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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第十六章・第一部完結
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君は遠く去りて6

 誰にも言えなかった本音を、号泣の合間に織りまぜて、ランスフリートは感情を長らく爆発させ続けた。

 西日が、黄金色からほの暗い赤銅色に変わったあたりで、母の手が、背中を撫でていると気づいた。


 永遠と思われた嘆きが、緩やかに収束してゆく。

 大きく息を切らせながら、彼は上体を起こし、母から離れた。


 表情には、まだ悲しみの色が濃厚に浮いているものの、虚無と絶望は鳴りを潜めていた。

 不健康な平静ではなく、自然にゆとりを取り戻したのだった。


 エルデティーネは手布を取り出し、人には見せられたものではない息子の、泣き濡れた顔を拭って清めてやった。


「気はお済みですか、ランスフリート」

「……はい」


 頷きつつ


「ありがとう存じます、母上」


 ランスフリートは温和な微笑を口元に刻んだ。作られた冷静さを伴ってはいない、笑みだった。



 ティプテが王都に帰還した。

 南刻の一課(午前六時)を告げる鐘が響いている。


 到着の報は、直ちにランスフリートへ届けられた。

 彼は、母の居間を辞去する際、時間に構わず連絡をするよう、侍従団に厳命していたのである。


 むろん、一睡もしていない。

 母の胸に甘えて、年甲斐も無く悲嘆にくれ、ある程度は気を取り直してはいたが、急に温和な心境になれるはずもなく、寝台も使わなかった。


 疲れはある。だが、教会へ足を向けずにはいられなかった。


「親王殿下の御成り」


 先触れの声に反応したのは、上位の僧侶達だった。

 毎朝、清掃に勤しんでいる下級僧侶の姿はどこにも無く、教会の入り口には、諸神礼賛の儀に出席する王を出迎えるように、司祭や司教などの身分に列せられている高僧が整列していた。


 小馬車の扉が開かれ、ランスフリートが降り立つと、司教が進み出て来


「こちらに」


 これも挨拶を省略して先導をはじめた。

 王子に向かって居並んだ全員が、ひっそり頭を下げ、祈りを捧げて弔いの意を表す。


 神聖な祭壇は、中央にユピテア大神の像が据えられており、左右に四大御子神の像が配置されている。

 棺の蓋は開かれており、中にはねむれるティプテの姿があった。


 出来る限り集められたのだろう、瑞々しさを湛える供花に全身を覆われ、一晩焚き込められた清めの薬草の匂いに包まれて、少女は固く目を閉じている。


 移動にあたって、最大級の注意が払われたのだろう。少しも乱れておらず、信じられない美しさだった。

 いま生きてあれば、狂おしく抱きしめずにはいられない。


「ティプテ」


 ごく小声で、彼は死せる恋人に呼びかけた。

 手を伸ばし、白粉で丁寧にやつされた頬へ触れる。


 感触は冷たく、硬かった。

 肌に生者の張りも潤いも無いと、てのひらが感じ取ったとき。


 ティプテは遠く去って行った。実感が胸に込みあがって来た。


(忘れない。おれは自分の罪を、終生忘れない。

 君をを死なせたのは、やはりおれだ。


 おれは、自分に幸せを求める資格は無いと知った。

 前にも言った通り、おれの心は君一人のものだ。この体は、いましばらく生かしておかなければならないが、心は君と共に神の国へ旅立ったよ。


 どうか、安らかに待っていてくれ。

 必ず、君の側に行くから)


 胸の中で語りかけると、彼は恋人の頬から手を離した。

 同時に片膝をつき、胸に右手をあてて頭を垂れ、死者へ鎮魂の祈りを捧げた。

 これが事実上の、別れの儀式だった。



 棺の蓋は閉ざされ、もう永遠に開かない。

 この時代、遺髪を手にする習慣は無く、生前の身分が高くなかった彼女は、肖像画も残していない。


 礼賛の儀が終わり、神殿を後にしたランスフリートには、故人を偲ぶよすがとなるものは何も無かった。

 祭壇に近寄る事も、今となっては不可である。


 魂が神の国に心易く住めるよう、清めの儀式が執り行われる。

 式後、清浄とされた故人が生者と再び顔を合わせては、未練に引かれて心置きなく旅立つ事が出来なくなるという、宗教上の考えが理由で、いかなる例外も無いとされている。


 現実的な視点で言えば、南方圏、特に夏は遺体の腐敗が早い。

 薬草で死臭を抑えるにも限界があり、また死者の棺を長く開いているのは疫病流行の原因になるとも経験から知って、以来みだりに遺体と接触する事を禁じる宗教解釈に発展したと考えられる。


 とにかく、恋人に会える機会は、二度と巡って来ない。

 もし一つだけ、彼女に所縁ゆかりあるものを求めるとしたら、教会の供物だろう。


「イルビウクの屋敷に、イローぺ人が訪ねて来たはずだ。

 何か、贈り物は無かったか。


 わたしの記憶では、髪飾りが贈られる事になっていた。

 もし屋敷か教会に残っているなら、形見として申し受けたい」


「確認させます」


 執事は手配の為に、王子の私室を退き、ほどなく戻った。


「教会に供物が届けられております。

 確かに、イローぺ人のカムオなる男が当屋敷を訪問したとの事。

 探すよう、命じておきました」


「判った」


「殿下。今一つ。

 ティエトマール剣将閣下が御面会を願い出ておられます」


「面会を許す。通せ」


 落ち着き払った彼の態度に、執事も、更には入室したダディストリガも感銘を受けたようだ。

 何かを吹っ切った様子の従弟を見て


「ほう」


 密かに感心した剣将だった。

 彼は彼で、一晩まんじりともしなかったのだが、全く普段と変わらない。


「殿下、お加減は如何にございますか」

「見ての通りだ。

 何とか生きている。それだけだがな」


 苦笑しながら、ランスフリートは応じた。


「心配してくれたのか」

「当然至極にございます」


「わたしの事は措け、と命じてあったと思ったのだが。

 まあいい。

 気にかけるべきはわたしではない、今後の情勢ではないか」


 図星と言うべきだろう。

 ダディストリガは少しも笑わず、同意した。


「ティプテ麗妃の御葬儀は、予定通り明日に執り行われます。

 その後は、大陸各国へ通知を行います。

 ティプテ麗妃の毒殺事件発生、ヴェールト王国の謀略による疑い有り、と」


「やはり、そうなるか」


 ランスフリートには、予想済みだったのだろう。特に異を唱えたりもせず、静かに受け容れた。

 かつては排除まで真面目に検討されていた少女は、死した今になって、公式に王子の側室と認められたのだった。


「ヴェールトに対する報復と、北方圏におけるエルンチェア優勢の支援が目的だろう」

「御明察にございます」


「他にはあるまい。

 ヴェールトは、明らかに我が方と敵対している。北方で、エルンチェアの優越がいきなり損なわれて、塩の市場が大きく乱れては、我がダリアスライスも痛撃を被る。


 両方を回避するには、まずヴェールトの国力と信用性を削ぐ事だ。

 次いで、彼らを薪の供給地としてあてにしているグライアスの、急激な台頭を防ぐ。


 その戦略の布石として、ティプテを麗妃に格上げしたのだろう。

 王子の恋人が死んだ、では外交戦略の要にはなり得ぬが、麗妃毒殺となれば、その重みは桁違いだ」


「左様です、殿下。

 我らは、グライアスが段階を踏んでエルンチェアを凌ぐのであれば、特に思うところはございません。


 彼らは性急過ぎました。

 エルンチェアには、いましばらくは北方の雄たる地位を確保してもらわねば」


「当方の計算に、先方が従ってくれれば、の話だな。

 問題がある。

 我らと彼らが、ある一点において、決して相容れない関係であるという、大問題がな」


 ランスフリートの指摘に、ダディストリガも首肯せざるを得なかった。

 いまの状況で、ヴェールトとダリアスライスが反目し合えば、北方圏に影響を与えずには済まない。


 今後のエルンチェアは、突出し始めた当国を厳しい目で見るに違いなかった。


 薪の利権は、北方圏諸国家にとっては生命線とも言うべき重大事であって、同じ北国同士でも、容易く譲り合えるようなものではない。


 ましてや生産を一手に引き受ける南方圏に主導権を奪われるのは、生殺与奪の権利を握られるに等しい。


「こちらの争いを、先方が能天気に見物してくれるとは思えないな。

 必ず、何らかの策を講じてくる、と見なければなるまい」


「御意。

 エルンチェアにしてみれば、我らの優勢を黙認出来る道理がございません。

 我らがダリアスライスであるという、この点こそが、彼らと握手が叶わぬ最大の原因と申せましょう」


「ああ。

 こちらは、エルンチェアの父祖、帝国時代の皇帝家に弓引いた逆賊の末裔だ。

 目障りも甚だしいだろうな」


 加えて、国家の有り様もまた、正反対である。

 強力な王権国家の北方国家から見れば、合議制で官僚支配の実態を持つ、形だけは王国という当国は、さぞ厄介な存在と言えるだろう。


 王に全権を委ねずとも国は成り立つとの見本となる。


 臣下が当国の存在をもってそのように主張し、反抗の姿勢を取った時、かの宮廷が反論に苦慮するのは明白だった。


 従って、エルンチェアはダリアスライスを決して容れない。

 翻って当国も、歴史の経緯からして、官僚支配つまりティエトマール家支配を断念し、北方に帰属するべき正当な理由など無い。

 戦いを仕掛けられれば、応じる以外に有り得なかった。


「我らは、北方圏で優位に立つのはエルンチェアであれと願い、現状維持を望んでいた。

 が、その為の方策が、却って北方との対決を決定づけるのか。

 なかなかどうして、皮肉なものだ」


「殿下は、いずれ南北の戦になるとお考えにおわしますか」


「好んで戦を起こしたいとは考えていない。

 だが、先方が望むなら、避けられないと思う。であれば、負け戦は御免被る。


 剣将よ。

 この国を、我らが祖国を守ってくれ」


 真摯な口調で、彼は言った。

 まさしく、それが為にティプテに別れを告げ、ついには独りきりで死なせたのだ。


 これ程の犠牲を払って王冠を戴くからには、せめて恋人が眠る祖国の大地を守り、臣民に明るい未来を保証する。


 玉座の主人たる責任を全うするのが、唯一の償いの道だと思われるのだった。

 恋人を失った上に祖国をして外敵に膝をつかせるのでは、あまりにも情けないではないか。


 その思いは、ダディストリガにも伝わったと見える。従兄は無言で力強く頷いた。

 ランスフリートは強く拳を握った。



 暦は、まもなく諸神降臨より三八四年を迎える。

 後の史書に戦乱期と記される事になる、ガロア大陸有史以来、二度目の覇権を賭けた大戦が始まる。


 ―― 第一部・謀略編 完結 ――

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