5 葵先輩の正体
四月。
二年生に進級した私は、体育館の入口で新入生の受付をしていた。新入生の名前を聞いて、受付をして、「入学おめでとう」と胸にリボンの花をつける係だ。
私の他にも十人ほど、受付に並んで新入生を迎え入れる。そんな私たちのもとに、受付係をまとめる生徒会役員の一人が様子を見に来た。
「受付はどう?空ちゃん」
優しく微笑みながら尋ねてくるのは、葵先輩だった。
今日も相変わらず綺麗だ。長いさらさらの黒髪を、珍しく後ろできっちりと一つに留めている。いつもと違ったその髪型も、清楚で凛として、とてもよく似合っていた。
彼女の髪を留める青いヘアゴムは、私が贈ったものだ。
……最初、香田先生から取り戻した後に買い直そうとしたのだが、葵先輩はこれがいいと再び受け取ってくれた。
「空ちゃんが一生懸命取り返そうとしてくれたって、聞いたの。だから、私、これがいいな」
なんて言われたら、両手で勢いよく進呈するしかない。
***
――葵先輩が行方不明になった事件から、ひと月以上が経っていた。
あの後、部室から逃げた香田先生を捕まえた木野先輩は、その場に教頭先生も連れてきていたらしい。
香田先生の取り乱しように、すぐに教頭先生は事態を把握した。元々、木野先輩が少し説明もしていたらしい。
警察も内密に駆けつけ、調べにより香田先生と……瀬尾先生が、葵先輩を連れ去ったことを突き止めた。
香田先生と瀬尾先生は、秘密の付き合いをしていた。互いに独身なのだから別に隠すことではないのではと思いきや、おのおの婚約者がいたらしい。
なので、瀬尾先生が見回りの当番の日に、学生が帰った後、しかも人気のない校舎の端の文芸部の部室で逢引していたそうだ。
香田先生がたまに部室に顔を出していたのは、生徒が帰ったことを確認する意味もあった。また、七不思議の一つと噂された「文芸部の部室で人の声や物音がする」は、この逢引きの様子を他の見回りの先生や生徒が聞いたもののようだ。
そして、二人が逢引している現場を、葵先輩は目撃した。
葵先輩は叶先輩から告白された後、一度昇降口に降りたものの、忘れ物に気づいて部室に戻ったそうだ。部室に入れば、あの図書室に繋がる本棚の扉を開けようとしている二人に出くわした。
実は図書室と図書資料室は元々一つの部屋で、後で薄いパネルの壁で仕切ったらしい。
その後、生徒が悪戯で壁の一部に穴を開けて、隠すために本棚が置かれた。図書室側の壁には同じ色の壁紙を上から張り付けただけで、ペラペラの状態だったそうだ。
そうして、誰かがいつの間にか本棚の裏の板を取り外せるようにして、秘密の抜け穴を作った。
香田先生と瀬尾先生は大掃除の際にそれを知り、万が一のことを考えて、隣の図書室に身を隠せるこの部屋を逢引きの場所にしたようだ。
だが、建付けが悪くなった木の扉のせいで逃げられず、葵先輩に目撃されることになったのだ。
葵先輩に驚いた二人は、口外しないように頼み込んだ。
葵先輩は「別にあなた達の逢引きに興味はありませんが」と前置きした後で、部室をそんな用途で使わないでほしい、香田先生は顧問を止めて下さい、ときっぱり言ったらしい。
逆上した香田先生は葵先輩を突き飛ばし、倒れた葵先輩は頭を打って意識を失った。
それを死んだと勘違いした二人は、とりあえず学校から離れた山奥にある小屋に葵先輩を隠した。
ちょうど変質者の情報もあったから、葵先輩が変質者に誘拐されたことにしようと考えていれば、邪魔者が現れた。
私と木野先輩だ。
葵先輩を探し始めたことを、生徒会室前での叶先輩とのやり取りで知った瀬尾先生は、これ以上首を突っ込まないように釘を刺した。
しかし、念のためにと、香田先生が葵先輩から取っていたヘアゴムを私に見せたことが仇になった。
私に確認させたのは、葵先輩の持ち物が校外で見つかった、つまり犯人は学校関係者ではなく部外者である――と思わせるためだったらしい。
だが、私が嘘だと気づいたことで、計画はそのまま崩れてしまった。
警察に尋問された二人は小屋の場所をすぐに吐いたため、葵先輩はその夜に救出された。葵先輩は衰弱していたが、命に別状は無かったらしい。
念のための検査入院ののち、自宅での静養を終えて彼女が登校してきたのは、それから一週間以上も経ってからのことであった。
葵先輩の長期の休みは、インフルエンザのA型B型に連続してかかったから、という理由になっていた。
事件は結局、詳細を公にされることは無かった。
しかしながら、香田先生と瀬尾先生は逮捕されて、学校は退職処分となった。まあ、三月で先生たちの転勤がある時期なので、生徒たちも大きく騒ぐことは無かった。
急に二人の先生が辞めることは噂にはなったものの、被害者である葵先輩や、事件に関わった私や木野先輩も、他の生徒に一切口外しなかった。
四月に入り、新入生も入ってきた今、その噂もほとんど消えかけている。
代わりに、生徒たちの間で流れる新しい噂と言えば――
***
「藤堂先輩っ、弟さんが入学されるって本当ですか?なんか、すっごい美少年がいるって聞きましたよ!」
私の隣にいた女子が、身を乗り出す。それを聞いた受付係の女子たちがきゃあきゃあとはしゃぎ出した。
浮かれる女子たちに、葵先輩は苦笑する。
「ほら、騒いでないで。みんな、受付しっかりお願いね」
注意する葵先輩であったが、入口の方でざわめきが大きくなる。やがて、私の前に一人の少年が進み出てきた。
少し大きめの学ランを着た彼は、葵先輩とそっくりの顔で微笑む。
「藤堂青司です。受付お願いします」
葵先輩と似た声。でも少し低くて、ちゃんと聞けば男の子の声だとわかる。
顔だって、葵先輩にそっくりだけど頬骨が少し出てシュッとした輪郭で、首筋もがっちりしている。
学ランを着ていれば、ちゃんと男子に見えた。
が、セーラー服と長い黒髪のカツラを付けていたら、葵先輩と見間違うのは仕方ない。
そう、彼は『葵先輩』の生霊……ではなく、葵先輩の恰好をして私の前に現れた人。
葵先輩の二つ年下の弟であり、木野先輩の幼なじみの、藤堂青司君。
事件の折、葵先輩を探すために木野先輩と協力して、あの日、高校に忍び込んでいたらしい。葵先輩に扮することで犯人を驚かせて、炙り出そうとしたようだ。
その心意気は感心するが、腹が立ったのは私のことまで疑っていたからだ。
発案者の木野先輩曰く、『いやだってお前アオのこと好きすぎるから。ストーカー化したんじゃないかって』と。
しかも、私に葵先輩が偽物だとばれないように、木野先輩はうまく芝居をしていた。私を葵先輩の側に近づかせないようにしたり、青司君が隠れる時間を作ったり。葵先輩の筆跡をまねた(もともと葵先輩と青司君の筆跡が似ていたので、簡単に作れたようだ)手紙を残したのは、真実味をもたせるためだったり。
そこまで徹底してするか。ひどすぎる。
だが、葵先輩に扮した青司君を見て、私が本気で彼女を心配していた様子から、犯人でないと判断したらしい。
その後、私が叶先輩にアタックに行った際、瀬尾先生の様子がおかしいことに気づき、本来は叶先輩へ仕掛ける予定だった罠(葵先輩の幽霊作戦)を、瀬尾先生に仕掛けた。
見事引っかかった瀬尾先生が、香田先生と連絡を取り合っているのを目撃した木野先輩は、青司君と一緒に二人を監視していたそうだ。
そして、私が香田先生と揉めているときに、青司君が現れて――
むむ、と未だ複雑な思いを抱きながら青司君を見上げれば、「空ちゃん?」と彼に呼ばれた。
それに反応したのは、傍らにいた葵先輩だ。
「セイ、先輩に対して失礼よ?ていうか……何で勝手に呼び捨てにしているの?」
「え?駄目かなあ、空ちゃん」
「駄目に決まってるわよね、空ちゃん。ほら、クソ生意気な新入生に、先輩らしくガツンと言ってあげて」
「あはは、姉さんってば。言葉遣いが素に戻ってるけどいいの?せっかくの特大の化け猫の皮が台無しだね」
「……」
次第に、冷たい空気が漂い始める。
美少女と美少年、しかも大好きな葵先輩とそっくりさんに挟まれているのに、嬉しいどころか胃がキリキリと痛くなってきた。
うふふ、あはは、と和やかに笑い合いながら、二人が小声で交わす会話の内容が怖いせいだ。
「だいたいあんた、勝手にあたしの制服着てんじゃないわよ」
「ひどいなあ、俺のおかげで助かったのに何?その言い草」
「あんたの助けなんかいらなかったっての。ヨシだけで十分よ。だいたい、空ちゃんに馴れ馴れしいわよ」
「本当、姉さんは恩知らずだよね。それにそもそも、空ちゃんは姉さんのものじゃないでしょ?」
(見た目はとてもクールなのに)ヒートアップする二人に気づかれぬよう、私はそろそろと後ろに下がって、横に逃げた。
すると、誰かにぶつかる。木野先輩だ。
「おー、やってんなー」
呑気な木野先輩に、私は「二人をどうにかして下さいよ」と頼む。しかし、木野先輩はあっさり首を横に振った。
「あー無理無理。あいつら二人とも、気に入ったものはとことん独占する性質だから。ソラ太の時もそうだったしな」
「そらた?」
「そう。えーと……これ。藤堂家の愛犬、ソラ太」
木野先輩はスマホを取り出して、画像を出す。
そこには、一匹の柴犬がちょこんとお座りしていた。
茶色の毛並みに、タヌキ顔、巻き尻尾。可愛い。
「いやー、ソラ太にそっくりな子が入部してきたって、アオが興奮して言ってきたときには驚いたけど……本当に似てるよな、お前ら」
画像を私の横に並べて、見比べる木野先輩。ちょっと待て。
「……もしかして、マメシバとかソラ子とかって」
「だって似てるだろ」
まさかの犬扱いには、そういう理由があったのか。というか葵先輩、私と愛犬がそっくりって……嬉しいような、嬉しくないような。
項垂れる私の両肩に、ぽん、と後ろから手が乗せられる。
「空ちゃん、どうしたの?」
「受付、お願いしたいな。リボン付けてくれるよね」
「……」
背後からの圧力に固まる私を置いて、木野先輩は「がんばれソラ子」と気合の無い応援をして逃げてしまった。
やっぱり木野先輩は薄情者だ。取り残された私は、藤堂姉弟に挟まれながら、あの可愛らしい柴犬を思い浮かべる。
私の今の気持ちを分かってくれるのはきっとソラ太だけなのだろうと、遠い目をしながら。