4、失われた魔法を識る者
荷車を引き、男と少女は塔の内部へ入っていく。事前にしていた情報収集のおかげで、いまの最高調査地点である五階までの最短ルートは把握済みである。そこからは自分達で道を探しながら、進んでいくしかない。
一階に入ると、男は天井の高さに少し驚いた表情を見せた。一階とは言うものの、二階建ての建物より高い位置に天井がある。入ったところは広い空間になっていて、休憩場所のようにして使われている。
男が地図を見ながら自分達の行くべき道を確認していると、いかにも探険家というような身なりをした男が話しかけてきた。年齢は男とほぼ同じぐらいだろうか。背も高く、女にちやほやされていそうな見てくれをしている。
「そんな大荷物持って何やろうってんだ? 調査するんなら護衛が必要だろ? 俺らに任せてくれよ」
少女はといえば、そんな探検家の言葉を耳に入れようともせずに、男から地図をひったくって研究者らしき獣人に声を掛けている。
男は内心、なぜ自分がこいつの相手をしなければならないんだ、と不満を抱いていたが、役割分担だと割り切って受け答えをすることにした。
「必要ない。見たところ大した装備もしていないようだし、あまり頼りになるとは思えない。それに、俺達が持っているのは二人分の食料だけだ。仮に雇ったとしてもお前達に渡せる食料はない。さらに言ってしまえば俺達は調査しに来たんじゃない。上に上りに来たんだ」
「しかし……」
「力不足だ。こう、はっきり言った方が良かったか?」
男は徹底的に探検家の男の提案を断った。事実、頼りなく見えるというのは本当のことで、先の探検家の男は、ひいてはそのグループはまだまだ駆け出しの域を出ていない。この塔の現在確認されている部分が比較的安全だと言えど、未確認の部分に何があるかはわからないのだ。
加えて、共に行動するのならば少女がこの塔の住人であるという事実を話さなければいけなくなるときが来る。男が忌避したのはそこなのだろう。彼女がそうだとわかれば、探検家たちも金に目が眩むかもしれない。辿り着くかわからない少女の部屋を目指すことをやめ、男を殺して少女を研究者に売り渡して大金を得ようとするかもしれない。
さらに言うならば、男は探検家の力量を自分より下だと感じていた。少なくともその程度の烏合の衆よりかは、自分達で身を守った方が得策だと男が考えるのは決して間違いではないだろう。
恨めしそうな目をして仲間の許へ戻っていく探検家の男を見送っていると、少女が戻ってきた。
「訊いてきた。あそこらしい」
そう言って少女が指さした先は右から三番目の通路だ。事前に集めた情報と同じである。
「二階以降も昨日考えたルートでいいらしい」
「そうか、ありがとな」
男はいつもそうしていたかのように少女の頭を撫でる。撫でた後に過ちに気付いたのか、少し照れくさそうに謝罪した。
「すまん、妹にはいつもやってたからな」
「そう。別に気にしてない。それなりに気持ち良かったし。上手いのね、頭を撫でるの」
「そりゃどうも」
くだらない会話をしながら、二人は荷車を引く。それなりの大きさだというのに、男は息も乱さず黙々と運んでいる。少女にはそれが胸部に張り付いた悪魔の衣の所為であることを感じ取っていた。
少女はそれを問おうと思ったのだろう。しかし男の横顔を見て、遂にそれを口に出すことはなかった。男が別段変った顔をしていなかったからである。もう少し嘲りや呆れの色が見えたなら口にすることがあったかもしれない。男が自分の体を便利だとしか思っていないような顔をしているのを見て、心配するのが馬鹿らしくなったからこそ、少女は何も言わなかった。わざわざ言うべきことではないと判断したのだ。
暫く進んでいくと、生き物らしき影が遠くに見えた。白く、雪玉ような丸い生き物だ。
遠目からは害があるかわからないので、警戒しながら向かっていく。向こうもこちらに気付いたようで、こちらに近付いてきた。移動は自分の丸い体を跳びはねさせていて、跳びはねるたびに石と石のぶつかるような硬い音がしている。
「あれがここに巣食ってる生き物か。おかしなやつだな」
「あいつは知っている。たまに私の近くでも見かけるから。倒して構わないはず。基本は石の塊だし」
「どのぐらい硬い?」
「さぁ? この塔の壁には魔法がかかっているから以上に固いけれど、そこまで硬くと思う」
それを受け、男は荷車を起き、前に出て刀を抜いた。男の持っていた得物は剣ではなく刀だったのである。青白い刀身が通り抜ける度、そこに明るい青の軌跡が奔る。何回か素振りをした後、男は大きく一歩踏み込んで、雪玉のような生き物に刀を振るった。青い光が一閃したかと思うと、先の雪玉の生き物は体を縦に裂かれ、あっという間に消えていく。
男は刃が毀れていないかだけ確認して、刀を鞘におさめた。
「お見事」
その少女の褒め言葉を聞いていなかったかのように、男は少女に問う。
「さっき魔法と言っていたが、この塔は魔法が使われているのか?」
「そうよ。それがどうかした?」
質問の意図がわからないとばかりに首を傾げる少女を見て、男は少しばかり認識がズレていることを悟った。男や少女の住む現在の時間では、もうすでに魔法は失われているのだ。
そのことを少女に告げると、少女はあからさまに驚いてみせた。どうやら本当に知らなかったようだ。
「ということは、この塔にいる生き物が建物にかかっている魔法の余剰分からつくり出されていることを、まだ研究者たちはわかっていないのね」
「そういうことになるな。まあ、石で造られてるってわかったようだし、壁が何らの理由で強化されてるっていうことになって気付くんじゃないのか?」
「そうなると、この街はもっと発展しそうね」
「ああ、魔法の再現の研究なんかも始まりそうだな」
ひとまず確認ができた男は、新たに一つの疑問を抱く。少女が魔法の存在を知っているということは、少女も魔法を使える可能性があるのではないか、ということだ。
荷車を再び引きつつ、男は考える。これをいま、問うておくべきなのだろうか、と。
答えはすぐに出た。肯だ。
「なあ、お前は魔法を使えるのか?」
「当然でしょ? 私からしてみたら、使えない人がいることの方が驚きだもの」
少女は答え、不思議そうに首を傾げる。
知識不足はどちらにもあるはずだ。そこはお互いで教え合っていけばいい。そう男は考えていた。少女にそう伝えると、彼女もまた同意を示したため、少しだけ男は安堵する。
しかし、男が心配しているのはそこではなかった。もし少女と共闘することになった時、自分の知らない「魔法」というものと共に、上手く戦うことができるだろうか、とそう考えていたのである。その不安を解消するには、幾度かの戦闘をしなければならない。
男にはただ、強敵と出会うまでに連携を完成させられるよう祈ることしかできなかった。