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最終話 マテリアル・メモリ

「駄目だ。俺には……俺には出来ない!」

 不意に岬の眼から雫が零れ、レイナを囲むフィールドの表面を濡らす。

 レイナを囲んでいるフィールドは、岬達が使用しているインターセプタの応用品。フィールドを発生させている三箇所の楔は、フィールドを維持するための高エネルギーが内蔵されているのだが、彼女との別れを惜しんでいる間を与えてくれるほどの持続性は無い。

「……」

 緊張し、張り詰めていた周囲の空気が一変した。

 様子がおかしいと感じて面を上げた岬の眼には、その場へ座り込んで肩を落とし、項垂れている人獣の姿が映った。

 ぴんと立っていた小さな耳を後ろへ倒し、全身が小刻みにブルブルと震えている。燃え盛る炎のような紅い眼がゆっくりと閉じられたかと思うと、その眼からは岬と同じものが溢れて落ちた。

 まるでこれから自分の身に襲い掛かろうとしている恐怖が何であるのかを承知し、覚悟しているようにも見える。

 岬は、変身したレイナが未だに人の心を忘れずに持っていて、わざと自分の目の前で捕らえられたのではないのかと思った。自分の手の中には、フィールドごと彼女を焼き尽くしてしまう、恐ろしい起動装置があると言うのに。それを彼女は承知していたとしか思えない。

 レイナは一度、捕らえられた自分を助け出そうとしていた岬へ『自分の事は忘れて』と言った。それは彼女が岬を嫌うが故に発した言葉であり、そして生きる事総てに対しての諦めの言葉であったのだと、そう岬は解釈していた。

 しかし、あの時も――そして今此処でも彼女は泣いている。この涙は、彼女の絶望の涙でしか無いのだろうか? 『死にたくない』との意思表示では在り得ないものなのだろうか?

「どうして『俺』なんだ?」

 思わず言葉が口を突いた。

 彼女の総てが今、自分の手の中へ託されている。そう思うと、正気では居られなくなりそうだった。大切にしたいと想っている彼女の命に、何故自らが手を下さなければならないのか? たとえ世界中を敵に廻し、レイナ本人から嫌われていたとしても、それは断じて譲れない自分の護るべきものなのではないのかと――

 FCIに所属している者として、指令に逆らい遂行出来ない事は最も恥ずべき行為であり、ともすれば裏切り行為と見なされ、連邦会議ものの不祥事になる。勿論岬は、その総てを承知していた。

 けれど『一人の男として、ただ彼女を護りたい』その気持ちに偽りは微塵も無い。

 答えを返せない彼女の後姿を見詰めていた岬の眼が、彼女の首筋へ打ち込まれている『異物』を捉えた。銀色に光る太さ二ミリ程の針は、彼女の首筋から八十ミリ程度の長さを残して禍々しく露出していたのだ。


「やはりお前には無理だったな」

 冷淡なジンの声を耳にして振り返るなり、ハッと息を飲んだ。

眼に付くように軽く挙げた彼の手には、岬が持っている物と全く同一の起動スイッチが握られている。

「悪い。お前を最後まで信用出来なかった。だが、俺ならコイツを殺れる!」

「止めろぉおおお! 消すなあぁああ―――!」

 スイッチに宛がったジンの親指に力が込められるその刹那、岬の絶叫が辺りに木霊した。

 彼女のこの姿も、逃げ出した理由も、総ては謀られたもので彼女の意思では無かったのだと今更説明出来る猶予など無い。

 岬の『気』が爆発的な勢いで昂り、超人的な反射神経と集中力が研ぎ澄まされて、周囲の状況を一気にスローモーションに変換させた。岬に怯んで驚いたジンの表情が、岬にとっては緩慢な動きにしか見えなくなる。

 インターセプタの強烈な光に包まれた岬は、足元に打ち込まれていた楔の一本を力一杯蹴り上げた。楔は床から引き抜かれて高速回転しながら、ジンへ向かって一直線に飛ぶ。

 ジンは悲鳴を上げながら、瞬時に腰を抜かして座り込み、辛うじて難を逃れた。

 楔は今まで彼が居た丁度頭部辺りの壁を穿って深々と突き刺さる。

 フィールドの均衡が崩れ、自由になった人獣が飛び出したが、心得ていた岬は人獣の動きを見切って素早く背後へ廻り込み、刺さっている針に手を掛けると力任せに引き抜き、空いていたもう片方の手で素早く傷口を押さえて止血した。止血に間に合わなかった血飛沫が、岬の上半身へと勢い良く撒き散らされる。

 人獣は恐ろしい雄叫びを上げると、その場で意識を失って崩折れた。


 飛んで来た楔を寸での所でかわしたジンは、一旦は何とか立ち上がったものの、よろけて二、三歩後退し、背中から壁伝いにへたり込んでしまった。恐怖で暫らく声が出せず、顔を強張らせて、酸欠になった魚のように口をパクパクさせている。

「お、俺を……こ、殺す気か?」

 肩で息を切らせて顔面蒼白になりながら、やっとの思いでジンがぼやいた。恐怖で両膝ががくがくと戦慄いて止まらない。

「悪い……そんな心算じゃ無かった。けど、もう大丈夫。彼女はコイツで操られていただけだ」

 岬も肩を激しく上下させていた。そしてたった今彼女から抜き取った血塗れの針をジンの足元へ放って遣す。

 乾いた金属音に、思わずジンが身体を竦めた。

「そ、そんな心算も、こんな心算もあるかよっ! ったく! も、漏らしそうになったじゃないか!」

 涙眼になったジンは、仁王立ちになっている岬から、変身が解けて彼の足元に倒れているレイナの姿へと視線を這わせた。

 彼女は人獣の姿が解けて床へ突っ伏し、白い髪を持った美しい女性の姿へ戻っている。

「ほ、本当に操られていたのか? も、もう、大丈夫なんだろうな?」

「ああ……おい、何見てるんだよ? あっちを向けって!」

 彼女の肢体をジンの眼に触れさせまいとして、岬は断熱用の保護フィルムを装備から取り出すと、意識を失っている裸身のレイナを素早く包んで抱き上げた。

 落ち着いた岬の様子を見たジンは、ほっと胸を撫で下ろして二人に近付いた。

「お前からは、もっと詳しく事情を訊いておく必要があるみたいだな」

「……」

 軽々とレイナを抱え直した岬がそう言って恨めしそうにじろりとジンを睨み付けると、ジンは気不味くなって、岬から視線を逸らせた。

―「岬! ジン! 無事か?」

「遅せえンだよッ!」

 苛々した岬は、やっと通信を回復させて連絡を遣したテッドに咬み付いた。


  *  *


 レイナの新しい身体が完成するには、ほぼ一月に渡る期間を要した。通常の過程では、依頼者本人の体細胞から細胞を培養し、身体の必要箇所を部分的に製作すると言う手順を踏み、完成するには数週間あれば十分だった。

 ところが、オリジナルのDNAを残さない条件を前提とした、完璧なレイナの模造品ダミーの製作は特殊であり、容易では無かった。受注先の製造会社は大いに悩み、莫大な経費と時間を費やして試行錯誤を繰り返していたのだ。

 本人の意思では無かったが、逃亡したレイナの件を憂慮したFCI上層部は、彼女の首に逃亡防止の枷を付け、更には新しい身体が出来るまで、以前と同様に薬品浸けで眠らせる方針を採っていた。


 岬は眠らされているレイナの個室へ足繁く通っていた。

 勿論彼女の医療面での健康維持チェックと言う、ご大層な名目付きで。けれど、眠っているレイナを訪ねたからと言って、特別何をする訳でも無かった。必要項目の簡単な医療チェックを済ませると、日々時間が許す限り、残された時間を眠っている彼女の傍に就き、静かに寄り添っているだけだ。

 他人が見れば、悪戯に時間を費やしているように思えるのだが、彼女に意識が無くても、言葉を交わす事が無くても、岬はただ黙って傍に居るだけなのに不思議と気持ちが和らいで落ち着く心地好さを覚えていた。それは、岬が心身ともに疲れ切っていたからこそ、特別に感じられた安らぎであったのかも知れない。

 けれど、いつまでもこうしていたいと岬が願った時間は、長くは与えられ無かった。

 あと数分後には、彼女の総てが失われる処置が始まるのだ。

 岬はそう思うと堪らなくなった。何度彼女を維持装置から助け出し、二人で逃げ出そうと思った事か……此処が普通の病院であれば、簡単に逃げ出せる。そうであったら良かったのにと考えずには居られなかった。

 けれど、此処はFCIの地下医療室。幾ら頭の中でシミュレーションを繰り返しても、出て来る結果は一つだった。

 室内の各所に設置された監視カメラが常時稼動して、岬と眠っているレイナを捉えている。此処で彼女を連れ出せば、捕まって引き戻されるのは必至。そうなれば自分はおろか、喩え他国の極秘情報を深層意識へ組み込まれている彼女であっても、問答無用で消されてしまうだろう。FCIが岬へ約束していた『サイバノイド』として生きると言う、その存在を維持する事さえ叶わなくなってしまうのだ。


 岬は重い腰を上げて、眠っているレイナへと近付いた。普通の管理であれば、呼吸可能な医療用水溶液に沈められている身体は、皮膚が水分を過剰に摂取してしまい、本人とは思えないくらいに浮腫んでしまうのだが、彼女の場合は違っていた。

 毎日岬が細やかに管理している為、彼女の身体には醜い浮腫み等一切見られない。それどころか、総合栄養剤を与えられたレイナは、以前よりも更に美しくなっていた。蒼白くくすみがちだった肌は肌理を整え、淡い薔薇色へと変わっている。煤けていた長い白髪は補修成分を摂取して、艶やかな銀髪へと変化して神々しい女神のように輝いていた。

 岬はレイナを包んでいる硬化ガラスへそっと左手を載せた。

維持されている彼女の体温が、そのまま直に掌へと伝わって来る。サイバノイドの身体には残念ながら体温は無い。今、岬の掌で感じ取っているこの温もりこそが彼女の『命』であり、生きている証なのだ。

「レイナ、サヨナラは……言わないから」

 そう言葉に出して言ったものの、岬の心は暗く沈んでいた。

 自分がもっと強ければ、彼女を如何にか出来たのでは無かったのかと思い込み、力が及ばなかった事を悔いて、岬は心の中で二人の『れいな』に、何度も何度も詫びて、心が張り裂けそうになる。

「……」

 不意に、眠っている筈のレイナから、何かしら心に触れるものを感じた岬は、顔を上げて容器の中の彼女を見詰めた。

 生命維持装置の水溶液に何日も浸かっているレイナの閉じた瞼から、微かな気泡が現れて長い睫毛に絡まり、それが水溶液に弄ばれるようにして浮上する。

 ゆっくりとレイナの瞼が開き、明るい栗色の瞳が自分を見詰めている岬を映し出した。

 薬に依って眠らされている筈のレイナが、自力で覚醒して眼を開けたと言うのだろうか? 在り得ない状況が目の前で起こっているのに、岬にはそれが何故だか不自然な事だとは思えなかった。

『私に……泣いてくれているの?』

 レイナの物憂げな視線は、そう岬に問い掛けているようだった。そして彼女は緩慢な動作で、ガラスに触れている岬の掌に、内側からそっと細い指先を重ねると、軽く顎を上げて再び眼を閉じる。

「レイナ……」

 岬は彼女に向かって包むようにゆっくりと上体を倒し、ガラス越しにキスをした。


 背後で静かに自動ドアが開き、数人の気配がした。サイバノイド処置を担当する、医療チームの面々だ。その中に、術衣を着用したジンが居る。

「岬? ……いいか?」

 ジンは二人を直視する事が出来ず、視線を逸らせて問い掛けた。

 岬は黙ったまま項垂れる。そして、もう一度自分の眼にレイナの姿を焼き付けようとして、名残惜しそうに容器の中の彼女へと視線を戻した。

 今のは幻だったのだろうか?

 薬の作用で再び眠りについてしまったのか、眼を閉じたまま動かなくなってしまった彼女を前にして、力無く肩を落とした岬は、ジンの声に反応してゆっくりと顎を引いた。


  *  *


 昼間、厚い雲に覆われていた空は雷雲を呼び寄せて、夕方にはとうとう大粒の雨が降り始める。

「ひゃあ~、やっぱ降って来たよう」

 バルコニーで干していた自分のテニスシューズを慌てて取り込み、環が駆け戻って来る。

「お兄、洗濯物濡れちゃうよ」

 声を掛けるのだが、部屋に居る岬はカウンターテーブルに頬杖をつき、視線は何も無い床の一点を見詰めたまま微動だに動かない。

環は動かない岬を訝って首を傾げた。

 いつもは雨が降り出せば、環よりも先に洗濯物を取り込んでしまうのに、今日は全く違っている。けれど、その理由を尋ねられる雰囲気では無かった。環には、岬の周りの空気だけが一際異様に重たく感じられて、口を挟む事さえ憚られるような気配を感じていたからだ。

「お兄? 聞えてるの?」

 それでも勇気を出してもう一度声を掛けてみた。が、返事はやはり返っては来ない。

 雨は一向に止みそうに無く、それどころか雨足が次第に強くなって来ているように思えた。

「ん、もぉー、しょーがないなぁ」

 環は仕方なく雨の中へと飛び込んだ。

 携帯の呼び出し音が聞こえて、洗濯物を取り込み始めた環の背後で部屋のドアが閉まる音がした。岬への仕事の呼び出しかと思い、気にしないでいた環だったのだが、岬が出て行ってドアが閉まった後だと言うのに、まだ携帯の呼び出し音が聞こえているのだ。

「あ~! お兄携帯……」

 テーブルの上には、呼び出し音が鳴り続けている岬の黒い携帯が放置され、傍にはいつだったか環があげた、蒼い組み紐が解かれて残されていた。


  *  *


 岬は傘も差さずに降頻る雨の摩天楼を当ても無く彷徨った。

「馬鹿野郎! 何処見て歩いてンだ!」

フラフラと覚束ない足取りで歩道を行く岬の腕へ、擦れ違いざまに他人の肘が当たって汚い罵声を浴びせられたのだが、今の岬には他人の怒鳴り声など少しも耳に届いてはいなかった。どんなに罵られようと、凄まれようと、心が抜けてしまったのか放心状態のまま表情一つ崩さない。まるで何かに憑かれたように機械的に歩き続ける姿を眼にした誰もが、岬を薄気味悪く感じて道を譲り、拘わるのを嫌って煙たがった。


 気が付けば、岬はいつの間にか爆破されたクラブ・ラジェンドラの跡地に佇んで居た。一階を中心に数階の上下フロアを大きく消失して廃墟と化してしまったクラブのビルは、未だに解体されずに放置され、以前の華やかだった頃の面影は微塵も無い。

 夜になると繁華街の中で最も賑わい華やかになる通りに面していると言うのに、岬の前にある廃屋だけが時間の片隅に忘れられ、取り残されているようだった。昼間でも尚薄暗い廃屋には、ホームレスや怪しげな取引をする者達の格好の屯場になっているらしい。

 岬は上半分が無惨に消し飛んでしまったビルの入り口の濡れた壁に、そっと左の掌を押し当て俯いた。


――何も出来なかった。俺はレイナを護ると言っておきながら……何も……


 FCI三課が解体され然るべき処分が下された後でも、レイナの状況は何ら変える事は出来なかった。悪戯に彼女の処置が日延べされただけだったのだ。

 レイナのI・Dをコピーしてサイバノイドに換装したとしても、所詮は偽者ダミーだ。自我を持つオリジナルの彼女はもう何処にも居ない。ただの機械人形(ドール)となった一人の女性が居るだけだ。


――明日から……俺はどうすればいい? どんな顔をして彼女に会えば良い?


 岬は自分自身へ問い掛ける。

 任務の完了を告げられた今となってはどうする事も出来なかった。拠り所としていたレイナの存在を奪われてしまったのだ。もうこれ以上、自分に何が出来ると言うのか?

 最後まで彼女を救えなかったと思い込んだ岬は、胸が張り裂けそうな虚しさを覚えて空を仰いだ。

 強い雨が容赦無く岬を打ちのめす。まるで自分が総てのものから拒絶され、非難されているような気分だった。

「レイナ……何故逃げなかった? 俺はあの時ジンと刺し違えてでも君を逃がす事が出来たのに」

 何度後悔しても悔やみ切れない。

『駄目よ……』

 不意に優しく諭すレイナの声が聞こえた気がした。

 ハッとして背後を振り返り、視線を左右に奔らせて必死に『声』の持ち主を捜して彷徨わせるのだが……岬の視界には、雨に濡れた繁華街で道行く他人の雑踏と、煌びやかなネオンが瞬く見慣れた光景しか映らず、彼女の姿を見い出す事は無かった。

 人獣の確保と処分。FCIから下された指令には逆らう事が出来ない。逆らえばそこに待っているのは『死』が待っているだけだ。その先に未来は無い。

 それでも構わなかった。レイナが逃げ出して生き延びたいとさえ望めば、喩え自分の命を投げ打ち引き換えにしてでもその望みを叶えて遣ろうと決心していた。

 なのにレイナは、そんな岬を頑なに拒んだ。

 初めて逢った時、岬を陥れようとして逆に服毒させられ、死への恐怖から逃げ出したくて岬に縋った彼女の姿を思い出す。あの時のレイナは、酒に酔って弱った振りをしていた岬に対して、顔色ひとつ変えずに毒物を飲ませようとしていた女であり、岬との記憶を一切失くしていた『他人の女』であった。

 任務だとは言え、彼女が自分の記憶を取り戻してはくれないだろうかと、淡い期待を胸に抱き、ずっと陰ながら彼女を見守って来た心算だった。想いが先走ってしまい、彼女に何度も近付いたが、その度に彼女は悲しそうな眼で岬を見上げた。そして岬は失意を感じて落ち込むばかりだったのだ。

 結局、レイナが岬との関係を思い出してくれた様子は全く窺えなかったのだが、彼女が岬に対して、利用価値を見い出していたかどうかは別にして、何らかの想いを抱いてくれたのは明らかだ。そうでなければ岬に身体を許したりするような真似はしなかっただろう。

 岬を知らなかった頃のレイナが言った『死にたくない』と言っていた言葉と、岬を知った後の『忘れて』と言った諦めの言葉……しかし、自分の存在を否定したレイナの瞳はずっと岬を映していた。

 彼女の言葉には、岬の身を案じた彼女なりの想いが在ったからこその言葉ではなかったのか? 

何処からが彼女の嘘で、何処までが彼女の真実だったのだろう? 変身してしまう自分の身体に絶望し、自らの命を絶つ事しか他に術は無かったのか?


 時折凄まじい威力で落下する雷によって、佇む岬の姿が暗闇から照らし出され、濃い陰影を作った。

「おい!」

 背後から、岬を乱暴に呼び止める少年の低い声がする。

「取引に来てんだろ? ブツを渡しな」

 いつの間にか、気味の悪い薄ら笑いを浮べた十七、八歳くらいの男女六人に囲まれていた。それぞれが手にナイフや金属バットといった獲物を握っている。どうやら彼等は、岬が麻薬か何かの取引に遣って来たのだと勘違いしているようだ。

「さっさと出せよ!」

 背後から岬の肩を乱暴に掴み、少年の一人が凄んで見せる。

 落雷が、振り返った岬の表情を逆光にして隠したが、異様な光を帯びた岬の鋭い眼光までは隠す事が出来なかった。皆、一様に彼の眼光に驚いて怯み、はっと息を飲む。

「と? は、ははっ……ひ、人違いでした……すいませーん」

 瞬時に岬が只者では無いと察した少年達は、あっさりと引き下がる。

「何だよ」

 岬は不快感を露わにして、ボソリと吐き棄てると、少年達は這々の体で逃げ出してしまった。


 岬の視線は少年達ではなく、彼等の後ろで傘を差して立っているジンの方へと向けられていた。今の一言は、ジンに対して掛けた言葉だったのだ。そして、その険しい視線はジンにではなく、彼の後ろで隠れるようにして傘を差している、長い銀髪の女性へと注がれていた。

「こんな所に居たのか」岬の不機嫌極まりない様子を察して、ジンは一瞬口篭る。「さ、捜したぞ。環ちゃんから聞いた。お前、ちゃんと携帯持っていろよ。俺は伝言板じゃねーんだからな」

「任務はもう終わっただろう? 何の用だ」

 岬は素っ気なく言い放つ。その剣幕に気圧されてしまい、ジンと彼の背後に立っている『気配』が怯んだ。

瞬時にその『気配』が誰であるのかを読んだ岬は、強い憤りを覚えた。

 今の岬にはレイナと関わった総ての者を遠去けたい気持ちしか無かった。携帯をわざわざ家に置いて来たのはその為だ。なのに、ジンは『彼女』を岬へ会わせようと思ったのか、この場へと連れて来ているのだ。

「こんな所にまで俺を追い掛けて……そうまでして俺を『人形』に会わせたいのかよッ!」

 カッとなって言い放ち、忌々しそうに『彼女』を睨み付ける。

 彼女は岬の鋭い視線に射抜かれてビクリと肩を震わせた。

「え?」

 落雷の光に照らされて、一瞬ではあったが『人形』と岬から罵られた彼女の表情がハッキリと見て取れた。

 その瞬間、岬の心臓がドキリと大きく脈打ち、それまで生気を失っていた瞳の奥で何かが灯された。俄かに光を取り戻した岬は、自分の眼を疑い思わず眼を大きく見開く。

「あ……レ、レイナ?」


まさか?


 彼女は訳も判らないまま目の前にいる岬に酷く睨まれて、軽く身体を退いて戸惑い、萎縮している。

 目の前に佇む彼女がサイバノイドではなく、紛れも無く彼女自身――生身のオリジナルである事を岬は直感的に覚ったのだ。


  *  *


「言い忘れていたが、彼女は三課が使用した薬物の副作用で記憶喪失になっている。お前と知り合った頃の期間。詰まり、彼女にとっての忌まわしい記憶の一切が失われているんだ。まあ、何かのきっかけで記憶を取り戻すかも知れないけどな」

「俺との事が『忌まわしい記憶』だってぇのかよ?」

 ジンの余りな言い草に、岬はムッとなって口を尖らせる。

「ま、本人が失くしてしまったんだ。気の毒だがそう言う事になるんじゃないの? 断っておくが、此方が勝手に記憶操作して消した訳じゃ無い。本当はそうする手筈だったらしいけどな。彼女には多少の矯正処置が施されているだけだよ」

「多少の……って、これの何処が多少だよッ!」

 岬は不用意に彼女を抱き締めようと手を出してしまい、痛烈な平手を喰らって真っ赤になった左頬を指差し、涙目になって訴える。

 ジンは岬の左頬に残った見事な手形に感心して笑った。

「何故、彼女が此処に居るのかって顔だよな?」

「ああ」

 岬は当然だと言わんばかりに頷いた。

「俺を含めて九課の全員がFCIの決定に反対だった。陸防や三課が動いてくれたお陰で彼女を消す機会は何度だってあったんだ。だが、お前はその度にそれを妨害し回避した。お前は最期まで彼女を護り通したんだよ。自分が消されるかも知れないのを覚悟の上でな。誰にでも出来る簡単な事じゃ無い。エラーだったインターセプタさえ監視測定機をぶっ壊して起動させてくれたんだものな。分析課の連中も、お前の桁違いの数値を見て真っ青だったとさ」そこまで言うとジンは真顔に戻り、急に声を低く落とした。=「悪いが自宅を調べさせて貰った。お前の部屋から、許可の下りて無い拳銃数丁と銃弾。その他諸々の武器が発見された。お前、まさかたったあれだけの装備で……」

「……」

「俺達をなんだと思っているんだよ?」

 ジンは真っ直ぐに岬を見詰めたが、岬はジンの視線から逃げ出すように顔を背けてしまう。

 あの時の岬には、生きる事への未練など無かった。ジンの勘ぐった通り、レイナのサイバノイド処置を見届けた後で、謀反を起こして遣ろうと決心していたのだ。

 しかし、FCIから不穏分子としてチェックを受け、要監視を言い渡されてしまった岬には、それが手配出来る精一杯の装備であった。

「死にに行くようなモンじゃねーか……バーカ。俺等だってなぁ、お前を敵に廻すような馬鹿じゃない。後味の悪い処分の方向だって、出来る事なら遠慮したいし……俺等だって願い下げだってーの。ならいっその事、このままお前に責任を押し付けて護らせてしまえって結論になったんだよ」

 彼の言い方は余りにも酷く乱暴なものだったが、言葉の深い意味を察して岬の表情が明るくなる。

「ジン?」

「でな、その事を部長に伝えたら、小島さんもお前の親父も、同じ事をそれぞれが別方向から伝えて来ていたそうだ。勿論、部長も同意だった。で、FCIの幹部連中を見事に説き伏せたんだ。こう言っちゃアレだが、部長は生きた標本が『番い』だと仄めかしたらしいぜ?」

「番い……って、俺?」

 ジンから指を差された岬は複雑な心境だった。やはり部長の三島は、岬が人獣である母親の血を濃く継いでいるものだと承知していたようだ。それは岬自身、強く自覚した事では無かったのだが……恐らく、三島の根拠は『レイナ』に執られた措置を回避する為の、だからこその場当たり的且つ苦し紛れの発言だったのだろう。しかし、事情を知らない部外者が聞けば失言になり兼ねない。或いは、部長の三島が乱心したのかと疑われても仕方が無い発言だ。下手をすればレイナはおろか三島まで失脚し、岬も捕らえられてしまう諸刃の刃になってしまうではないか。

「何で『番い』だと決め付けられたのか、俺には皆目判らん。が、まぁ、その場凌ぎのハッタリでもカマシたんだろうよ。だがな、モノは言い様だ。研究部門の連中にとっちゃあ、奮い付きたくなる垂涎モノのネタだったらしいぜ? 流石は百戦錬磨の老獪なジジイだぜ」

「ロウカイなジジイ……」

 上司に対しての失礼極まり無いジンの発言に岬は退いた。ジンは普段から岬との会話でも、余り口の利き方が上品な方では無かったのだが、流石に今のジンは岬でもおかしいと勘繰ってしまう。

「ジン?」

 岬はジンの様子を窺った。暗がりで良くは判らないが、彼の顔はやつれて疲労の色が濃く窺える。自分はレイナに付き添っていて、ここ一月余り彼とは顔を合わせてはいなかった。つい数時間前に、ジンが彼女を呼びに遣って来た時に会っただけだが、この時はお互いが視線を合わさないでいた。会っていないその間、彼は一体何をしていたのだろうかと、急に岬は気になったのだ。

 自分の様子を勘繰っている岬に気付いたジンは、ふと表情を和らげる。

「俺も少しは役に立てたかな?」

「どう言う意味だ?」

「彼女を強制的に変身させた薬なら、その逆もアリかな? って。ま、発想の転換が功を奏したって処かな? チョットは感謝してくれよ? あれから俺は薬の解析と処方開発でずっと徹夜続きだったんだからな。俺がサボるとでも思ったのか、傍にずーっと小島の爺さんが居て、居眠りしそうになったら容赦なく引っ叩くんだぜ? 三島さんとお前の親父は度々……ってか、卒中様子を覗きに来るわでタイヘンだったんだぞ。後で、完成までにタイムリミットがあったのを知ったんだけどな。でもまぁ……何とか間に合った。これでお前への借りはチャラになるかな」

 話の後半は殆どボヤキ状態になっていた。ジンは軽く肩を聳やかし、ポケットから個装した白い錠剤を取り出して見せる。

「変身が抑止出来るのか?」

「ああ。以前、お前がおかしくなってしまった妙な制御装置無しで何とかなる。尤も、変身は潜在的な能力に拠る処が大きいから、記憶を失った現時点での彼女には投与する必要は無いだろうよ。結局、予備薬的な物になっちまったけどな」

 ジンはそう言って薬を岬に手渡した。

 最新鋭のサイバノイドを用意して命を絶つよりも、リスクを度外視し、可能性を信じて彼女の存在に重きを置いてくれたジンや三島達。それぞれの温情を察した岬の胸が熱くなる。

「此処に俺を追って来たのは、その事を伝える為か?」

「うんにゃ、それだけじゃない」

 ジンは真顔になって姿勢を正した。そして、一歩大きく斜め後ろに退いて、自分の背後で隠れる様にして立って居たレイナを前へ出す。

「彼女が新しく入った九課のメンバーだ。ま、お前には改めて紹介する必要は無いだろう? 早速で悪いが、三島部長から装備E‐Ⅱでカデナの軍総合病院へ召集があった。高城、レイナの両名は、本日午前〇四〇〇までに当目的地へ急行。追って指示があるまで現場にて待機。以上だ」

「了解……やっぱりな。タダで此処まで追い掛けて来るとは思って無かったよ」

 つくづく人遣いの荒い課だなと思いながら、それでも岬は渋々了解する。

「当たり前だ。今回俺は一回休み。お陰でリハビリ中の彩香と仲良く出来るってもんさ。そっちこそ上手く遣れよ。ダンナ」

 ジンは固定バンドで吊るされた右手を軽く挙げて見せた。骨折後の手術痕は殆んど治っているらしいが、普段通りに動かすのにはまだもう少し時間が掛かりそうだ。

 ジンはニヤリと笑って左の親指を立てて見せ、岬は軽く応えて表情を緩めた。


  *  *


 レイナは、車のハンドルを握っている岬の横顔へ、気付かれないようにそっと視線を奔らせた。

 不安な気持ちは相変わらずだったが、それでも彼を見ていると、懐かしいような不思議な安堵感が心の片隅に湧き上がる。どうしてそんな気持ちになるのかとても不思議だった。

『高城岬』と言う人物のパートナー契約は無期限。彼女の主な業務は、FCIと岬との中継連絡と彼の補佐。いきなりそんな条件を突き付けられても、レイナは戸惑うばかりだったのだが、何故だか拒否することが出来なかった。それは、ずっと以前から岬を知っているような、そんな懐かしい気がしてならなかったからだった。眼に見える物では無く、レイナの心の琴線へ岬がレイナに対して持っている『何か』が触れて惹かれたような……そんな気がした。


『貴方は……誰?』


 言葉に出してはいないのに、呼ばれたかのように振り向いた岬と視線が絡み合い、レイナは緊張して顔を強張らせてしまった。

 岬はハンドルを握りながら、彼女へ何から話せば良いだろうかとあれこれ考えを巡らせていた。

 考え事をしている最中、左手が無意識にポケットを弄って煙草を捜し当てる。

 箱の中から一本を取り出して口へ運ぼうとした時、隣に座っている彼女から呼ばれた気がして振り向くと、彼女と偶然視線が合った。

「ん? あ、ああ……失礼」

 彼女が自分の煙草を持った左手を見詰めているのに気が付いた岬は、まだ火の着いていない煙草を慌てて灰皿へ押し付ける。

 もう一度『彼女』が嫌っていた煙草を止めてみようかと言う気になった岬は、残りの煙草を箱ごと片手で握り潰し、車内に取り付けていたダストボックスへと放り込む。

「い……良いの?」

「何が?」

「その……煙草。捨ててしまって……」

 真新しい煙草を眼の前でいきなり捨てた岬を訝り、表情を硬くしたレイナが不思議そうに問掛ける。

「良いんだ」

 岬は軽く頷くと、表情を崩して笑顔を見せる。

「あ、あのっ……」

「ン?」

「あのっ、さ、さっきは……さっきはいきなり叩いてしまって……」

「あ? ああ、コレ?」

 そう言って、まだ赤くなって痺れている頬を指差した。

「ごっ、ごめんなさい」

「え? あ、いやそんなに気にしなくても良いよ。俺が悪かったんだし」

 素直に謝った彼女の行動からは、翳りを持って居た以前のレイナの面影は窺えない。ジンが言っていた『多少の矯正処置』が功を奏し、本来の玲奈へ近付くよう施されたのだろうと思った。彼女の変身する能力を矯正する為の処置など不快ではあるが、今の岬には、彼女と同じこの場で居られる事の方が遥かに心地好かった。何より岬にとって、停まっていた時間が再び動き始めたのだから。

「でも、まだ赤くなって……痛いでしょう?」

「俺、地黒なのに『赤い』って判る?」

 尚も心配する彼女へ軽く自虐ネタを披露すると、それまで強張っていた表情が和らいだ。どうやら岬へ対する警戒を少しは緩めてくれた様子だ。

「それより、自己紹介がまだだったね。俺は高城岬。今後君の……」

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