ?」
そう言われればそうだ。誰に対しても恋愛感情はない。りんごにも、サクラにも、祐奈にも、そして瀬音にも。先のこともわからない。だからある程度納得して瀬音の婚約者になったと思う。
「どうしようもない、もう天下の石垣家にもどうしようも出来ない理由があればいいのよ」
「理由、ね」
「例えば、私があっくんの子供を妊娠するとか」
「・・・・そりゃ最悪だ。町にもいられない」
「でしょ!」
うんざりする明日斗と違い、嬉々としたりんごは悪戯っ子な笑みを浮かべている。本気だ、そういう顔を明日斗に向けるが、明日斗はため息をついて教科書に目をやった。
「まぁ、理由はこれから。妊娠もこれから」
「悪いけど、俺は牛みたいな胸の女は」
「大好物だよね?」
明日斗の言葉を遮ったりんごは自慢の巨乳を持ち上げる仕草をしてみせるが、明日斗はそれを冷めた目で見つめるばかりだ。
「大好物だけど、お前を妊娠させられるほど、俺は飢えてない」
冷たくそう言いながら、明日斗は先を進めろとばかりにりんごのノートを指でつついた。
「じゃぁ、テストでいい点数取ったら、いいことしてよ」
「子作り以外なら」
「3日連続デートして。キスありで」
「わけのわからないオプションをつけるな」
「いいじゃん」
「俺は石垣瀬音の婚約者候補。それがお前とキスしてどうする」
「部屋でこそっとすればバレない」
「お前がバラさなきゃな」
「やっぱ彼女と結婚したいんだ?」
明日斗に婚約を破棄する気がない、そう思うりんごは余計に実力行使をすることを決めた。もう意地だ。ずっと、小さい頃から明日斗を好きでお嫁さんになる夢を持っていた幼馴染のポジションを守るため、そしてこんな理不尽で無意味な婚約を阻止するために。
「わかった。じゃぁ、全教科80点以上でデート1つでも90点以上があればキス、だな」
りんごはいつも平均点が60点そこそこ、これはかなりのハードルの高さだ。
「90点以上が1つでキス一回、2つでキス2回、いい?」
「・・・ま、いいだろ」
デートはともかく、キスはないと踏んでの約束だ。
「よし。じゃぁ、明日からこの勉強会はなし。自力でどうにかする」
「お前、自力だと50点が限度だろ?」
「反石垣同盟を舐めないでよね」
「なんだそりゃ?」
この時、反石垣同盟なる言葉にもっと食いつくべきだったと後悔するのは、もう少し後の話である。
「ま、頑張れや」
「うん」
りんごは微笑んだ。そこにあるのは勝利を確信した表情だった。
*
「夏休みの予定、ですか?」
『そうそう』
「別に、これといって」
『石垣さんとデート、とか?』
「先輩はイギリスに2週間ほど行くって。お兄さんに会いに」
『そっか、好都合。だったら、デートしましょう』
「教師が生徒に言う言葉じゃないですけど・・・」
スマホを持ち替えた明日斗はあからさまなため息をついてみせた。りんごの家から帰るや否や、祐奈からの電話に出ればこれだ。
『助けてもらったお礼、まだだし』
「あー、別にそれ、いいですけど」
『よくない!恩は返す、人としてそれは当然の行為なの!』
「まぁ、うん、1日だけなら」
『よしよし。プランは任せない!』
「プランって・・・・・事前に申請して、俺の許可を得てください」
さっきのりんごのこともあって警戒は怠らない。教師という立場をすぐに忘れる祐奈のことだ、同じように妊娠とか言い出さないか心配だ。
『サプライズ、期待してほしんだけど』
「先生の部屋で愛を語る、ってのは勘弁ですよ」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・じゃ、じゃぁ、期待しててね!』
「ちょっと待て!今の間はなんだ!」
その言葉の途中で電話は切れた。どいつもこいつも、そう思う明日斗はすぐさま音楽を奏でるスマホを睨めば、今度はサクラからの着信だ。
「こいつら・・・・わざとだろ?」
ぶつくさ言いながら電話に出ると、いつも通り内気なサクラらしい小さな声でこんばんわと耳元でささやかれる
「こんばんわ、どうしたの?」
『あ、あの・・・・・先輩、夏休みって・・・』
「用事はないけど、高垣先生の恩返しと、テストの点数次第でりんごとデートがあるぐらい」
『え?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そ、そうなんです、ね』
まさかの反応に明日斗は動揺する。サクラが2人と通じていないという反応に申し訳なく思ったからだ。そこまで器用でないことも知っているだけに、そこは素直に謝った。
「ごめん、ちょっと色々あったもんで」
『い、いえ・・・・すみません』
「いや。で、何?」
『7月25日に、一緒に東京に行って欲しくって』
「東京?」
『実は、好きなアニメのイベントが・・・・』
「あー、異世界魔法少女の劇場版?」
『はい!こういうの、先輩しか一緒してくれなさそうで・・・・ダメですか?』
「そういうのはOK!いや、りんごも高垣先生も無茶苦茶だったから、ごめんね」
『そうなんですね?いえ、でも嬉しいです』
「よし、テストが終わったら計画立てよう」
『はい!よろしくお願いします』
その後はアニメの話で少々盛り上がり、電話を終えた。なんだかんだで気が合いそうなのはサクラのような気がしてくるが、だからといってサクラと付き合うという選択肢はない、今のところは。
「波乱の夏休み、だな・・・・まぁ、全王治家の奴らを警戒するしかないけど・・・・」
3人に危害が及ぶことは避けたいと思うが、そこまで全王治家がするとも思えない。楽観的すぎる明日斗はそのまま風呂に向かい、階段を下りて行った。そんな明日斗を部屋から顔を出して見送った紗々音はにんまりとやらしい笑みを浮かべ、そのままスマホを操作して母方の祖父へと電話をかけるのだった。




