表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第十六章・第一部完結
92/257

君は遠く去りて1

 南方の空にも、冷たく乾いた北風が流れ込みつつある。

 農村では収穫の時期も終わり、畑は作物を刈り取られて平たく開けている。


 農民達が、次の春に備えて残されたギルムの根や雑草を焼き払い、土地を肥やす「畑焼き」を始める時期である。


 ダリアスライス王国の領土内においても、農村部では、畑焼きを行う農夫らが忙しく立ち働いている。

 思わぬ火災を防ぐ為、畑の周辺に生え茂っている丈の長い枯草を始末する者、それを畑焼きの燃料にするべく荷車を行き来させる者。


 老若を問わず、重労働を黙々とこなしている。

 円冠タステリク王都近郊に位置する小都市イルビウクは、農村と隣接しており、この時期になると方々(ほうぼう)から白煙が流れて来、街中がいぶり臭くなる。


 小さな田舎町だけに、煙が隅々にまで行き渡るのだ。

 この鼻をつく煙の匂いが、イルビウクに生まれた人々にとっては、冬の始まり実感させる、季節の風物詩なのである。


 ティプテ・ワルドは、久々に故郷の冬の匂いを嗅いでいた。

 亡母と過ごした僅かな日々を思い起こさせる、懐かしい枯草が焼ける匂い。

 病床に伏していたが、彼女は侍女に頼んで窓を開けさせ、吹き込んで来る風を受けては満足そうに微笑していた。


 腰に柔らかな大きめの枕をあてがい、半身を起こして体を預けている。

 本日は気分も優れていると見える。

 侍女頭が、そっと寝台に近寄って来た。


「お体に障りましょう。

 そろそろ窓をお閉めになられては」


 心配げな顔をしている。

 病人の寝床は、窓からかなり距離をとって設えてあるが、風は容赦なく部屋の奥まで入って来るのである。

 ティプテは子どものように首を振った。


「今、開けたばかりだわ。

 もう少し。ね、セイズ」

「お風邪を召されては、せっかくご回復なさったのに、また寝こんでしまわれましょう。

 お体をご大切にあそばせ」


「もう少しだけ」

「いいえ。

 お熱があがるようになられては、ランスフリートさまが悲しまれますわ」


 侍女頭のセイズは切り札を出した。

 すると、ティプテはたちどころに言を翻して、窓を閉める提案に同意した。


 この病人に言う事を聞かせるには、これに限る。

 屋敷の勤め人の共通認識なのだった。

 ティプテは自分の弱みをつつかれて、顔を少し赤くしていた。


「嫌ねえ、セイズったら。

 いつもランスフリートさまのお名前を出しては、わたしに言う事を聞かせようとするんだわ」


 抗議を受けても、セイズは聞こえぬ体で、さっさと窓を閉めた。

 病床の少女は名残惜しげに窓を見やっていたが、やがて諦めた。


「喉が乾いたわ。お水を頂けるかしら」

「かしこまりました」


 セイズは寝台の横に据え付けてある小卓へ手を伸ばし、水差しを取ると、丁寧に杯へ冷水をそそいでいく。


 水差しも杯も、透明度の高い玻璃製である。

 地位が高い貴人でなければ、まず目にする事すら無いと思われる。


 それだけでなく、療養する彼女の為に用意された家具や食器の類は、全てがティエトマール家で使われている高級品と同一だった。


 行き届いた手配は、セイズという名のガニュメア人女性を始めとして、病人の世話に慣れている侍女十名、住み込みの医師に至るまで、徹底している。


 裏の話は、身分違いの恋から身を引いたとする、表向きの姿勢へ対しての、いわば慰藉いしゃだったのだが、当人はそうとは思っていない。


 約束を信じて、ひたすら恋人の帰りを待つ気分でいる。

 夕暮れが近くなり、太陽も西に傾いて、窓から差し込む光も赤みを帯びた頃。

 医師が様子伺いに訪れた。


「お加減は如何ですかな」

「ええ。

 最近はよく眠れますし、気持ち悪くもなりません」


「それは重畳。して、食は進んでおられますか」

「ごめんなさい。

 何だか、お腹が空かないんです」


 返答を聞いて、医師はつと眉をひそめた。

 侍女頭のセイズを見やると、彼女も表情を曇らせて軽く頷いた。


 あまり良い傾向とは言えない。

 しかし、顔には出さず、笑顔を作って


「ご回復の為には、お食事を召し上がる事が肝要です。

 ランスフリートさまの御為にも」


 優しく言った。

 またもや恋人を持ち出され、ティプテは恥ずかしがって顔を伏せた。

 医師は脈を診ながら


「そうそう。ランスフリートさまはお元気でいらっしゃいますよ。

 ご多忙におわします」


 あえて明るい話題を出した。

 その途端、勢いよく顔を上げる彼女だった。表情を生き生きと輝かせて。


「良かった」

「ティプテさまがこちらへ移られる一日前に、南西三国の一国、エテュイエンヌ王国へ赴かれました」

「エテュイエンヌへ」


 そう聞いて、嬉しそうに目を閉じた。

 いつか、南東の海岸を二人で遠乗りしよう。

 ランスフリートは力強く約束してくれた。あの誓いは、常にティプテの孤独を慰め、心を支えている。


「早く、良くなりたいわ」


 心からの真実を込めて、呟く。


「良くなって、乗馬のお稽古をしなくちゃ。

 ランスフリートさまとお約束したんです。馬に慣れておくって」

「おお。左様ですか」


 医師は穏やかに微笑して頷いた。

 ティプテは目を閉じたまま、無邪気に「ええ」と答えた。


「遠乗りに連れていって下さるんですって。

 わたし、とても楽しみなんです」

「それなら、猶更なおさらご回復をお心掛けならなくては」


「はい。お薬が苦くても、わたし我慢します。

 お食事もとります。

 だから……どうか、一日も早くわたしを治してくださいませ」


 彼女は目を開け、童女のようにあどけなく医師へ微笑みかけた。



「第一親王ランスフリート・エルデレオン殿下。

 御料車より御出ましあそばされます」


 ふれ係の声が響き、王城正門に整列した重臣一同は、一斉に頭を垂れた。

 美しい彫刻と常緑のつる草で彩られた門は、王族の為に開かれる。


 馬車が停止している脇から門にかけては、武人達が居並び、剣を捧げる儀礼の姿勢で待っている。

 やがて扉が恭しく開けられ、小姓の介添えを受けたランスフリートが、ひどく当惑しながら登場した。


 まるで王子見習といった観がある。

 臣下達は、老チュリウスも含む一同が、堂々と親王殿下万歳ジェイル・タスバイルを唱和した。

 行きとは大違いの、大変な出迎えぶりに、思わず馬車の中へ逃げ戻ろうかと考えた程である。


(これはいきなり出くわしたら、腰を抜かしたかもしれないな)


 親王宣下の令旨が下りたと、ダリアスライス南国境に辿り着いた時、王都からの使者に聞かされていたので、心の準備は間に合った。


 が、二十五歳の本日まで、正式な王子として待遇されて来なかったのだ。急に慣れられるわけもない。


「出迎え、大儀」


 全く仕方が無いという心境で、予め教えられていた通りの短い労いを何とか口にする。

 十六名、向かい合った八対の武人達が、見事な手捌きで捧げつるぎの礼を取った。


 その中に、従兄の姿もあった。

 さすがに意外で


「ダディストリガ、もういいのか」


 つい親しげに声をかけてしまった。

 彼の方は無表情を保ち、ひっそり頭を下げただけだった。

 状況を思い出して、ランスフリートは軽く咳払いすると、物腰を改めた。


「ティエトマール剣将。

 貴公は重傷の身として、療養の最中であると聞く。

 もう良いのか」


 言葉遣いも変え、下問し直すと、今度の従兄は


「それがしごとき身に過分の御高配を賜り、ありがたき幸せに存じます」


 重々しく口を開いてくれた。つくづくと堅苦しい男である。


「傷は既に癒えておりまする。

 何卒、もったいないお気遣いは御無用にあそばされませ、殿下」

「……無理はせぬように」


 ランスフリートは少なからず閉口した。

 この調子では、私邸に顔を出しても昔のような気安い会話は望めそうにないなと、内心で吐息が漏れる。


 そもそも、屋敷の訪問が許されるかどうか。

 そこからして怪しい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ