1、不器用な優しさを
酒場の中で、二人は見つめあっていた。赤髪の少女は探るような視線を隠さず、黒髪の男はそれを気にも留めていないかのような目つきで。
暫くの沈黙の後、男はやっと口を開いた。
「何で俺なんだ?」
その問いは予想していたのか、少女は余裕のある表情になり、口角を上げる。
反応が気に障ったのか、はたまた思い直したのかはわからない。男は視線を逸らすと一つ溜息を吐き、言った。
「やっぱりいい。『わからないことも自分で考えろ。でなきゃ頭が廃れるぞ』って言われるしな、爺さんに」
「別にいいんじゃない? わからないことを聞くのは当然でしょ」
少しばかり高慢な態度の少女を見て、男は呆れた顔を見せ、笑う。そのことに腹が立ったのか、少女はムスッとした表情になった。どちらもまだ互いのことを判断しかねているようだった。
男は少し周りを見て、立ち上がる。
酒場に入ってきたばかりだった少女はまだ何も注文していない。何か食べようと思っていたのだろう、文句を垂れる。
「どこへ行く気? 話は終わっていないし、何か腹に入れておきたいのだけど」
「俺の宿だ。金なら腐るほどあるから何でも買ってやる。お前の話が本当かはわからないが、研究者たちに知られたら面倒なことになるだろ」
男の答えに少女は目を細める。その身なりからはどうにも金があるとは思えなかったからだ。髭や髪の毛こそ整っているが、衣服は黒を基調に整えているだけで、実際は寄せ集めに近い。悪魔の背中の皮などを使っている時点で、その様子は異様に映る。
僅かながら考え、少女は席を立った。どちらにせよ、ここで騒ぎを起こすのは得策ではないと考えたためである。男が言うように研究者たちに知られればただでは済まないだろう。集まってきて問い詰められるだけならまだしも、その身を押さえられて一生研究者たちの奴隷となるのは彼女の本意ではない。
酒場を出て、レザーアーマーのように悪魔の衣を着こなす男に少女は尋ねる。
「本当に金はあるんでしょうね。これで無いのなら話にならないのだけど」
「あるさ。出すのは人目の無いところでだな。お前に持ち合わせがないのは察していたが、そう焦らないでくれ」
そう言われ、少女は黙った。事実、彼女は硬貨の一つさえ懐に入っていないのだ。
少し脇道に入ったところで、男はローブを引き摺らないように持ち上げながら歩く少女に手に握った銀貨を見せつける。その量からして、確かに三日は凌げるほどの量はありそうだ。しかし、それだけではこれからの生活の足しにはならないだろう。少女は再び男の顔を見た。
見つめられて、男は面倒そうに目を逸らす。少女の真っ直ぐな瞳が苦手なのだろう。
「それは今日の夜と着替えの分だ。明日以降のは明日買えばいいだろ」
男は路地に出て、辺りを見回した。少し見渡しておおよその目処は付けたのか、少女のいる脇道へと戻ってきた。
「どうする? 飯が先か、着替えが先か」
「着替えね。飯は不味くても我慢できるけれど、衣服はどうにもならないもの」
「どっちも妥協すればどうとでもなると思うぞ」
「それはあなたが男だからでしょ」
そうかねぇ、とぼやきつつ、男は少女を先導する。やがて一つの店に辿り着くと、少女を中へ入るように促した。
少女は男が逃げないか疑っているのだろう。訝しげな眼をして男を見る。
男は目を逸らしていたが、居心地が悪くなったのか結局少女と共に店に入ることになった。
「動きやすい服と、あとは下着かしらね。でも、明日買い込むなら下着と寝巻だけでいい、か」
そう言いつつ、少女は男を見る。男はなぜ自分が視線を向けられたのかわからず、問う。
「何だよ」
「いえ、何でもない」
少女は男が問うてきたことこそに満足したと言わんばかりの表情で品物を見ている。ちらりと男が値段を覗けば、一つ買うだけで他国の一般家庭の一月の給金が吹き飛ぶほどの価格なのを知り、顔をしかめる。しかしその素材や肌触りは疑いようもなく良品であることを示していて、自分に見る目があったことを安堵しつつ少女を探す。あの量の銀貨では到底払える額ではないからだ。
懐から先程少女に渡した銀貨の半量の金貨を取り出し、手持ちの小袋に入れる。それを楽しそうに下着を選んでいる少女に投げ渡し、入口付近のセーターやらタオルやらが置いてある場所まで戻ってきた。
男はガラス張りの扉から外を見て、止んでいた雪がまた降り始めたことを知る。
目の端に映ったのは小さな手袋だった。男のサイズではどうやっても入りそうにないが、男は少しばかり考える。やがて店の奥に目を向け、一つくだけた笑みを浮かべて手袋を手に取った。
手に取り、少し違和感を感じたのかそれを元の場所へと置く。少しの間逡巡して、やがて藍色のを手にした。店員に袋は要らないと告げ、代金を支払う。釣り銭を受け取り、くしゃくしゃに丸めた領収証と共に懐にしまい込んだ。
奥から少女が出てくるのにそう時間はかからなかった。紙袋一つで済んでいる辺り、特段無駄遣いしたということはないようだ。
店の外を見て少し眉をひそめた少女に、男は手袋を渡した。
「あなたが使えば……」
そう言いかけ、その手袋の大きさに気が付く。少女が困ったように笑うと、男も同じように笑い返した。
「不器用ね」
手袋を着ける少女の姿を見て、男は固まった。その動作の一つ一つに無駄がないのだ。まるでその手袋は最初から彼女のものであったかのようにするりと入っていく。容姿とは関係なしに美しいその所作に見惚れていることに気付いた男は自らを嘲って笑う。
その男の笑みに気付かず、少女は微笑んでいた。その温かさに、男の優しさに。
少女は小袋を返し、手の上にそれを広げた。それを見て店を出ようとした男に、少女は紙を突き出す。領収証だ。確認をしろということなのだろう。ちらりとそれを見て、彼女の手元の金を確認した男は軽く頷き、再び外を向く。
夕食代には十分だと判断したのだろう。男は金を取り出そうとしないまま、少女に問う。
「何か食べたいものはあるか?」
「そうね。とりあえず温かいものがいい。雪も降ってきたみたいだし」
「わかった」
少しだけ歩き、男は店へと入っていく。それは宿屋だ。二階建てで、敷地も他とは比べようもなく広いからだろう、少女の目にもすぐに判断できた。少女が苦言を呈さなかったのは、それが意味することを理解していたからだろう。
「彼女に温かい食べ物を」
「わかった。あの子も泊まるのかい?」
「ああ、部屋は」
「同じでいい。私が頼んだのだし、そこまでさせるのは悪い。見られても減るものじゃないし、襲われたとしても見る目がなかったと諦めるから」
男の言葉を遮ってそう言った少女の物言いに、宿の主人は目を剥いた。宿の主人が男の方を見ると、少し思案しているようだ。彼女がああは言っていても、やはりそういうわけにもいかないのだろう。
考え込んでいた男だったが、やがて顔を上げる。宿の主人の方を向き、問うた。
「両隣の部屋は空いているか? もしくは、その隣でもいい」
宿の主人は首を振った。
「残念ながら。今日はどこも宴会だろ? 帰れないかもしれないっていうことで保険として部屋を取っている人が多いんだ。空いてるのはすぐそこの部屋と、あんたの部屋と反対側の部屋だけだ」
「なら、同じでいい。明日俺が死んで、彼女がどこかへ逃げていたら、相当上手いやり手がいたと広めて欲しい。白いローブを着た赤髪の少女に注意しろと」
それを聞き、宿の主人は苦笑する。二人が出会って間もないことを悟ったのだろう。厨房に夜食の準備をさせ、二人に向き直った。
「他の客の迷惑にならなければ別にシても文句は言わねぇよ。こっちはそういうのにも慣れてるからな」
冗談めかして言われたそれを聞き、二人は顔を見合わせた。相も変わらず、二人は笑みを向け合う。苦笑のような、呆れたかのような笑み。
男は一つ息を吐く。厨房から良い匂いがしてきたからである。
少女は久方ぶりの食事に舌鼓を打ち、夜は更けていく。一つの寝台を二人で使いながらも、二人の手や足、髪に至るまで、その体が交わることは無かった。
両者は上手い具合に反対方面に転げ落ちていたのである。
ゆったりと物語を進めていこうと思います
できれば明日も更新したいところ。頑張ります
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