4 犯人は誰
文芸部の部室に戻っても、葵先輩の姿は無かった。
やはり、さっきのは生霊(?)だったのだろうか。
一人きりの部室で、私は大きく溜息をつく。
木野先輩は、「柔道部行ってくる」と私を残して行ってしまった。仕方ない。叶先輩への突撃も失敗したし、瀬尾先生からも釘を刺された。それ以上の手立ては思いつかず、木野先輩を引き留めることはできなかった。
木野先輩の薄情者。葵先輩より部活を取るなんて最低だ。
遣る瀬無い思いを木野先輩にぶつけながら、私は葵先輩が残したメッセージの紙を取り出す。
『私を探して』
文字の一つ一つを、ホワイトボードの文字と照らし合わせる。ほぼ同じ文字だ。『て』の上の横棒がちょっと右上がりで、下の曲線の書き方もそっくり。
やっぱりこれは、葵先輩が書いた文字なのだ。
「葵先輩、どう探せばいいんですか……?」
私はただの高校生だ。推理小説を読むのは好きだが、謎解きができるわけじゃない。
葵先輩のように頭もよくないし、木野先輩のように腕っぷしが強いわけでもない。
……何もできない。へこむ。
ホワイトボードの七不思議の後半には、『七不思議を全部知ると、神隠しにあう』と書かれている。
まさか神隠しに……ってそんなことあるわけない。どうかしているぞ自分。
ごん、とホワイトボードに額をぶつければ、部室の扉がノックされた。
「あら、やっぱりいたのね、御小柴さん」
「香田先生……」
入ってきたのは、顧問の香田先生だ。ジャージ姿なのを見ると、卓球部の途中で抜け出してきたのだろうか。
「そろそろ帰りなさい。下校時間も近いし……早く帰った方がいいわ。藤堂さんのこと、知っているでしょう?」
「……はい」
私はのろのろと帰り支度をする。見るからに落ち込んでいる私を見かねたのか、香田先生が慰めるように肩を叩いてきた。
「御小柴さんのせいじゃないんだから。……私も顧問として、ちゃんとあなた達が帰るところを見届ければよかったわ。ごめんなさいね」
「いえ、そんな」
「それに……あの、少し言いにくいんだけど……」
香田先生は、ジャージのポケットから何かを取り出した。手のひらに乗せられたそれを見て、私は驚いた。
群青色の宇宙を閉じ込めたようなヘアゴム。うお座と小さな魚がきらめいていた。
私が葵先輩にあげたものだ。
「今朝、裏門の近くの道路でこれを見つけたの。たしか、藤堂さんのものよね?」
「は、はい」
「警察に届けようと思って……もしかしたら藤堂さん、裏門を出たところで誰かに襲われたかもしれないわ」
「……」
香田先生の言葉を聞きながら、私はふと、違和感を覚えた。
うお座のヘアゴム。
はにかむ葵先輩。
『何か着けてただろ』
『大切なものは人に見せたくない』
昨日、私があげたばかりのプレゼント。
私以外の誰にも見せなかった、葵先輩のヘアゴム。
「……香田先生。どうして、これが葵先輩のだって、知っているんですか?」
疑問は、声になって口から出た。
私の問いかけに、香田先生は一瞬言葉を失った後、ぎこちなく笑う。
「え?だって、藤堂さんが手首に着けていたじゃない。そうでしょう?」
「……」
香田先生の答えに、私の頭から血の気は引いていく。
木野先輩にも見せなかったものを、先生に見せるとは思えなかった。
まさか――
強張った私の表情に、香田先生も気づいたのだろう。先ほどまで浮かべていた笑みを消した。しんと静まり返った室内に、緊張が漂う。
私はごくりと唾を飲み込み、口を開いた。
「……葵先輩を、どうしたんですか?」
「……」
「答えて下さい、香田先生」
「……何の意味かわからないんだけど」
香田先生は素っ気なく答えて、ヘアゴムを隠すように握って身を翻す。私は咄嗟にその腕に飛びついた。
「返してください!それは葵先輩のです!」
「ちょっと……放しなさい!」
「嫌です!返してっ……葵先輩を返してください!」
「このっ!」
香田先生がもう片方の腕を振り上げて私の頭を殴った。足で太腿や臑を蹴られた。
痛くて、頭がぐらぐらして、涙が出てくる。それでも放さない私に、香田先生は「放しなさいよっ!」とヒステリックな声を上げた。さらに腕が振りかぶられたとき――
「……空ちゃんに、何をしてるの?」
冷ややかな声が、した。
いつもよりも低く冷たい声。でも、葵先輩の声によく似ていた。
顔を上げて声のした方を見れば。
部室の入口に、『葵先輩』がいた。
細められた鋭い双眸が、香田先生を見据える。香田先生は「ひっ」と息を呑んだ。
「な、なんで、ここに……どうやって小屋から出て……」
「……」
『葵先輩』は答えずに、赤い唇の端をゆっくりと上げる。怖いくらいに綺麗な笑みを浮かべた彼女は、ぽつりと言った。
「許さないから……香田先生」
「ひぃっ!」
香田先生は私の腕を振りほどき、突き飛ばした。
そして、何を思ったのか、図書室側にある木の本棚に向かった。下方の木の扉を思い切り蹴って開けると、屈んで中に入ってしまう。
香田先生の奇妙な行動を呆気にとられて見ていた私だったが、やがて、開いたままの木の扉を見て気づいた。
扉の向こうは、ぽかりと空いていた。奥に見えるのは、暗い室内に並ぶたくさんの本、……本棚。図書室だ。
文芸部の部室――図書資料室と図書室が繋がっていたという事実と、香田先生に逃げられた現実に混乱する私の前に、影が差す。
いつの間にか、私の傍らに『葵先輩』がいた。
彼女には影があって、ちゃんと足もある。
幽霊じゃ……ない?
「大丈夫?」
「え、あ……葵、先輩?」
『葵先輩』は少し困ったように微笑みながら、手を差し出してきた。戸惑いながらも手を伸ばして彼女の手を掴んだとき、廊下から「きゃあっ」と声が聞こえてくる。
香田先生の声だ。
「……ヨシ君に、待ち伏せするよう頼んでいたんだ」
『葵先輩』はそう言うと、『葵先輩』よりも大きくて少し骨ばった手で、私の手をしっかりと握ったのだった。