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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第十六章・第一部完結
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君は遠く去りて5

「お隠れあそばされたか」


 室外に待機していた筆頭執事に、事の次第が告げられた。

 侍女達は皆が涙を流し、男の勤め人も悲痛な面持ちで居る。


 部屋には、息を引き取った少女が、白い清潔な敷布に覆われて寝台に安置されている。

 宵の口には、むしろ元気に過ごしていた、それがこうも慌ただしく世を去ってゆくなど、屋敷の誰もが思わなかった。


 が、人々が直面する現状は、ティプテ・ワルドの死である。

 状況をあらためる為に、かつて病室だった彼女の部屋へ、執事は足を運んだ。

 医師が、患者を救えなかった無念を滲ませて、寝台脇に寄り添っている。


「わたしの出番は終わりました。

 これより先は、執事どののご領域でしょう」

「お役目、ご苦労に存じます」


 確かに、敷布で全身を隠された彼女は、微動だにしない。

 執事は左胸に利き手をあててそっと頭を垂れ、故人へ弔意を表すと、泣いている侍女頭へ視線を向けた。


「して、御当家にご連絡は」


 セイズは問いに対して、弱々しく頭を振った。

 まずは、王都へ使者を派遣しなければならない。


 手近にいた勤め人を呼び寄せて、連絡の準備を言いつける。

 そして、ユピテア教会へも人をらねば、と小声で呟いた。


「ご葬儀の準備に取り掛かる。

 御当家のご判断次第では、どうなるか分からぬが、とにかく準備だけはしておくべきだろう。

 少なくとも、教会の祭壇に御遺体を休ませて差し上げるのが礼儀というものだ」


「お化粧を」


 セイズが、執事を見ないで言った。


「ティプテさまに、お化粧を」

「おお。

 それはそうだ。

 美しく御身を飾って差し上げよ」


 侍女頭と数人の女性らは、死化粧の支度を始めた。

 何かしていないと、脱力から立ち直れない。皆の思いは一致して、化粧道具や衣装の手配が始まった。


 夜を徹して、病み衰えた亡き少女への心遣いが行われ、上等の棺が届く頃には、瞠目に値する美しさが遺体に添えられていた。


 生前は質素な生活を旨とする尼僧であった彼女は、皮肉にも、死して後ようやく年頃の若い女性らしい装いを許されたのだった。


 鉛色だった肌は、丁寧にはたかれた白粉おしろいと、頬紅、口紅で、瞼も珍しい緑の色粉でやつされた。


 衣服も配慮されて、貴族が用いる華やかな縫い取りがあるものへ着替えが施された。

 朝には、このまま婚礼の場に向かっても違和感はない程に飾られ、そして。

 上等の棺に納められたのである。


 ただ、公的にはしかねる。執事は、棺を蓋う布だけは、意匠の無い黒い地味なものを選んだ。

 やがて葬礼馬車が、教会から到着した。


 一同は謹んで棺を見送り、後始末に着手した、それからまもなくである。カムオ率いるイローペの隊商が現れたのは。



 かい摘んだ経緯を聞き終えて、カムオは無念そうに鼻を鳴らした。


「そうか、遅かったか。残念だな。

 ドゥマ・ランスフリートは、さぞかしがっかりするだろうよ。

 おれもがっかりしてるがね」


「何分にも、医師すら予想あたわぬ急変につき。

 我らお仕え申し上げた者も、断腸の念に耐えられませぬ」


「……まあ、あれだ。

 おれとしちゃあ、頼まれ物を届けに来ただけだからな。

 贈り物は置いて行くぜ」


「いや、お待ちくださいませ。

 御裁断を仰がねば、当家の一存では何とも」


「待てないね。

 おれ達ゃ、南東へ行く途中なんだ。

 こんなところで足止めくらっちゃいられない」


 衛士と押し問答になった。

 荷物を届けるだけの役であるカムオにすれば当然の事で、指定された受け取り人が生きてあろうが死んでいようが、関わりは無い。


 ティプテが死亡していた場合の事まで指図されていない以上、荷降ろしもせずに引き返すわけにはいかないのだった。


「とにかく通らせてもらう」

「お待ちあれ。

 ではせめて、屋敷の責任者に判断を」


 衛士も職務上、必死にならざるを得ない。

 苛立つカムオを何とか宥め、指示を受けるまで待たせたのである。


 思わぬ手間をかけられて、イローぺの族長はたいそう機嫌を損ねたが、まさか屋敷に押し込む荒事はしかねる。


 仕方なく我慢して、門前に待機した。

 息を切らせながら駆け戻って来た衛士は


「当屋敷の責任者が申すには、既にティプテさまの亡骸は教会に安置されている時分につき、贈り物を供物として納めて頂きたいとの由」


「ほう、教会か。供物ね。

 まあ、いいだろう。


 問題は、ちゃんと話が通るんだろうな。

 また門前払いされたら、さすがに怒るぞ」


「ご心配なく。

 当屋敷より一名、事情を説明する者を同行させますゆえ」


「判った。それなら構わんよ」


 妥当と言っていい申し出に納得して、カムオは、部族と屋敷の勤め人を率いて元来た道を引き返して行った。



「殿下、その御傷は」


 ティエトマール家の総帥は、ランスフリートの右手に巻かれた包帯を看過しなかった。

 口には出さなかったが


「やはりやりおったか」


 と言いたげな表情だった。

 控えめながら咎められた方は、たいそうそっけない。


「大事ない。

 それよりも冠爵。確認しておきたい事がある」


 口調もなかなかにそっけない。

 王子の横に立っているダディストリガは、唇を噛みしめていた。


 先刻のやり取りが思い出される。

 やおら腕を振り上げた従弟は、やり場の無い怒りを、円卓に叩きつけたのだった。自分の腕に込めて。


 慌てて止めたが、荒れ狂う感情は留まるところを知らず、本気を出して押さえつけなければ、骨を折るまで繰り返したかもしれない。


 やっと鎮静したものの、今度は反動だったのか、黙り込んでしまった。

 目が虚ろになり、どこを見ているともつかない様子で、放心しているとしか思われなかった。


 急いで医師を呼び寄せ、応急の処置をさせて、それでもしばらくは無反応だったものだ。

 どれ程の時間が経ったか、定かではない。

 自傷を諦めたらしい従弟は、軽く身じろぎしてから


「……葬式に参列する程度は、よもや認められぬとは言うまいな」


 全く違う話題を口にした。


「そうだろう、ダディストリガ。

 でなければ、第二謁見室で使者と会った意味が無い。違うか」


「御明察にございます」

「葬式、埋葬……死であっても政治と無縁ではおれぬか。

 王家の者とは、難儀な立場だな」


 ランスフリートは呟き、静かに立ち上がった。


「ティエトマール冠爵と面談したい。

 葬儀について、聞いておかねばならぬ」

「は」


 二人は控室を出て、老チュリウスが陣取る執務室を訪れたのだった。


「葬儀の予定は、どうなっている」

「はい、殿下」


 祖父も従来とは態度を変え、臣下のそれになっている。


「明朝には、麗妃の御遺体が城に到着するよう、手はずを整えました。

 ユピテア教会に一日安置後、密葬という形で葬儀を執り行い、諸外国への通達はその翌日と考えております」


 ごく妥当な返答と言える。ランスフリートは了承して、一切を任せると言いおくと、すぐに席を立った。

 ダディストリガにも


「貴公も自分の職務に戻るがいい。

 わたしの事は措け」


 強く言った。

 従兄は渋ったが、同行は許さず


「今はもう、自分をどうにかしようとは思っていない。

 我が腕の一本や二本で償える罪ではない」


まことにございますな」

「くどいぞ、剣将」


 前方を、睨むように見据える彼だった。


「これがおれの選んだ道だ。

 ティプテを死なせてまでも行かねばならぬ、王者の道だ。


 責任から逃れようとは思わない。

 逃げた結果が、この有様ざまだ」


「……かしこまりました。

 御前を下がらせて頂きます」


 ダディストリガはその場に残って頭を下げ、一人で歩いてゆくランスフリートの背中を見送った。



「麗妃を亡くされたそうね。ランスフリート」


 足を向けた先は、母の居間だった。

 先ぶれもせず、単身で、突然の訪問である。


 が、一報が入っていたのだろう。母は無礼を咎めようとはせずに、居間へ息子を招いた。

 向かい合った彼の表情は無い。

 彼女は立ち上がり、横に席を求めた。


「急な事で、そなたもさぞかし驚いたでしょう。

 いまのお立場では人前で泣くのも憚られましょうし、それに――そなたには、心を分かち合える者も無い」


「母上……」


「判っております。

 長い時間、顔を見るのも難儀してはおりました。

 ですが、わたくしもそなたの母です。何も知らずに過ごせるわけがない、とお思いになりませんこと」


 優しい両腕が、彼の頭を引き寄せた。


「いいのよ、ランスフリート。

 誰の前で泣けなくとも、母の前でなら。

 わたくしの可愛い坊やに戻っても、咎める者はありません」


「母上、母上ッ」


 行き場を見出せずに渦巻いていた感情は、その言葉で表へと導かれた。

 わっと声があがり、ランスフリートの上体が傾いた。

 実母にしがみついて、彼は幼児さながらに泣きじゃくった。


「ティプテが死んでしまった。

 こんなに早く死んでしまうなんて、思ってもいなかった。


 会えなかった、いや声も聞けなかった。

 何も知らなかったんだ。


 母上、わたしはどうして置いて行かれたのです。

 わたしの周りに誰も居なくなっても、ティプテだけは居てくれると信じていたのに。


 一時別れても、必ず戻ると誓った。わたしは誓いを果たす積もりだったのに。どうして約束を守らせてくれない。


 どうしてユピテア大神は、わたしからティプテを取り上げるのですか。

 まだ十七歳だった。神の国へ行くには早すぎるじゃないですか。


 酷い、あんまりだッ」

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