国境の激闘6
前線における兵の入れ替えを、ジークシルトは急がせた。
伝令が慌ただしく走る、その合間を縫って最前線から派遣されてきた情報伝達役の下級兵士が、続々と目通りを願い出てくる。
寸刻みに変わりゆく戦場の状況が奏上される。
報告によれば、押されていた左方隊は戦力交代の影響で意気高く、敵軍を果敢に攻めたてているという。
逆に、まだ前線から下がれない右方隊は、疲労の色が濃厚で、やや動きが鈍重化している様子だった。
ジークシルトは、思案顔を作って腕を組んだ。
駒とりと違い、人間を使っての戦いとは、なかなかに思い通りの展開をさせるわけにはゆかぬようである。
「なるほど、疲労か。
計算に入れていた積もりだったが、実際には兵どもの体力を過大評価しすぎていたらしい。
おれの見通しが甘かったな。」
苦笑まじりに反省の弁を呟いたものである。
時刻は、南刻の四課(午後十二時)になろうとしている。
朝から戦い通しで、考えるまでもなく疲れるのは当然だった。
もっとも、兵士の疲労に関しては、交代要員がいない東の方が、西とは比較にならぬほど重大な懸念であろう。
事実、グライアス軍の幹部達は、明らかに疲弊している自軍将兵の有様を見て、一様に憂慮していた。
「兵の補充がきかぬという事が、これ程の苦難とは」
馬上で悔しそうにひとりごちたのは、ツィンレーである。
軍服の袖でぐいと額の汗をぬぐい、何度も深呼吸して、我知らず荒くなっていた呼吸を整えながら、彼は兵法に繰り返し説かれている寡兵の不利さを改めて実感した。
今まで何度となく局地線を経験してきたが、こうまで極端な彼我の兵力差に悩まされた事は無い。交代要員の不足で窮地に置かれた経験も無かった。
実際にそうなってみて、初めて知ったのである。
再び最前線へ出て、まだ一刻も経っていないというのに、彼の全身は疲労感に蝕まれている。
多少なりとも休息した自分でさえそうなのだから、早朝より従軍し、戦場へ出ずっぱりになっている者の疲れは、いかばかりであろう。
一時は、塁門まで一馬歩(約1キロ)ばかりにまで詰め寄られたところを、疲労の極みに達しながら、よくぞ押し返したものである。
その兵達を慰労してやりたい。一刻も早く休ませてやりたい。
が、今は出来ない。
「早く来てくれ、リューングレス」
このグライアス軍の困憊ぶりが、エルンチェア軍には幸いした、と言うべきであろう。
西方の右方隊はかなり前進していたうえ、矢を避けるために散開していたため、交代に予想以上の時間を要したのだ。
撤収指示を行き渡らせるために、一刻(一時間)近くかかってしまった。
この間、右方隊が混乱したが、グライアスはその絶好の機会を活かせなかったのである。
西がようやく撤収を開始した時、時間的な空白が出来た。
しかし、この時グライアス軍は追っ手をかけなかった。皆その場に停止して、味方を覆う疲労感を追い払う事に専念していた。
ツィンレーが
「どうした、追え」
必死に号令しても、配下は、正規兵から傭兵に至るまで大地に根づいたかのように座り込み、この若い気鋭の軍人を激しく苛立たせた。
彼らが腰を上げたのは、交代を終えた新しい敵軍が地響きを立てて殺到して来たその瞬間である。
先方が混乱の名残をひきずりつつ後退してゆく、その末尾に食いついて一気に押し出せば、新手が塁門から出て来るより早く、あるいはエルンチェア軍の防兵塁へ到達し得たかもしれない。
塁の内部へ侵入を果たせば、総本陣は王太子が戦場に身を置いており、守りが薄いと考えられる。少数での制圧も、あながち不可能では無かっただろう。
その機会をふいにしたばかりか、新たな無傷の一師団と剣を交える羽目に陥ったのだった。
ツィンレーは、血が沸騰しそうになる程の怒りを抑えるのに苦労した。
短気を起こしてはならぬ。そう自分に言い聞かせ、素早く動揺から立ち直ると、再び迎撃の指令を発した。
自軍後方から放たれる矢が残量を失う前に、残る力を振り絞って敵軍を迎え撃ち、せめて膠着状態へ持ち込みたい。
剣将は麾下将兵に死兵と化す事を要求し、自ら率先して決死の前進を試みた。
「押せ、何としてでも押し返せっ。
援軍は必ず来る。現に、増員があったではないかっ
今しばらくの辛抱だ。
戦え。祖国の栄光を守れ」
わらわら取りすがって来る敵歩兵の手槍を剣の切っ先で払い、あるいは蹴り返し、更には馬の蹄にかけて蹴散らす。
飛び掛からんばかりの勢いで馬もろとも突進してきた若い敵の剣士が、剣を振り下ろしてきた。
ツィンレーも剣を上げて応戦し、馬上で何度も斬り合う。
「しゃらくさい。
敵は疲れているぞ、一気に叩け」
西からも士気を鼓舞する怒号が飛んだ。追いかけて、突進を指令する声も聞こえた。
元気が良い西の兵士達は、盛んに万歳を叫んで駆けて来る。
「ジェイル・エルンチェアッ」
「祖国の為に(フィズ・アクト・マジェア)」
「ジェイル・グライアスッ」
両軍の激突は、熱狂に満たされたまま、なおも終わるところを知らない。
時刻は、やがて東刻の四課(午後三時)に達する。
西の総司令官は、前線の指揮を大剣将に一時任せて、塁門まで退いていた。
伝令の報告だけでは戦場の全容が掴めず、物見台から陣形を見たいと希望したのである。
旗本隊が付き添って、門の天辺に設置されている監視の足場へ上った。
数人がかりで戦場を見渡し、全体の戦況を把握しようとしている。
「全体として、我が軍は進撃しておりますが、予想以上に敵の抵抗は激しうごいますな」
ダオカルヤンが声をかけて来た。
「現在は戦力も拮抗しておりますゆえ、敵は時間を稼いで、来援の到着を待つ所存と思われます。
そう簡単に援軍がぞろぞろ現れるとは思いにくいところですが、万一という事もあります」
「これ以上来られるのは迷惑千万だ」
ジークシルトは苦笑している。
「何とか、我が軍には今少し前進させたい。
おれが思っていたより、この戦場は狭いようだ。
兵力投入は、むしろ我が軍の足かせになりかねん」
「御意」
高い場所から俯瞰してみると、かなり南北に細長い地形である事が判る。
休憩させている先陣隊を再投入したとして、陣形を保てない恐れがあるのだった。
戦力が溢れかえってあたら遊兵と化してしまい、戦況を悪化させる原因となっては、目も当てられない。
麾下将兵を有効に活用するには、相応の行動範囲を確保せねばならぬ。
当方も端緒に比べて陣形が歪んでいるが、先方もどうして不格好である。
それでも、まとまりは敵の方が良いように見える。
経験の差が出ているのだろうか。
ほぼ全軍が初陣というエルンチェア軍の弱みは、動員力だけでは補い切れないのかもしれない。
そう思うと、ジークシルトも内心では
(数頼みで勝ちを得られる程には、戦は甘いものではないな)
気を引き締めてかからねばならない、と緊張せざるを得ない。
東の軍勢には、やはりアーリュス民族による傭兵が多いようだ。
あの部隊の一部を指揮するのは、先程戦った女流軍人、確かマクダレアと名乗った剣士であろう。
「それにしても、グライアスは面白い国だな」
「は。左様に仰いますのは」
「軍隊に女を置くなど、我がエルンチェアには考えもつかん。
あの女、よくやっているらしい。
せっかく連中の闘志を削いで遣わしたというのに、立ち直られてしまったと見える」
「ははあ」
「ああいうのを、女傑と称するのだろうな。
我がエルンチェアも、あのような豪儀な女の一人や二人、産める国でありたいものだ。
立派な女だ」
感心の様子を隠しもしないで、ジークシルトは前方を見たまま言った。
ダオカルヤンは驚いて、若主君の美しい横顔を見た。
実母との確執から、女性に対して好意的な意見を口にした事など、これまでに一度も無かった王太子が、敵軍の女流剣士を「女傑」と評し、それでは足りずに「立派な女」とまで評したのだ。
そういう場合ではないと重々承知の上で、正直に瞠目した若い臣下だった。
何か、胸中に変化が起きているのだろうか。
深く追求したい気持ちは、しかし
「あっ」
違う側近の狼狽えた声で霧消させられた。
ダオカルヤンだけでなく、ジークシルトも、声が上がった方に視線をやった。
そして、その場の全員が硬直した。
総司令官と旗本隊、皆の視界に等しく現れたのは、つい先程も見た光景の再現だった。
東地平線の向こうから、むくむくと沸き立つようにして現れてくる、幾つもの旗。
濃紺の布地に赤い円を中央にあしらった、曙光旗と通称される図柄である。
この旗を国旗とする国と言えば。
「リュ、リューングレス……」
ダオカルヤンがうめいた。
ジークシルトでさえ、完全に意表をつかれて声を失っていた。




