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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第十二章
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帰還の代償6

 ティプテの病室にあてられている客間は、相変わらず暗かった。

 厚地の帳はかけられたままで、夜通し蝋燭が大量に灯っていたと知れるこもった熱と、溶けた蝋特有の匂いが漂っていた。


 病人が寝かされている窓際には、主治医と薬師、ランスフリートが居た。

 いつ頃からそうしていたのか、彼は恋人の枕元に佇んでいた。

 ユグナジス剣将補は、近寄り難い雰囲気を全身から発している国王子息に、ゆっくり歩み寄った。


「ティプテどののご容体は、如何でございましょう」

「変わらない」

 短い返答だった。

 病床の少女は、ユグナジスが見るところ、確かにまだ高熱にうなされていた。


 大量の汗が、絶えず顔を濡らしている。

 服毒の兆候なのか、彼女の肌は、やや黒ずんでいた。


 薬師は、患者の汗を拭くだけである。

 ユグナジスはその様子を訝し気に眺めやった。


「他にやる事は無いのか、薬師どの」

「はい、左様でございます。

 もう暫くしたら、利尿作用のある薬を投与致します。

利尿を促して毒を体外に排出させる以外に、治療方法はございません」


 薬師は悔しそうに答えた。

 専門の者がそう言うのであれば、門外漢には口を出せる余地は無い。

 後はせめてもの吉報を、国王子息に報告するくらいである。


「ティエトマール剣将閣下は、一命を取り留められました。

 只今は意識もご回復なされておられます。

 その事については、ご安心ありたい」


「そうですか。

 祝着と伝えて頂きたい」


 こちらを一瞥して、ランスフリートは冷静に言った。

 その落ち着きからは、いささかならず意外な印象を受ける。


 取り乱して自分も死ぬと騒いでいるかと、正直なところ、ユグナジスは懸念していたのだが、ランスフリートは一時の動揺からは、立ち直ったようである。

 しかし、疲れ果てたさまは、取り繕いようが無かった。


「ランスフリートどのも、潮を休まれるが宜しかろう。

 長丁場です。適宜に休まねば、身が持ちませぬぞ」


 ユグナジスは言い、相手が聞いているのかいないのか、曖昧に頷いたのを見やってから、部屋を出た。

 残ったランスフリートは、恋人以外は視界にも入っていないかのように、ひたすら病床を見ている。


 昨夜


「予断を許しません」


 薬師から告げられていた。

 見立てでは、劇性の猛毒であり、致死量は極微量だという。


 解毒の術は無く、体内に取り込まれた毒が致死量を下回っており、かつ中毒した者の自浄能力が優れている事を期待するしかない。


 手当ての方法があるとしたら、排尿を盛んにさせて、少しでも毒を体外へ排出させるくらいである。

 薬師はそう語り、専用の薬を処方していた。


「なぜ、わたしは何ともないのですか。

 毒粉を手にした賊の至近に居たのに」


「間がお悪かったとしか、申せませぬ。

 ティプテさまは毒粉を吸い込んだのではなく、何かのはずみでお肌のどこかに付着し、お気づきになられなかったのではないかと。

 毒は、肌に触れただけでも人体へ侵入致しますれば」

 

 説明を聞かされた時、ランスフリートの苦悩は深まった。

 だとしたら、自分のせいではないか。


 刺客と最後に争った際、身を守る為とはいえ、短刀を使った。

 あの時、敵は毒粉の入った小袋を取り落とした。


 宙に舞い上がった死の粉は風に流され、ごく少量ながら、ティプテの体に付着して、その忌まわしい力を発揮したのだろうか。

 目の前が暗転する思いである。


「ティプテ、済まない。こんな目に遭わせてしまって、本当に済まない。

 おれはばかだ。救いようの無いばかだ」


 自責の念は、従兄の度重なる忠告を、ことごとく拒絶したあたりにまで遡っていた。

 身内の言葉に逆らったりしなければ。

  せめて、バースエルム家の血族だと判った時点で配慮していれば、ティプテは平穏に過ごしていられたのではないのか。


 政敵の権力欲を甘く見積もり、自身が身に帯びる影響力を軽んじた報いは、当人ではなく、最愛の者に牙を剥いたのだった。


「おれは……自分の都合しか考えていなかったのだな。

 真実、君を愛しているなら、君の為を思うべきだった。


 ダディストリガの言う通りにしておけば、こんな事にならなかったものを。

 済まない。

 巻き込んでしまって、本当に済まない」


 政敵一族への怒りはむろんあるが、それはそれとして、自分も免罪されるわけにはいかない。

 ランスフリートは身を引き裂きたい後悔に打ちのめされた。


 夜明けの光が、帳の隙間を通って、床のごく一部を明るく照らしている。

 だが、彼は一人、闇の中で立ちつくしていた。




 バースエルム剣爵は、成功直前まで進んでいた謀略が、予想外の失敗に終わった事を知った。

 順調に回転していた運命の輪が、ある一瞬で逆転し、輪の上に居た彼を振り落としたのだ。



払暁まもなく、若い男の遺体が王城へ密かに運び込まれたと聞かされ、次にそれは、追っ手をかけたダディストリガ・バリアレオンの遺体であると報告された。


その誤報が打ち消され、真相が耳に入った時 間髪を置かず精鋭部隊に屋敷周辺を包囲された。。


「バースエルムどの。貴公を拘束する」

 指揮官は、呼びかけるにあたって「閣下」の称号を用いなかった。

 剣爵とも内務卿とも呼ばれず、敬意は最低限か、ある意味でそれ以下だっただろう。

 寝室に居た剣爵へ、ユグナジスは剣先を向け、冷たく逮捕を宣言した。


「理由は、それがしが申しあげるまでもない。よくご存知でいらっしゃるだろう。

 ご同行願おう」

 弟であるバースエルム盾爵も、同様の運命に見舞われた。  


彼の場合は、ダディストリガ死亡の報を聞き、自分であの鼻持ちならない若造へ報復し損なった事を残念がって、諦められず、念を入れて確かめさせた。


 その結果、先に誤報と知った。


「何、オレンジル家の。

 まずい」


速やかに妻子を連れ、馬車へ飛び乗った。

 兄剣爵には一言も断らず、むしろ彼を捨て駒とするかのように、こっそり逃亡を図ったのである。


だが。何の意味も無かった。

ダディストリガは、意識を失う前に国王子息誘拐事件の発生と、犯人の逃走を告げたため、主要な道路は副官の手で残らず封鎖されていた。

厳重に張り巡らされた警戒網に引っかかり、弟盾爵も家族ともども逮捕されたのである。


「なぜだ。

 何が間違っていた」


 獄中の人となった兄弟は、異口同音に疑問を叫んでいるという。

 だが、何をどう叫んだところで、彼らにとっての事は終わった。


 本日中にも現王后は、正室の座を追われ軟禁されるであろう。

 代わって、かつて一番の寵愛を受けたランスフリートの生母が、新王后に立つ運びとなる。

 

 老チュリウスは、昔日の反省を踏まえて、今度こそは公文書で公示するに相違ない。

 ランスフリートは嫡流として認められ、親王宣下を受ける資格を得る。


 バースエルム家の壊滅は、確定した。

 


「何、ランスフリート。

 今一度、申してみよ」

 

 信じられないといった様子の祖父へ、ランスフリートは姿勢を正し、厳しい面差しを作って


「はい。

 ティプテとは、すぐに別れます」


 きっぱり言い切った。

 一族長老にすれば、長く恋人の病室に閉じこもり、食事に呼んでも拒否を続けていた孫が、急に面談を求めてきた。

 驚く暇も無く、あれ程に抵抗していた別れ話を、あっさり承知したと表明したのである。

 どういう心境の変化であろう。


 内心を無遠慮に探るような、狷介な視線にさらされたが、ランスフリートは怯まなかった。

 祖父の控え室になっている部屋は、南側に用意された上等の客室で、従兄の病室になっている居間から近い。

 年長者に目通りを願い出る前、従兄を見舞った。その時、決意は固まった。


 暗殺の標的だったはずの自分は、かすり傷ひとつ負わず、従兄が代わりに血を流した。

 更には、敵側の血筋であるはずのティプテが、毒粉に侵され、不当な苦痛を強いられている。

 流血も鉱毒も、なぜ自分を避けて、愛する者の命をおびやかすのか。


 長い苦悩から脱し、ランスフリートは一つの結論に達した。


(もう逃げない。

 おれが逃げたせいで、こんな事になった。


 逃げた罰は、おれ自身じゃない、大事な者達が肩代わりさせられたんだ。

 それが、おれへの罰だったんだ)


 結論は、決意に変化し、言葉へと形を変えた。


「最低限、彼女をわたしの側へ寄せても大事ない時が来るまで、時間をおきます。

 今までの不明、お許しください」


「ふむ。

 おまえが目を覚ましたというのは、どうやら本当のようだ。

 ダディストリガには、礼を言うのだな。

 

 随分とお前を庇い、口添えもしておったわ。

 おまえの為に大怪我を負った、その功績に免じて、以前の事は不問に付す。

 これからは期待するぞ」


「はい」


 かつての不貞腐れた態度、投げやりな口調は、いまや全く影を潜めており、返答の声音には積極性が感じ取れる。

 

 彼は退路を断ったのだ。

 もう引き返せない。ティプテの元へは帰れない。

 何もかもを承知して、彼は前を向いていた。


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