表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第十二章
72/257

帰還の代償5


 東の空がゆるやかに明け白み始めている。

 南国の王都は、貴族街の一角を除いて、普段と同じ朝を迎えた。


 下町では、商品の値切りをめぐる露天商と買い物客らの、相も変らぬ喧騒ぶりを呈し、貴族屋敷では主人が朝食をしたため始める時刻。東刻の三課(午前五時)である。


 ティエトマール家だけが、普段通りではなかった。

 人々は眠れない夜を過ごし、ざわついた雰囲気のままに明け方を迎えた。 

 が、まずは居間で動きが起こった。


 ジュリシアは、夫の額に滲む汗をこまめに拭き取り、少しでも体を動かす気配があれば全身で抑え、その度にずり落ちかけるふとんを直していた。

 夫の友人の姿もある。任務を終えてから自主的に戻って来、夜通し付き添っていたのだった。


「奥方どの。

 ここはそれがしが看ておりますゆえ、しばしご休息なされよ」


 ユグナジスは、疲労困憊の体がありあり見て取れるジュリシアを気遣ったが、彼女は首を振って応じなかった。

 怪我人の、血色を失った蝋細工のような指に、自分のしなやかな指をからめ、根が張ったように動かない。

 武骨な夫は、神の国の一歩手前あたりで、行くか戻るかの思案に暮れているのであろうか。

 そう思っているように見える表情を浮かべて


「主人が生を得るにせよ、死に至るにせよ、席を外すわけにはゆきませんわ。

 大丈夫です。ここに居させてくださいませ」


 静かに言った。

 ユグナジスは感服した様子を隠さなかった。


「貴女程ダディストリガにふさわしい女人は、まず居られますまい」

「ありがとうございます、ユグナジスさま。

 わたくし、主人に巡り合えて、幸福ですのよ。


 このひとは不器用で、女人を喜ばせるような事は何一つお出来になりませんけれど、それでもいいのですわ。

 わたくしには、ただひとりの夫ですの」


 ジュリシアの指に力がこもった。



 妻に迎えられて、六年が経つ。

 嫁ぐ日の朝、母から


「そなたの夫君たるひとは、気難しい殿方との事です。

 心して、終生仕えなさい」

 

 そう言い渡された。

 婚礼の当日に初めて顔を合わせた時、なるほど母の言う通りらしいと納得した程だ。

 当時二十歳だったダディストリガは、まるきり女性慣れしていないと一目で判る、ぶっきら棒な態度に終始して、挨拶も


「よろしく」


 たいそう短かった。

 夜も夜で、一向に新妻を求めようとせず、不安にさせられたものだ。

 

 実は女性に不慣れなあまり、妻を扱いかねていたのだった。

 後日、夫の友人が笑いながら暴露した内輪話によれば、ダディストリガは、彼や父親にまで女性慣れしておくよう、再三に渡って忠告されたにも関わらず、とうとう「練習」しなかったのだという。

 理由は当人いわく


「婚前に別の女性を傍に寄せるのは、純潔な花嫁に失礼だと思った」


 との事である。

 夫の、若者らしからぬ物堅い武骨な誠実さに触れた瞬間に、ジュリシアは、日頃は笑顔もろくに見せない青年へ一生を捧げると決意したのだった。


 死と闘う夫の苦痛を思えば、看病疲れなどと言ってはいられない。

 共に闘う決意が、ジュリシアの、とうに尽きたはずの体力に成り代わって、彼女を支えていた。

 夫の復活を頑なに信じて、看護と祈りに全ての力を注ぐ妻だった。


 生きて欲しい。

 妻の願いは、人の声となった。 


「寝なさい、ジュリシア」


 明晰な声。力に欠けてはいるものの、強い意志が込められている謹厳な響きの声が、病床から聞こえたのだ。

 ジュリシアが


「あなた」


 声を上ずらせ、ユグナジスも


「気づいたか」


 興奮を声に表して、腰を浮かせた。


 二人が見守るなか

 ダディストリガは、ゆっくりと目を開いた。

 天井を見上げたまま、妻の手を意外な程の力強さで握り返して


「もう、寝なさい。心配無用だ。

 これ以上、そなたに負担をかけるようでは、おれが落ち着かぬ。

 体を休めなさい」

「はい――はい。あなた」


 ジュリシアの声が、初めて揺らいだ。瞳がまたたくまに潤んでゆく。

 緊張が一息にほぐれ、安堵に取って代わられたとき、彼女は武人の妻から、一人の女性に戻っていた。

 喜びの涙が、貞女の頬を伝って落ちた。


「よう、お目覚めくださいました」

「まだ死ねぬ。

 やらねばならん事が有りすぎる。


 そなたは休むようにな。

 ありがとう」


 下がるよう申し渡されたジュリシアは、夫の顔を愛し気に見やってから、席を立った。

 居間の出入り口まで、ユグナジスが付き添った。


「あとは、お任せあれ。

 万一、死神どもがご主人を奪還しに大挙して押しかけて来たとしても、それがしが斬り防いでくれますゆえ」


 つとめて陽気な声で保証して、彼は近くにいた侍女へ友人の妻を託した。

 ジュリシアが寝室へ引き取って行くのを見送ってから、友人の病床へ引き返す。

 ダディストリガは、何度もまばたきして、視界を覆う死の世界の闇を振り払おうとしているようであった。


「まだ、あまりよく見えんな」

「無理をするな。せっかく拾った命だぞ」


「まばたきしたくらいで、失うようなものでもあるまい。

 ところで大父さまや、親父どののご様子は如何。

 おいでなのだろう」


「ああ。別室でお休み頂いている。

 大勢で怪我人の枕元を囲んで騒ぎたてては、傷にさわると医師どのがおっしゃるのでな。

 とりあえずは別室にご案内申し上げてある」


「そうか。で……ランスフリートは」

「例の娘のところにいる。

 どうも、まずいらしいな」


 簡潔な説明がなされ、ダディストリガは表情を暗くした。


「毒か。

 あの男、何が何でもランスフリートを殺したかったと見えるな。

 

 背後関係を調べねばならんが、手がかりはあるのか。

 そんな猛毒を手に入れられるとなれば、相応の身分の者だろうが」


「分明している。

 実は昨夜のうちに、ランスフリートどのから伺った。

 こんな時に申し訳なかったが、事が事だからな。


 無理を言って、話を聞かせて頂いた。

 証言によれば、犯人はオレンジルという男だそうだ。

 バースエルム一門の縁者だという。


 部下を現場に行かせてあるが、もしかすると死んでいるかもしれん。

 ランスフリートどのは、男を短刀で刺したそうだ。


 一晩放置したとなれば、既に事切れている可能性が高い。

 ま、身元は知れているから、構わぬと言えば構わぬがな」


 ダディストリガは、意外そうな表情は見せなかった。

 政敵バースエルム家の縁者ではない、という方が、彼の意表をついたに違いない。


「そちらの件は判った。

 それで、娘の容体はそんなに悪いのか」


「薬師の見立てによれば、その毒はえらくたちが悪いらしい。

 解毒剤が無いのだそうだ。

 

 体に入った毒の量も不分明だし、手の施しようが無いという事だな。

 おい、こんなに話していて、傷に障らんのか」


 ユグナジスは顔を曇らせ、負傷者の右胸を覗きこんだ。

 ダディストリガは心配された事を、むしろ迷惑そうに受け止めたと見える。


「無用だ。

 おれはそんなにやわではない」


 怒った口調で言った。旧友は苦笑した。


「判った判った。そんなに怒るな。

 だが、あまり無理はさせられん」


「では、もう少しだけだ。

 娘は助からぬという事か」


「そこまでは判らんな。

 だが、助かったとしても、あの娘が健康を取り戻すのは絶望的だという。

 医師も薬師も同じ見立てだ」


「何」

「生涯寝たきりで、目も見えなくなる恐れがあるらしい。

 こうなると、さすがに気の毒だな」


 表情もしぶくユグナジスが言ったとき。

 やにわに、ダディストリガは身を起こしかけた。

 剣将補の肩書を持つ男は仰天して、友人と上官を兼ねる負傷者の両肩を押さえつけた。


「よせ、動くな。傷が開く」

「ランスフリート。

 あいつ、どうしている。

 この話は知っているのか」 


「そんなに気になるなら、おれが今の様子を見てくる。

 構えて動くなよ。

 おれが戻った時、きっと安静にしておらねば、様子を教えてやらんからな」


 上下の立場をあえて無視した物言いで、患者の動きを封じてから、彼は居間を出た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ