3、妹の形見
目的が定まった二人の行動は早かった。
その日のうちに食糧や衣類など、旅の必需品を買い込んだのである。小さな荷車も手に入れ、準備は万端と言ってもいいだろう。
それほどまでに物を掻き集めたのだから、二人の疲労も相当なものだ。
両者くはたくたになりながら、夕食を摂っていた。
「なあ、一つ聞いていいか?」
「何?」
「お前の部屋って言うのは、どのぐらいの高さにあるんだ?」
問われ、少女は思い出しているのだろう、視線を右へと向けた。
その様子を見て、少し男は目を細める。
「うーん、下から見えない位置にあることは確かだと思う」
「それはまた、結構上だな」
「まあね、でもまあ、もっと上があるしね。バルコニーからでも頂上が見えないの」
「お前もどこまであるのか知らないのか?」
その問いに、こくりと少女は首を縦に振る。そしてそれで話は終わりと言わんばかりにパンをちぎる。
やがて男に見られていることに気が付いたのか、少女は不機嫌そうな目を向ける。
「何?」
「お前、右利きか?」
少女はその質問の意図がわからないとばかりに首を傾げる。少し考えてみてもわからなかったのか、少女はもうひと口、左手でパンを口に放り込んだ。
「左利きよ。それが何か?」
「いや、ならいい」
男は恐らく、思い出すときに向けていた視線の方向について考えていたのだろう。
普通、右利きならば過去のことを考えるときには左に視線を向ける。右に向けるときは嘘を吐くときや、未来のことを考えている時である。だから男は少女が嘘をついているのではないかと疑ったのだ。しかし、左利きなら話が違う。それが逆になるからである。つまり、少女は右、左利きにとっての過去の方向を向いていたということだから、彼女は嘘をついていないと考えるのが妥当だろう。
食堂に人が増え始めてきたのを見て、男は少女を急かした。少女はそれでも残り少ない夕食をたっぷり時間を掛けて食べた。宿の主人に軽くどやされてなお、反省の意思を見せなかった。
部屋に戻って、二人は着替え始める。寝巻を持っている人間など一部の裕福な層だけなものだが、なにせ彼らには金がある。そのぐらいの余裕もできよう。
着替えている最中、少女は男の方を見た。ただ確かめたいことがあっただけで、何もやましい気持ちはない。男の姿を見て、少女は自分の読みが当たっていたことを知る。
「その衣、取れないのね」
声に気付き、男は振り返る。下は灰のズボンだが、上は黒いものが男の胸部と背中全体、右腕の二の腕の辺りまで広がっていた。あまり肉付きがよく見えないのは、恐らく男が痩せすぎているからだろう。何かを来ていれば少しばかりはたくましく見えるのだが。
振り返った男の目の映ったのは、半裸の少女の姿である。白いものしか着ない主義なのか、下着まで白い。ささやかに見えた胸にも下着を付けており、ローブを着ている時よりは大きく見えた。しかし、なによりも男の目を釘付けにしたのは彼女の足から腹部に掛けて伸びている藍色のおかしな紋だ。
少女もそれを見られていることに気付いたのだろう。しかし、自分の発した言葉に何も返ってきていないことを忘れていないのか、追求を始めた。
「それがあるのは、いつから?」
問われ、男は目を目を伏せる。言いたくないということなのだろうか。
少女は男をじっと見つめ、そして溜息を吐く。埒があかないとおもったのだろう。彼女は自分のことを話し始める。
「私のこれは、呪いよ。体がこれ以上成長しないの。もう三年ぐらい待ってくれたら良かったのだけれど、そう上手くいかないものね」
確かに少女の姿は幼い。あと三年もすればまず間違いなく絶世の美女になっていたことだろう。その少女の見立ては間違っていないはずだ。だが、いまの少女も十分すぎるほどの美しさを兼ね備えている。彼女がこれ以上を望むのは傲慢なのかもしれない。
男はその呪いについて頭を巡らせていた。ただ体が成長しないだけでは違うだろう。成長しないだけで有れば、老化はするはずだ。つまり、老衰で死ぬこともあり得る。その点について、男は問う。
「その呪いは不老不死と考えていいのか?」
その言葉に、少女は静かに首を振った。
「違う。これは不老であって、不死ではない。確かに老衰で死ぬということはないけれど、殺されれば死ぬし、病気にも罹ることもある」
「なるほど。それはいつからだ?」
「黙秘権を行使します」
男はそう言われ、押し黙る。黙秘権というものが何なのかは理解していなかったが、ひとまず拒否されたことは把握した。自分も拒んでいる手前、無理に訊き出すのは失礼だと判断したのだろう。
着替え終わった少女は寝台に上る。今日の朝は落ちてしまっていたので、少し内側に寄っている。
男の方はまだ寝ないのか、机に向かっていた。何かを書いていたらしいが、ふと手を止め、寝転がっている少女に顔を向けないまま尋ねた。
「塔の上り方はわかっているのか?」
「わからない。下の方に来たことがないから」
即答だった。何とも頼りにならない回答ではあるが。
男はその可能性も考慮していたのだろう。何事もなかったかのように再び手を動かし始める。
少女は男が何をしているのかが気になり、体を起こした。寝台の上から男の手元を見る。ブローチのようなものに何か細工をしているようだった。
「何をやっているの、それは」
少女が訊くと、男は手を止めずに答える。
「ただの修理だよ。ブローチの形をした道具なんだ」
少女はへぇと感嘆の声を上げる。男にそんなことができるのを初めて知り、素直に凄いと思ったのだろう。しかし、少女の表情に一転して疑問の色が浮かぶ。
そのくすんだ緑色のブローチは、どんな目で見たとしても男に似合うものではない。衣装を変えればそれなりに合うのかもしれないが、男がそんな衣装をもっているとは思えなかった。
「それは一体、誰のものなの?」
少女のその問いに、男の手が止まった。何がと思えば、ただ修理が終わっただけらしい。一瞬息をのんだ少女はひどく安心して息を吐く。
「持っておいてくれ」
そう言い、男はブローチを少女に渡す。
「妹の形見なんだ」
「何故それを私に?」
問われ、男は恥ずかしそうに眼を逸らす。目を閉じ、懐かしむような声音で言った。
「お前は妹に、よく似ているからだ」
男が少女に声を掛けたのも、それが理由だったのだろう。自分の妹によく似ていたから、心配になって声を掛けてしまったのだろう。まあこんなことになるとは思っていなかったのだろうが。
しかし、そのブローチを嬉しそうに見る少女は知らない。
男が一人、「やっと手放せた」と小さく呟いていたことを。そのことに、心底安心した表情を見せていたことを。
だんだんと物語が動き始めています
次回からは塔の内部に入ると思います
ブックマークや感想等、よろしくお願いします