君は遠く去りて3
どの国でも共通して、城の第二謁見室は格式が高いとされている。
こちらで語られる内容は、全てが公式に記録され、公務と見做される。
如何に私的な範囲であっても、例外は無い。
ではなぜ、イルビウクの当家屋敷から派遣された使者が、王太子の私室に案内されないのか。
屋敷からの伝言を披露する場としては、第二謁見室は格が高すぎる。
どのように考えても、釣り合いがとれない。
ランスフリートは当惑し、そうしつつも、内心で
(……いやばかな。
違う。そんなばかな事があってたまるか。
そうじゃない。
ティプテは小康を保っていると聞いている。何でもない。
あの子は寂しがり屋だ、きっと執事が気を利かせて、使者をよこしたんだ。
それだけだ。
考え過ぎだ)
ある種の不安と戦っていた。
取次に反応しない彼を慮ったらしく、ダディストリガが
「承知した。下がってよい」
返答し、移動も促してきた。
従兄を見やる。
彼もまた、イルビウクから来た使者の伝言について楽観はしていないと見えて、普段以上に表情を厳しくしていた。
少し、沈黙の間が開いた。
ランスフリートの握られた拳が小刻みに震えた。
なかなか立ち上がらない従弟に、ダディストリガは重ねて
「殿下。
何卒、第二謁見室へ御出ましの程を」
奥二重の目を鋭くいからせ、声をかけた。
もうこれ以上は、座り込んでも居られない。
「判った、行く」
ようやく、腰を上げた。
休息の間から出て長い廊下を北へ歩き、本丸へと渡る。
第二謁見室の扉を守る衛士二名の最敬礼を、どうでもよさそうに受けつつ、ランスフリートは従兄を伴って入室した。
形式に則り、内務庁付きの役人、そして典礼庁、さらには司教の姿もあった。
神殿を取り仕切る宗教の高位僧侶までが、何の為に。
動機が激しくなってきた。
間違いなく、何かが起こったのだ。
そして、それは公的な意味をおびる内容なのだ。しかも、ユピテア教の上級僧侶が立ち会う必要がある類の。
「ランスフリート・エルデレオン親王殿下、ご入来」
ふれ係が叫ぶ。
人々が礼を捧げる中、彼はとぼとぼと謁見の椅子へ向かった。
足元には、使者がうずくまっている。
相変わらず、イルビウクは畑焼きの煙に包まれれている。
街の空気は乾いている上にいぶり臭く、慣れない者にとっては、鼻と喉が刺激に晒されてなかなかに辛い。
この日の昼過ぎ、王都近郊の小さな田舎町を訪れたイローペ人カムオとその一行は、道を歩きながら、全員が閉口していた。
「たまらんな」
荷馬車を御するカムオは、鼻のまわりにまとわりついてくる白い空気を手で払い、浅黒い精悍な顔を嫌そうにしかめた。
「この季節、どこでも畑焼きはやってるもんだが、こんなに酷い町は初めてだぞ」
「そういえば、イルビウクに来た事はありませんでしたね」
馬車の横を歩いて護衛している若い部族の男が、族長の言葉を受けた。
「小さい町だなあ」
「何もないしな。ちょいと大きな農村と言った方が当たってる」
「で、そのティプテとかいう女が住んでいる大きな屋敷は、どの辺りですかねえ」
「さっきの爺さんが言うには、イルビウクでいちばんでかい屋敷ってのは、もうちょいと北へ行ったところに建ってるそうだ。
目立つからすぐ判るって言ってたが、どうなんだか」
「あの教会より目立ちますかね」
若者の視線は、町の中心と思われる位置に建つユピテア教会へ注がれていた。
カムオも目を凝らし、田舎町にしては豪勢な建物を注目した。
数人の僧侶が忙しく出入りし、何やら騒然としている。行事の準備をしているらしい。
「結婚式でもあるのかな」
若者が言うと、カムオは首を捻った。
「おれはユピテア教徒じゃないからな。
連中の儀式についちゃ、あんまり詳しくはない。
でもな、めでたい行事の準備なら、もう少し景気良くやるもんじゃないかと思うぞ。
見ろよ、あれ。
あの運ばれてる箱、おれには棺に見えるぞ」
まさしく、いま教会の中に運び込まれようとしているのは、そっけない黒い布を被せられた細長い箱だった。
僧侶達が陰気に跪いて祈りを捧げている。
若者も得心した様子で頷いた。
「ははぁ。どうも葬式の準備みたいですね」
「あと旬日も過ぎりゃ、世間じゃめでたい暦替わりだろう。
こんな時期に死ぬとは不運なやつだな。
誰だか知らんが」
カムオは横目で、辛気臭い雰囲気を漂わせる教会を眺め、馬車を御してその場を通り過ぎた。
北へしばらく行くと、やがて田舎町には不釣合いなまでに華麗な門構えの邸宅が見えてきた。
美しい彫り物が施され、常緑のつる草が這わされている門を、物々しい姿の衛士が二名守っている。
「あれだな」
カムオは見当をつけて、馬車を急がせた。
衛士達の前で御者座から降り、何者かと気色ばむ彼らへ
「怪しい者じゃない。
ランスフリートって人から頼まれて来た。
紹介状もある」
懐から美麗な用紙を取り出した。
衛士達は目を瞠り、互いを見やっている。
どう見ても遊牧民としか思えない男が、なぜに彼らの主筋である高貴の青年と知己であり、しかも紹介状を携えて当家を尋ねてくるのか。
いくら考えても繋がりが判らず、しかし手渡された用紙は間違いなく当家の公用向け、高級な軟紙であって、庶民がたやすく入手出来る代物ではない。
慌しく相談した結果
「ただいま取り次ぎますゆえ、暫時お待ちを」
物腰を丁重に改めた。直ちに一人が持ち場を離れて、屋敷の中へ駆けてゆく。
結構な時間を待たされた。
ようやく戻って来た時、苛立ちの極みにあったカムオは
「何をやってやがった」
無遠慮に怒鳴りつけた。
「おれを待たせて、昼寝でもしていたのか」
「申し訳ございません、使者どの。
何せ当屋敷は、ただいま取りこみ中につき、責任者が多忙にて」
「弁解は要らん。
通っていいのか悪いのか、それだけ教えろ」
面倒げに衛士の釈明を遮って、カムオは要求した。
口ではなく、門を開く事で、衛士は遊牧民の男へ当家執事の意向を伝えた。
カムオは満足した表情で、後ろにぞろぞろ従っている一行へ、顎をしゃくって見せた。
だが、衛士は大慌てで
「お待ちあれ。
この人数でお入りになられるのは」
「何。
通っていいのは、おれだけか」
「左様です。
この先は、使者どのお一人でお通りあられたい」
「ばか言うな」
カムオは憤慨し、荷物を指差して
「おれは、この屋敷で病の床についている、セ・ティプテに用がある。
ドゥマ・ランスフリートの用ってのは、妻に生乳を届けてくれって事なんだぞ。
おれ一人で運べって言うのか、とんま野郎」
不満を言い立てた。
セ、ドゥマ、という発音しにくい独特の単語は、イローペ語で敬称にあたる。
聞いた途端、衛士は顔をゆがめた。
「……残念ながら、その品はもはや不要にございます」
悲痛な表情。カムオに訝しむ暇は無かった。
「ティプテさまは、昨夜ご逝去あそばされましたゆえ」
第二謁見室のすぐ脇に備えられた控えの間に、男性が二人、案内された。
呼ぶまで誰も来るな、茶も不要と、侍従団へ厳しく申し付けたのは、ダディストリガである。
扉が閉ざされ、静かな空間に従弟と二人きりになった瞬間。
崩壊は、だしぬけに訪れた。
ランスフリートが、椅子に崩れ落ちたのだった。
低い呻き声がする。
円卓に投げ出した両腕の間に顔を伏せた彼は、ただひたすら、言葉にならない声を漏らしていた。
「殿下」
ダディストリガは、急いで側に侍った。
ぎりぎりと歯軋りする音が、荒ぶる呼吸に混じって耳に入る。
「……殿下」
呼びかけたはよいが、それ以上何を言うべきか。
言葉に詰まって、この若い剣将も黙した。無能のように立ち尽くす事しか出来なかった。
呻き声は、やがて言葉の形に変わった。
「おれが死なせた。
ティプテを、おれが死なせた。
おれは人殺しだ。妻を殺した重罪人だ」
「なんということを。殿下」
ダディストリガは驚いて諌めにかかった。
が、ランスフリートは、聞こえていないのか意図的に無視しているのか、呟きを止めようとはしなかった。
彼は今、どれ程に悔いているのだろう。
使者の口上である
「謹んで、親王殿下へ申し上げます。
昨夜未明、イルビウクはティエトマール邸において、ティプテ・ワルドさまご逝去の由」
この世で最も忌まわしい報告を聞いた瞬間は、恐ろしい程に冷静だった。
「……間違いないか」
たっぷり時間をとってから、確認し、事実だと知ると、おもむろに立ち上がった。
詳しい経緯を聞こうともしないで
「大儀」
と言い捨て、退席したのだった。
実は、ダディストリガは従弟の錯乱を懸念した。しかし、意に反してランスフリートは終始冷静を保っていた。
ただし、長い時間の事では無かった。
休息を求め、この室内に足を運んだと同時に、心のどこかが耐えかねたのだろう。
呻き声は人の言葉に、そして今、自分への罵倒へと変わっていた。
どれだけ悔いたところで故人が還るはずもなく、切っ掛けを作った罪が寸分たりとも清められるわけではない。
そうと知っていても、だがランスフリートは悔いていた。
「おれのせいだ。
何という重罪を犯した。
もう取り返しはつかない。償いようも無い。
おれが。おれの愚かさが、ティプテの命を奪った」
突然、彼は顔を上げ、両腕も振り上げた。




