南風、北へ6
馬車は、坂道をゆっくりと登っている。
南部地方からの復路は、往路と逆で、国境まで長く上り坂が続く。
三日間の短い日程を終えた、ダリアスライス弔問使節の一行は、幾つかの宿場を抜けて、自国領を至近に控えた位置を進んでいた。
「有意義だった」
車窓から風景を眺めつつ、ランスフリートは初めての外国滞在について思い返した。
弔問は別として、エテュイエンヌ訪問の一番大事な用件、すなわち第四親王ロベルティートの知己を得る。この点は成功と見ていいだろう。
先方も、彼なりの事情があっての事に違いないが、ともかくも友好的に振る舞った。
感触は悪くない、と個人的には満足している。
重要な話も直接聞けた。
(そうか、サナーギュアと手を組むのか)
ロベルティートが
「内々の話ですが」
そう前置きして語った内容は、聞き捨てならないものだった。
当方における対南西三国の外交方針に大きく関わる。通常の段どりで一報が届くには、相応の時間がかかるのだ、早めに知っておいて如くはない。
出来る事なら、ロベルティートとは個人的に連絡する手段が欲しいと、ランスフリートは切に思う。
しかし、難問である。
互いに王族、いかに親交を深めたとはいえ、気軽に書簡を往復させられる立場ではないのだ。
正式に文を交わすとなれば、必ず内容を確認され、記録も取られると覚悟しなければならないだろう。
(何か良い手があればいいが)
つらつらと思案を進めていた時。
馬車は国境手前、最後の宿場にさしかかった。
街に入ると、景色も変わる。
香辛料等を扱う商人、都市間を行き交うついでに貿易も手掛ける遊牧民の隊商、または国境に設置された防兵塁を拠点とする警備兵、交代要員達。
多くの人々が広い目抜き通りを往来している。
彼らを目当てに、軒を連ねる宿からは、客引き女がわらわら飛び出して来て、盛んに声をかけている。
「これ旦那さん、気楽亭へおいでなさいな。
うちはどこよりも食事がいいよ」
「いーえ、色男の旦那。大口屋の方が、ずっとずっと美味い夕食を出すんだわ。
給仕女もとびっきりのべっぴん揃い、王都で酒場勤めさせたって恥ずかしくないよ」
「ばかお言いでないよ。
旦那さん、ここいらで旅宿と言やあ、うちだようち。金の皿亭に泊まらないんだったら、厩で寝た方がよっぽどましってものだよ。
熱あつの煮汁と串焼、焼きたてのふわふわしたクエラ。寝床だって特別設えだよ」
夢中で客を引く女達を、裕福そうな商人が面倒臭そうにあしらっている。
足早に去ってゆく上客らしい見かけの男に、数人の女が群がる。
抜け駆けして横から男の袖を掴む客引きが居たり、それを見咎めて怒りの声を上げる者も現れたりと、宿が並ぶ通りは戦場さながらだった。
確か、行きでも見た光景だと思い出しながら、しかしランスフリートは飽かずに眺めている。
平民の日常を目にする機会が無い彼には、まもなく夕刻を迎える宿場町の当たり前な一場面でも、じつに興味深く感じられる。
道のあちこちで見られる客引き女と旅人らの攻防戦を見やっているうち、視界に風変わりな一団を捉えた。
幌もついていない粗末な荷馬車が一台、ゆっくりと路肩沿いを進んでいる。
周囲に徒歩の男衆を十名程も従え、荷台には樽だの木箱だのを満載しているそれは、ランスフリートが乗る貴人の馬車と、悠然たる様子で並んでいる。
ずんぐりとした荷馬を御する男は、一見トライア人らしい容姿であったが、顔つきが精悍で肌も日に焼けている。
年季が入った革鎧を身に着け、剣も帯びている物騒な旅装からして、村落を形成して定住する生活様式を持つ同民族では無さそうに思われた。
とすると、彼らが噂に聞く遊牧民族なのであろうか。
ランスフリートが彼を注目していると、先方も視線に気がついたと見えて、首をこちらへ捻じ曲げた。
眼光が鋭い、年の頃は三十代前半といった印象の男だった。
まるで睨みつけるように見ている。
たいそう剣呑な風貌の男が、大胆にも王族たる貴人を睨んでいるとあって、従者一同が憤慨した。
護衛の頭だった者が、何か合図したらしい。
急に馬車の外が騒がしく、また慌ただしくなった。
「どうかしたのか」
同乗している小姓へ、状況を確認するよう申し付ける、その寸前に。
がくりとした強い衝撃に襲われた。驚く暇も無く、馬車が急停止した。
言い争う外からの声が、否応なく耳に飛び込んでくる。
「何をしやがる」
「控えよ、下郎。
貴族の馬車に車輪を並べて道を行くとは無礼極まりない。
身分をわきまえ、下がるがよいわ」
どうも喧嘩らしい。
ランスフリートは、周囲の制止も振り切って窓から身を乗り出した。
粗末な荷馬車も止まっている、いや。現況から察するに、停車を強制されたようだ。
御者の男が飛び降りて、身内の男衆ともども、当方の護衛団と睨み合っている。
「何が身分だ、金髪野郎め。
イローペの民(おれ達)には、おまえのような金髪に頭を下げる謂れなんざ、これっぽっちもないんだ。
イローペあいてに主人面するな。
不用意に権柄ずくな態度取りやがると、ただじゃおかないぜ」
威勢よく啖呵をきる。その声に調子を合わせるように、黒髪の若い男達も、怒気を表情にのぼらせて
「ボーラッ」
民族語らしい気合の声をあげた。
双方の間を流れる空気が、緊迫した。
放っておけば、無用な血が流れる。
即断したと同時に、ランスフリートも馬車から勢いよく降りた。
「引け」
彼は、護衛隊に向かって命じた。
有無を言わせぬ口調であり、剣士一同を鼻白ませたと見えて、彼らはしぶしぶながら上位者の命令に従った。
精悍な風貌のイローペ人も意外そうに、目をすがめてこちらを見やっている。様子を伺っているのだろう。
向かい合ったランスフリートは
「驚かせた。
急に馬車を止めさせるのは、危険な行為だったな。済まなかった」
大真面目に頭を下げた。
その場の全員が息を飲んだ。イローぺ人ですら、驚きのあまり敵意をひっこめたものか。大人しくなっている。
「あんた、どういう積もりだい」
御者の男は、いっそ感心した体を隠さなかった。
「おれ達に謝るのかい、レオス人のあんたが」
「明らかに、こちらに非がある。
非を非として認めるのは身分に関わりない、当然の事と思うまでだ」
それが、ランスフリートの返答だった。
相当に意表を突かれたらしいイローぺの男は、目を丸くしてしばらく絶句していたが、やがて笑い出した。
「へーえ。
こいつぁ考えを改める必要がありそうだ。
レオス人がねえ、謝るとはねえ」
余程に感銘を受けたと見えて、彼は部族の男衆を笑顔で見渡し
「おい、鎮まれ。
このレオスの若さんに免じて、おれ達も引こうじゃないか」
臨戦態勢を解くよう指示を出した。
怒りつつ戸惑っていた彼らも、部族の長と思しい彼の一言で沈静した。
無意味な騒動は無事に回避出来たと判断して、ランスフリートも安堵の息をついた。
「おれは、カムオだ。
見てのとおり、遊牧民さ」
男は自分から名乗ってきた。
カムオという名のイローぺ人は、美丈夫の王子を無遠慮にしげしげ眺めつつ
「おれ達は、これから南へ行く。
エテュイエンヌで冬を越すのさ。ついでに商売もするがね。
この荷台にはいろいろ積んである。生乳でよけりゃ一杯ふるまうが、どうだい」
思いついたように誘って来た。
ランスフリートは微笑して
「それはありがたい。喉が渇いていたところだ」
申し出を受けた。
断れば、せっかく穏やかになっている彼らの気分をまた逆撫でするかもしれない。
王子の従者達は、一様に気が気でないという表情だが、若い主も遊牧民の長も、互いしか見ていなかった。
「そら、絞りたての生乳だ」
素朴な木の椀が突き出された。
濃厚な乳白色の液体が、ぽちゃぽちゃと音をたてた。
ランスフリートは受け取ると、毒見もさせずにそのまま口をつけた。一気に飲み干す。
「美味いな」
端正な面差しが綻ぶ。
「こんなに美味い生乳は、初めて飲んだ。
妻にも飲ませてやりたい程だ」
「そうかい」
カムオもにやりと笑った。貴族が自分の好意を受けた事に満足を覚えたようだった。
「あんた、いい奴だな。気に入ったよ。
大したものは無いが、欲しいものがあったらあんたにやろう。
毛皮や干し肉、生乳、部族の女がつくった髪飾り。見るかい」
「そうだな」
ランスフリートは少し考えた。
先程とはまるで別人になっているカムオと部の民から、イローぺ民族の気質がうかがい知れる。
一度好意を抱いた相手には、徹底して親切になるのだろう。
「生乳が欲しい。
だが、わたしではなく、妻に届けてくれるわけにはいかないか。
ダリアスライスの地方都市で、イルビウクにいる」
試してみる気分もあって、尋ねてみた。カムオは
「ほう、妻か。
レオス人も、妻を労わる気持ちはおれたちと同じなんだな。
いいとも」
頼もしく請合った。
ここまで来ながら、たったいま知り合ったばかりの男の為に、道を引き返してくれるという。イローペとはまことに親切な民である。
「で、あんたの妻はイルビウクのどこにいる。
どこでも構わんが、おれ達イローペがいきなり尋ねても大丈夫なんだろうな。
ここからイルビウクまで、北へ四日分も戻る事になるんだ、骨折りはごめんだぞ」
「もちろんだ」
ランスフリートは小姓へ紙を用意するよう言いつけた。
ほどなく、公文書を作成する際に使う上等な硬紙と筆記用具が恭しく手渡された。
素早く紹介状を認め、カムオへ差し出す。
「あの町でいちばん大きな屋敷にいる。ティプテ・ワルドという」
「イルビウクの一番大きな屋敷。ティプテ・ワルドだな」
受け取りながら、彼は復唱した。またにやりと笑う。
「判った。
じゃあ、一番出来がいい髪飾りと一緒に届けてやろう」
「待ってくれ」
踵を返したイローぺの族長を、ランスフリートは呼び止めた。




