婚約の儀 5
リビングでくつろぐ兄を横にしつつ、スナック菓子の袋と炭酸ジュースのペットボトルを手にした紗々音はお尻で兄を端へと追いやり、その空いたスペースに腰かける。テレビは土曜午後のチャンネルらしくサスペンスドラマの再放送が流れているが、兄である明日斗はスマホに夢中だ。誰かとやりとりをしているようだが、紗々音の興味はそこにない。あるのはもう3日後に迫った婚約の儀のことだけだった。この一か月あまりの期間、明日斗は瀬音と一緒にいることが多く、週末の度に出かけるようになっていたのだった。対して、紗々音はとはいうと、何故かりんごとサクラが我が家に入り浸り、婚約の儀の後のことに関して作戦を練る始末。というのも、対抗馬がいるかいないかで今後の対応が大きく変わってくるからだ。対抗馬がいない場合、瀬音の両親が明日斗を認めた時点で婚約は成立となり、対抗馬がいた場合は何かしらの勝負によってそれを決する仕組みである。つまり、明日斗が婚約者となってもならなくても、その解消を目当てとすることは変わらないが、戦略が異なる。過去、石垣家の婚約に関するお家騒動を調べた結果、婚約後もゴタゴタでそれを解消した例は少なくないとの情報も得ている。今ジタバタしても相手は日本有数の権力を持った家柄、その婚約に水を差すことは出来ない。だが、婚約の儀の結果、対抗馬と接触してさらにそれを覆すことが出来るのであれば、それはそれで動きやすいとの結論に至っていた。
「3日後だね」
「ん?んー」
スマホを見たままの明日斗に声をかけた紗々音はチャンネルを変えつつスナック菓子を頬張る。
「おばあちゃんに買ってもらった着物、楽しみなんだよね」
「そう」
「あのさ」
前置きはもういいと決め、紗々音はスナック菓子の袋を脇に置き、部屋着のズボンで汚れた手を拭きつつ、明日斗へと顔を向けた。
「対抗馬がいた場合さ、どういう決着つけんの?」
「さぁ?」
「やっぱそこまで踏み込んで聞いてないんだ?」
自分のことなのに興味がない、それが明日斗だ。煮え切らない態度といい、はっきりさせたい性格の紗々音はストレスが溜まる思いだ。
「気にならないわけ?」
「どにみち、相手の親に認められなきゃ終わりだしな」
「対抗馬に負けても終わり・・・・結婚する気、ないってこと?」
「なるようにしかならないってこと」
「瀬音さん、かわいそー」
心がこもってない言い方だが明日斗は気にしない。それに紗々音にしてもわかっている。これが明日斗なのだと。だから腹立たしいし、馬鹿らしい。自分なら婚約を告げられた時点で全てを問いただすだろう。何故自分なのか、どういう理由からか。婚約の儀とは何なのか、勝負とは何で決するのかなど。だが明日斗はそれをしない。これまで同様、ただ流されるままに生きているだけなのだ。
「瀬音さんには裏がある、って思ってるよ、私」
はっきりそう言い切った紗々音をここでようやく見やった明日斗はスマホを膝の上に置いた。その口もとが小さく笑みをかたどっている。同じ意見だ、そういう笑みだ。
「わかってて婚約するんだ?」
「婚約してこそ見える真実もあるだろ?」
「婚約の儀、絶対何かあるよ」
「だろうな・・・・でなきゃ、あそこまで隠さない・・・・俺が逃げないように、かもしれないけど」
自虐的にそう笑う明日斗にため息が出る。神が与えた才能を開花させようともしない兄に腹が立つが、自分もまたそれに勝るとも劣らない才能を持つが故に嫉妬はない。だから兄は何も次に繋げない、そういう見下した感情しか沸いてこなかった。
「勝負が囲碁や将棋なら終わりだね?」
「ルールも何も、やったこともないからな。でも、そういうんじゃないらしい。昔は、それこそ江戸時代や明治なんかは剣術や槍、体術なんかで競ったらしい。現代においては剣道、柔道、空手、まぁ、異種格闘技戦みたいなのもあったらしいよ」
そういう情報は得ているのに、今回の対決方法は知らない兄が馬鹿に思える。とはいえ、兄が負けるとは思えない。ただ本気を出せばいいだけなのだから。しかしそれが一番の難問だとも知っているだけにため息しか出なかった。つまり、負ける可能性は十分にある。それ以前に逃げ出す可能性も。
「まぁ、当日になりゃわかるし、別にいいけど」
立ち上がりつつそう言う明日斗を見上げる紗々音の目は冷たい光を宿している。いっそのこと勝負だけでも変わりたい、そう思っている。武器を持った相手であろうと、自分なら絶対に負けないし逃げないのに、そう思う。リビングを出ていく明日斗を見送ることもせず、紗々音はテレビボードの中にあるレコーダーのリモコンを手にその電源を入れた。
「まぁ、勝っても負けても、婚約するにしろしないにしろ、私はどうでもいいけどね」
「当事者じゃないから、ね」
独り言にそう返された紗々音は体をびくつかせて振り返れば、そこにいたのは母親だ。さっきまで明日斗が座っていた場所に腰かける母親を見て、それから紗々音は録画してるドラマの一覧をチェックしていく。
「あしたもう一度着物の着付けを確認ね」
「おばさん、来てくれるんだ?」
「明日の昼頃来てそのまま泊まる。んで、当時朝、あんたの着付けをしてすぐに帰るって」
「そっか!じゃぁ。明日はごちそうだね?」
「焼肉。前夜祭はお寿司かな」
「んふふ!婚約の儀、様様だ!」
喜ぶ娘に苦笑を漏らし、母親は始まったドラマに顔を向けた。
「父さんは都合つかないから、かわいそうだけど・・・まぁ、あんたの着物姿はメールするし、婚約の儀の写真も送るからいいかなって」
「父さん、次はいつ帰ってくるわけ?」
宇宙開発事業に携わる2人の父親は今が一番忙しい時期ということで、婚約の儀には参加できない。先方もそれは了承している。
「来月みたい。まーたバカみたいな量のお土産もって帰ってくるわよ」
その言葉に満面の笑みを浮かべる紗々音を横に、母親は腕組みをしてあることを考えこむ。
「あの子がどう行動するかが楽しみだけど、問題はそのあとね・・・・腹黒い女と何も考えていない男の婚約・・・そして・・・・あの全王治家が相手となると、勝とうが負けようが一波乱も二波乱もあるだろうしね・・・最悪は、おじいちゃんのコネを使わせてもらう、か」
心の中でそう呟き、母親は紗々音のスナック菓子に手を伸ばし、その手をピシャリと叩かれるのだった。
*
全裸の美女がベッドに寝転がっているのを満足げに見ているはかなり大きなお腹をした男だ。年齢は24歳なのだが、その体形のせいで老けてみえる。首にも脂肪がついた肉々しい体つきはどこにも締まりがないタルタルの状態だ。全裸のせいか、その異様な体つきが際立っている。そんな男は細長の目を豪華な机の上へと向け、そのままそこへと向かってのしのしと歩く。そして白く薄いファイルを取り、体に似合わない細い指でそれをめくれば、そこにあるのは着物を着た美女、瀬音であった。
「俺の女、俺の嫁。ぐふふ・・・すべては3日後だ。ただ、婚約してもすぐに手を出せないのがイラつくなぁ」
写真を舐めそうなほど顔を近づけ、下卑た笑みを浮かべる。そのままテーブルの上に写真を戻し、そのまま死んだ目をした全裸の美女に近づく。
「それまでは、代品どもで我慢するさ・・・・テクも磨かないといけないしね」
巨体のせいでベッドが沈むのもお構いなしにぐったりとした美女に覆いかぶさった男はそのままその体を堪能し始めるのだった。
*
電気もなく、窓にかかった分厚いカーテンのせいで真っ暗な部屋にいる老人は簡素なテーブルの上にあるモニターに映し出されている孫の痴態にため息をついた。婚約の儀を3日後に控えた男が毎日毎晩、美女をとっかえひっかえ行為に及ぶ姿は無様でしかない。それでも可愛い孫だ、ある程度は自由にさせようと思う。そう、婚約を決めるまでは。
「日本に再度、全王治の権威を取り戻す。石垣でもなく、城之内でもなく、この全王治家が!」
モニターを切り、そう力強く呟く老人の目は年には似合わない強く怪しい光を宿していた。
「全てを覆す!石垣を吸収し、城之内を蹴散らし、全てを!」
そのままテーブルの上にある明日斗の写真へと目を移す。
「木戸明日斗・・・・木戸、か」
意味ありげにそう呟くが、懸念すべき木戸ではないと判明しているせいか、笑みが浮かぶ。それは孫そっくりな下卑た笑みであった。




