南風、北へ2
「えっ、弔問使が来るって」
南西三国の一翼たるエテュイエンヌ王国は、現在、頓死を遂げた王太子の喪に服している。
明らかな毒殺であり、しかも周辺諸国の知るところとなってしまった。
このような場合、通常であれば外交の場という側面も持つ冠婚葬祭は控えられ、当国においても密葬が営まれた。
諸外国も正式には使者を立てない。
だが、ダリアスライス王国からは来るというのである。
第四王子、ロベルティートは側近の元傅役、今も親しみを込めて「爺」と呼んでいる老執事から聞かされた。
私室に呼んで茶の相手を申し付けるよりも早く
「どういうわけか、ダリアスライスが察知した模様です」
語られたものだ。
随分と情報収集能力に長けている。
「まあ、おれに縁談を持ちかけて来たものな。
事のついでに、おれを人物鑑定する算段なんじゃないか」
「それにしても早耳な」
「誰かに耳打ちされたのかもしれないよ、爺。
たとえば、あいつとか」
どうしても、末弟が脳裏をちらつくのである。
ロベルティートはコール茶を啜りながら
「この間、廊下で行き会った時に、凄い目でおれを睨んでくれた。
あいつ、おれがダリアスライスの美人を娶ると知っていたな。
どうもね。嫌な予感がする。
この頃のあいつは、単純な野蛮ではないような様子を見せてくる。
何か、知っている気がするんだ」
「シルマイト殿下が、この件を御存じにおわすとは」
執事も白い眉をひそめた。
「ダリアスライスの早耳どころではございませんな」
「全くだ。
何しろ、当事者のおれが未だに戸惑っているくらいなのに。
どうやって情報を入手したものやら。
早いなんてものじゃない」
依然に、ロベルティートはこの執事と茶を飲んだ際、保身の手段として有効な寺院入りを断念し
「実力のあるところから妻を迎え、後援を得るか」
と言った事がある。
代案に挙げたのがダリアスライス王国だったものだが、もちろん冗談だった。
現実的には、南西三国との縁組意外に無い。当時はそう考えていたものだ。
それが、どうした事か、本当になった。
あれから、恐らくは二か月程しか経ってない。王族の婚姻としては急転直下と言ってよい展開で、さらに言うなら父王の計らいであるに違いなかった。
末弟を警戒する心境は、父もロベルティートと大差は無い。
どう考えても、父が迂闊に周囲へ漏らすとは思えないのだが、シルマイトは知っていた。
当宮廷において、末弟は
「獰猛」
と称される程に気が荒く、乱暴な言動や人を見下す態度で、恐怖されている。
しかし、その姿は果たして真実の人となりなのだろうか。
ロベルティートは
(あいつについては、考えを変えないといけないかもしれないな)
そこはかとない不気味さを感じずにはいられない。
同時に、不可解さも。
いつの頃からだろうか。
シルマイト・レオンドールという名の第五王子を思う時、兄たるロベルティートは
「確かに、昔から情が強かった。
だけど、あんなに激しくは無かったんだけどな。
気のいいところもあったのに」
首を傾げてしまう。
彼が知るかつての弟は、気に入らぬとなれば侍従を怒鳴りつけ、手当たり次第に当たり散らす欠点も有してはいたが、決して優しくない事もなかった。
男の兄弟には薄情だったが、妹達には案外と温厚だった。もっとも、ロベルティートも人の事を言えた義理ではないが。
特にレイゼネア姫を可愛がり、一番下のフラウディルテが生まれて以来、めっきり存在が薄くなってしまった彼女には、同情を寄せていたものだった。
折りにつけて花束や、年頃の少女を喜ばせる髪飾り、指輪、新しい意匠の夜会服等々。レイゼネアには贈り物が届けられていたし、フラウディルテの遊び相手もしていた。
ロベルティートは見た事がある。
末妹がまだ三歳程だったとき、中庭でシルマイトに遊んでもらっているところを。
彼は、痩せた両肩に幼い妹を乗せて、中庭を走っていた。フラウディルテのはしゃぐ声と
「にいさま、もっと走って、もっと速く」
「いいとも。しっかり掴まっていろよ」
いかにも楽しんでいる様子のシルマイトを、今も思い出せる。
それどころか、ロベルティート自身にさえ思いやりをを見せた事もある。
ある夜会に出席した時、苦手な談話に困って間をもたせる為、つい深酒してしまい、具合を悪くした。
そっと会場を抜け出して、外気を吸いながら一人で対処していた、その背中を不意にさすられた。
驚いて振り返ると、シルマイトがしゃがみ込んでいた。
彼は兄の背をさすってやりながら
「兄上は飲み方が下手だな。
普段、飲まないのでしょう。ああいう時は、果汁でも飲まれた方が宜しい」
冷水を満たした杯を差し出してくれた。
礼を言って受け取り、飲み干した。弟は兄が人心地ついたのを見届けると、早々に立ち去って行ったのだった。
だが、現在は。
レイゼネアに贈り物が届かなくなって久しい。
フラウディルテと中庭で遊ぶ姿を見かける事も無い。
そして、ロベルティートに対しては、激しい憎悪の眼を向けてくる。
「早耳も脅威だけど、目元も怖い。
あいつの目つきときたら、ほとんど肉食獣だな。
薄暗い廊下であの目を見たら、おれは潔く失神するね」
肩を軽くすくめて、彼は言った。
「この分だと、例の話も知っていそうだな。
さて、ダリアスライスから誰が来るかは知らないが、あいつの情報通ぶりには十分に注意を払わないといけないだろう」
ダリアスライス王国は内陸の国で、海は見えず、都市の景観から離れると、牧歌的な平野が広がる。
王冠を模して円形に建設された首都の近郊には、小さな町や農村が点在し、外側を開墾の手が入っていない草原が包んでいる。
エルンチェア程に平らではなく、時おり思いついたように大地が盛り上がって出来たと見える低い連山があり、森もある。
田園と小森林、そして草原。それがダリアスライスの風景であった。
エテュイエンヌ王国は坂が多かった。
これは大陸が中央が隆起しているような形になっているせいである。
ダリアスライスから南下して行く時は、坂を果てしなく下ってゆくような感覚にとらわれる。
この国も山が少ない。
南西には低い山が連なって、上手に隣国との間を隔てているが、他の方角は開けている。
遠く遠く南を見晴るかせば、爽やかな青を湛えた南海と、細い銀の糸のような水平線が視野におさまる。
当国は海岸に張り付いているかのような、細長い地形をしている。
北国境を少し抜けたあたりで、早くも波しぶきが規則正しく寄せる海岸が、雄大な姿を見せる。
防風林が僅かにあるだけで、坂の両端を彩る緑は、背が低く潮風に強い独特の雑草群である。
やや黄色がかった緑の、短丈な割に葉が鋭く硬そうな草が、海風と戯れている。
ダリアスライスとは異なる色彩。
ランスフリートが海を背にする異国の王都に到着したのは、出発から五日後、午後過ぎであった。
この街は、丘の上に建設されたものと見えて、城に向かう道も勾配がきつい坂道だった。
それだけの手間をかけた甲斐はあった。
城の正門前に到着し、馬車を降りた時には、小高い丘から海が一望出来て
「美しいな」
長旅の疲れを癒してくれたものだ。
「ようこそ、我がエテュイエンヌへ」
門には、先ぶれを受けて待機していたのであろう役人が何人も控えていた。
表向きは弔問使ではなく、表敬の名目になっている。
出迎えの人々は、服喪の拵えではなかった。
大国からの使者を受け容れるに不足無い、堂々とした行列が作られ、ランスフリートと従者達は城内へ招き入れられた。
賓客向けの一室に案内されるなり、彼は窓を全て開け放ち、その上で露台へ出て、しばらく潮風に長身を委ねた。
海と無縁に育った彼にとって、眼下に広がる大海原は、ここが異国であると実感させる何よりの舞台だった。
「なんて綺麗だ。
ティプテに見せてやりたいな。
どんなにはしゃいで喜ぶ事か」
少々行儀悪く、手すりから身を乗り出して、穏やかに海岸を洗う白波を見やりながら呟いた。
別れ際の約束が思い起こされる。
エテュイエンヌ王国の海岸を、二人きり遠乗りしよう。
誓いは是非とも実現させねばと、改めて思った時。
「申し上げます」
室内から声をかけられた。
振り向いた彼は、露台に佇んだまま従者の口上を聞いて驚いた。




