祖国のために2
「全く。度し難いのう」
執務室に戻った王は、巨大な文机を挟んで佇立する臣下へ、苦笑いを見せていた。
緊張感を漲らせ、慎重に頭を下げる男は、反王太子の筆頭である。
いったい何を思ったのか、王宮の主は単独の面談を仰せつけてきた。
内務卿は
「第二謁見室で、何事かあったらしい。
主だった文官は誰も呼ばれず、入室を許されたのは軍に関わる重臣のみだったそうな」
とまでは聞いていたが、具体的な内容は知らされておらず、一人だけ王に呼ばれる可能性も考えていなかった。
意外ではあったが、断るわけにはいかない。表面上は礼儀正しく平静を保って、城本丸中央を訪れた。
入室早々、一層の意外な光景を目にした。
机に両肘をつき、鼻のあたりで手を組んだ王が、苦笑しつつ愚痴を述べたのである。
「妻も困ったものだ、みすみすブレステリスに誑かされおって。
パトリアルスを可愛がっていたのは存じておる。親の常として、将来を案じる心境も分からなくはない。
だが、如何に可愛かろうが、心配だろうが、おのずから限度はあろう」
「・・・・・・は」
「我が子可愛さに平常心を失い、たとえ故郷であれ外国の甘言にうかうか乗るとは、浅慮もいいところだ。
予も、しなくて良い事をせねばならなんだ」
大きく吐息すると、つい先程の一件を語り始めた。
内務卿は、警戒しつつ頭を垂れた。
王は時々目を瞑り、太い眉を寄せる。そして、盛んに首を振る。
その様子は、不快感というよりも、起きた事態に対して不本意であるという内心の表れに見える。
「ジークシルトの凱旋が決まっておるわけでもないのに、パトリアルスを放逐せねばならぬなど、これは我が王家の危急である。
なぜ、ブレステリスにころりと騙されたものか。
あれは輿入れ以来、生国を忘れかねておった。そこを付け込まれたのだろうか。
こうまであっさりと、唆しに乗ってしまうとはな。
今少し、気を遣ってやれば良かったと、予もいささか悔いておる」
内務卿は、主君の言葉ををそのまま受け取ってよいものか、否か。
思案のしどころであろう。
軽率な返答は進退どころか、生命に関わる。
素早く考えた末、沈黙を守って会釈するにとどめた。
「予もな。考えてみれば、ジークシルトをひいきにし過ぎたようだ。
ついつい恃みにしてしまい、美術や文芸ばかりに熱を入れるパトリアルスには、苛立ちを抑えられなんだわ。
船は海に浮かべよ鍬は畑に用いよ、とは古来より言い習わされておるが、そうとは知りつつ、気がつけばあの二人を比べてばかりおった。
なまじっか、パトリアルスの外見が予に生き写しなだけに、腹も立った」
「・・・・・・は」
「だがな、内務卿。
卿も人の親であろう。不出来な者こそ可愛いという親心、判ってくれような。
いつかはきっと、明日こそは予を驚喜させてくれるであろう。
そう念じつつ、日を過ごして来た。その思いは今もって変わらぬ。
王后は、元々が我が国の者ではない。しょせんは他国の姫よ。
予も、美貌に魅かれて妻にと望んだ。それだけの縁だ。失っても惜しくはない。
だが、パトリアルスは違う。
あれは我が子だ。妻とは比較になろうはずがない」
バロート王は、精悍な面差しへ見事に苦悩する父親の顔を重ねた。
深く吐息をつき、おもむろに組んでいた両手をほどいた。
そして、机の引き出しから紙の束を取り出して、内務卿へ差し出した。
慇懃な手つきで受け取った臣下の方は、読み始めたとほぼ同時に目を見開き、息をのむ音を立てた。
相当に驚いていると見て取ったらしい主君は、鼻を鳴らした。
利き手で頬杖をつく姿勢に変わっている。
「うむ、読んでの通りよ。
ブレステリスめが。慌てて詫びを入れて来おった」
「キルーツどののご署名が入っておりますな。
確か王后陛下の従兄にあたられる」
「左様。
詫びられたところで、今更ではあるがな。
第二謁見室で息子の不敏を叱り、威厳をもって処断に臨まねばならなんだ。
卿も知る通り、あの場所を用いるとは、つまりそういう事だ。
もはや取り消すわけにはゆかぬ。
全くもって、腹立たしい」
「御胸中、お察し申し上げます」
書類を手に、短く応じて、また会釈する。内務卿は表情に明るさを取り戻していた。
バロートは軽く顎を引いた。
「近々、パトリアルスを城から出さねばならぬ。
内務卿、国内の一切は卿が管轄するところである。宜しく計らってやってくれ」
「御意。
ですが、宜しいのですか。
臣が、そのう。典礼卿どのを差し置いて」
彼は越権行為を懸念したらしい。
申しつけた主君も、やや罰が悪い顔をして見せた。
「もっともな問いである。
だが、それはよい。
パトリアルスは、既に親王号を予に返還しており、身は王族には属しておらぬ。
ゆえ、あれの今後については、典礼庁の管轄外となる。
それにな、そのう――何だ。まあ、あれだ。
予も、次男には若干の哀れみを感じておる。
妻には何の同情も湧かぬが、母の要らざる世話によって、親王号を返還させられる羽目となった息子にはな。
王ではなく、父として――何かしてやりたいのだ」
「左様に仰せなられますのは」
「うむ。下世話な話だが。
卿の娘御と我が次男は、なかなかに親密だと聞いておる。
別れるのは辛かろう」
バロートは照れた、ように見えた。
「予は、あれを王都からさまで遠くは無い場所に住まわせておく積もりだ。
家の繋がりは切ったといえ、血の絆まで断ち切ったとは、予も思っておらぬ。
それに、ジークシルトに子がない以上、あれは依然としてわが王家の嫡子に変わりはない。
卿には手間をかけるが、時折あれの様子を見に行き、予に知らせて欲しい。
その際には、娘御も同道させるが宜しかろう」
「陛下」
「せめてもの、心の癒しとなろうゆえな。
利いてくれるか。予の頼みだ」
この時。バロートの表情は一人の男親だった。
内務卿は、彼は深々と頭を下げた。
「謹んで、御意を奉じる事でございましょう」
「欣快である。
役目大儀」
機嫌良く頷くと、臣下を退室させた。
ついでに、周囲の近侍も全員を控室へ追いやる。
独りになった瞬間、彼は日常の表情へと、顔つきを一変させた。
「愚か者が」
短く吐き捨てる。
不出来な者こそ可愛いとの親心は、不変の真理であろうが、この武断王に限っては、そうではなかったのである。
王の辞書に、寛容の文字は無かった。
リューングレス軍参戦す。
恐るべき一報が、戦場を駆け抜けた。
雰囲気が、徐々に変貌してゆく。
東の意気は恐ろしく揚がり、西は真逆になった。
「援軍到着、援軍到着。
リューングレス軍、参戦。
アースフルト親王殿下の御成り」
曙光旗を掲げた伝令が、叫びながら躍るように走ってゆく。
ツィンレー剣将は、鞍上で破顔した。
「流石は殿下。
何という神速の御み足よ」
手を打って、彼は叫んだ。周囲を固める兵士らも、こぞって万歳を唱えた。
明日にも到着があれば上出来だと思っていただけに、賞賛を惜しまなかった。
「援軍来着だ、怖れるものはない。
押せ、押せ」
兵はまことに意気軒高である。
慌てたのは、エルンチェア軍だった。
こうも立て続けに援軍が到着するとは信じ難い、しかし目の前には旗が無数に出現している。
兵はまことに意気消沈である。
一挙に混乱状態へ雪崩落ちようとしている配下へ、馬上の指揮官らは
「退くなぁっ。
たかが小国の加勢がついた程度で、みすみす勝ちを逃してどうするか」
「新手と申しても、弱小なリューングレスごときではないか。
ここで退こうものなら、末代までの恥となるぞっ」
進めっ」
必死の形相で怒号を飛ばす。
ここで崩れてしまっては、短期必勝の構図が霧消してしまう。
援軍の当てがなく、しかも王都の守備を手薄にしているエルンチェア軍としては、膠着状態に陥るのは不利であり、何としても避けなければならない。
だが、西は初陣が多い。
将兵揃って恐慌の波に飲まれ始めており、明らかに浮き足立っていた。
大兵力であるだけに、もしもどこかに綻びが生じて本格的な混乱が起これば、立て直しはほぼ不可能と見なければならない。
七万もの軍隊が統率不能になる。
十分、戦慄に値する。




