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第7話 もう一つの顔

「よお、高城」

 開店前のクラブでフロアの清掃をしていた岬へ、珍しい客が遣って来た。

「芹澤さん」

 まだ開いていない店に遣って来た芹澤を見て、岬はモップを動かしていた手を止める。

 芹澤は岬が担当している所轄での任務に直接関与はしていない。察する所、様子窺いの序に飲みにでも来たのだろうか? 岬は芹澤をせっかちな人だなと思い、呆れてしまった。

 岬のそんな様子を察して、芹澤は情けない顔をする。

「お前に用があって来たんだ。店に用は無い。なぁ、そんな(ツラ)するなよ」

「はぁ……」

 芹澤から心の内を読まれて訂正されてしまった。勘違いをしたのは自分の方だったのかと、岬は肩を竦める。


 芹澤はクラブのビルの屋上へと岬を呼び出していた。

 屋上……と言ってもヘリポート完備の高層ビルの屋上だ。地上七十階建の高層ビルだが、周辺にはそれ以上のビルが数え切れないほど乱立しており、遠方への見通しを阻んでいる。それでも僅かな隙間から洩れて来る、巨大に膨れ上がった真っ赤な夕陽が、昼間熱されて陽炎が立ち昇るビルの谷間へゆっくりと溶け込み、光を遮る者達の長い影を落としていた。

「此処ならそう人も来ないだろう」

 岬はビルの屋上でも全く平気なのだが、芹澤が高所恐怖症なのだと聞き及んでいた事を思い出した。自分のリスクを冒してまで敢えて『人払い』を遣った芹澤を、岬は訝って見詰める。

 岬は芹澤の真意が読み取れず、彼が被るであろう恐怖症のリスクを医師の立場から心配したのだが、芹澤は自分からこの場所を選んで岬を誘ったのだ。取り敢えず本人が承知の上での行動ならば、他人が懸念するほどでも無いのだろうと割り切って納得する事にした。

 ならば、そのリスクに見合う話とは何なのだろうか?

 ややあって、岬は芹澤に対して迷惑そうに口を開いた。

「困りますよ。その格好でいきなり……」

 くたびれたトレンチコートの下には、くたびれたスーツ。今も昔も刑事の定番アイテムだと言わんばかりの風体だ。

「ははは、いやぁすまん、すまん。長い間この仕事やっていると、TPOなんざ気にならなくなっちまってなぁ」

 陽気に笑い飛ばした芹澤を見て、岬は自分の目を疑った。

 芹澤が桐嶋署の上司として赴任してからというもの、口を開けば罵詈雑言しか出なかった芹澤が笑っているのだ。却って薄気味悪さを覚えた岬は、胡散臭そうに眼を細めて眉を寄せた。

 芹澤はそんな岬の顔を見上げて口を尖らせると、悪戯っぽく睨む。

「おお、何だよ? 俺が笑っちゃあいけないのか?」

「い、いえ、そんな……」

 何を言い出すのかと思えば、自分へ絡みにわざわざ遣って来たのだろうか? 正直、そんな事は数日置きに報告に足を運んでいる桐嶋署で遣ってくれと言いたかった。芹澤との話の内容よりも、今はこうして芹澤と会っている事でさえ、クラブの連中から既に怪しまれているのかも知れないのだ。疑われればクラブの内情を探るどころか、自分や自分に関ってしまった人物の命さえ危険に晒されてしまう可能性も十分にある。芹澤だとて狙われれば同じだ……そう思うと岬は気が気ではなかった。


 迷惑そうな顔をする岬に気付いた芹澤は、大きな咳払いをするといつもの機嫌が悪そうな顔に戻り、岬にくるりと背を向けた。

 眼下に拡がる黄昏の景色が、彼の視界へ嫌が応でも飛び込んで来る。芹澤は吸い込まれてしまいそうな高さに恐怖を覚え、冷や汗を掻いて足を竦ませた。部下の前で失態は見せられないと言うプライドを奮い起し、急いで微妙に震える両手を伸ばして手摺を堅く握り締める。

「そのう……何だ。悪いとは思ったんだが……香川から聞いた。お前、一年前の事件で彼女を亡くしたんだってな? ……桐嶋署の女性捜査主任でお前の上司……か」

「何が言いたいんです?」

 ムッとなって芹澤に食って掛かった。芹澤に玲奈の事を話した香川へ対して憤りを覚えたが、何よりも、細心の注意が要求される潜入捜査時に、迂闊に接触して来た芹澤の無神経さに腹が立った。自分の上司であれば、そんな事がご法度であるのは基本中の基本ではないか。しかも話の内容がこれだ。

「芹澤さん、時間が……」

『時間が無いから』とでも言い、早々に引き揚げて貰おうと思ったのだが、芹澤は岬に向って片手を軽く上げ、話の本題はこれからだとばかり岬の言葉を遮った。

「その彼女と生き写しらしいな? 『イヴ』って言う、居なくなったクラブの嬢ちゃんは。部署の手配リストに彼女の名前があった。あの事故は嬢ちゃんが警察にマークされていると勘付いて、組織の者が手を廻したと考えるのが自然だ。こうなる前にお前が任意で連れて来ていれば防げた事故じゃなかったのか? お前が一番保護出来る確立が高いポジションに居た筈だ。だが、お前はそうしなかった……何故だ? 死んだ女の面影を何処かで追っていたからか?」

「……」

 芹澤の後姿から岬は顔を背け、居心地の悪い空気が辺りを包んだ。

「『聞きたくない』の意思表示……か?」

 答えようとしない様子から、芹澤は憶測で岬の胸の内を察した。

 レイナが攫われてしまった後、警察は彼女の捜索に何人もの警官を投入したのだが、彼女の行方は依然として掴めてはいなかった。その指揮を執っていたのは、他ならぬ芹澤だ。

「で、だ。現場検証の結果が出てな、実は様子見序に知らせに来た。嬢ちゃんの車には寸前までブレーキ痕が無かったそうだ」

「え?」

 岬は面を上げて芹澤の後姿を見詰めた。

「車に細工がしてあった。ブレーキを踏んだが手応えが無かったから慌ててサイドを引いたんだろうな。だが、制限速度を既に超過していた彼女の車両は停まらなかった」

「誰が……誰がそんな事を……」

 声が震えた。組織絡みだけでは無い。クラブ内でのレイナは、他のホステス達とは待遇が全く違っていたし、彼女を妬んでのホステス達の嫌がらせは岬も十分知っている。

 レイナを快く思っていない彼女達は、ドレスの裾を踏んで転ばそうとしたり、酔った客を嗾けたり、ダンスの基本ステップさえ知らずに踊れないのを承知していながら、恥をかかせようと仕向けたり……彼女達からすれば、総てが『故意では無い』と言い逃れ出来る程度の……しかし明らかに計算された嫌がらせであった。

 岬はレイナの身に危険が及ばない限り、黙って見守るより他に手立てが無かった。他人から疑われないように、極力彼女と関りを持たないよう配慮していた心算だったのだが、気が付けば化粧室のドア越しに彼女が啜り泣いているのを沈痛な面持ちで度々聴いていた。直接手を差し伸べて助けて遣れないもどかしさと歯痒さに、何度心の中で彼女に詫びた事だろうか。

「嬢ちゃんには、本当に申し訳ないと思っている。が、彼女の死を無駄には……」

「まだ死んだと決まってはいないでしょう?」

 岬はカッとなり芹澤の言葉を遮った。自分の所見が間違っていなければ、レイナはまだ生きている筈なのだ。

 彼女の身体はあちこちが事故で押し潰されていた。出血が夥しく損傷が激しかったが、頭部への損傷は殆んど無く、その上致命傷になりそうな傷も医師の腕次第によっては助ける事が可能だ。尤も、運ばれたE・Rの医師達の腕では、それも期待出来無かっただろうが……

「……そうだったな」

 岬の意外な面を見た芹澤は、一種の頼もしさを覚えて表情を緩めた。

「あの病院のE・Rな……臓器売買の件で、看護師も含めて全員がクロだったぞ」

「そうですか」

 芹澤の目からは、岬が動揺すら見せずに至って平然としているように見えた。

「何だ? ちっとも驚かねぇな……今、連中を裏で引いている奴等を吐かせている。偶然だったが俺達にとっては大きな収穫だ」

 芹澤はとっておきだと思っていたネタをあっさりと肯定されて仏頂面になった。

「路上での拉致も勿論ありますが、個体数をこなすのは困難です。なら、病院が協力すれば容易に臓器は手に入る。実際の所、患者は病気で運ばれる者だけではないですからね。ついさっきまで健常者だった者が不慮の怪我や事故でって言うのもある。人工器官に入れ替えてバイオノイド化すれば、当然摘出した臓器は不要になりますからね」

「病院に倫理はねえのかよ? 俺だっていつ事故るとも限らないってーのに」

 芹澤は岬の説明にがっくりと肩を落とした。

「最初から臓器の横流し目的では無かったと思いますよ。ただ、今では本当に不要になった臓器だけの取引とも思えませんが……患者には『開腹した時に偶然病んだ臓器を見付けたので処置しておきました』とでも言えばそれで済みますからね」

「オイシイ味を占めちまえば、健康な臓器も難癖付けて序に盗むってのか? 野郎……E・Rだけならまだしも、病院ごと噛んでいやがったら、タダじゃおかねえ!」芹澤は不快感を露にする。「で……だ。ついさっき嬢ちゃんの捜索を依頼していたクラブのオーナーから、依頼を却下するとの連絡があった」

「え?」

「俺だって嬢ちゃんの事は心配だ。だが、捜索願が取り消された以上、此方では如何する事も出来ん」

「……」

「まあ、これ以上捜しても無駄だと先方も諦めたんだろうよ。署長からは引き続き捜索を続行する旨の指示があったんだがな、その直後に上からの横槍が入った。結局は署長もその指示に従うしかなくてな。全く……人一人が行方不明になっているってのに……何てこった。俺には上層部の考えている事は判らん」

 芹澤はやり場の無い怒りを吐き棄てるように言い放つ。

「横槍って……FCIからの?」

「ああ。以後の捜索はどこの課だったか忘れたが、そこが引き継ぐ事になったそうだ。FCIの事なら、お前にも何か関係があるのかも知れんな」

 そう言い終えると芹澤は煙草を銜えて火を点けた。

 強いビル風に吹かれながら苦労して火を点した煙草の先端が、今度は赤々と勢いを付けて激しく燃え始める。風に煽られての事だったが、芹澤は慌てて煙草を放り投げ、醜態を部下である岬に見られてしまったと意識して赤くなった。

 岬はそんな芹澤へ見なかった振りをする。

「……そうですか」

「何か聞いているか?」

 芹澤は岬の顔を覗き込む。

「いえ、FCIといっても、所属する課で違って来ますから」

「そうか……確かお前は9課……だったな?」

「ええ」

 芹澤の問い掛けに、岬は軽く顎を引く。

 高層ビルの谷間に沈んで行く大きな赤い夕日を浴びながら、岬は赤く染まった空を見上げた。

彼女の死を確認出来ない以上、レイナが死んでしまったとは思えなかったし、何より、岬の中では依然としてレイナを失ってしまったと言う感じがしないのだ。


『任意で連れて来れば防げた事故――』


 芹澤の言葉が、岬の胸の真ん中を射抜く。だが、それよりも事故の本当の原因は、他ならぬ自分にあったような気がしてならなかった。

 岬はチカと唇を重ねていたにも関らず、ずっとレイナを視線で追い掛けていた。勿論捜査でレイナが重要参考人として挙がっている以上、逃亡や不審な動向を見逃さない為の監視任務ではあったのだが……

 そして岬個人の問題として、レイナが『玲奈』の記憶を所有しているのか、それとも所有していないのかを見極めたい気持ちなど、無かった……と言えば嘘になる。

 結果、レイナは運転操作を誤って事故を起こした。彼女が冷静であったのならば、細工が為されている事を初期のブレーキ操作時に気付いて直ぐに運転を止めるなり、適切な判断が下せていた筈だ。だが、事故があった現場からクラブまでの距離は数キロも離れている。憶測の域を出ないが、彼女には岬に対して何らかの心理的な動揺があったと見ていいのでは無いか。

 これ以上に無い十分過ぎる手応えに、岬はレイナに対して罪悪感と共に恐れにも似た感情を抱いてしまった。


 ――無事で居てくれ……


 岬はレイナの安否を気遣い、焦燥感に駆られながら心の中で祈った。この数日間、有力な手懸かりさえ掴め無い。時間が、気が遠くなりそうな程長く感じられて何とも遣り切れない気持ちで一杯になってしまう。

「手間ァ取らせたな。メールってのもあったが、こんな場合でも事務的な処理でって訳には行かないんだ。文字だけじゃ俺の……そのう、気持ちまで伝えられ無いと思うし、携帯にしても何だかな……俺はお前等みたいにデジタルじゃ無い。アナログの古い人間だからな」

 芹澤は照れたように苦笑いした。

「いえ、芹澤さんこそ態々足を運んで下さって……」

 岬は表情を和らげた。芹澤の不器用な好意が岬をそうさせたのだが、反面、未だにこういった事は署で遣ってくれと心の中で願って止まない。思い立ったら即実行タイプの芹澤へ、自重しろと言い出せるほどの説得力は持ち合わせてはいなかったし、芹澤は今までそれで通していたのだ。敢えて今更指摘して機嫌を損ねてしまうのもどうかと思った。

「ははっ、警察官としてのお前は俺の部下だが、FCIのお前は俺よりも遥かに格が上で違うんだよな? 俺の息子よりもまだ若いってのによ」

「そんな。部下として見てください」

 岬は改まって恐縮してしまった芹澤を気遣った。普段が普段なだけに今日の芹澤は異常だ。

「ああ……そうだったな」

 芹澤は、夕陽に照らされながら黙って自分を見詰めている岬を眩しそうに見返した。


 FCI――連邦中央統括機構。

 連邦の捜査局関連を文字通り掌握し、統括する機関だ。業務は各捜査機関への情報公開と操作。各国の諜報エージェントへの支援。必要とあれば彼等と同様に内偵もするが、この場合はより公正な立場を維持する目的のため、独立の捜査スタンドアローンが原則として要求される。エージェントと何ら変わりはないが、主に彼等のバックアップである為にリスクは彼等よりも極めて大きい。捜査内容次第では、時として地元警察や軍を敵に廻してしまう事さえある。

 第一課から第九課が現時点で設立されており、それぞれ各方面での専門分野に分かれている。岬の所属している第九課は四年前に新たに設立された。それまでの課と少し性質が異なり、前述した業務は勿論ではあるが、主にエージェントや対象者の救助・救急医療を目的としている為、医師免許取得が必須条件になる。

 医師免許を所持する限られた超エリート……と言いたい所ではあるが、芹澤には未だに岬がその『超エリート』の一人なのだとはとても思えない。一体、自分達とこの岬とでは、どこがどう違っているのだろうかと首を傾げてしまうほどだ。

「どうかしましたか?」

 岬は黙り込んでしまった芹澤の様子を訝った。その視線に気付いた芹澤は、徐に岬から視線を逸らせてしまう。

「高城、そのう……一つ、訊いても良いか? 答えたくないのならそれでも良い」

「はい?」

「お前が先日の打ち合わせ中に退出した後、お前はFCIの者だと部長に聞かされたよ。本来なら、俺はお前から真っ先に聴いておかなければならなかった事だ」そう言うと、芹澤は一呼吸おいた。「此処に赴任して間が無かった頃の俺は、新しい職場に馴染もうと熱くなって……その勢いでずっと突っ走って来ちまった。お前の声に耳を貸せなくなった俺が出来上がっちまっていたんだ」

 芹澤はすまなそうに項垂れた。

「芹澤さ……」

「訊いてくれ」芹澤は片手を軽く上げて岬の言葉を遮った。しかし、それはいつもの芹澤が岬に遣っていたものとは明らかに違っている。「あれから俺は自分なりにお前の事を考えていた。FCI自体はそう新しい機関じゃないが、俺が知っているFCIの連中は元諜報部からの隠居組みだ。お前の居る9課は数年前に設立されたばかりだと聞くから、少し他の課とは性質が違うのかも知れん。だが……こう言っちゃあ何だが、お前等みたいな経験の浅い者が、現役バリバリ連中の支援をすること自体おかしくないか?」

=「経験の浅い……ですか」

 岬は芹澤の言葉を噛締めるように小声で復唱すると、穏やかに表情を弛めた。

芹澤はそれが自分に対する答えなのだと悟ってしまう。

「ととっ、別に答えなくても構わないんだ」

 芹澤は慌てて付け加えた。その慌てた表情が妙に可愛いオヤジに見える。

「芹澤さんって良い人ですね」

 岬はにっこりと笑顔を作った。

「はぁあ? 今頃気が付いたのか?」

 思いも寄らなかった岬からの褒め言葉に、芹澤は頭を掻き、赤くなってへへっと笑った。

「けど、コレは俺だけの問題ではないので……」

 岬は少し困った表情で首を傾げた。

「お? おお、そうか? そうだろうな。すまんかった。守秘義務だよな? やっぱり聞いたりするんじゃ無かったな」

 芹澤は片手で軽く自分の後頭部を叩く。

「も、もう、いいぞ。ほ、ほれ、戻ってくれ。俺も帰るわ」

 普段のらしくない言動に限界が来たのか、芹澤は居心地が悪そうに照れた。

「芹澤さん、車ですか?」

「車は家内が遣っているから、タクシーで来た」

「送りますよ」

 芹澤の所帯じみた様子を垣間見て、岬は芹澤に親近感を覚えた。実際、岬の家での権限を持っているのは一回りも歳の離れた妹の環だ。


「悪いな。仕事始まっちまうぞ」

「いえ。今日は遅番にして貰いました。心配しないで下さい」

「お前、すっかり馴染んでいるじゃないか」

 芹澤は少し意地悪そうに岬を値踏みして笑う。

「ええ。贔屓の客も増えましたよ。二日前にはクルーザーも貰いました」

 平然とそう言って左腕を軽く上げ、客から貰った腕時計をこれ見よがしに見せ付けた。フェイクではない本物が持つ圧倒的な存在感を感じ取り、芹澤はあんぐりと口を開けて驚く。

「世間じゃあ、不況だの物価がどうのと言っているが……『その業界』じゃ不況云々とは縁が無いみたいだな。潤っている所には潤っているもんだ」

 芹澤は感服したのか呆れ返ってしまったのか判断し兼ねる表情で、無意識に首を横に振った。

「大丈夫ですよ。プレゼントは任務が終わればクラブへ渡します」

「な、勿体ないじゃないか。それは客がお前に渡した物だろう? 黙って貰っておけばいいじゃないか」

「俺にも『趣味』ってあるんですよ。でも幾ら好みだからと言っても、人の想いが篭りすぎているものはちょっと……」

 良くも悪くも、岬は法規に則ったお堅い人種なのだなと芹澤は思った。自分が岬の立場であれば、貰った物でも気に入らなければ、売却する方法もあるだろうにと考えてしまう。

「まあ、ある意味客を騙している? 良心が許せんか?」

「そんな処です。けど、受け取らないのも拙いし、貰った以上は暫らく使わないと」

「お前も律儀だなぁ。本業換えれば? そのまま食って行けそうだぞ」

「それは無いでしょ?」

 岬は芹澤の無責任な言葉に肩を竦める。

 車のエンジンを掛けるのと、ほぼ同じタイミングで芹澤の携帯が鳴った。

「はい……うん、う……な、何ぃ?」

 声の調子が跳ね上がる。ハンドルを握る岬にも、芹澤の緊張感が伝わった。

「で、被害は? ……うん……よし判った。すぐ行く」

 慌てて携帯を切り、血相を変えて岬へと振り向く。

「すまんが、急いで署まで連れて行ってくれ」

「どうしたんです?」

「たった今、署の聴取室へ盗難車が突っ込んで爆発したそうだ。取調べ中だった例のE・Rの連中とその場に居合わせていた署員数名が巻き込まれたそうだ。テロの可能性もある」

「急ぎましょう」

 岬は事の重大さを察し、シフトレバーをオートからマニュアルへと切り替えて、アクセルを踏み込んだ。


  *  *


 高速道路は片側三車線の対面式。広い道路の中央は、上りと下りの両車線を等間隔に並んでいるポールで区切られている。岬はクラブのある中心市街地から、やや郊外寄りの桐嶋署へ向けて急いでいた。そして何度目かの追い越しを掛けていた時、岬の視界に反対車線を急ぐ白地に蒼いラインの中型バイクが飛び込んだ。

 ハンドルを握っている岬の手が震える。

 ほんの一瞬ではあったが、白い肌に、なびく長い亜麻色の髪。乗っていた女性の顔はフルフェイスのメットで判断出来なかったが、ツナギを着て浮き出た流れる曲線はレイナのそれとよく似ている。

 何より、岬の直感が彼女であると断定していた。

「掴まっていて下さい!」

 咄嗟にアクセルとブレーキを同時に踏み込み、サイドブレーキと微妙なハンドリング操作で後部リアを滑らせ、鮮やかに車体を九十度ターンさせると、中央を分離している等間隔のポールの隙間へ紙一重で滑り込ませて反対側車線へと侵入する。

助手席に座っていた芹澤は、頭をドアガラスに打つけて鈍い音を立てた。

「あいっ……たたた……お、おい、高城! どう言う事だ?」頭を抱えながら芹澤が唸る。「署と方向が逆だぞ?」

「一寸、付き合ってください!」

 岬はそう言うとアクセルを強く踏み込んだ。

「お前! 署よりも大事な事なのかうぁ?」

 急激な加速に芹澤が悲鳴を上げて目を廻す。


 ナンバーと二輪の形状は既に擦れ違っていた時点で覚えている。何台も車を追い越したが、流石に車とバイクでは分が悪い。追い越しを掛けられて挑発したと勘違いした車が、血相を変えて岬の車を負い掛けて来る。気配を察した先行車が追い越しをさせまいと妨害し始めた。

 岬は絶妙のアクセルワークとブレーキで速度の緩急をつけ、時にはサイドミラーを折り畳み、接触寸前をギリギリでかわして行く。

「うわわ……おい、止せ! 当たる!」

 高速走行での度重なるニアミスに危険を感じ、堪り兼ねた芹澤が顔を覆って何度も悲鳴を上げる。

「おい、この先に橋が!」

 ナビを覗いた芹澤が情けない声で叫んだ。

 遠くで小さく霞んで見えていた橋脚の上部が、目前に迫って来ている。橋脚の道路部分は一部が狭くなっており、車線も二車線になっている。先行車に遅い車がいるらしく、高速道路でありながら車の流れが制限速度よりも緩慢で、全体に渋滞気味だ。先を急ぐ岬にとっては厄介な状態だった。

「パ、回転灯(パトライト)は?」

「持っていませんよ。私用車なのに」

 流石にこの状況ではバイクを追跡するどころでは無い。已む無く岬はコンソールのスイッチに触れた。フロントウィンドにナビの画面が映り、音声のみの表示(サウンドオンリー)に切り替わる。

「シュライバー」

 岬はナビに向かって支援A・Iの名を呼んだ。

―「ハイ!」

 一定調子の機械音声が返事をする。

「俺の位置を把握しているか?」

―「勿論!」

「今から十秒後に前方付近の走行車両にジャミングを掛けろ」

―「了解。かうんと・だうん!」

「お、おい! 電道法違反だぞ?」

 聞いていた芹澤が慌てた。

 現在では殆どの車両には、搭乗者が行き先を設定するだけで目的地へ安全に運んでくれる便利なナビゲーションA・Iが搭載されており、運転手は必要ないとされている。

 岬の指示は、道路交通法に基づいての路面状況を管理している拠点センターにアクセスしているA・Iを、特定の区間で一時的に切断する行為だ。当然、アクセスを切られたA・Iは緊急マニュアルに従って車両を路肩に停めて機能を停止する。これは緊急車両の優先や、非常時の場合にのみ限定して強制行使する措置だ。通常での権限行使には警察と言えども上官の承認許可が必要になるのだが、この申請を、岬はパスして実行しようとしているのだ。

「ほんの一時道を開けて貰うだけです」

「だっ、だけですっつったって……」

―「じゃみんぐ、すたーと!」

 焦る芹澤を無視して、シュライバーは岬の指示を優先した。

 渋滞仕掛けで、さして高速走行していなかった道路である。瞬く間に前方を走行していた車両が減速して路肩へ寄ると、次々に停止した。強制的に停車して行く車両に乗っている人達が、不安そうに外を眺めたり、お互いに顔を見合わせたりしているのが見える。

ナビゲーションA・Iを使用していなかったドライバー達も、周囲の異変に気付いて岬の車に車線を譲り、急に大人しくなった。

―「前方クリア。確保シマシタ」

「よし。十秒後に再起動」

―「了解」

 岬はシフトを一旦落し、再度加速を試みる。

「知らないからな。後で交通課から文句を言われてもよ」

「ええ、その時は芹澤さん、頼りにしていますから」

 岬は運転に集中して正面を向いたまま、表情を崩さずに真顔で答えた。

「ッ鹿野郎! こういう時だけの俺かよっ?」

 他人事のように言い放った岬の言葉に、芹澤はふて腐れる。

『何てェ奴だ』と芹澤は思った。

 車幅感覚と言い、相手車両のタイミングを素早く捉えて追い越す感覚と言い……とにかく『上手い』のだ。相手のドライバーに急ブレーキを掛けさせること無く、自然に流れるように追い越している岬の運転技術に芹澤は舌を巻いた。 普段のほほんとしている岬を眼にしている芹澤だけに、今の岬が全くの別人だとしか思えない。

 車内中央コンソールに一体型で埋め込まれているナビの画面は、先行する一台のバイクを捉えていた。二輪にはナビゲーションA・Iは搭載されてはいない為、ジャミングを掛けても何ら影響は無い。自力で追詰めるより他に手は無いのだ。

「誰を追っている?」

「重要参考人です。それ以上は……」

「そうか……そっちの管轄か。なら、仕方ないな」芹澤は諦めてナビの画面を見詰めた。「所轄では危険行為や禁じ手ってのが厳重に監視されているが、それさえ厭わずなんだな。毒を以って毒を制す……か。まあ良い。追い掛けているのはアレか? これならもう時期御対面出来るな」

 カーブの多い道路での目視は確認が困難だったが、それらしいバイクが小さく見え隠れし始めた。

「あッ!」

 不意に岬が声を上げた途端、車が大きく右に傾いで制御出来なくなった。

 岬は接触時のダメージが少ない中央分離帯のポールへわざと前部分ノーズを向けた。

 ポールへ車体が接触し、次々とポールが接地部分から折れ曲がって薙ぎ払われる。車体に響く断続的な強い振動に、芹澤がまたしても情けない悲鳴を上げた。


  *  *


 二人が署へ到着したのは、それから二十分後の事だった。桐嶋署付近の路上は、既に立ち入り禁止のテープで仕切られ封鎖されている。要所々に警官が配置され、その外側はマスコミや野次馬達で溢れ返っていた。上空では何機ものヘリがサーチライトを灯して騒音を撒き散らせながら低空飛行を繰り返す。

 パトカーと救急車が入り乱れ、赤色回転灯が賑やかに日没後の桐嶋署周囲を照らし上げている。事件のあった一階こそ警察署ではあるが、建物館内には連邦機関が組み込まれている為に厳戒態勢が布かれており、物々しい警戒だ。

 大勢の警官達に交じって、九課の救助(レスキュー)用ロボットであるシュライバーが二機投入されていた。

 全長約二メートル、幅約八十センチ。平たい卵形のずんぐりとしたボディに昆虫に模した節足が六本ある。それらの先端には皆同様に鋭い二股状の鍵爪が有り、爪を収納すれば反対から移動に便利な小型のタイヤが出て来る仕組みだ。頭部には短いアンテナがあり、正面にはボディの半分以上ある巨大な大顎を持っていた。その姿は巨大なクワガタ虫だ。実際、他部署では『クワガタ』の呼称で通っている。先程、岬が車内でジャミングを掛けるよう指示をしたA・Iの本体だ。


「状況は?」

 車を降りてドアを閉めながら、芹澤が近くにいた警官に尋ねる。

「はっ! 署内の聴取室に無人の盗難車両が突入。犯人は未だに不明です。目撃者が確認されておりません。死者多数……」

「無人?」

 報告をした警官に、芹澤は鸚鵡返しに確認していた時だった。

「待てよ! 死者多数ってどう言う事だ? 第一報にそんな報告は無かったぞ」

 岬は運転席の窓から身を乗り出し、車の傍を通り過ぎようとした警官を呼び止める。車両が燃上した事は聞いていたが、署内部には火災防止システムが完備されているので火災による二次災害の可能性は低い。死者が出るような状態ではなかった筈だ。

「ですから、崩壊した瓦礫に……」

「瓦礫?」

 岬と芹澤は同時に復唱し、偶然のタイミングに驚いて顔を見合わせた。どうやら芹澤も岬と同じ事を考えていたようだ。それならば説明する手間も省ける。

 二人は視線を追突現場へ向けた。確かに多くの瓦礫が山になってはいるが、それだけで多くの死亡者が出たとは考え難い。

各階天井には強化ネットが使用素材を挟む形で張り巡らされており、多少の崩壊では上部の瓦礫を階下に落下させない設計になっている。万が一、倒壊した最悪の状況でも生存率が高くなるように、補強された安全スペースが確保されている。事実、床に落ちている瓦礫の殆どが壁面のものであった。一部が崩壊した天井部からは露出した強化ネットが上階の瓦礫を受け止めている。

 岬と芹澤は、追突して大破した車両がシュライバー二機の大顎に引き出されているのを見た。燃料に引火した為タンクの周囲は特に損傷が激しく、車体フレームまで真っ黒に溶けて飴細工のように捻じ曲がっている。周囲には金属が燃えた独特の異臭が充満していた。

 車はかなりのスピードが出ていたらしく、聴取室を突き抜けて奥の第三セクションにある拘置所の方まで侵入していた。E・R関係者が拘束されていた場所は目と鼻の先だ。


 ――恐らくは口封じ。


 二人の視線が合う。

「後からの追加訂正報告か。それは譲るとしても……だ。無人の車両がこんなに激しく追突出来るか? 外部の監視モニタからは、直前の車両からスタントマンは飛び出して来なかったんだぞ。まあ、遠隔操作リモートしていれば別だが、今の所その手の機器は見付かってはいない。テロの可能性も勿論棄て切れんが……高城、お前ならどう見る?」

「ちょっと診させて下さい」

 岬は車を降りて、青いシートで覆われて運び出される死亡者へと近寄った。担架ストレッチャーを担いでいる者の承諾を得て、遺体へ向かって合掌した後、掛けられていたシートへ手を掛ける。そっと捲ると、既に事切れた血塗れの上半身が現れた。

 どす黒い血で汚れた被害者の顔に見覚えがあった。E・Rで会った医師の一人だ。最初は車に撥ねられたのかと思っていたのだが、状態に違和感を覚えた岬は、彼が負った致命傷を特定しようとシート全部剥ぎ取った。ざっと診て、瓦礫で付いた傷でも無いと判断する。そして何か思い付いた様子で医師の顎を掴むと、顔の向きを変えた。

 死因は頚動脈及び頚椎の損傷と窒息。明らかに見た目でも判るような二箇所の刺し傷があり、反対の相方になる二箇所の刺し傷が認められた。

 ごくりと岬の喉が鳴る。

「これは……」


 ――獣の……咬み痕!


 医師の首筋には、四箇所に亘って鋭い釘状のものが深々と打ち込まれた痕が残っていた。全員を調べたが、半数の死因はほぼ同じ。残りは鋭利な刃物で頚動脈を断ち切られている。

 手馴れたものだと思った。仮にも死亡者の中には現役の警官も居たのだ。恐らくは刃物を得手とする人物だろう。

 岬はその所見で、ある程度の人物像を既に割り出していた。


「どうだ? 何か判ったか?」

「ええ、そっちはどうでしたか?」

 芹澤は中の様子を見に行き、瓦礫に足を取られながら覚束ない足取りで戻って来る。

「また振り出しに戻っちまった。取調べに携わった一課の連中が三人。E・Rの人間は医師と看護師を含む九人全員が死亡だ」

「関った者全員ですか?」

「ああそうだ」

 遣り切れないと言った表情で芹澤は肩を竦め、首を振る。

「芹澤さん……」

 岬は気を落ち着かせようと煙草を取り出した。心なしか指先が震えている。

「何だ?」

 芹澤の返事を待ってから火を点けると、肺の奥深くにまで届くように大きく吸い込んだ。

「確か、広域で捜査していた大型獣……あれ、進展ありました?」

 一呼吸擱いてから切り出した。大型獣だと疑われている事件が立て続けに起きてはいるが、岬は被害者の直接確認はこれが初めてだったせいか、俄かには信じられなかった。しかも、目撃証言さえ存在していないのだ。これをどう説明すればいいのだろうか? 眼に見えない大型の獣がこの世に存在しているとでも?

「いや……面目ないがさっぱりだ。あれからまた三件被害者が出た。内、二件は臓器の密売人絡みで、もう一件は麻薬組織の者だ。ま、被害者が罪も無い民間人じゃなくて良かったって処だな。組織内部で飼っている大型獣による猟奇的な惨殺の見方が強い。丁度内部統制が効かなくなって、見せしめ目的の殺害ってのも『在り』だしな。だが、大型獣ならば目撃者の一人や二人出て来ても良さそうなものだが、どれも事件後の足取りが全く掴めん。これは内部で動いている証拠だろ?」

 芹澤は岬が差し出した箱から煙草を一本受け取った。

「そのファイル、見せて貰えますか?」

 ライターの火を点す芹澤の手が止まる。

「まさか?」

 芹澤の視線に岬は黙って頷いた。


「無人の盗難車の件ですが、多分……これは光学シールドを使用したものでしょうね」

「光学シールドぉ? ああ、ひょっとしてそいつは軍の特殊部隊が使用しているとかって言う……何でも目視確認が困難になるって言うジャミング・シールドの事か?」

 聞き慣れない言葉に芹澤が眉を顰める。

「ええ。詳しくは話せませんが、一般に使用されている人工知能機器に限定効果があるジャミング・シールドと違って、光学シールドは人工知能機器は勿論、生身の人間の目にも有効です」

 尤も、光学シールドだけでは使用者の立てる物音や気配までは隠せない短所がある。

「しかし、軍の物を使用すればすぐにアシが付く筈だろう? そこから攻めて行くか?」

「それは待ってください」

 岬は、腰を浮かせて逸る芹澤を押し留めた。

「多分、発生制御装置の機種ナンバーから調べても無駄ですよ。開発技術部辺りから調べた方が良いと思います。けど、この件は任せて貰えませんか?」

 岬は芹澤達警察の介入を断った。

「馬鹿言え。今更此処まで来て……」

 芹澤は岬の忠告を無視しようとした。その言葉に被せるように岬が切り出す。

「光学シールド自体、機密事項に該当します。お願いですから」

 穏やかな表情をした岬の瞳の中に映る芹澤の表情が強張った。芹澤は引き際を感じ取り、右手をぐっと握り締める。

「そ、そうか……そうだな。軍の機密とあっちゃあな……」芹澤はニ、三度軽く頷くと、視線を逸らせて素直に岬の言葉に従った。ゆっくりと自らを納得させるように深呼吸を一つする。軍関係が絡めば素直に従うより他に手は無い。「此処までか……」

 諦めた芹澤は、肩を落として誰にともなく呟いた。

 面倒な事を放置出来る安易な気持ちと、捜査のヤマを持って行かれる不愉快さ。そして深入りすれば喩え警察関係者であろうと徒では済まされないであろう無念さ。それらの感情が一緒になって複雑に絡み合う。


「何面白そうなコト話しているのかなぁ?」

 岬は声のする背後に首を仰けに反らせた。

「んあ? ジン、来たの?」

「来て悪かったかよ? 人が折角画像処理した映像を見せて遣ろうと思ったのに。どうしよっかな〜」

 ジンは意地悪そうに言い、持っていた映像チップをひらひらと見せびらかす。

「さっさと遣せ」

 岬は腕を伸ばしたが、ジンは素早くその手をかわした。

「人に頼み事するには、それなりの礼儀ってーのがあるんじゃね?」

「見せて下さいお願いします。これで良いか?」

 ジンがふふんと得意気に笑い、岬はムッとなった。そして機械が喋るような一本調子で早口に捲し立てる。

「せっかく気を利かして持って来たってのに。心が篭ってねーよな」

 ジンが情けない顔をした。その隙に岬の手が映像チップを掠め取り、直ちに室内に設置されているプロジェクタにセットした。

「車両が追突した直後の映像だ」

 映像を見ながら、ジンが解説する。車が突入して来た瞬間からの画像で、取調べ中だったE・Rの医師と刑事がデスクごと跳ねられ、他にもその場に居合わせた数人が巻き込まれた。難を逃れた者は驚いて退室する――その直後、画像が一転した。

 画面には熱を感知してオレンジ色の微妙な色違い(グラデーション)で表された人型と、四肢を持つ獣の型をしたモノが車から飛出て来た所が映し出されていた。

「これだ」

 ジンは手にしていたポインタで、動く二つの物体を指すが、その直後に映像が消えた。

「は? これで終わり?」

 岬と芹澤は拍子抜けした。

「仕方がないだろ? 壁を突き破ってカメラごと壊してくれたんだ。一瞬でも映っていたんだから贅沢言うなよ。これで犯行には旧式光学シールドが使用されていた事が立証されたんだからな」

「まあな」

 腕組みをしたまま岬が相槌を打つ。

「現行使用の非感熱光学シールドの開発一歩前。L‐七三〇……だな。確かこれ廃棄処分になっていたタイプじゃないか?」

 意味ありげに岬はジンを見上げた。

「ああ。開発部からの横流しか、或いは盗難か……ま、いずれにせよこれは俺達の仕事だ。手は廻した」そう言うと、ジンは芹澤へと向き直る。「警部、この件に関しては後程報告が届くよう計らいます」

 芹澤はジンの言葉に力強く頷く。

「犯行は単独……と言いたい処だが、あの病院のE・Rが臓器売買に関与していた事を考慮すれば、組織的だな」

 ジンの言葉に、今度は岬が頷いた。

「この大型獣は別にして、感熱した人物のシルエットから過去犯罪歴のあった者を割り出して見たが……情報不足だ」

「で? 何人引っ掛った?」

 岬はにやにやしながら意地悪そうにジンを見上げる。

「多過ぎて……検索不能」

「ふ……だよな?」

「何だよ。その言い方は?」

 鼻で笑った岬の態度に、今度はジンが不機嫌になった。

「情報不足にフィルタ掛けたってまともな数値は取れねえっての。何にでも数値に頼ってデータを取りたがるな。お前の悪い癖だ。焦らずにもっと限定して絞り込まないとピンボケのままだろ? そう言うのを時間の無駄って言うんだぜ?」

「お、俺だって無理だろうとは思っていたさ。もしかしたらと思って検索しただけだって。幾らお前が先輩だからって、まる一年も干されていた奴の言う言葉かよ?」

 ジンは脹れてそっぽを向く。

「せぇな。こっちだってムカつくんだよ。その言い方」

 岬もジンの言葉にカチンと来る。年齢こそ同じだが、ジンは岬の後から九課に遣って来た後輩だ。同じ医師ではあるがジンは薬品関連の研究員だった為、デスクワークが主体だ。同じ九課だとは言っても、身体を張って救助任務を行う岬とは別畑だ。タダでさえ謎だらけの今回の件だ。苛々しているのに、これ以上の追い討ちは願い下げだった。

「高城。無駄とも思える作業も、時として後で必要になったりするものだ。そういった積み重ねが犯人逮捕に繋がる事もある。ましてや彼はお前の相方だろう? 彼の努力をそう無碍にするものじゃないぞ?」

 黙って聞いていた芹澤が口を挟むが、二人共芹澤の言葉を聴いてはいない。

「いちいち勿体ぶって経過報告なんかする必要なんか無いだろ?」

 岬は猶もジンに咬み付いた。

「お前、何イラついてるんだ?」

「はぁあ? 俺の何処がイラついてンだよ?」

「してるじゃないか! 今っ!」

「はいっ! それまで!」

 今にも掴み掛りそうになった二人に、芹澤の大声が飛んだ。まるで試合での審判の乗りだ。

「お前等、本当にFCIなのか? ああ?」

「そうですっ!」

 岬とジンの声がハモった。

 この二人、仲が悪そうだなと思っていた芹澤だったが、息を合わせたような反応に、思わず吹き出しそうになる。

「ったく、遣ってられっかよ」

 乱暴にドアを開け、肩を怒らせたジンが先に飛び出した。

「待てよ!」

 慌てて岬が後を追い掛け、ジンの肩を捉まえる。

「ンだよ、放せよ!」

 ジンは岬の手を乱暴に振り解く。

「怒るなよ」

 既に岬はいつもの冷静さを取り戻していた。

「誰が怒っているって? 俺は今、忙しいんだよ」

 口では否定したが、ジンの怒りはまだ治まっていないのが見え々だ。

「悪かった」

「べ、別にお前から謝って貰ったって……」

 ジンは所在無さそうに岬から眼を逸らせると、居心地が悪そうにふて腐れる。

「容疑者だが、刃物を得手にする人物を絞ってくれ」

「あ?」

「組織関係者は勿論、現役、退役の軍関係の者も。当然FCI内部もだ」

「え、FCIって……お前、何を言っている?」

 岬の言葉にジンは眼を見張って息を飲んだ。

「聞えなかったのか? FCIも対象だ。当然、俺も疑って貰って良い。ジン、確かお前も得意だったよな?」きっぱりと断言した岬とは対照的に、ジンは何処か落着かない様子だ。「どうした?」

 岬は訝って軽く首を傾げる。

「テロリストの線はどうなっている?」

 ジンは再び視線を逸らせ、唸るように呟いた。

「目的がE・R関係者の殺害なら、その線は余計だ。切り捨てた方が良い」

「そうか……ああ、そうだな」

 少し間があって、ジンは軽くニ、三度顎を引くと、その場を離れる。

 ジンの妙におどおどして落ち着きの無い素振りを、岬は黙って窺っていた。

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