国境の激闘4
「ジェイル・グライアス」
女性軍人の背後から、勇ましい叫び声がした。
味方部隊が、エルンチェアの総大将を発見して、突撃して来たのである。
ジークシルトの背後にも、彼の側近がようやく駆けつけていた。
側近の一人が馬首を若主君の横につけた。
「殿下、御本陣へご帰還を賜りたく。
我が軍に御下知を。
進軍に影響が出始めておりまするゆえ」
そう言いながら、若主君の前に出て、敵の女性軍人へ斬りかかった。
マクダレアが手綱を引いて避けるとほぼ同時に、彼女の傍らからも僚友が割り込んで来、西方と剣を合わせ始めた。
不本意である。
敵の王太子を打ち取るという巨大な武勲の機会は、しかし、放棄せざるを得ない。
もはや乱戦と化してしまった、つい先程までの一騎討ちの場には、いつまでも居られなかった。
かく乱された配下部隊を立て直す責務が、指揮官にはある。
不満なのは、側近の集団内へ揉み込まれたジークシルトも同様であった。
不興げに近衛の若い剣士らを見据えていたが、一番若い側近に
「殿下。何とぞ御本陣へ。
殿下が在しませぬ中央は、動きがとれませぬ。
左方部隊は勢いを盛り返しましたゆえ、御本陣へお戻りあそばされませ」
総司令官の役割に復帰するよう要請されては、却下も出来かねた。
仕方なさそうに馬首を返す。
彼もまだ若いのだった。
「勝利は目前だ。
一息に蹴散らせ」
兵士らを激励しつつ、来た道を戻る。最年少の側近、名をチェルマーという剣士はその背中に付き従い
「王太子殿下は、御本陣においてその方らの働きを御督戦あそばす。
エルンチェア王国武人の本領を、しかと御目にかけよ」
主君の後退を、退散と見られないよう細かく配慮しながら本陣帰投にかかった。彼は、年少ながら、そういう点での気配りに長けている。
大魚を逸したグライアス側は歯ぎしりしたが、王太子近衛の旗本隊防御陣は、鉄壁と言いたい強固な守りを見せ、ついにグライアス剣士を寄せ付けなかった。
状況は刻一刻と、東に不利となりつつある。
「何という事だ、赤毛どもめ」
マクダレア隊の苦戦を知らされて、ツィンレーは唸った。
彼も進撃を止められ、いやそれどころか、徐々に後退させられつつあった。
「我が軍、リューングレス軍、どちらでもよい。
来援はまだか」
「まだ、先触れは到着しておりません」
指揮官の問いに、補佐役は悔しそうな表情で答えた。
時刻は、早くも南刻の三課(午前八時)を半分以上も過ぎている。
当方の後続軍が全速で行軍して来たとしても、昼以前の到着は期待しかねる。
リューングレス軍に至っては、明日の到着であれば重畳といったところか。
それまでの時間、ツィンレーは死力を振り絞って戦線を維持せねばならない。
総勢七万もの大軍と戦うに、わずか二個師団の動員力で。
「ヴォルフローシュ剣将どのを下がらせろ。
後方で部隊の再編に努めるよう、伝えるのだ。
ヴォルフローシュ隊には、何としてでも立ち直って貰わねばならん。
どうせ、赤毛どもに行き場は無い。
どこへ逃げても、本陣に戻る以外の道は無いのだ。
連中を捕まえて秩序を回復させねば、兵力として役に立たん」
ツィンレーは指示し、弩弓隊を前面へ移動させるよう、続けて伝令を走らせた。
中央突破は一時断念して、敵軍の進撃を阻止する防御中心策へ転向するしかない状況であった。
たとえ今ある弓矢を使い果たしてでも、エルンチェアの進軍を食い止めなければ、後が無い。
作戦変更を知らせる太鼓が打ち鳴らされ、グライアス軍はゆるやかに全軍後退を始めた。
エルンチェア軍が、すかさず猛烈な追っ手をかける。
ツィンレーが采配を振り回した。
「弩弓隊、前へ。
ありったけを射掛けまくって、エルンチェア軍の足を止めろ。
大弓隊も準備だ、急げっ」
命令が飛び、直ちに矢が一斉に放たれた。
ふりそそぐ矢の雨は、エルンチェア軍の先鋒兵士を片っ端から戦場へ沈めた。
矢が頭に刺さって倒れる者、全身に死の洗礼を浴びる者が続出し、彼らの進撃は見るまに鈍くなった。
自軍本陣へ駆け戻ったと同時に、ジークシルトは、その報を知らされた。
「密集するな。
各部隊は散開して、突撃続行だ。
弓矢には限りがある。必ず攻撃は緩む。
怖れずに進め、敵に時間を稼がせるな」
馬の背から下りようとせず指示し、中央部隊にも押し出す準備を言いつけた。
最前線の将兵達を死に駆り立てる命令――最高司令官の下知を受けて、 両軍の兵士らは、死にもの狂いで敵に向かった。
グライアス軍の弩弓隊は、狙点を定める暇もなく、ひっきりなしに矢を射る。
その真下を、両軍の歩兵たちは這いずるようにして前進し、襲い来る敵兵と剣戟を繰り広げる。
「これ以上は、絶対に進ませるな。
押し戻せえっ」
グライアス軍の指揮官が呼号すれば、エルンチェア側も、
「怖れるな。進め、一気に突き崩せ」
怒鳴って応じる。
東から飛来する膨大な量の矢は、死を運ぶ暴風雨と化していた。
グライアス側では、塁の上にも国境警備兵が昇って、超弩級の飛び道具を持ち出していた。
東の指揮役が指示した
「大弓」
である。
弩弓を更に大型化したもので、地上ないしは建物の屋根等に固定し、二人ががりで射掛ける代物である。
弓というよりは、投矢器とでも称したほうがよい。
当たれば、人間の上半身など、軽く吹き飛んでしまうであろう。
同じ武器が、塁門から三台出され、用意された。
エルンチェア軍は確実に前進し、東国境の防兵塁まで二馬歩強というところまで詰め寄って来ていた。
これ以上の進撃を許せば、いよいよグライアス軍は窮地に立たされる。
指揮官の指令を受けて、射手が巨大弩弓の操作にとりかかった。
成人した男性の身長とほぼ同じと思われる、全長の弓である。
矢もそれに比した大きさを持っている。
五歳程の子供くらいはある巨矢を、射手の一人が発射台に乗せ、いま一人が器械で引き絞る。
発射台に取り付けた手回しを回すと、台座が後退し、矢尻が弓弦を自動的に引く仕掛けになっている。
人力では到底引けるものではない。
その恐るべき巨矢が、風を切ってエルンチェア兵めがけて飛来し、彼らを吃驚させた。
幸いにも兵士に当たらなかった矢が、地上に突き刺さる時、腹の底に響くような鈍い禍々しい音が立つ。
その度に、えぐられた土が四方に飛び散り、目の当たりにした兵士を恐怖に陥れる。
たまらず、エルンチェア軍の先鋒兵士は後退りし始めた。
こんなものの直撃を浴びたら、木っ端微塵になってしまう。
その恐怖感に押されて、西方は動揺し、前進の意欲を失いかけた。
逆に、グライアス軍は再び士気を上げ始めた。
エルンチェア軍が怯んだと見て取った高級将官らが、必死に士気を鼓舞し、祖国万歳の勇声もろとも敵陣へ斬り込む範を垂れたためである。
「かかれかかれ、一斉に押し出せっ」
「弓兵、放て。
敵の背後を足止めせよ」
大弓は、その性質上から連続で発射出来ない。間隔も短くはない。
隙をついて西方が進軍しようとする気配を感じ取った弓兵隊の隊長が、盛んに指示を出している。
西側の両翼は、やや崩れ気味になっていた。
左方隊の前進が、右方隊に比べて著しく遅い。
やはり経験の差が出ていると見える。
飛鷹陣は、大軍が寡兵を包囲して短時間で殲滅する作戦に最も適する。ジークシルトの狙いもそこだった。
が、左右が足並みを揃えていなければ、せっかくの強みも発揮出来ない。
左の遅れは、陣形の崩れに繋がる重大な懸念と言える。
報告を受けた若い総大将は、前方へ険しい視線を放った。
「敵は、我が軍の左方隊に集中して矢を射ているようだな」
「御意にございます」
「この際は多少、陣形が崩れても止む無し。
右方隊を前進させよ」
そう指示した時だった。
「注進ッ」
伝令が、左肩に矢を二本も射込まれた凄まじい姿で、駆け込んで来た。
ひどく慌てており、自分の怪我にも構いつけていない様子で、何事かを早口に述べる。
ジークシルトは、はっきりと驚きの表情を浮かべた。
同刻。
後背で太鼓を連打する音が弾けたのを、ツィンレーは、はっきりと聞いた。
彼の太い眉が跳ね上がった。
東の塁天辺でも、歓声が爆発している。
「援軍ッ。
援軍到着だっ」
「祖国万歳」
「ユピテア大神万歳。
神は我らを見放し給わず」
ツィンレーは鋭く振り返り、肩越しに塁門近くを見やった。
そして、顔を喜びに輝かせた。
「来たかっ」
「何だとっ」
西方では、エルンチェア将兵が息を飲んだ。
彼らの目にも映っていた。
遥かな東の地平線上で、紺色の軍旗が無数にはためくのが。
黒に近い深碧の布地の中央に、純白の刺繍糸で、翼ある双頭の猛虎をあしらった、荒々しい図柄の旗。
それは、神話に登場する伝説の猛獣を象徴とする、双虎旗ことグライアス王国の国旗であった。
援軍が到着したのだ。東に。




